今日も「反党裏切り分子」松竹伸幸に悪口する(2023年5/2日分)

夏頃に新著を刊行予定です | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 この間の私への批判はまさに「攻撃」と呼べるものだけれど、私はそんなはしたない言葉は使わないで、「批判」と表現させてもらう。
(中略)
 「松竹パンフ」が刊行されたので、東京出張の折、美和書店で購入し、一時休戦の間に反論をまとめておこうと準備を開始した。しかし、パンフを読みながら、どんどん意欲を喪失していく自分がいた。
 だって、こんな感情的で低水準の議論にいちいち付き合っていたら、キーボードを打つ自分の手がかゆくなってきそうである。 
 時間の無駄というか、マイナスにしかならないと感じた。
 これらの批判の何が問題かというと、2000年に全面改定された規約、同じく2004年に全面改定された綱領のことをまったく理解していないことである。それを理解しないまま、私に対して綱領と規約に違反しているという批判をなげかけているのである*1

 「党の躍進を願ってる」「だから離党しないで除名撤回を目指す」だの抜かしてる野郎が「はしたない」「感情的で低水準」「時間の無駄」「マイナス」呼ばわり。
 「完全な挑発行為」ですね。どこが「党の躍進を願ってる」のか。
 例えば「恋人、配偶者」「小学生の頃からの大親友」「尊敬する恩師や先輩」、誰であれ自分にとって重要な人に対してはこんな乱暴な言葉はまともな人間は使いません。 
 松竹だって「松竹氏の反党行為を憂いている」「松竹氏が真人間になることを願ってる」と言う人間が

 松竹本が刊行されたので、購入し、反論をまとめておこうと準備を開始した。
 しかし、文春新書の松竹本を読みながら、どんどん(松竹氏を説得し、反党行為を辞めさせようとする)意欲を喪失していく自分がいた。
 だって、こんな感情的で低水準の議論にいちいち付き合っていたら、キーボードを打つ自分の手がかゆくなってきそうである。 
 時間の無駄というか、マイナスにしかならないと感じた。

と「この種の乱暴な物言い(とはいえ、『松竹の党への悪口』を完全にパクっただけですが)」なら「俺を馬鹿にするな」「文春新書を駄本、クズ本扱いするな」とマジギレではないか。
 とはいえ、今の松竹は本当に善意の人間が「善意から丁寧な言葉」で松竹をたしなめても「間違ってるのは志位執行部だ!」「何が善意の忠告だ!」と逆ギレするだけでしょうが。
 というか「新著の紹介」というタイトルの記事で「著書名(未定なのかもしれないが、今のところ不明)」「著書の内容(これまた「松竹主張は党綱領、規約違反ではない」というだけで詳細は今のところ不明)」「著書の版元*2(未定なのかもしれないが、これまた今のところ不明)」の説明そっちのけで「党へ悪口」とは何処までバカでクズなのか。こんなのはいかに「志位執行部に批判的な人間」でもある程度「常識」があれば「何と松竹とは下劣な人間なのか」「志位の方が何倍もマシだ」「松竹は政治家の器ではない」「松竹を支持するなんてバカのやることだ」と呆れ果てるだけでしょう。
 「党を挑発すること」で赤旗に松竹批判記事が載れば「話題になるかもしれない」と思っての挑発行為か。
 まあ党の方はむしろ「松竹もそこまで追い詰められてるのか?」「ならばむしろ松竹のことは無視しよう」と苦笑してるかもしれませんが。まあ、マスコミももはや松竹のことをほとんど取り上げませんしね。
 それはともかく

2000年に全面改定された規約、同じく2004年に全面改定された綱領のことをまったく理解していないことである。それを理解しないまま、私に対して綱領と規約に違反しているという批判をなげかけているのである。

というのは「意味不明」ですね。常識で考えてそんな意味不明なことを党執行部がやるわけもない。何のために党執行部がそんなことをするのか。
 「敵基地攻撃能力は専守防衛の枠内(岸田)」と同レベルの「松竹の詭弁、強弁」でしょう。
 いずれにせよこの松竹の物言いは、志位執行部を【1】自分が決めた規約や綱領の中身が分からないほどバカ、または【2】理解した上で規約や綱領に違反してない松竹を不当除名した不誠実、と言ってるのも同然で完全な志位執行部への誹謗です。
 そして、何も松竹パンフなど読まなくても*3、松竹も

赤旗規約と綱領からの逸脱は明らか/――松竹伸幸氏の一連の言動について/赤旗編集局次長 藤田健2023.1.21
 松竹氏は、自身のこうした主張を、「綱領の枠内」のものと言い訳をしていますが、驚くべき主張というほかありません。
 党綱領では、日米安保条約について、「日本を守る抑止力」どころか「日本をアメリカの戦争にまきこむ対米従属的な軍事同盟条約」(第4項)と規定し、「日米安保条約を、条約第十条の手続き(アメリカ政府への通告)によって廃棄し、アメリカ軍とその軍事基地を撤退させる。対等平等の立場にもとづく日米友好条約を結ぶ」(第13項)と、日米安保条約廃棄の旗を高々と掲げています。
 自衛隊については、「国民の合意での憲法第九条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前進をはかる」(第13項)と明記していますが、ここには自衛隊憲法違反であるという認識と、自衛隊解消によって憲法9条の完全実施に進むという目標がはっきりのべられています。
 党綱領のこれらの根本的命題を投げ捨て、「日米安保条約の堅持」と「自衛隊合憲論」を党の「基本政策」に位置づけよと主張しながら、自分の主張を「綱領の枠内のもの」と強弁する。いったい松竹氏は、長い間党に在籍しながら、綱領を真剣に学んだことがあるのでしょうか。

などで「松竹批判がされた際」に

2000年に全面改定された規約、同じく2004年に全面改定された綱領のことをまったく理解していないことである。それを理解しないまま、私に対して綱領と規約に違反しているという批判をなげかけているのである。
→つまりは2000年改定規約や2004年改定綱領の内容に合致してるのは党執行部ではなくむしろ松竹、と言う居直りの意味でしょうが

とすぐに反論すれば良かったでしょう。何故反論しなかったのか。マスコミが「松竹はもはや賞味期限切れ」「取り上げても話題にならない」として「松竹をほとんど相手にしなくなった今頃*4」こんなことを言うとは、まさに「証文の出し遅れ」「六日の菖蒲、十日の菊」*5ですね(呆)
 そもそもそれが事実なら、「文春新書に最初からそう書くべき(『新著にそれについて書く』とは要するに文春新書には書いてないのでしょう)」だし、そもそも党外に話を持ち出さず「党内に意見具申すべきだった」のではないか。
 結局、「松竹の安保主張は、党の規約や綱領に違反してる」と言われた松竹が必死に後付けで「違反してない」「志位執行部が俺を誤解or曲解してる」と「屁理屈をひねり出してるだけ」ではないのか。
 なお、以上の文章は松竹記事に投稿しますが「いつものように掲載拒否」でしょう。
 「自由な言論」と抜かしながら「賛同コメントしか載せない」松竹のクズさには心底呆れます。
 それにしても党が弁護士、人権活動家等と一緒に「入管法改悪阻止」を訴えてる中、「党の躍進を願う(明らかに虚言ですが)」と松竹がいうならせめて「私も入管法改悪には反対だ」位書いたらどうなのか。どこまで松竹には政治センスや常識がないのか。

*1:詳細は今後説明するとして、今回の記事では詳しい説明はありません

*2:なお、松竹が「志位執行部との関係悪化(2006年の党本部職員退職)」以後に本を出した版元には、かもがわ出版(『13歳からの日米安保条約』(2021年)等)、集英社新書(『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』(2021年)等)、小学館(『慰安婦問題をこれで終わらせる』(2015年))、晶文社(『「異論の共存」戦略』(2021年))、文春新書(『シン・日本共産党宣言』(2023年))、平凡社新書(『集団的自衛権の深層』(2013年)等)があるが一番多いのがかもがわ出版

*3:というか「パンフのかなりの部分」は規約と綱領からの逸脱は明らか/――松竹伸幸氏の一連の言動について/赤旗編集局次長 藤田健(2023.1.21)等の「除名直前ないし直後の赤旗などの松竹批判論文」でしょう。

*4:松竹をマスコミがある程度取り上げていた「松竹本刊行の記者会見直後」「除名直後」でも「党規約や綱領の松竹流解釈(その解釈なら松竹の安保主張は党規約、綱領に違反しない)」なんてもんを松竹が述べても「そんな物にはあまり興味がないであろう」マスコミが好意的に取り上げたか疑問ですが、「松竹が賞味期限切れとなった今」となっては「もっと好意的ではない」でしょう。多分、松竹は「党規約や綱領の松竹流解釈(その解釈なら松竹の安保主張は党規約、綱領に違反しない)」を述べても党内の人間はほとんど支持しないし、一方で党外の人間はそんなことには興味がなく、党外の人間相手には「仮に党規約や綱領に違反していても除名は重すぎる」「そもそも共産の党規約、綱領(安保廃止、自衛隊違憲)自体が時代錯誤。違反しても悪いとは言えない」で乗り切ろうとしたところ、上手くいかず(党外に思ったほど松竹支持者がいなかったことが誤算だった)、党内からも松竹支持者を集めようとして今頃になって、「そもそも違反してない」と言い出すことに決めたのでしょう。まさに「泥縄」「後出しじゃんけん」です。こんなことをしてももはや「松竹の劣勢」はどうにもならないでしょう。

*5:「証文を出し遅れたために証文が役立たずになる」「菖蒲は5月5日の端午の節句に、菊は9月9日の重陽節句に飾られるのでそれ以降に持ち出しても意味がない」ということでいずれもタイミングを外したことを表現することわざ