「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年7/14日分:荒木和博の巻)

安倍元総理もミッドウェイも朝鮮戦争も紙一重だったという話(R4.7.14): 荒木和博BLOG
 5分24秒の動画です。「第18富士山丸船長、機関長帰国を実現した金丸訪朝(1990年)」「小泉訪朝(拉致被害者5人の帰国を実現した2002年の第一次、5人の家族の帰国を実現した2004年の第二次)」が「紙一重」ならともかく拉致と何一つ関係ないので心底呆れます。この動画は「拉致解決のため」ではなかったのか。
 なお、「安倍の暗殺(【1】奈良で演説をしなければ、【2】犯人を狙撃前に確保する、安倍を防御盾で守るなど警備がちゃんとしてれば、【3】運良く銃弾が当たらなければ、あるいは当たっても致命傷にならなければ安倍は死ななかった:紙一重)」「朝鮮戦争の仁川上陸作戦(北朝鮮側に作戦を見破られていれば上陸は失敗した:紙一重)」でしょうが、ミッドウェー海戦について言えば「紙一重」などというのは事実に反する「ただの負け惜しみ」です。
 ミッドウェー海戦の敗北は「日米の国力の差の露呈」でしかない。
 「紙一重」論の根拠とされる「運命の5分間」説は「一部で主張されてる」に過ぎず、争いのない定説ではない。「そんな5分間はそもそも存在しない」という否定論も有力です。いやそもそも仮に「5分間説」が正しく、日本が仮にミッドウェー海戦に勝った(既に書いたように5分間説の信用性は怪しいのですが)として、だから何だというのか?。日米の国力の差を考えればいずれは日本が敗戦したことは目に見えています。
【参考:「運命の5分間」説ほか】

ミッドウェー海戦 - Wikipedia
 日本海軍は投入した空母4隻(加賀、蒼龍、赤城、飛龍)とその艦載機約290機の全てを喪失した。アメリカ海軍も空母1隻(ヨークタウン)、駆逐艦1隻(ハムマン)と多数の航空機、200名の航空兵が犠牲になるという決して軽くない損害を受けた。
【日本の戦死者(将校)】
山口多聞(第二航空戦隊司令官。少将→死後、中将に特進)
◆岡田次作(空母「加賀」艦長。大佐→死後、少将に特進)
◆柳本柳作(空母「蒼龍」艦長。大佐→死後、少将に特進)
◆加来止男(空母「飛龍」艦長。大佐→死後、少将に特進)
【勝敗の要因】
◆情報戦
 アメリカ海軍は、日本海軍の暗号解読と無線傍受でミッドウェー作戦を事前に把握して迎撃準備を整えていた。日本の「海軍暗号書D」は、乱数表を用いて二重に暗号化した複雑な暗号ではあったものの、開戦前から使用していたうえ、作戦前に行われる予定であった更新も遅れ、作戦概要や主力部隊以外のすべての参加艦艇などの作戦全体像がアメリカにほぼ察知されていた(千早正隆*1日本海軍の驕り症候群』(1997年、中公文庫))。
◆空母の防御力
 日本の空母は防御力が弱く、また防御に関する研究、システム、訓練も不足していた。赤城は、爆弾2発直撃で大破したが、これは第二次大戦で撃沈された正規空母のうち最も少ない被弾数である。
【「運命の5分間」説】
 戦後、日本の空母三隻(加賀、蒼龍、赤城)が被弾、炎上する直前に赤城では攻撃隊の戦闘機が発進しようとしており、あと5分あれば攻撃隊は発艦できたとする話が紹介された。これは「運命の5分間」として広まったが、第一航空艦隊参謀長だった草鹿龍之介*2が『文藝春秋』の昭和24年10月号に書いた手記「運命の海戦 ミッドウエイ洋上、五分間の遅れが太平洋全海戦の運命を決した!!」が最初である。また、昭和26年に出版された淵田美津雄*3(海戦時、病気で横になって赤城の発着指揮所から見ていた)と奥宮正武*4との著書でも「運命の5分間」が書かれた。
 しかし、戦史叢書『ミッドウェー海戦』や第一航空艦隊航空参謀だった源田実*5は5分説を採用していない。
 「運命の5分間」が生まれた理由は次のように考察されている。戦時中捕虜となった豊田穣*6は、ハワイでミッドウェーの報道を新聞で読んだ中に、数分あれば日本の攻撃隊は全機発艦完了して勝敗は逆になっていたというものがあり、草鹿、淵田は戦争直後にアメリカの調査と接触しているため、5分説はこの辺から出てきた可能性を述べている。
 戦史研究家戸高一成*7は、草鹿らが戦後「あと少しで勝てた」という言い訳のため広めたと推測し、大木毅*8アメリカ側でも「危機一髪のところで勝った」というストーリーの方が気分が良いため受け入れられたという見解を示している。


脱北者の証言は本当?嘘?(R4.7.13): 荒木和博BLOG
 4分の動画です。
 一般論で言えば、脱北者は【1】北朝鮮に恨みを晴らしたい、【2】秘密情報とやらを宣伝してカネにしたい、有名になりたいなどの邪念を持つことがありうるので、「恨みを晴らすため」「金儲けや有名になるため」に「嘘をつく可能性」は勿論否定できません。
 安明進が「覚醒剤の金目当て」であることないことを言っていたと告白して今や表舞台から消えたこともご存じでしょう。
 従って、一般論で言えば「うかつに信用できない」ので「詳細に調べて信憑性があるかどうか判断しない限り何とも言えない」ですね。
 結局「マスコミ各社が報じるような情報」以外は「怪しい」と見なすべきでしょう。
 その意味では

 先日の「世界日報」キム・グクソン証言の信憑性はどうなのか

と言えば荒木の強弁「一定の信憑性がある」とは違い「信憑性などない」と見るべきでしょう。荒木ら救う会が騒ぐだけで「朝鮮日報などの韓国マスコミ」「朝日新聞、読売新聞、NHK日本テレビなど日本マスコミ」の後追い報道がないからです。
 まあ脱北者の証言が事実だろうと「拉致被害者救出につながらなければ、我々日本人にとっては意味はない」のですが。

*1:1910~2005年。戦前、第十一戦隊参謀、第四南遣艦隊作戦参謀、海軍総隊参謀などを、戦後は東京ニュース通信社常務、顧問を歴任。著書『連合艦隊興亡記』(1996年、中公文庫)、『日本海軍失敗の本質』(2008年、PHP文庫)など

*2:第一航空艦隊参謀長、第三艦隊参謀長、南東方面艦隊参謀長(第十一航空艦隊参謀長兼務)、連合艦隊参謀長など歴任

*3:1902~1976年。第一航空艦隊「赤城」飛行長、第一航空艦隊作戦参謀、連合艦隊航空参謀など歴任。著書『真珠湾攻撃』(2001年、PHP文庫)、『機動部隊』、『ミッドウェー』(以上、奥宮正武との共著、2008年、学研M文庫)、『真珠湾攻撃総隊長の回想:淵田美津雄自叙伝』(2010年、講談社文庫) など

*4:1909~2007年。戦前、第四航空戦隊航空参謀、第二航空戦隊航空参謀、第二十五航空戦隊航空参謀などを、戦後、航空自衛隊宇都宮基地司令、第3航空団司令(小牧基地司令兼務)、航空自衛隊幹部学校副校長(市ヶ谷基地司令兼務)などを歴任。著書『真実の太平洋戦争』(1988年、PHP文庫)、『日本海軍が敗れた日』(1996年、PHP文庫)、『真実の日本海軍史』(1999年、PHP文庫)など

*5:1904~1989年。戦前、第一航空戦隊参謀、第三四三海軍航空隊司令など、戦後、航空幕僚長参院議員(自民党国防部会長)など歴任。著書『海軍航空隊始末記』(1996年、文春文庫)、『海軍航空隊、発進』(1997年、文春文庫)、『真珠湾作戦回顧録』(1998年、文春文庫→2021年、文春学藝ライブラリー)など

*6:1920~1994年。著書『ミッドウェー戦記』(1979年、文春文庫)、『波まくらいくたびぞ:悲劇の提督・南雲忠一中将』(1980年、講談社文庫)、『松岡洋右』(1983年、新潮文庫)、『西園寺公望』(1985年、新潮文庫)、『提督・米内光政の生涯』(1986年、講談社文庫)、『情報将軍明石元二郎』(1994年、光人社NF文庫)、『西郷従道』(1995年、光人社NF文庫)、『悲運の大使・野村吉三郎』(1995年、講談社文庫)、『革命家・北一輝』(1996年、講談社文庫)、『中島知久平伝』(2013年、光人社NF文庫)、『空母「瑞鶴」の生涯』、『航空巡洋艦「利根」「筑摩」の死闘』(以上、2015年、光人社NF文庫)、『旗艦「三笠」の生涯』、『蒼茫の海:提督加藤友三郎の生涯』(以上、2016年、光人社NF文庫)など

*7:著書『戦艦大和復元プロジェクト』(2005年、角川oneテーマ21)、『海戦からみた日露戦争』(2010年、角川oneテーマ21)、『「戦記」で読み解くあの戦争の真実:日本人が忘れてはいけない太平洋戦争の記録』(2015年、SB新書)、『特攻・知られざる内幕:「海軍反省会」当事者たちの証言』(2018年、PHP新書)、『海戦からみた日清戦争』、『海戦からみた太平洋戦争』(以上、2021年、角川oneテーマ21)、『日本海軍戦史』(2021年、角川新書)など

*8:著書『「砂漠の狐ロンメル』(2019年、角川新書)、『独ソ戦』(2019年、岩波新書)、『戦車将軍グデーリアン』(2020年、角川新書)、『「太平洋の巨鷲」山本五十六』、『日独伊三国同盟』(以上、2021年、角川新書)、『指揮官たちの第二次大戦』(2022年、新潮選書)など