「反党分子」松竹伸幸に今日も悪口する(2023年7/7日分)

文藝春秋社は「権力側・支配勢力」か・下 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 一昨日引用した宮本顕治氏の宗教問題の論文は、月刊誌「文藝春秋」の1975年10月号に掲載されたものなのである。

 つまり「宮本だって月刊文春に寄稿した、俺が文春新書から本を出して何が悪い」と言う居直りですね。

文藝春秋社は「権力側・支配勢力」か・上 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
 私がもっとも感服したのは、宮本顕治委員長(当時)の論文「歴史の転換点にたって──科学的社会主義と宗教の接点」であった。

というのはまるきりの嘘だったわけで宮本氏に対して無礼にも程がある。
 不愉快なので引用はしませんが、他にも

 不破氏は『私の戦後六〇年:日本共産党議長の証言』(2005年、新潮社)を出したが、新潮社からは、共産党が非難する筆坂『日本共産党』(2006年、新潮新書)も出てる(俺の要約)

等と抜かしてるのだから「松竹のバカ」を張り倒したくなります。

 「共闘」とか「統一戦線」とかを口にする人が、どんどんそれを壊している。その愚かさを知るべきだろう。

 普通に考えて共闘をぶち壊したのは「維新にすり寄る泉立民」「候補者調整する気はない、と公言した泉立民(なお、泉が共闘に後ろ向きなのは共産に限らず社民、れいわに対しても同じ)」であって「共産党でも、他の誰(社民党、れいわ、市民連合など)でもない」のですがこの松竹の物言いでは「話を逆に描き出し」、志位執行部に悪口してるのでしょう。
 「そんなに泉が好きなら共産を離党して立民に入党しろよ、止めないから(立民に入ったとして、無能で人望のない松竹が重用されるとも思えないし、それを松竹も自覚してるから離党しないのだろうが)」「お前、何のために除名撤回を目指すとか抜かしてるんだよ、志位執行部への嫌がらせか?。本当にクズだな。生きてて恥ずかしくない?」ですね。
 さすが過去に立憲の泉さんは野党共闘深化に不可欠 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba(2021.12.1)とまで泉にこびへつらっただけのことはあります。勿論、実際には松竹の強弁に反し、野党共闘をぶち壊したのが泉ですが。
 それにしても松竹が泉立民に媚びても「松竹の無能さ、人望の無さ」から泉立民に全く相手にしてもらえないのが哀れです。まあ、松竹を相手にしないのは泉立民だけではなく「相手にしてる方(例:松竹本の推薦帯を書いた内田樹など)」が明らかに少数派でしょうが。
 なお、「共闘」「統一戦線」はあくまでも「手段」でしかないことを指摘しておきます。あくまでも一般論ですが「意見の違いが大きい場合」は無理に「共闘」「統一戦線」の必要はないでしょう。松竹は「共闘」「統一戦線」それ自体が目的であるかのように主張しますが。

 現在、党幹部で文藝春秋で本を出したり、雑誌に寄稿している人は見かけない。それは、宮本時代と異なって、一般の読者が読みたいというものを書けるほどの知的な水準を保っている幹部がいなくなったからにすぎない。

 「反党行為で除名された反党分子」とはいえ、「党員にあるまじき」酷い悪口雑言ですね。誹謗中傷と言っていいでしょう。そもそも宮本時代だって文春で本を出した党員なんていないと思いますが。松竹が紹介する宮本氏にしても「月刊文春」に一時的に寄稿したにすぎません。
 松竹は自分が『憲法九条の軍事戦略』(2013年、平凡社新書)、『〈全条項分析〉日米地位協定の真実』(2021年、集英社新書)、『シン・日本共産党宣言』(2023年、文春新書)等、「一般商業出版社(集英社、文春、平凡社)」で本を出したことで「俺は天才だ」「志位委員長や小池書記局長など俺に比べたら大した人間ではない」とでも勘違いしてるようです。

 文藝春秋の読者を共産党は敵に回してしまった

 既に「文春非難」なら「2023年の松竹除名以前」から

赤旗拉致問題での日本共産党の反論掲載を拒否/『文芸春秋』編集長に抗議文2002.11.17
 『文藝春秋』十二月号は、(ボーガス注:『不破共産党議長を査問せよ』と題する、「元共産党国会議員秘書」兵本達吉*1名の)拉致問題日本共産党を攻撃する一文を掲載していますが、これにたいし、日本共産党はただちに反論の掲載を要求。橋本敦前参議院議員が執筆した反論を、同誌編集部に届けましたが、同誌はその掲載を拒否しました。日本共産党は十六日、中央委員会広報部名で松井清人*2文藝春秋』編集長にあてた抗議文を同誌編集部に手渡しました。

闇から出てきた亡霊/立花隆氏の新版“日共”批判をきる/岡 宏輔(2007.8.23)から一部引用
 立花隆氏が、雑誌『文芸春秋』九月号に「“日共のドン” 宮本顕治の闇」と題する一文を書いています。立花氏といえば、三十年ほど前、日本の支配勢力の反共戦略の先陣をきって同じ『文芸春秋』の一九七六年一月号から「日本共産党の研究」という連載を開始し、戦前の日本共産党宮本顕治氏の活動にたいする集中攻撃をおこなった人物です(これは七七年十二月号までまる二年にわたる長期連載でした)。このときの立花氏の攻撃の最大の特質は、戦前の特高警察や検察当局の諸資料をなによりの材料として、特高警察がでっちあげた反共キャンペーンを、戦後の日本でむしかえしたところにありました。
 日本共産党は、当時、この攻撃に全面的な反論をおこないました(小林栄三著『歴史の真実に立って――治安維持法・スパイ挑発との闘争』〈新日本新書 一九七六年十月〉、「赤旗」党史班『犬は吠えても歴史は進む――『文芸春秋』立花論文への総批判』〈新日本新書 一九七七年五月〉、『特高史観と歴史の偽造――立花隆日本共産党の研究」批判』(党出版局 一九七八年十月)。
 立花氏の攻撃は、特高警察の主張をうのみにして、そのでっちあげをむしかえしたものにすぎません。内容的にも特高警察の資料以外の客観性のある材料は、何ひとつ持ち出すことはできませんでした。
 その立花氏が、宮本顕治氏の死去を機会に、三十年前に論破された日本共産党攻撃を、ふたたびむしかえそうというのです。立花氏は「闇」という言葉が好きなようですが、「闇」というなら、立花氏の今回の再登場こそ、“「闇」から出てきた亡霊”の名に値するのではないでしょうか。
 兵本氏という「証人」の助けで戦前の日本共産党を論じた立花氏が、現在の日本共産党を論じるさいに頼りにするのは、筆坂秀世氏というもう一人の「証人」です。筆坂氏は、自ら起こしたセクハラ事件で党の処分を受け、参議院議員を辞職しましたが、その二年後、自分への対応が悪いといって共産党を離党、以後、共産党攻撃を売り物にしている人物です。立花氏が「共産党上層部の権力構造」などについて語るときに引き合いに出すのは、もっぱらこの筆坂氏が語る日本共産党の「現状」なるものです。
 共産党攻撃を生業(なりわい)とするようになったこの人物も、日本共産党についての「証言能力」が疑わしい点では、兵本氏に負けず劣らずです。

などでいくらでもやってます。「文春批判で読者を敵に回した」というなら「過去の文春批判」でとっくに「敵に回ってる」でしょう。
 そもそも文春読者などほとんどウヨでしょう。まあ、「共産に好意的な文春読者」は「文春を割り引いて読んでる(是々非々で文春評価、共産評価であって全面的に文春支持、共産全否定ではない)」でしょうから松竹の言うようなことはないでしょう。
 いずれにせよ、党除名後、「読むに堪えない党誹謗文章」を書き連ねる松竹の方こそ「党支持者(党員、後援会員など)の多く」「野党共闘関係者の多く(野党共闘関係者の多くは勿論共産との共闘を展望しているため)」を完全に敵に回したと言っていいでしょう。勿論「共産支持」俺も松竹のことは既に「政治的に打倒、抹殺、撲滅すべき反党分子」「不倶戴天の敵」としか評価していません。
 「反党分子」松竹的には「それでもいい」のかもしれませんが、皮肉なのは「松竹の志位執行部攻撃で敵は増えても、松竹支持者が全然増えないこと」です。
 なお、以上の文章は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。いつもながら「賛同コメント以外は掲載拒否して恥じない」松竹のカスさ、クズさ、クソさに心底呆れます。松竹なんぞを評価できるinti-solのような人間の気が知れません。

*1:1998年、「定年退職後の再就職先斡旋を公安警察の関係者に依頼した」として、日本共産党から除名(例えば、赤旗視聴者を欺く「ノンフィクションドラマ」の虚構(2003.9.14)参照)

*2:1950~2021年。『諸君!』、週刊文春、月刊文春編集長、専務、社長等を歴任