新刊紹介:「歴史評論」2023年5月号

 小生が何とか紹介できるもののみ紹介していきます。正直、俺にとって内容が十分には理解できず、いい加減な紹介しか出来ない部分が多いですが。
特集『いま、歴史総合を現場から考える』
◆歴史に学ぶと言うこと:「私たち」と資料(今野日出晴*1
(内容紹介)
【1】「歴史総合」において「B 近代化と私たち」「C 国際秩序の変化や大衆化と私たち」「D グローバル化私たち」と「私たち」と言う言葉が多用されていることを指摘(例えば歴史総合 | 地理歴史 | 高等学校学習指導要領分析 | 大学受験の予備校・塾 河合塾参照)。
 この「私たち」とは何を意味するのかが問題だとしている。勿論、単に「学習する生徒と教師」を指してるにすぎないと言う理解も可能だが「私たち=(生徒教師に限定されない)日本国民」として「国家主義的、全体主義的、右翼的な方向」へ向かう可能性*2もないとは言い切れないからである。
 また「私たち」とすることで「学習において私たち(生徒と教師)が共通の歴史認識にいたる必要がある」「歴史学において共通の認識に至る必要がある」という極めて問題のある認識が強化される危険性にも留意する必要があるとしている。
 勿論「理想」は「歴史学において共通の認識に至ること」ではあるものの、学者間の論争で分かるようにそうしたことは容易に実施できることではなく、「共通の認識に至ること」を重視することで「教師による生徒の誘導」という危険性もあり得る。
 一方で「私たち」と言う言葉には【1】(独りよがりな独学ではない)「対話による学習」、【2】「歴史は私たちとは関係ない過去の『他人の出来事』ではなく、私たちの今と密接なつながりがある」と言う「意識の形成」につなげるといった「プラスの意義もあり得る」としている。
 こうした「歴史は私たちとは関係ない過去の『他人の出来事』ではなく、私たちの今と密接なつながりがある」と言う「意識の形成」については「歴史レリバンス」という概念があるとのこと。
 「歴史レリバンス」については後でググってヒットした記事を紹介しておきます。
【2】「歴史総合」においては「資料(特に地域資料など身近な資料)の活用」が強調されているが筆者は、学校という場の特性を生かし、いわゆる学校資料(学校の記念誌、卒業文集、卒業アルバムなど学校に関係した資料)の活用をすることを提唱している。

【参考:歴史レリバンス】

二井正浩『レリバンスの視点からの歴史教育改革論』とレリバンス(関連性・意義)について - ボリバルブログ ~世界史教育の試行錯誤~2022.4.1
 二井正浩*3『レリバンスの視点からの歴史教育改革論*4』を第1部まで読んでみたが、とても勉強になる。
 レリバンスとは関連性・意義のことであり、社会科教育ではしばしば「自分事」として使用される。
 ここからは私の構想だが、やはり歴史総合では生徒がどのような社会的事象や課題に関心があるかを見取り、生徒それぞれにとっての学ぶ意味を実感できるような授業を展開したいと思う。
 二井は、「(中略)受験競争、親子関係、子どもの貧困などなど、もっと子ども一人一人にとって「自分事」となる「問い」、「個人的レリバンス」に基づいた「問い」が引き出せないだろうか」と提起している(p.27)。

経済学部 二井正浩教授の著書『レリバンスの視点からの歴史教育改革論-日・米・英・独の事例研究-』が刊行されました|News&Topics|成蹊大学2022.5.2
 経済学部 二井正浩教授(専門分野:社会科教育学)の著書『レリバンスの視点からの歴史教育改革論-日・米・英・独の事例研究-』(風間書房)が3月20日(土)刊行されました。
 子どもは歴史学習に何の意味を見いだせているのだろう。歴史の授業は,自分と関係があるとは思えない退屈な「他人事」の昔語りを聞かされているに等しいのではないか。
 この本では、「自分事」の歴史教育はどうしたら実現するのかという問いを立て、日・米・英・独の事例を手がかりに論じています。社会科や地理歴史科の教師をめざす人だけでなく、歴史を学ぶとはどういうことなのか疑問を持ったことがある人にも、ぜひ手にとってもらいたい内容となっています。

子どもにとって「自分事」な歴史授業の実現をめざして~日・米・英・独等の事例研究~|研究紹介|研究|成蹊大学(二井正浩)
 「先生、紫式部のこと知って何の役に立つの? そんなの(私には)関係ないよ。*5
 これは、25年以上前、高校の教壇に立つ私に生徒が投げかけた怨嗟の声です。受験や内申点といった外発的動機、または「先人の生き方」や「国民としての自覚」といった道徳的動機を除けば、歴史の授業は多くの子どもにとって「他人事」の昔語りに過ぎないのではないでしょうか。
 この研究は、「自分事」の歴史授業がどうすれば実現するのかを問うものです。
 「自分事」の歴史授業とはどのようなものでしょうか。
 ここでは、現段階で収集している授業の一つとして、ドイツで実施された「国民哀悼の日を考える」を紹介します。
 ドイツでは、戦死したドイツ人兵士を顕彰するため、1920年代に「国民哀悼の日」が設けられ、ナチズム政権下では「英雄記念日」、現在では「戦争と暴力の全ての犠牲者のための記念日」として引き継がれています。この式典では、きまって軍歌「私には戦友がいた」の演奏や議会での悼辞が行われており、授業で教師は、直近のこの式典の映像を確認した後「この国民哀悼の日は今の時代にふさわしいものか、国民哀悼の日の今後の望ましい在り方とはどのようなものか」という問いを生徒に提示します。生徒は「私には戦友がいた」の歌詞*6や、時代による追悼文の変遷の確認などを行ないながら、問いについて歴史的考察を交えて議論を戦わせていました。
 我々は様々な意図を含んだ歴史・歴史観に晒されながら実社会の中で生きています。この授業では、歴史の意図的利用が社会にあふれており、自らもその影響を受けている当事者であることを生徒に気づかせ、それに自分がどう向き合うのか考えさせる構成になっています。このような学びは、まさに生徒にとって「自分事」の歴史の学びに他ならないと思います。

 歴史学に限らず、教育に限らず、一般的に言って「やる意義、目的性(レリバンス)」がないと「成果が上がりにくい」のは確かでしょう。
 「学歴社会の日本なので、いい大学に行って大企業に入りたい」「資格(法律学→弁護士、司法書士など、医学、看護学、薬学→医師、看護師、薬剤師など)がとりたい」「原語で外国文学が読みたい、ガイド無しで外国旅行がしたい(語学学習)」などなど。
 歴史学の場合「大学等の研究者、博物館学芸員、小中高の社会科教員」といった「職業的歴史家」になる人間はごく少数なのでどうしても「何のために歴史を学ぶのか?」つう疑問を、特に「歴史嫌い」は感じるでしょう。
 ただ一方で学問とは「楽しいからやる(知的好奇心)」つう面も一方ではある。
 歴史嫌いがいる一方で、歴史ドラマ(NHK大河ドラマ)、歴史小説司馬遼太郎など)といった「歴史モノの娯楽コンテンツ」も一方では存在するわけです。


◆「問いを表現する」歴史総合の意義と課題(飯塚真吾)
(内容紹介)
 「問いを立てること」が重視される「歴史総合」において「問いを立てる」とは何かが論じられる。
 勿論「大学の卒論や修論」のように「生徒各自が自分で問いを立て、教師はそれをアシストするに留まる」という方法論(当然、生徒それぞれの問いが異なる)もあり得るが、筆者は
1)多くの生徒には「自分独自の問い」を立てるまでの能力がない
2)生徒それぞれの「違う問い」をカバーできるだけの能力や時間(多くの教師は多忙)が多くの教師にはない
ということで、「将来はともかく」当面は「共通の問い」として大項目(例えば明治維新)を教師が設定することは「やむを得ない」だろうとしています(その上で例えば、小項目として、生徒が「何故明治維新が起こったのか(何故薩長は倒幕に動いたのか、そして何故倒幕は成功したのか)」「何故、明治新政府において征韓論論争が起こったのか」「何故士族反乱が起こったのか」「何故自由民権運動が起こったのか」などの自らの問いを立てる)。
 当面は大項目(例えば明治維新*7)を教師が設定することは「やむを得ないこと」と評価するにしても「教師が教え込む授業」では「問いを表現する」ということにならないし、とはいえ、「問いを表現する」を実際に行おうとすれば教師の負担も相当な物になります。
 筆者は「どう問いを表現するのか」を文科省や教育学者、歴史学者、現場の教師などがもっと具体的、詳細に論じ、「具体的な姿」を明確化していく必要があるとしています。
 なお、筆者は「時間的制約、(教師や生徒の)能力的制約」の観点から「問いを立てること」、その「問いを解決するための方策の提示(問いについての歴史研究書を読んだ上で内容要約するなど)」にとどめ、あえて「問いに対する具体的な回答まで求めなくてもいいのではないか」としている。


◆「歴史総合」と「地理総合」、「公共」の連携に関する考察(西尾理*8
(内容紹介)
 「歴史総合」と「地理総合」、「公共(公民)」の連携について文科省が「持続可能な社会(国連のいわゆるSDGs)」を強調していることが指摘される。
 これに対し
1)そもそもSDGsを強調する文科省の枠組み自体についても勿論議論が必要。「SDGsによる三科目連携」を是とするとしても連携の形はSDGsに限定されないはず
2)また「歴史学」「地理学」などが「SDGs」等の「現実的課題」と取り組むべき事は否定しないが、一方で「歴史学」「地理学」などはそうした「実用主義」だけで理解されるべきモノではないはず
3)勿論「SDGsについての学習」を否定はしないし、今後そうした「SDGsの観点」でどういう歴史や地理等の授業が行われるべきかは議論が必要
等としている。

参考

SDGsが試験問題に⁉新教科『地理総合』について調べてみた - 予備校なら武田塾 西宮北口校
 今回は2022年度から半世紀ぶりに必修科目化される地理科目の『地理総合』について取り上げます!
 2022年4月以降に高校に入学された皆さまは、『歴史総合』『日本史探求』『世界史探求』『情報』『公共』そして『地理総合』『地理探求』という新しい科目を習うことになります。
 この『地理総合』では、SDGsや防災マップが授業で取り上げられることになるようで、今までとは全く違ったスタイルの授業が展開されることになりそうですので、そういったことを深掘りしていきましょう。
 地理科目は長らく選択科目扱いになっていましたので、高校で全く学習せずに卒業された方も多いでしょう。
 かくいう私もその一人で、世界史Bと日本史Aは履修しましたが、地理の授業については自分の高校で開講されていたのかどうかも覚えていません。
 このような状況が49年ぶりに変わることになります!
 2022年4月以降に入学した高校生は、地理科目を必ず学習されることになるのです!
◆『地理総合』と『地理探求』
 必修科目になる地理は『地理総合』と呼ばれる新科目です。
 内容はこれまでの『地理B』とは少し違い、SDGsに絡めた授業や、防災マップを活用した実習など、より実用的な内容となることが予測されています。
 『地理総合』で地理に興味を持たれた生徒さんは、発展科目の『地理探求』を選択すれば、より詳しく地理を学ぶことも可能です。
 ちなみに、長らく世界史は必修科目でしたので、今までの高校生は世界史Bか世界史Aのどちらかを必ず履修しているのですが、実は日本史は選択科目でしたので学習せずに卒業された方も今までにはいました。
 この自国の歴史を学ばずに社会に出てしまうという事態に関しては、日本史と世界史を融合させた『歴史総合』という科目が2022年4月から開講されることで解消されたのです。
 SDGsや防災について学ぶことになる『地理総合』では、授業スタイルが大きく変わる学校も出てくると思われます。
 講義を一方的に聞くいわゆる座学ではなく、たとえばSDGsについて地理の視点から議論するような授業や、防災マップやgoogleストリートビューを参照しながら災害時の避難について考える授業などが行われることになりそうです。
 ただし、こういったアクティブラーニングの授業は、担当する先生の技量に拠るところも大きいですので、今までと同じような座学中心の授業を続けられる地理の先生も出てくるでしょう。
 今までの座学中心の『地理B』から、アクティブラーニングが増えると予測される『地理総合』になることで、大学入試対策のあり方も大きく変わってくることが予測されます。
 授業のスタイルが変われば、共通テストの出題傾向も変わることが予測されます。
 実際、大学入試センターが作成した『地理総合』のサンプル問題を見ても、元々地理科目は資料問題が多めだったのですが、それに輪をかけて資料だらけになっていました。
 これまでのセンター試験や共通テストの『地理B』は、暗記する量は世界史や日本史と比べて圧倒的に少なくて済む代わりに、覚えた知識から推測していく力が必要とされていました。
 この傾向はおそらくある程度は踏襲されますが、それに加えて大量の資料を捌く資料クリティーク能力もかなり重視しているようです。

 武田塾プッシュではなく「SDGs、地理総合」でググった記事を紹介しているにすぎないことを指摘しておきます。


◆「歴史総合」から「日本史探究」「世界史探究」へ(米山宏史*9
(内容紹介)
 「日本史、世界史融合科目」で基礎編と位置づけられている「歴史総合」から「発展編」と位置づけられている「日本史探究」「世界史探究」へどう無理なく「学習を接続していくか」が論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆東アジアにおける「歴史総合」(朴中鉉
(内容紹介)
 筆者の朴氏については彼の名前でググってヒットした以下の記事をまずは紹介しておきます。

赤旗共通の歴史教材で学習/教師と高校生、シンポで交流/日中韓2006.7.9
 韓国・ソウル市の高校教師、朴中鉉さんは韓国の教科書には登場しない沖縄戦について教えた授業を報告しました。沖縄戦の背景や「集団自決」、ひめゆり部隊、現在の米軍基地問題などについての資料を示し、生徒たちに考えさせ、「手紙」の形で意見をまとめさせました。生徒たちはこれまで知らなかった事実に驚き、ある生徒は「ひめゆり部隊お姉さんたちへ」として「これ以上戦争で罪なき人々が傷を負わないよう私たちが努力していく」と書きました。

 朴氏は「歴史総合」の「問いを立てる」を「東アジア近代史」に適用するならば、
1)日本の中国、韓国への侵略や植民地支配についての問いを立てるということは当然あり得るし
2)「複合的な視点」を強調する「歴史総合」の観点では

◆『わかりやすい韓国の歴史:国定韓国小学校社会科教科書』(1998年、明石書店
◆『入門・韓国の歴史:国定韓国中学校国史教科書』(1998年、明石書店
◆『わかりやすい中国の歴史:中国小学校社会教科書』(2000年、明石書店
◆『台湾を知る:台湾国民中学歴史教科書』(2000年、雄山閣
◆『入門・中国の歴史:中国中学校歴史教科書』(2001年、明石書店
◆『中国の歴史:中国高等学校歴史教科書』(2004年、明石書店
◆『躍動する韓国の歴史:民間版代案韓国歴史教科書』(2004年、明石書店
◆『韓国の中学校歴史教科書』(2005年、明石書店
◆『韓国の高校歴史教科書』(2006年、明石書店
◆『韓国の小学校歴史教科書』(2007年、明石書店
◆『韓国近現代の歴史:検定韓国高等学校近現代史教科書』(2009年、明石書店
→なお、韓国近現代の歴史 - 株式会社 明石書店によれば、「豊富な写真・グラフなどを用いるとともに、史料を載せ解釈を押しつけないことで生徒自ら「考える」ことを促す構成となっている」とのこと。
◆『中国の歴史と社会:中国中学校新設歴史教科書』(2009年、明石書店
→なお、中国の歴史と社会 - 株式会社 明石書店によれば、『従来の歴史教育とは違い、ねらいは市民性育成のための歴史教育にあり、生徒の興味や関心を引き出し主体的に歴史学習に取り組む方法や工夫が取り入れられている』とのこと。この明石書店の評価が正しいのなら「中国の歴史教育」を「中国共産党の統治正当化」で語りたがる日本右翼は「極めて一面的」でしょう。
◆『検定版・韓国の歴史教科書:高等学校韓国史』(2013年、明石書店
◆『詳説・台湾の歴史:台湾高校歴史教科書』(2020年、雄山閣

などといった邦訳が刊行されている「東アジア諸国(中国、台湾、韓国)の歴史教科書」を学ぶなどの学習も考えられるが「近現代歴史認識」において極めて右寄りの「自民党政権」においてそのような学習が可能なのかとしている。
 また「歴史総合」の観点からは「領土問題についても多様な認識が学ばれてしかるべき」だが、「尖閣竹島は日本領」としか記載させない今の教科書検定のあり方はおかしい、「歴史総合」の観点からは「尖閣(中国名:釣魚島)」「竹島(韓国名:独島)」についての「中国、台湾、韓国、北朝鮮の認識」を学ぶ場があって当然だろうとしている。

参考

高校学習指導要領案 (地理) の中の領土問題ほか政治がらみのこと - macroscope2018.2.15
 「地理総合」のほうでは、「領土問題」ということばが、「2. 内容」には直接出てこないで、「3. 内容の取扱い」にだけ出てくる。
 「地理総合」「地理探究」それぞれの科目の目標のところにも出てくるのだが、両者を含む教科「地理歴史」の「第1款 目標」から「(3)」を抜きだしておく。

 竹島北方領土が我が国の固有の領土であることなど,我が国の領域をめぐる問題も取り上げるようにすること。その際,尖閣諸島については我が国の固有の領土であり,領土問題は存在しないことも扱うこと。

 (ボーガス注:尖閣についての政府の立場『領土問題は存在しない』を問答無用で押しつけているという)問題点は「地理探究」の場合(この記事の2節)と同様だと思う。
(中略)

(3) 地理や歴史に関わる諸事象について,よりよい社会の実現を視野に課題を主体的に解決しようとする態度を養うとともに,多面的・多角的な考察や深い理解を通して涵養される日本国民としての自覚,我が国の国土や歴史に対する愛情,他国や他国の文化を尊重することの大切さについての自覚などを深める。

 わたしが問題にしたいのは、「愛情を深める」ことを公教育の目標にしてよいのか、ということだ。わたしの公教育観では、いけないと思う。(「国民としての自覚」のほうは、外国人住民の立場を考えたときの大きな不満は残るのだが、日本国憲法でいう「国民」としての自覚ならば、あってもよいと思う。) 。

『教科書検定に見られる「領土問題」』河合塾講師 川本 和彦 | 特集
 あなたは今、暴走するトロッコに1人で乗っている。止める手段はない。そして、前方には左右に分かれる分岐点がある。そのどちらかへ進む以外に、選択肢はない。進行方向には、左右いずれにも人が横たわっている。右へ行けば1人を、左へ行けば3人を轢いてしまう。さあ、あなたはどうする?
と、マイケル・サンデル教授が発するような問いがあれば、多くの人はどちらがよりマシか(悪い要素が少ないか)を考え、苦悩しながらも右へ進むことを選ぶのではないだろうか。
 では右にいる1人がマザー=テレサさんで、左にいる3人がヒトラースターリン、ポル=ポトであれば?あるいは3人のうちの1人が俳優の宮﨑あおいさんだったら?悩むところですねえ。
 これは、多くの人を助けるためなら1人を犠牲にしてもいいかを問う思考実験、いわゆる「トロッコ問題」である。2022年度から高校で必修科目となる「公共」では、複数の教科書が(中略)このような板挟みの選択を問う問題を取り上げた。従来の知識丸暗記から思考力養成への転換を目指す試みとしては、保留付きで一定の評価ができる。保留については、後ほど述べよう。
 ところが領土問題に関しては、日本政府の主張が正しいことを前提とした記述が圧倒的多数、というより全部なのだ。ここには文部科学省教科書検定が、深くかかわっている。
 当然ながらロシアは北方領土を、韓国は竹島を、中国は尖閣諸島を日本固有の領土とは見なしていない。そもそもロシアにとって北方領土は南クリル諸島であり、韓国にとって竹島は独島であり、中国にとって尖閣諸島は釣魚島なのだ。
 なぜ、そのような食い違いが生じたのか。どちらの言い分が、どの程度正しいのか。どうすれば解決できるのか。これは思考力養成のために、格好のテーマではないだろうか。その機会を予め封じてしまうのであれば、文部科学省が掲げる(ボーガス注:「歴史総合」「地理総合」「公共」での「問いの設定」による)思考力養成という目標そのものが、疑わしくなってしまう。事実、疑わしいのですがね。
 典型的な例として、数研出版「公共」教科書を見てみよう。
 この教科書は、国際司法裁判所の判決によって領土問題が解決した例や、ロシア(当時はソ連)と中国が話し合って国境を画定した例を挙げている。その上で北方領土竹島の問題をどう解決するか、生徒同士で話し合うよう指示している。
 何ら問題はなさそうだが、問題大ありです。第一に、尖閣諸島が取り上げられていない。これは日本が実効支配していることを踏まえ、日本政府の「(ボーガス注:韓国が実効支配する竹島、ロシアが実効支配する北方領土と違い)日中間に領土問題は存在しない(ボーガス注:だからICJに持ち込む前提がない)」という主張を、丸ごと肯定したことを意味する。
 第二に、「どう解決するか」と言っても、それは「(ボーガス注:日本が全く譲歩せずに)日本の言い分をどう相手(ロシア・韓国)に認めさせるか」ということでしかない。いかにして誤っている相手を説得するか(丸め込むか)という方向が、初めから設定されているのだ。
 私は反日左翼ではない(つもりだ)が、熱烈な愛国者でもない。日本政府の主張だから無条件に正しい、あるいは間違っているという態度はとらない。領土問題についても双方に言い分があり、全肯定も全否定もできないと考える。
 ここで冒頭の「トロッコ問題」に戻る。私は保留つきで一定の評価をしたが、その「保留」とは何であるか説明しよう。
◆課題を問い直す
 「考える力」とは与えられた課題に対して、合理的・論理的に思考を進めて正解に至る力、というのが大方の理解であろう。
 だが、これは与えられた課題に対して、詰め込んだ知識を吐き出して正解に至る力と根本的な相違はない。本当の「考える力」とは、課題そのものを問い直す力である。トロッコ問題でいうなら、なぜ自分は他人を轢く側にいるのか?。もし轢かれる側であればそれを回避するために、トロッコの乗り手をどう説得するのか?
 最初から「わが国固有の領土」という枠組みを作ってしまうと、考える幅が限定されてしまうのだ。もし枠組みがなければ、様々な解決策が考えられる。
◆地元住民を協議の主体とする
 岩下明裕*10北海道大学教授の調査によると、(ボーガス注:北方領土問題の関係する北海道の)根室や(ボーガス注:竹島問題の関係する鳥取の)境港*11などでは「大きな声では言えないが、漁ができるのなら島の帰属はどちらでもいい」と言う漁民が少なくないそうだ。確かに協議が政府主導で進み、その周辺で生活する人々の声が反映されないというのはおかしな話だ。これは相手国にも言えることだろう。
 北方領土についてはアイヌなど、少数民族の声も尊重されるべきだと思う。
 これ以外にも、いろいろな意見が出てくるかもしれない。その可能性を予め封じこめてしまう検定とは誰の、何のための制度なのだろうか。

史実を曖昧にし罪責をぼかす日本の教科書に中国「改竄は許さず」--人民網日本語版--人民日報2022.3.31
 日本の文部科学省がこのほど行った教科書検定で、(中略)釣魚島(日本名・尖閣諸島)に関する一方的主張を喧伝する高校教科書の合格を承認したとの報道について、外交部(外務省)の汪文斌*12報道官は30日の定例記者会見で次のように述べた。

 釣魚島及びその附属島嶼は古来中国固有の領土であり、中国側が争う余地のない主権を有しており、日本側が教科書においてどのような動きをしようとも、釣魚島が中国に属するという事実は変えられない。中国の領土主権を損なおうとするいかなる言動も徒労だと言える。

教科書検定「領土で小細工」 中国、日本に懸念伝達:時事ドットコム2023.3.29
 中国外務省の毛寧副報道局長は29日の記者会見で、日本の小学校の教科書検定結果について「領土問題で小細工をする行為に重大な懸念を持っている」と述べ、日本側に「厳正な申し入れ」を行ったと明らかにした。
 教科書では沖縄県尖閣諸島が引き続き「日本固有の領土」と明記されたが、毛氏は「日本側が教科書に何を書いても釣魚島(尖閣諸島の中国名)が中国に属する事実は変わらない」と主張した。

教科書検定に韓国反発 竹島や「徴用」記述で抗議 公使呼び出す | NHK | 韓国2023.3.28
 来年4月から小学校で使われる教科書の検定が終了したことを受けて、韓国外務省の報道官は、「トクト(独島)」と呼んで領有権を主張する島根県竹島をめぐり「教科書に不当な主張が盛り込まれた」とした上で「強く抗議し、日本のいかなる主張も受け入れられないことを明確にする」とする声明を出しました。


◆歴史総合の時代の教員養成(小嶋茂稔*13
(内容紹介)
 「歴史総合の時代の教員養成」について論じられていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。


◆歴史のひろば「「歴史総合」をめぐる論点と課題について」(河合美喜夫)
(内容紹介)
 「歴史総合」において「B 近代化と私たち」「C 国際秩序の変化大衆化と私たち」「D グローバル化と私たち」として「近代化」「国際秩序の変化(グローバル化」「大衆化」と言う言葉が「3つの重要テーマ」として特筆されていることを指摘(例えば歴史総合 | 地理歴史 | 高等学校学習指導要領分析 | 大学受験の予備校・塾 河合塾参照)。
 国による「特定の価値観の押しつけ」ではないのかと批判している。
 また「右翼的な視点」でこの「3つのテーマ」を処理すれば「戦前日本は『アヘン戦争1840年、欧米による東アジア侵略の開始)』『ペリー来航(1853年)』など、国際秩序の変化(グローバル化)に明治維新等で対応し近代化や大衆化を実現した偉大な国家」「戦後日本は米ソ冷戦という国際秩序の変化(グローバル化)に『池田首相の高度成長路線』等で適切に対応し近代化や大衆化を実現した偉大な国家」というとんでもない話(右翼的な政治イデオロギーの押しつけ)にもなりかねないと指摘している。
 勿論、これら3つのテーマについて、「国際秩序の変化」=「第二次大戦以降の戦争の違法化」「第二次大戦以降のアジア、アフリカの独立や非同盟運動」「中国、インドなど発展途上国の経済成長による世界の多極化(欧米の影響力の低下)」など「左派的、反右翼的(?)な理解」も可能であることは指摘しておきます。


◆編集後記
 編集後記において世田谷区が批判されていたので紹介しておきます。
 これについては以下の通りマスコミでも世田谷区批判が出ています。

世田谷区史の著作権は誰のモノ? 区と執筆者が対立している理由とは:東京新聞 TOKYO Web2023.3.8
 突如浮上したのが執筆者への著作権譲渡の要求だ。区は今年2月10日、各執筆者に、原稿の提出とともに権利が区に移転するとの契約書を配布。そこには、区が文章の書き換えなどの改訂を可能とする執筆者側の「著作者人格権の不行使」も盛り込まれていた。契約しない場合は執筆させない、とした。
 これに猛反発したのが、世田谷の歴史の中でも重要な時期である「中世」の執筆を担う谷口雄太*14青山学院大准教授。この時代、室町幕府を開いた足利氏の一族の吉良氏が支配し、戦国時代まで世田谷一帯に君臨。過去の区史でも、多くのページが割かれている。
 谷口さんは2月下旬に都内で記者会見し、「著作権譲渡の契約が認められると、自治体側が都合のいいように解釈し、史実を書き換えたり削除したりすることもできてしまう」と主張。既に調査が済んでいる段階での要求に「後から強要するように、踏み絵を求めるやり方はおかしい」と、契約には応じない構えだ。
 区政策経営部の担当者は取材に、「区史発行後のデジタル公開や他事業への活用を想定しており、勝手に改訂するようなことは考えていない」と説明。執筆者が著作権譲渡に同意しなくても、発行日程は変えない方針で、中世は他の執筆者が担当する可能性がある。
 近年は自治体がマスコットのデザインやPR誌の制作を外注する際、後々のトラブルを避けるため、事前に著作権譲渡を条件にするケースは少なくない。
 著作権に関する著書が多い一級知的財産管理技能士の友利昴さんは「自治体の要望に沿って制作するPR誌と違い、史誌は執筆者個人の研究成果、人格が強く反映される。著作権自治体側が持つのは納得を得にくい」と指摘。「譲渡の交渉自体は問題ないが、編さんが始まる前にするのが筋。区側の著作権に関する意識が低かったと言わざるを得ない」と話した。

東京新聞紙面連動企画・「自治体史の著作権 誰のもの?」 | トピックス | TBSラジオ FM90.5 + AM954~何かが始まる音がする~(取材・レポート:近堂かおり)2023.4.10
 青山学院大学の谷口雄太准教授が、これに猛反発しました。
 谷口准教授は、世田谷の歴史の中でも重要な「中世」の執筆担当。この時代は、室町幕府を開いた足利氏の一族の吉良氏が世田谷一帯を支配していて、世田谷城もあった。今も、区内には世田谷城の跡があり、区史のこの部分を楽しみにしている人も多いとか。
 過去の区史でも、多くのページが割かれている大事なところで、今回の60年ぶりの新しい区史には、谷口准教授の研究で新しく分かったことも盛り込まれる、という期待もあったのですが、対立してしまい、結果的に区は、谷口准教授に執筆させないことを決めました。
 委託するのならば、その著作権はやはり執筆者にある、というのがすっきりするように感じます。二次使用の煩雑さを避けるために、というのは理解はできますが、内容の書き換えにつながる可能性、と聞けば、なおさらその執筆者の権利は、厳密に守られるべきではないか、と思いますね。

*1:岩手大学教授。著書『歴史学歴史教育の構図』(2008年、東京大学出版会)など

*2:勿論「私たち=日本国民」とすることが当然に右翼的歴史観を生むわけではないし、「学校での歴史学習」はともかく、政治運動として「あるべき日本国民(私たち)の歴史観(小生的にはそれは戦前日本の侵略、植民地支配についての真摯な反省ですが)」を論じることが悪いわけでもないですが。

*3:広島県立高校教諭、広島県立教育センター教科研修部指導主事、文部科学省国立教育政策研究所教育課程研究センター 基礎研究部主任研究官等を経て成蹊大学教授。著書『レリバンスを構築する歴史授業の論理と実践』(2023年、風間書房

*4:2022年、風間書房

*5:小生も勉強は苦手なので学生時代は似たようなことを思ってましたね。但し「文系よりも、理数系が苦手」なのでむしろ歴史よりも「三角関数」「微分積分」とかの方に「そういう感想」ですが。

*6:帝政ドイツやナチス時代に歌われた歌を「今のドイツ」で相も変わらず歌っていいのか、と言う話なのでしょう。日本で言えば「靖国問題」みたいなものか?

*7:明治維新は今思いついた「一例」であり勿論、大項目は「フランス革命」「ロシア革命」何でもいいわけですが

*8:都留文科大学教授。著書『学校における平和教育の思想と実践』(2011年、学術出版会)、『公民科授業実践の記録』(2022年、学文社

*9:著書『未来を切り拓く世界史教育の探求』(2016年、花伝社)

*10:著書『中・ロ国境4000キロ』(2003年、角川選書)、『北方領土問題』(2005年、中公新書)、『北方領土竹島尖閣、これが解決策』(2013年、朝日新書)、『入門・国境学』(2016年、中公新書)など

*11:漫画家水木しげるの出身地であり、代表作『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するキャラクターの銅像がならぶ水木しげるロードJR西日本の境線「鬼太郎列車」運行などで有名(境港市 - Wikipedia参照)

*12:マナウス総領事、チュニジア大使等を経て外務省報道官

*13:東京学芸大学教授。著書『漢代国家統治の構造と展開:後漢国家論研究序説』(2009年、汲古書院)など

*14:著書『中世足利氏の血統と権威』(2019年、吉川弘文館)、『〈武家の王〉足利氏』(2021年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)、『足利将軍と御三家:吉良・石橋・渋川氏』(2022年、吉川弘文館歴史文化ライブラリー)など