「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2023年5/18日分:荒木和博の巻)(副題:5/18は光州事件の日)

◆荒木ツイート

荒木和博 
 令和5年5月20日土曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1131号。昔々、あるところに日本社会党*1という政党がありました。

 8分15秒の動画です。勿論反共右翼(右翼政党「旧民社党」職員、右翼大学「拓殖大学」教授等)の荒木なので「朝鮮労働党と親密な関係で云々*2」という悪口をするわけですが、そんなことは拉致被害者の帰国と全く関係がない。
 なお、「昔あったが消えた党」としては「戦後限定」でも他に

日本の政党一覧 - Wikipedia
自由党(総裁:鳩山一郎*3吉田茂*4
国民協同党(委員長・三木武夫*5
 後に国民民主党を経て改進党に参加
◆改進党(総裁・重光葵*6
日本民主党(総裁・鳩山一郎、副総裁・重光葵
→改進党と鳩山自由党が合同して誕生。吉田自由党と合同して自由民主党に発展的解消
労働者農民党(主席・黒田寿男)
 芦田*7内閣(西尾末広が副総理として入閣するなどし社会党が与党)の予算案に反対して社会党を除名された議員で結成。最終的には解散し議員のほとんどが社会党に復党
民社党
社民連
新自由クラブ
日本新党(党首・細川護熙
新党さきがけ
みんなの党
国民新党

などがあります。

荒木和博
 令和5年5月18日木曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1129号朝鮮戦争が始まったのにはいくつもの理由がありますが、私はその一つが金日成のコンプレックスだったと思っています。

 5分25秒の動画です。
 第一にそんな事が拉致被害者の救出と何の関係があるのか。
 第二にまともな根拠を提出するならともかく「思いつきで話をするな」です。
 なお、5月18日と朝鮮戦争には何の関係もありません(朝鮮戦争 - Wikipediaによれば、朝鮮戦争の開戦は1950年6月25日、停戦協定が締結され、停戦したのは1953年*87月27日)。
 ちなみに「朝鮮半島関係」では、5月18日には光州事件(1980年)があり、韓国では「518民主化運動」と呼ばれます(5月18日 - Wikipedia参照)。
 と言うことでググる
光州事件からあすで43年 | 聯合ニュース2023.5.17
「自由脅かす勢力と闘う」 尹大統領、光州事件43年で演説 - 産経ニュース*92023.5.18
韓国大統領「精神、必ず継承」 光州事件43年:時事ドットコム2023.5.18
等の記事がヒットします。
 全斗煥(1931~2021年)、盧泰愚(1932~2021年)、金大中(1925~2009年)と「光州事件の関係者の多く」が死去し「時代の推移」を感じます。
 なお、光州事件のあった1980年には以下の出来事がありました。

1980年 - Wikipedia1980年の日本 - Wikipedia
◆7月19日
 モスクワ五輪開幕。米国、日本などがボイコット
◆9月22日
 イラン・イラク戦争勃発
◆10月21日
 巨人の長嶋茂雄監督が退任
◆11月4日
 (コメント欄でも指摘がありますが)巨人の王貞治選手が現役引退し、助監督に就任
◆12月8日
 ジョン・レノン暗殺事件

*1:勿論、現在の社民党の前身

*2:とはいえ社会党(今や、れいわ新選組すら下回る支持率)と共産党(日本最大の左派政党)の現状の違いの一つは「勿論それだけが理由ではない」にせよ「北朝鮮への態度」もあるとは思います。日本共産党の「北朝鮮への態度」については例えば国会で、早い時点で北朝鮮拉致の可能性を指摘し政府側の答弁を引き出した橋本敦氏の死に際して、その件が必ずしも報道されていないことが拉致風化を物語る - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)を紹介しておきます。

*3:戦前、田中内閣書記官長、犬養、斎藤内閣文相

*4:戦後、東久邇宮、幣原内閣外相を経て首相

*5:国民協同党委員長、片山内閣逓信相、国民民主党幹事長、改進党幹事長、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官等を経て首相

*6:戦前、東条、小磯内閣外相、戦後、鳩山内閣外相を歴任

*7:幣原内閣厚生相、片山内閣副総理・外相を経て首相

*8:1953年1月に米国のトルーマン大統領が退任(後任はアイゼンハワー)し、1953年3月にはソ連スターリンが死去、開戦当時の米ソ指導者が変わったことが停戦を助長したとされます。

*9:どう見ても反北朝鮮演説であり、尹錫悦は「おいおい(呆)」でしょう。