三浦小太郎に突っ込む(2022年11月28日分)

ラグタイムララバイ(三浦小太郎)のアマゾン書評

◆高崎宗司*1『朝鮮の土となった日本人:浅川巧の生涯(増補三版)』(2002年、草風館)
 日本と朝鮮半島の関係について、著者とは歴史観は私は異なり、その部分の記述には異論もある。しかしそんなことを越えて、この本は素晴らしい。浅川巧*2やその兄だけではなく、父や祖父に至るまで、黙々と自分の仕事をし、かつ人生を楽しみ、自然や芸術を、そして人間を愛して生きてきた人たちだったことがわかる。

 三浦が「新しい歴史教科書をつくる会」理事という「歴史修正主義者」「極右の嫌韓デマゴーグ」と知っていれば赤字部分の意味は分かりますが、この書評において「高崎氏と考えがどう異なるのか」説明しないのが実に滑稽です。
 また三浦の書評では浅川兄弟が朝鮮民芸・陶芸研究家であることが全く分からないのも滑稽です。
 一方で以下のアマゾン書評は三浦に比べたらずっと浅川巧について知ることができます。

齋藤護
 朝鮮の国を愛し、朝鮮人を愛し、朝鮮の文物、とりわけ陶磁器や膳をこよなく愛し、蒐集し、蒐集した数多くの品物を私することなく朝鮮の美術館に寄贈した人が、そして多くの朝鮮人から敬愛され、死後数十年を経てなおその徳を追慕されている人がいたことを初めて知りました。

*1:1944年生まれ。津田塾大学名誉教授。アジア女性基金運営審議会委員長。著書『歴史教科書と国際理解』(編著、1991年、岩波ブックレット)、『「反日感情」:韓国・朝鮮人と日本人』(1993年、講談社現代新書)、『検証日韓会談』(1996年、岩波新書)、『植民地朝鮮の日本人』(2002年、岩波新書)、『検証日朝交渉』(2004年、平凡社新書)、『津田仙評伝:もう一つの近代化をめざした人』(2008年、草風館)など

*2:1891~1931年。1914年に朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府農商工部山林課林業試験場に就職し、養苗や造林研究に従事。1919年には石戸谷勉(1884~1958年、戦後、東北薬科大学教授)と『朝鮮巨樹老樹名木誌』を刊行。巧は朝鮮の工芸に注目し、陶磁器や家具・民具の収集を行い、1924年には兄・伯教らとともに李朝王宮跡である景福宮内に朝鮮民族美術館を設立。1929年に『朝鮮の膳』を、1931年に『朝鮮陶磁名考』を刊行。著書『朝鮮民芸論集』(2003年、岩波文庫)、『朝鮮の膳/朝鮮陶磁名考』(2023年刊行予定、ちくま学芸文庫)など(浅川巧 - Wikipedia参照)