岸田首相、アフリカ諸国と「マラソン会談」で巻き返し 中露との違い強調 - 産経ニュース
ウクライナ戦争で厳しい状況にあるロシアはともかく中国相手に「巻き返し」なんてできるとは思えません。
まあ、それ以前に建前では「あるべきアフリカ支援」を論じる場(TICAD)で「日本の国益」ばかり強調するのもどうかと思いますが。
関空国際線 運航再開もコロナ前ほど遠く 回復の鍵は中国人客 - 産経ニュース
本格回復には訪日外国人客(インバウンド)の牽引役だった中国人客の動向が鍵を握っている。
8月14日~20日の関空の国際線出発便数(145便)のうち、中国線、香港・マカオ線は全体の約4%にあたる計6便のみにとどまった。背景には、中国政府がコロナの封じ込めを図る「ゼロコロナ政策」を継続し、観光客の入国を認めていないことがある。
ただ、桜美林大の戸崎肇*1教授(航空政策)は「中国も水際対策で慎重になりすぎると経済的な打撃が大きく、今年後半から来年には緩和せざるを得なくなるだろう」とし「確実に中国人観光客は戻る。関空は戦略性を持って収益性の高い路線を開拓することが求められる」と指摘する。
あのアンチ中国の産経ですらこう書くことが興味深い。
日中国交50年・歴史問題40年を、負の遺産として記憶せよ - 酒井信彦の日本ナショナリズム
佐藤栄作の後継を争う自民党総裁選挙で、以前から日中関係改善に熱心であった、田中角栄が福田赳夫を破り総裁となった。ただしこれにはメディアの応援が大きかった。
やれやれですね。メディアが軒並み田中を応援したという事実はそもそもどこにもないでしょう。
「池田内閣蔵相(在任中に山一証券の経営危機問題を日銀特融などで処理)、佐藤内閣通産相(在任中に日米繊維交渉を妥結)、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)」と言う要職を歴任し、一定の成果も出した田中が総裁選に勝利しても何の不思議もない。
むしろ「メディアの応援」云々より重要視すべきなのはいわゆる「大角連合(大平と田中の同盟関係:田中内閣で大平は外相の要職につき、また大平が勝利した総裁選では田中派が全面支援、大平政権下において田中派幹部の西村英一*2が副総裁に、竹下登が蔵相に就任するなど田中派優遇人事)」でしょう。福田の方はそのような同盟関係を三木派や中曽根派との間に持っていなかった。
なお、福田も首相在任時に「日中平和友好条約」を締結しており「日中友好の立場」と言う点では酒井が非難する田中と何一つ変わらないので「福田を批判しない酒井の態度」は意味不明です。
田中拙速外交が後世に残した「負の遺産」は、実に巨大なものがあるが、その中でも重要なものに、歴史問題がある。それが外交問題として発生したのは、1982年の第一次教科書事件であった。
1982年といえば鈴木内閣であり、田中内閣は直接には関係ない。酒井が非難するその後の「藤尾文相更迭(中曽根内閣)」「河野談話(宮沢内閣)」などにしても田中内閣が直接関係する話ではない。
教科書検定に当たっては、近隣諸国の人々の感情に配慮すると言う、「近隣諸国条項」を作ってしまった。これを主導したのは当時の鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官であった
文部省、外務省も関わる話なのに「小川平二*3文相」「櫻内義雄*4外相」の名前が出ないことが興味深い。要するに宮沢内閣当時の「河野談話」「天皇訪中」で酒井が宮沢氏を極度に敵視しているという話ですが。
なお、この条項は現在も存在する物の、「河野談話を否定したがった」安倍によってかなり形骸化してしまったのではないかと言う批判があります。
ところが「侵略」から「進出」への書き換えは、まったくのフェイクニュースであったのである。
フェイクニュースという酒井の主張の方がフェイクです。俺の記憶では確か「中国についてはそうした書き換えはなかったが東南アジアについてはあった」「当時は、今と違い、政府が検定意見について紙で交付せず口頭で済ませていたので、教科書会社が細部について誤解した(その結果、当初、中国について書き換えがあったと『誤報』した)に過ぎず故意の捏造ではない」と言う話です。つまりは「侵略の事実について政府が矮小化しようとした」という大筋では検定への批判は全く正しい。
なお、酒井は「中国ガー」ばかり言い募りますが、この件では韓国政府も抗議しています。
教科書事件はその四年後、1986年にも再現する。第一次事件を憂慮した保守系の人々が、高校教科書を作り、検定に合格していた。それをメディアが反動教科書と騒ぎ出し、案の定、中国・韓国が抗議してきた。それに対して時の中曽根康弘・総理大臣は、検定をやり直させたのである。つまり政治権力の検定への直接介入であり、これこそ家永教科書訴訟が批判したこと*5なのに、すんなりと認められてしまったのである。
として「中曽根の対応は不当だ」と非難しながら結局、家永氏と違い、訴訟を起こさなかった辺りは実に自民党万歳のウヨらしい。
なお、「1986年」と書く酒井ですが正確には「1986年から批判があり、1987年に中曽根が再検定した」ようですね(歴史教科書問題 - Wikipedia
参照)。なお、再検定が行われた1987年当時は第三次中曽根内閣(最後の中曽根内閣)で外相は倉成正*6、文相は塩川正十郎*7(韓国併合正当化発言で更迭された藤尾正行*8の後任)でした。
*1:著書『航空の規制緩和』(1995年、勁草書房)、『地域振興と航空政策:モデルケースとしての沖縄』(1997年、芦書房)、『情報化時代の航空産業』(2000年、学文社)、『旅行産業の文化経済学』(2000年、芙蓉書房出版)、『航空産業とライフライン』(2011年、学文社)、『観光立国論』(2017年、現代書館)、『ビジネスジェットから見る現代航空政策論』(2021年、晃洋書房)など
*2:池田内閣厚生相、佐藤内閣建設相、田中内閣国土庁長官、福田内閣行政管理庁長官、自民党副総裁(大平、鈴木総裁時代)など歴任
*3:佐藤内閣労働相、福田内閣自治相・国家公安委員長、鈴木内閣文相など歴任
*4:池田、佐藤内閣通産相、田中内閣農林相、自民党政調会長(田中、三木総裁時代)、福田内閣建設相、自民党幹事長(大平、鈴木総裁時代)、鈴木内閣外相、衆院議長など歴任
*5:おいおいですね。酒井らウヨは「検定廃止論」の家永氏と違って「検定(行政介入)それ自体」を批判する立場ではないでしょうに。「介入内容が不当だ」というならともかく。
*7:鈴木内閣運輸相、中曽根内閣文相、宇野内閣官房長官、宮沢内閣自治相・国家公安委員長、自民党総務会長(橋本総裁時代)、小泉内閣財務相など歴任