◆荒木ツイート
令和5年4月19日水曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1100回。もともと「生きる意味とは何か」とか考えるたち*1なのですが、先日「天安」の戦死者の墓参りをして思ったことなどをお話ししました。
7分49秒の動画です。そんなことが拉致問題の解決と何の関係があるのかと心底呆れます。
令和5年4月18日火曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1099号。統一地方選挙後半戦(一般市及び町村の議員・首長選挙)が行われています。(ボーガス注:民社党本部職員だった)私も色々な方の選挙を手伝いました。
5分34秒の動画です。そんなことが拉致問題の解決と何の関係があるのかと心底呆れます。荒木もこんなことを流すとは1)拉致問題にやる気を失いつつある、2)その結果、旧民社党時代を懐かしがってるということでしょう。
令和5年4月17日月曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1098号。国会やマスコミでいとも気安く「シビリアンコントロール」が語られますが、そんな簡単なものではありません。
7分13秒の動画です。そんなことが拉致問題の解決と何の関係があるのかと心底呆れます。
なお、戦前日本には勿論「シビリアンコントロール(文民統制)」と言う概念はありません。
というのも、「統帥権独立」によって、軍に対して政治家(首相)が制度的には介入できなかったからです。
統帥権 - Wikipedia
◆1874年(明治7年)の佐賀の乱で大久保利通*2は、明治天皇から軍令権や軍政権の委任を受けていた。
◆明治天皇の特旨により、本来ならメンバーでない伊藤博文*3首相が大本営に列席した。
というのはあくまでも大久保や伊藤(大物政治家だが非軍人)が「明治新政府の重鎮、カリスマ」であるからできたことで「文官一般」「政治家一般」ができたことではない。
陸海軍大臣も「今の防衛相」と違い、全て軍人です。
統帥権独立でも「山県有朋*4」という「軍人経験(陸軍卿、参謀総長)のある大物政治家」が軍ににらみをきかせていた時代は弊害は少なかった物の、山県のような存在がいなくなる昭和初期になると統帥権独立は明らかに弊害を露呈していきます。
勿論「お断りしておけば」文民統制は「最低限の条件」でしかない。
例えば「ベトナム戦争の泥沼化」は軍部が暴走したわけでなく、文民統制は機能していました。文民統制でさえあれば、無謀な戦争が阻止できるわけではない。文民統制さえすれば「問題は全て解決するわけではない」と言う意味では確かに簡単なものではありません。
【参考:文民統制】
栗栖弘臣 - Wikipedia
1978年(昭和53年)7月、「週刊ポスト」誌上で「現行の自衛隊法には穴があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令が出るまで動けない。第一線部隊指揮官が超法規的行動に出ることはありえる」とする「超法規発言」を行う。文民統制の観点から不適切として、金丸信*5防衛庁長官に統合幕僚会議議長を解任された。
1980年(昭和55年)6月、参院議員通常選挙の東京都選挙区に民社党公認で出馬したが落選。
柳内伸作 - Wikipedia
1992年、『週刊文春』10月22日号に論文を寄稿して、日本の政界腐敗を一掃するためには「革命かクーデターしかない」、「クーデターは国家、国民の将来を考えてなされる場合も少なくない」などと述べ、自衛隊のクーデターを示唆した。11月12日、自衛隊法58条(品位を保つ義務)違反行為として、懲戒免職処分となった。