「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2023年8/17日分:島田洋一の巻)

島田洋一
 憲法国務大臣の「過半数は国会議員の中から選ばれなければならない」と規定する。
 言い換えれば、半数未満なら民間から起用できるということだ。
 財務大臣反増税・成長派の田村秀男氏か本田悦朗氏(いずれも国基研企画委員)、高橋洋一氏辺りを起用すれば

 「島田の大好きな安倍」だって「内閣官房参与(本田)」には起用しても、大臣に起用してないのに良くも言ったもんです(なお、ウィキペディアを見る限りは田村は政府要職には起用されず。高橋は菅義偉内閣で内閣官房参与
 なお、いわゆる「民間大臣(大臣就任時に『非国会議員の大臣』の意味なので『民間』と言う名前だが官僚出身もいる)」は以下の通りです。

民間人閣僚 - Wikipedia
◆殖田俊吉(第2次、第3次吉田内閣法務総裁(法相にあたる))
 広島税務署長、門司税関監視部長、大阪税関監視部長、拓務省殖産局長、台湾総督府殖産局長、関東庁財務局長を歴任し、1933年(昭和8年)9月に退官。その後、藤田組監査役、塩水港製糖会社監査役、復興金融金庫監事を歴任
天野貞祐(第3次吉田内閣文相)
 京都帝国大学名誉教授。獨協大学初代学長。文化功労者
◆木村篤太郎(第1次吉田内閣司法相、第3次吉田内閣法相)
 元検事総長。後に政界入りし参院議員として第5次吉田内閣防衛庁長官
◆向井忠晴(第4次吉田内閣蔵相)
 元三井物産会長
一万田尚登鳩山内閣蔵相)
 元日銀総裁。後に政界入りし衆院議員として岸内閣蔵相
高碕達之助鳩山内閣経済審議庁(後の経企庁)長官)
 東洋製罐創業者。元電源開発総裁。後に政界入りし衆院議員として鳩山内閣経企庁長官、岸内閣通産相を歴任
◆藤山愛一郎(岸内閣外相)
 藤山財閥総帥。日本商工会議所会頭、経済同友会代表幹事等を歴任。後に政界入りし衆院議員として自民党総務会長(池田総裁時代)、佐藤内閣経企庁長官を歴任
◆永井道雄(三木内閣文相)
 元東京工業大学教授。文相退任後も国際文化会館理事長、世界平和アピール七人委員会委員など歴任。著書『日本の大学』(1965年、中公新書)、『未完の大学改革』(2002年、中公叢書)
牛場信彦福田内閣対外経済協力相)
 外務事務次官、駐米大使を歴任
大来佐武郎(大平内閣外相)
 経済企画庁総合計画課長、日本経済研究センター理事長、海外経済協力基金(現・国際協力銀行)総裁を歴任
◆高辻正己(竹下内閣法相)
 内閣法制局長官最高裁判事を歴任。リクルート疑惑で長谷川*1法相が辞任すると、法律に詳しく、非議員のためリクルートとは無縁な点が評価され法相に就任
◆高原須美子(海部内閣経企庁長官)
 元毎日新聞記者。大臣退任後も日本体育協会会長、フィンランド大使、セントラル・リーグ会長を歴任
三ヶ月章(細川内閣法相)
 東京大学名誉教授(民訴法)。2005年文化功労者、2007年文化勲章受章。著書『民事訴訟法研究』第1巻、第2巻(1962年、有斐閣)、 第3巻、第4巻(1966年、有斐閣)、第5巻、第6巻(1972年、有斐閣)、第7巻(1978年、有斐閣)、第8巻(1981年、有斐閣)、第9巻(1989年、有斐閣)、第10巻(1989年、有斐閣)、『会社更生法研究』(1970年、有斐閣)、『一法学徒の歩み』(2005年、有斐閣)等
赤松良子(細川、羽田内閣文相)
 労働省婦人労働課長、山梨労働基準局長、労働省婦人局長(婦人局長時代に男女雇用機会均等法制定に尽力)、ウルグアイ大使を歴任。退官後も女性職業財団会長、国際女性の地位協会会長、文京女子大学教授を歴任。文相退任後も日本ユニセフ協会会長等を歴任。著書『うるわしのウルグアイ:女性大使の熱い三年』(1990年、平凡社)、『均等法をつくる』(2003年、勁草書房)、『私の履歴書:男女平等への長い列』(2022年、日本経済新聞出版社
◆宮崎勇(村山内閣経企庁長官)
 元経企庁事務次官。退官後は大和証券経済研究所理事長。著書『軍縮の経済学』(1964年、岩波新書)、『日本経済の実像とゆくえ』(1982年、岩波ブックレット)、『'90年代の日本経済』(1986年、岩波ブックレット)、『日本経済図説』(1989年、岩波新書)、『世界経済図説』(1993年、岩波新書)、『証言・戦後日本経済』(2005年、岩波書店)等
◆長尾立子(橋本内閣法相)
 厚生省年金局年金課長、年金局企画課長、児童家庭局長、社会局長を歴任し、大平内閣厚生相を務めた「厚生族議員」橋本と関係ができる。後に自民党参院議員を1期務める。また、日本社会事業大学理事長、社会福祉法人「読売光と愛の事業団」理事長を歴任
堺屋太一(小渕、森内閣経企庁長官)
 作家(元通産官僚)。本名は池口小太郎で堺屋はペンネーム。
◆川口順子(森、小泉内閣環境相小泉内閣外相)
 通産省大臣官房審議官(地球環境問題担当)を最後に1993年退官。退官後はサントリー常務。大臣退任後に政界入り(自民党参院議員(2005~2013年))
遠山敦子小泉内閣文科相
 文化庁文化部長、次長、文部省教育助成局長、高等教育局長、文化庁長官を歴任。退官後はトルコ大使、国立西洋美術館長、独立行政法人国立美術館理事長等を歴任。大臣退任後も新国立劇場運営財団理事長、トヨタ財団理事長を歴任
竹中平蔵(第1次小泉内閣経済財政担当相、第2次小泉内閣金融等担当相)
 慶應義塾大学教授(大臣就任当時、現在は名誉教授)。なお、第3次小泉内閣総務相にも就任しているがこの時は自民党参院議員であり、民間大臣ではない。
大田弘子(第1次安倍、福田内閣経済財政担当相)
 政策研究大学院大学教授(大臣就任当時)。第3次安倍内閣内閣府規制改革推進会議議長。現在、政策研究大学院大学学長
増田寛也(第1次安倍、福田内閣総務相
 元岩手県知事(1995~2007年)。現在、日本郵政社長
片山善博菅直人内閣総務相
 元自治官僚。鳥取県総務部長、自治省固定資産税課長、府県税課長等を経て鳥取県知事(1999~2007年)
森本敏(野田内閣防衛相)
 拓殖大教授(就任当時)。その後、拓殖大学長、顧問。「2004年正論大賞」受賞の右翼イデオローグ

島田洋一
 森雅子*2LGBT担当首相補佐官でありながら、LGBT利権法案の時も終始陰に隠れたままだった。
 稲田朋美*3と共に、左翼人士を自民党の会合や政府審議会に引き入れたのもこの人物。
 議員の資格なし。

 まず第一に「稲田や森が引き入れた左翼の審議会委員て誰よ?」であり、第二に「主張内容を具体的に批判するのではなく左翼というレッテル貼りか?(呆)」です。

島田洋一
 中国軍やロシア軍に侵攻を許せばこうなる
葛根廟事件を知ってますか…日本人1千人を殺害したソ連軍の暴虐 「最後」の慰霊祭 - 産経ニュース
 葛根廟(かっこんびょう)事件の慰霊祭が14日、東京都目黒区の五百羅漢寺で営まれた。事件の生存者らで作る興安街*4命日会が主催してきたが、高齢化によって解散し今回が最後の式典となった。
 日本経済大*5久野潤*6准教授(近代日本政治外交史)は「先人の歩みが伝わらなくなる危機であり、実体験の有無にかかわらず日本全体で受け継ぐことを考えるべきだ」と指摘

 勿論中露の侵攻など現実的にあり得ない(特にウクライナ侵攻で手一杯のロシアは日本に限らず、ウクライナ以外に侵攻する余裕はない)。
 また自衛隊在日米軍の存在を考えれば、仮に侵攻があっても「こうなる」わけもない。
 そもそも「侵攻イコール虐殺」でもない。南京事件バターン死の行進(日本軍)等の虐殺事件は「戦争なら当然起こって仕方がないこと」では全くない。島田は「戦争では虐殺が起こって当然」と思ってるのではないかと疑いたくなります。
 なお、「ソ連軍の無法を非難した上での話」ですが、当時の満州には勿論「関東軍」がありました。
 この虐殺事件は「終戦当時の関東軍が全くの木偶の坊だった」という話であり、日本にとっては「かなり恥ずかしい話」なのですが、ソ連非難しかしない島田に呆れます。

*1:田中、三木内閣労働相、中曽根内閣運輸相、竹下内閣法相を歴任

*2:2007年参院選で初当選。第2次安倍内閣(2012年)では当選1回ながら初入閣と厚遇され、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策男女共同参画)に就任。2019年には河井克行法相が妻案里の選挙違反疑惑関与の責任を取り辞任したことに伴い後任として第四次安倍内閣法相に就任。2021年11月、岸田内閣において首相補佐官(女性活躍担当)に就任。2023年2月日より首相補佐官LGBT理解増進担当)を兼任

*3:第二次安倍内閣行革相、自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣防衛相等を歴任

*4:満州国興安総省省都

*5:「ウヨの久野」が准教授とは「荒木和博が教員の拓殖」「高橋史朗西岡力八木秀次が教員の麗澤(右翼宗教モラロジーが母体)」のようなウヨ大学なのでしょう。

*6:著書『新島八重』(2012年、晋遊舎新書)、『帝国海軍と艦内神社』(2014年、祥伝社)、『帝国海軍の航跡』(2014年、青林堂)、『学徒出陣とその戦後史』(共著、2017年、啓文社書房)、『決定版・日本書紀入門』(共著、2019年、ビジネス社)等