「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2023年3/29日分:荒木和博の巻)

◆荒木ツイート

 令和5年3月29日水曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1079号。埼玉県川口市に関わる拉致被害者・特定失踪者は多数います。なぜでしょう。

 5分28秒の動画です。実に馬鹿馬鹿しい。
 まず第一に特定失踪者は北朝鮮拉致ではない。
 第二に「政府認定拉致」で川口と関係があるのは「川口出身」田口八重子氏ですが、拉致当時、彼女が住んでいたのは都内ですし、「川口」が拉致と関係があるかは不明です。
 第三に「川口で、田口氏と拉致実行犯に接点ができた」など仮に「川口と拉致」に関係があったとしてそれに「拉致被害者救出」と言う意味で何の意味があるのか。「川口出身の田口氏限定」ですら、何の意味もない。これは勿論川口に限らず「新潟(蓮池夫妻や曽我親子)」「福井(地村夫妻)」「鹿児島(市川修一、増元るみ子)」など「他の場所」だって同じですが。
 勿論「川口→1962年公開の映画『キューポラのある街』(川口が舞台)→帰国運動(『キューポラがある街』で描かれた)→北朝鮮拉致」等と言い出すのは「風が吹けば桶屋が儲かる」並のくだらないこじつけでしかありません。『キューポラのある街』で帰国運動が描かれたからと言ってそれは「川口で特に帰国運動が盛んだった」と言う話ではないでしょう。
 なお、映画の製作会社「日活」は勿論左翼ではないし、そもそも帰国運動自体「日朝両国政府の外交交渉」で始まった「政府事業」だと言うことを指摘しておきます。当時は「帰国したというなら帰国すればいいのではないか、その方が人道的ではないか」と考える人間は保守層にも多かった。
 ちなみに今の川口は、以下の通り、もはや「キューポラのある街」とは言いがたいわけです。

キューポラ - Wikipedia
 1970年代から1990年代ごろの川口においては、かつて鋳物工場であった場所は次々とマンションへと変貌していき、21世紀の川口において鋳物工場はごくわずかしか残存していない。

鋳物のまち川口 変わりゆく今 | あらたにす2021.10.10
 「500を数える鋳物工場、キューポラという特色ある煙突。江戸の昔からここは鉄と人、汗に汚れた鋳物職人の街なのである」
 吉永小百合のデビュー作、1962年に封切られた映画「キューポラのある街」の冒頭で流れるナレーションです。
 川口市文化財センターに行きました。最盛期の昭和48年には鋳物組合員が600社を超え、生産量は40万7000トンに達していたことを知りました。それが今では組合員109社、生産量も見る影もないほど減っているとのことです。
 7日の読売新聞では、川口市のマスコットキャラクター「きゅぽらん」が誕生10周年を迎えたことが紹介されています。名前の由来はもちろんキューポラ。しかし、その愛くるしい表情とはうらはらに、地元の鋳物生産が直面する課題は山積みです。
 8日の日経新聞では鋳物生産について「悩み多き繁忙期」と評していました。コロナ禍の影響で落ち込んでいた需要が盛り返してきてはいるものの、原材料の鉄スクラップや銑鉄は値上がりし、働き手である外国人技能実習生の入国も入管の水際対策で原則として停止状態です。

 とはいえ、「キューポラのある街」のイメージは「川口のゆるキャラ(きゅぽらん)はキューポラ」「川口駅前広場の愛称は『キュポ・ラ広場』、駅前にある複合商業施設*1の愛称は『川口キュポ・ラ』」等、今も広報に利用されていますが。
【参考:キューポラによる広報】
「うんこ」呼ばわりされても、開き直るゆるキャラ…川口市の「きゅぽらん」 : 読売新聞2021.10.6
神出鬼没の「きゅぽらん」 光のファンタジー点灯式に登場 誕生10周年、川口のPRに全力 /埼玉 | 毎日新聞2021.12.28


【参考:映画『キューポラのある街』】

キューポラのある街 - Wikipedia
 日活の助監督だった浦山桐郎の監督昇格デビュー作。
 第13回ブルーリボン賞作品賞受賞作品。監督の浦山も第13回ブルーリボン賞新人賞、第3回日本映画監督協会新人賞を受賞したほか、主人公の女子中学生・石黒ジュンを演じた吉永小百合*2が、当時史上最年少の17歳*3で第13回ブルーリボン賞主演女優賞を受賞。

浦山桐郎 - Wikipedia
 1930~1985年。松竹の助監督募集に応募し、この時、大島渚(1932~2013年)は合格するが、浦山と山田洋次(1931年生まれ)は不合格となった。
 その後、日活の入社試験を山田と共に受け、山田は合格するが浦山は不合格となった。しかし、山田が松竹に補欠合格したため、日活に補欠合格し、1954年に助監督として入社。川島雄三(1918~1963年)、今村昌平(1926~2006年)監督らの下につく。1962年、『キューポラのある街』で監督デビューし日本映画監督協会新人賞、キネマ旬報ベストテン第2位など高い評価を受けた。
 1963年には和泉雅子主演の『非行少女』を撮り、モスクワ国際映画祭金賞を受賞。その他の監督作品として『私が棄てた女』(1969年)、『青春の門』(1975年)、『青春の門・自立篇』(1977年)、『龍の子太郎』(1979年、アニメ)、『太陽の子』(1980年)、『暗室』(1983年)、『夢千代日記』(1985年)など。
【逸話】
 生涯わずか10本の劇映画のうち5本がキネマ旬報ベストテンに入賞するなど、寡作ながら巨匠として名声は高かったが、仕事が少ないことから経済的には恵まれず、酒に溺れ、寿命を縮めた(享年55歳)とされる。

 筋萎縮性側索硬化症(ALS)で不幸にも早世した川島(1963年死去、享年45歳)を除けば上記の映画監督で一番の早死には浦山(1985年死去、享年55歳)ですね。「人生100年時代」とされる今ではなく、当時としても「早死に」でしょう。
 話が脱線しますが、「川島が罹患したALS」については「ALSを発症した徳田虎雄(医療法人徳洲会創設者)のテレビ出演」を見たことがありますが実に痛々しかったですね。
 川島、徳田以外の「ALSの著名人」については筋萎縮性側索硬化症 - Wikipediaが紹介する以下の人物を紹介しておきます。

毛沢東(1893~1976年)
 毛沢東 - Wikipediaによれば1972年のニクソンとの会談後に発症。しかしそれでも毛の権威は絶大であり、毛が死去するまで四人組は逮捕されず、文革は終了しなかった。
ルー・ゲーリッグ(1903~1941年)
 1925年から1939年の14年間に渡り、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たした(但しこの記録は、1987年6月13日、日本の衣笠祥雄(広島)に更新され、MLBでは1995年9月6日にカル・リプケン・ジュニア(ボルチモア・オリオールズ)によって更新された)。
 しかし、1939年、体調異変を感じて自ら欠場を申し入れ、記録は途切れた。後の診断で筋萎縮性側索硬化症と診断されたゲーリッグは引退を決意した(この病気は「ルー・ゲーリッグ病」と称されることもある)。
 1927年と1936年にはアメリカンリーグMVPを受賞、1934年には三冠王を獲得している。
 1939年に当時史上最年少で殿堂入りを果たし、MLB史上初めて自身の背番号「4」が永久欠番に指定された。
 ゲーリッグは1941年に死去し、翌1942年にゲーリッグ(演技:ゲイリー・クーパー*4)の半生を描いた映画『打撃王』が公開された。
津久井教生(1961年生まれ)
 声優、俳優。1992年からNHK教育テレビのキャラ『ニャンちゅう - Wikipedia』を担当。2019年9月に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を公表。2022年11月18日に病状の悪化から『ニャンちゅう』を正式に降板することを発表(後任は羽多野渉(1981年生まれ))
 津久井については以下も紹介しておきます。
ALSと共に生きる 30年間「ニャンちゅう」演じ続ける 津久井教生(つくい・きょうせい)さん(声優):東京新聞 TOKYO Web2022.4.23
ともに・共生社会へ:ALS患うニャンちゅう声優「社会と接点持つことが対症療法」 | 毎日新聞2022.9.9
記者
 ALSの診断を受けるまでの経緯を教えてください。
津久井
 2019年3月、収録スタジオに向かう途中の何でもないゆるい坂道で派手に転び、体にハッキリとした違和感を感じました。かかりつけ医から紹介を受けた整形外科で経過観察となり、そこで治療をすることができない可能性が濃厚となったため神経内科に移りました。難病の重症筋無力症などの可能性があると判断されて大学病院を紹介され、8月から1カ月弱検査入院してALSと診断されました。
記者
 ALSと診断され、どのように感じましたか。
津久井
 「病名が分かってホッとした気持ち」が一番強かったです。検査によって消去法で病名が消えていく中、可能性として残された病名を見ると厄介な病気であろうという不安感もありました。しかし病名が分からない方が、はるかにストレスでした。
 声優を育成する専門学校の講師なども務めていたので、闘病しながらどのように仕事をしていくか事務所や仕事先とも話し合いました。「やれるだけやりましょう」と言っていただき、病気のことを公表して「ALSと生きる」と決め、自身のブログで報告しました。

*1:キュポ・ラ - Wikipedia川口キュポラ ショップ-エムズタウンとは、お客様にまごころをご提供する街を意味するショッピングセンターです。によれば1階がスーパー『マルエツ』、2階がドラッグストア『ココカラファイン』、イタリアン・トマトカフェジュニア・ベーカリー、無印良品、3階がAsh HAIRMAKE(美容院)、セイハ英語学院、さかえ歯科クリニック、ISAパソコンスクール、文教堂書店、4階が川口駅前行政センター、川口駅前市民ホール『フレンディア』、5階、6階が川口市立中央図書館、7階が映像・情報メディアセンター『メディアセブン』、8階が川口駅前保育園などとなっている。

*2:1945年生まれ。1962年、『キューポラのある街』でブルーリボン賞主演女優賞を、1985年、『おはん』、『天国の駅』で、1989年、『つる:鶴』、『華の乱』で、2001年、『長崎ぶらぶら節』で、2006年、『北の零年』で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を4度受賞(4度は過去最多受賞)。2010年、文化功労者吉永小百合 - Wikipedia参照)

*3:現在の最年少記録は2011年に映画『うさぎドロップ』、『阪急電車片道15分の奇跡』で受賞した芦田愛菜(2004年生まれ、受賞当時7歳)(芦田愛菜 - Wikipedia参照)

*4:1901~1961年。1941年に『ヨーク軍曹』で、1952年に『真昼の決闘』でアカデミー主演男優賞