黒坂真がリツイート
安倍元総理の国葬をやったら日本は独裁国家になる、という宣伝は、日本共産党員でも信じる人は稀ですよ。大日本帝国も独裁国家とは言えません。日本には昔から、独裁者はいない。あえて言えば、太閤秀吉ぐらいでしょうか。江戸時代の将軍は独裁者ではない。老中による合議。
◆中野顕
戦前は国葬令があって、皇族、天皇側近、軍のトップ*1が対象でした。今はそうした法律はなく、基準もありません。吉田茂氏*2の時は、官公庁や学校に黙とうが押しつけられました。これ許したら、閣議決定一つで誰でも国葬にでき、国民に弔意を強要できます。まるで独裁国家の葬式です。反対!
「独裁国家にならなければ国葬していい」わけではないので全く反論になってない。中野氏も「独裁になる」とまでは言っておらず「国葬は弔意の強要につながり、独裁国家のようだ」といっているのであって「独裁につながる」とまでは言ってない。
それにしても黒坂の独裁理解も「はあ?」ですね。「老中による合議」といったところでその老中を任命してるのは「政権トップ」の徳川将軍です。
一方で、秀吉も「五大老」「五奉行」の合議があるのであって、「老中の合議ガー」という黒坂の主張なら、秀吉だって独裁ではない。
秀吉は「五大老の一人・徳川家康」に疑念を感じながらも、ついに生前、彼を打倒することができず、秀吉死後、家康は豊臣氏を滅ぼし、天下を簒奪します。「家康を打倒できなかった」のだから秀吉の権力は「絶対的な物」ではなく「徳川将軍は独裁ではない」という黒坂の理解なら、秀吉とて独裁ではないでしょう。というか、独裁という場合に「自分の一存で何でもオールマイティにできる(黒坂)」なんて定義を持ち出すのは黒坂くらいでしょう。その定義なら「共産党一党独裁国家の指導者」であれ、何であれ、ほとんどの人間は独裁者にはあたらないからです。
黒坂真
松崎いたるさん*3の大著「日本共産党 暗黒の百年史」(飛鳥新社、第二章)によれば、渡辺政之輔*4ら昔の日本共産党中央幹部は昭和3年頃、待合で繰り返し豪遊。約半年の豪遊費用総計は約5000円。私の試算では、現在の価額では約2500万円。
吹き出しました。実際、どうなのか知りませんが、仮に事実だとして、そんなことが今の日本共産党と何の関係があるのか。
今の自民党を批判するのに「安倍元首相のモリカケ桜」「甘利*5のUR疑惑」「下村*6文科相(当時)の統一教会・名称変更疑惑」ではなく「田中*7元首相のロッキード事件」「竹下*8首相(当時)らのリクルート疑惑」を持ち出すようなもんです。
それにしても「予想の範囲内」ですが、松崎の反共本も、「著者(松崎)、版元(飛鳥新社)が共に無名な事」もあって、全く話題になっていませんね。恐らく「過去の反共本の焼き直し」で「党員時代の松崎の個人的体験」や「共産党史についての松崎の新発見(例:野坂が党除名に至った週刊文春記事)」はないのでしょうし。
【参考:待合】
待合 - Wikipedia
待合と料亭の大きな違いは、前者では料理を直接提供しない(板場がない)ことである。料理は仕出し屋などから取り寄せる。
なお、芸妓と客の同宿はほとんど黙認状態であったが、売春が公認されていたわけではない。
同じ待合という名を冠していても、政治家も出入りする格式の高い店もあれば、小待合、安待合と呼ばれ、連れ込み宿同様に使われる店もあった点に注意すべきである。格式ある待合、料亭は「一見さんお断り」が当然であった。有名な阿部定事件の舞台は、尾久(荒川区)の待合である。
第二次世界大戦後、待合は「料亭」と名を変えた(このため、かつての料亭は「割烹」と称することが多くなった)。料亭と名前は変わっても、相変わらず政治家の会合や企業の接待などに使われていたが、次第にバー、クラブ、ゴルフなどと接待の場も多様化し、芸妓が減少するのと並行して、廃業する店が多くなった。
◆待合政治
維新の元勲以来、昭和期まで、政治家が待合を使うことが多かった。例えば60年安保の際の単独強行採択という策略も待合で決められたと言われている。重要な事項を密室で決める「待合政治」がマスコミ等で批判されてきた。
話が脱線しますが、コロナ禍の最中にわざわざ会食をして、二階幹事長などがボコボコに叩かれたのも「待合い政治の名残」でしょう。
とはいえ、今や「待合(料亭)文化の衰退」で「待合い政治」の場所は「必ずしも待合(料亭)ではない(ステーキハウスとか中華料理店とか)」わけですが。
*1:国葬 - Wikipediaによれば「明治天皇、昭憲皇太后(明治天皇の妻)、大正天皇(皇族)」「明治新政府の岩倉具視内大臣、大久保利通内務卿、元老の伊藤博文、山県有朋、松方正義、西園寺公望元首相(天皇側近)」「東郷平八郎元海軍軍令部長、山本五十六連合艦隊司令長官(軍の幹部)」などが戦前、国葬になっている
*3:元板橋区議(共産党)。党を除名され、現在は右翼活動家に転向
*4:1899~1928年。日本共産党書記長(渡辺政之輔 - Wikipedia参照)
*5:小渕内閣労働相、第一次安倍、福田内閣経産相、麻生内閣行革担当相、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相、自民党政調会長、選対委員長(第二次安倍総裁時代)、幹事長(菅総裁時代)など歴任
*6:第一次安倍内閣官房副長官、第二次安倍内閣文科相、自民党選対委員長(第二次安倍総裁時代)、政調会長(菅総裁時代)など歴任