「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年6/10日分:荒木和博の巻)

兵庫県三木市立総合隣保館の「隣保館だより」6月号に特定失踪者家族会の吉見美保副会長が寄稿しました: 荒木和博BLOG
 「国内で既に40人以上も発見されてる特定失踪者」は「北朝鮮拉致ではない」ので内容自体が酷いのですが、それ以前に「隣保館便りに載せるのがふさわしい文章なのか?」ですね。


調査会初の出版『拉致回廊 日本列島を行く』【調査会NEWS3615】(R4.6.10): 荒木和博BLOG

 オンデマンド出版のため書店ではお求めになれません

 オンデマンド出版(注文があったときだけ印刷)という辺りが実に滑稽です。荒木がそもそも話を持って行かなかったのか、持って行っても断られたのか、過去に荒木の著書を刊行した

草思社
◆『内なる敵をのりこえて、戦う日本へ』(2006年)
◆『日本が拉致問題を解決できない本当の理由(わけ)』(2009年)
◆『山本美保さん失踪事件の謎を追う 拉致問題の闇』(2012年)
◆『北朝鮮の漂着船』(2018年)
光人社
◆『なぜ北朝鮮は崩壊しなかったのか』(2011年)
【高木書房】
◆『靖国の宴』(2016年)
展転社
◆『北朝鮮拉致と「特定失踪者」』(2015年)
勉誠出版
◆『拉致:異常な国家の本質』(2005年)

といった版元は今回出版してくれないわけです(まあ以上の版元も、それなりの大手(?)と言えるのは草思社だけですが。高木書房や展転社にいたってはマイナーで非常識な右翼出版社でこんなところから出しても恥ずかしいだけです)。もはや右翼業界でも「荒木ら特定失踪者問題調査会」はまともに相手にされなくなってるんでしょうか?。だとしたら俺的に嬉しいですが。


日本に戻った人もいるのではないか(R4.6.10): 荒木和博BLOG

 拉致されてから日本に返された人もいるのではないかというお話しです。実際、福留貴美子さんはその一人です。

 5分37秒の動画です。タイトルと説明文だけで見る気が失せます。実際、見る価値はありません(一応見ましたが)。
 第一に荒木は以前も戻ってきた人【調査会NEWS2985】(R01.5.21): 荒木和博BLOG(2019.5.21)として今回のネタとほとんど同じ話をやってます。何度同じネタをやれば気が済むのか。
 第二にそんなことが荒木が建前とする拉致被害者帰国と何の関係があるのか。何の関係もない。
 なお、荒木の言う「福留氏の一時帰国」については以下を紹介しておきます。

福留貴美子 - Wikipedia
 高知県香美郡暁霞村(現・香美市)生まれ。よど号グループ・岡本武*1の妻。北朝鮮は「夫・岡本とともに土砂崩れで1988年に死亡」としている。政府認定拉致被害者ではないが、救う会拉致被害者と認定、死亡情報は疑わしい*2と主張している。
 1976年7月に失跡、友人には「モンゴルに行く」と言い残して羽田空港を飛び立ったきり消息を絶った。
 よど号グループの柴田泰弘*3の妻だった八尾恵は著書 『謝罪します』(2002年、文藝春秋)で、福留が北朝鮮で「モンゴルにあこがれている。そこに行くはずだったのにここに来てしまった」と話していたと書いている。1980年3月9日、日本に一度帰国し、横浜市南区の友人の家を3月11日に訪れ2泊している。その後「大阪へ行ってから田舎に帰る」と告げ、新横浜駅で見送りを受けたが、実家には姿を見せなかった。北朝鮮に帰国したとみられる。3月24日に大阪国際空港から出国した記録が残っているとされる。
◆2人の娘
 岡本との間に、1977年に長女を、1981年に次女を出産している。
 北朝鮮朝鮮総連との人脈をもつ社会党の元高知県議をパイプ役として、各方面に働きかけた結果、長女は2002年に、次女は2004年に日本に帰国した。
◆拉致疑惑
 2005年10月、よど号ハイジャック事件に絡む民事訴訟で警視庁公安部幹部は、福留について「拉致被害者とは考えていない」と証言した。理由として以下のものをあげた。
1)日本に入国した際、友人宅に泊まるなどしており、逃げる機会があった。
2)海外の領事館で自ら旅券更新をしている。
 しかし、救う会は「日本に入国したときは幼い子どもを北朝鮮に残しており、逃げるわけにいかなかった」として拉致事件としている。
 「救う会高知」は2006年11月、福留は北朝鮮に拉致されたとして、高知県警に国外移送目的略取及び誘拐の罪で告発。2013年3月には、「救う会神奈川」が、神奈川県警に国外移送目的略取罪で告発した。

*1:テルアビブ空港乱射事件を起こした岡本公三の兄(岡本武 - Wikipedia参照)

*2:娘の存在を認めながら福留氏の生存を隠すとは思えないので「死亡理由が本当に土砂崩れかどうかはともかく」死亡「それ自体」は事実かと思います。

*3:1953~2011年。1970年3月31日によど号ハイジャック事件を起こし北朝鮮に亡命後、1977年5月に八尾恵と結婚。1985年春によど号グループ最高幹部の田宮高麿(1943~1995年)から命を受けて極秘帰国。潜伏活動をしていたが、1988年5月6日に兵庫県警外事課により旅券偽造の疑いで逮捕。1993年11月に懲役5年が確定、刑務所に収監された。未決勾留期間を差し引いて、1994年7月21日に出所。柴田の子どもはその後も北朝鮮に留まっていたが、次女が2004年1月に、長女が2006年6月に日本に帰国している。(柴田泰弘 - Wikipedia参照)