今日の産経ニュース(2023年2/18日分)

【モンテーニュとの対話 「随想録」を読みながら】(147)絶対的多数派の傲慢 - 産経ニュース
 差別発言をぶちかました荒井氏に

 公職にある人間が、オフレコとはいえ、ここまで憎悪むき出しの過激な発言をすることに驚きを禁じ得なかった。そこには「オレは異性愛者の男だ、文句あっか!」という、絶対的多数派の上にあぐらをかいたような傲慢さが感じられた。
 クイーン*1エルトン・ジョン*2の音楽が不意に耳に飛び込んできたとき、荒井氏はすぐさま耳をふさぐのだろうか。テレビにIKKO(イッコー)やマツコ・デラックスが映ったらすぐにチャンネルを切り替えるのだろうか。もちろんオスカー・ワイルド*3アンドレ・ジッド*4の小説には手を出さないのだろう。寂しくないか?心が貧しくならないか?

として「多数派(異性愛)が正しく、少数派(LGBT)が間違いと思うなら心が貧しい」と言いだしたのには産経新聞て、基本的に「勝てば官軍」「パワーポリティクス」を絶対的に支持しているんじゃないのか(産経が親米なのも、そういう前提がないか)(追記あり) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が指摘するように「自民党をいつも万歳し野党に悪口するくせによくいう」と吹き出しました。まあ、この記事だけ見れば正論ではあるのですが。


【主張】裁判記録の廃棄 常識の乖離埋める努力を - 産経ニュース

「一般の常識と司法の常識には乖離がある」
被害者遺族の痛切な言葉を、裁判所は真摯に受け止めてほしい。

 俺個人は「保管する必要が無いなら廃棄していい(今回のケースが廃棄して問題なかったかどうかはともかく)」「少なくとも保管の必要性を決めるのは遺族のくだらない感情論ではない」と思っています。
 そういう俺は「遺族の感情論」と「それに迎合するマスコミ」を批判する
裁判官が判例に固執することを批判して、なにがどうなってほしいんだか - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2012.10.27
精神に重大な問題があったのだから、減刑になるのは仕方ないと思う - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.12.30
には大いに共感します。


【産経抄】2月18日 - 産経ニュース

▼日本では最近、「心は女性」と周囲に説明していた男性が、部下の女性2人にわいせつな行為をしたとして準強制性交などの容疑で逮捕された。

 そんなことがLGBT法反対の理由になるか!、と産経には心底呆れます。その理屈なら「障害者のふりをして、手伝おうとする善意の幼女にわいせつ行為を働くバカがいる」から「障害者の権利擁護は安易にすべきでない」「障害者が救済を求めていても、性犯罪者の偽装かもしれないから無視して逃げようぜ」等と言う無茶苦茶なことになる。

 「心は女性」を装う「心も体も男性」が、女湯や女子トイレに侵入しやすくなるとの懸念はいつ解決したのか。

 そんな懸念が本当にあるとはとても思えません。ただの言いがかりでしょう。
 なお、「女湯」はともかく女子トイレについては「ジェンダーレストイレにして欲しい」が俺の個人的意見です。
 「トランスジェンダーでも何でも無い」俺について言えば、別に差別云々ではない。高速道路のサービスエリアなどで「女子トイレはがら空きなのに、男子トイレは混んでる」なんてことは珍しくなくそれが嫌だからです。俺も小便、大便がどうしても我慢できず「このまま男子トイレで並んでたら確実に漏らす」「外に大小便できるような場所は何処にもないし、携帯トイレも持ってない→女性トイレに行くしかないんだ」との判断のもと、「人がいないからいいんだ」「漏らすよりマシだ」「女性が入ってきて批判されたら事情を説明すればいい(幸いにもそういうことはないですが)」「男子トイレが少ないから悪い(言い訳)」で女子トイレで用を足したことは正直「回数は少ない」とはいえ、何度かあります。

*1:生前、公に明かす事はなかったが、ボーカルのフレディ・マーキュリー両性愛者であったと思われる(フレディ・マーキュリー - Wikipedia参照)

*2:1970年代に両性愛者を公表し、後に同性婚をしている(エルトン・ジョン - Wikipedia参照)

*3:ルフレッド・ダグラスとの男色を咎められて収監され、出獄後、失意から回復しないままに没した(オスカー・ワイルド - Wikipedia参照)。

*4:作品には、生涯の妻であったマドレーヌの影響が強く、『背徳者』、『狭き門』に彼女の影を持った女性キャラクターが登場している。しかし、マドレーヌのことを愛しながら性交渉をもたず、マルク・アレグレとの同性愛関係により結婚生活は破綻をきたしていたと言われる。アレグレとの関係は、自伝的な特色がある『日記』に詳しく書かれている。また、『コリドン』(1924年)では男色を擁護し、『一粒の麦もし死なずば』(1926年)で自らの同性愛性向をカミング・アウトした(アンドレ・ジッド - Wikipedia参照)。