kojitakenに悪口する(2023年8/20日記載)(副題:カズオ・イシグロと宮部みゆきについて触れる)

日系イギリス人ノーベル賞作家カズオ・イシグロの代表作『日の名残り』をいつまで経っても理解できない日本人が「変わる」日は来るか - kojitakenの日記
 「自分をご大層な人間だと思いあがってるkojitaken」らしい「尊大で鼻持ちならない文」ですがそれはさておき。俺はkojitakenについては「死ねばいいのに、あのカス野郎」と思うくらい不愉快なので「今日も悪口します」。

信頼できない語り手が作り出す三つの世界「日の名残り」 - ほんだなぶろぐ
 この本が秀逸なのは、「(ボーガス注:自己欺瞞や勘違い、思い込み等で事実と必ずしも合致しない話をする)信頼できない語り手*1」のテクニックが極めて効果的にドラマを生み出しているからではないかと思う。カズオ・イシグロ*2はデビュー以後、すべての作品で「信頼できない語り手」のテクニックを使い、その技術を洗練させていっている。
 この作品では、実に3つの世界が生み出されているとぼくは認識している。
 一つは、「スティーブンスが読者に思わせたがっている世界」、二つ目は「スティーブンスが実際はこうであったかもしれないと恐れている世界」、そして三つ目は「真実の世界」だ。

第40回考える読書会 『日の名残り』 – 横浜読書会KURIBOOKS
・「スティーブンス自身による語り(信頼できない語り手)について」
 どこまで彼が自分自身のことを語っているか、それは読み手にゆだねられ、様々な解釈が可能となります。実際、あらゆる場面で、ここは「本心を語っている」と思われる方と、「スティーブンスが(ボーガス注:故意か、主観的には故意ではなく無意識の自己欺瞞かはともかく)偽っている」「(ボーガス注:故意か、主観的には故意ではなく無意識の自己欺瞞かはともかく)本人自身が事実から目をそらしている」と解釈される方に分かれました。皆さんの見解の違いが、とても興味深く、あらゆる読み方ができる作品だといえます。

等を「正しい指摘」と見るならば、そもそも「イシグロ自身」が「読者の多様な読みを可能とするために、読解困難な表現(信頼できない語り手)をあえて使ってる」のであり誤読もある程度はやむを得ないのではないか(というかあえて言えばよほど酷い誤読でない限り「誤読も一つの読み方」ではないか?)。というか「kojitakenほど尊大ではないので」こんな「ややこしそうな小説」で「俺の読み方が正しい」と断言できるほどの蛮勇は小生にはありません。
 kojitakenは

 執事自身も雇い主の戦争犯罪に加担*3した。そんな仕事のために自らの恋愛を犠牲*4にした。そんな人が強調する「品格」に何の意味があるというのか。そう作者は言いたいわけだ。

と執事を酷評し、そのような書評も

第40回考える読書会 『日の名残り』 – 横浜読書会KURIBOOKS
 この物語をハッピーエンドとしてとらえたか、バッドエンドとしてとらえたかを、参加者の皆さんにお聞きしました。
 バッドエンドととらえた方は、「恋が実らなかった」「執事としてはハッピーエンドだが恋愛としてはバッドエンド」「仕えていた主人がナチスに加担した犯罪人になり、それを信じた自分を反省しながらも、また同じことを繰り返すようにみえる」などの理由を挙げていました。

カズオ・イシグロ 『日の名残り』を読む。 – 武内清(教育社会学)研究室(2018.2.15)*5
 イギリスの執事の話と聞いていたので、イギリスの貴族に仕える模範的な執事の話であり、そこには伝統的な英国貴族の高い徳と今は失われた執事という仕事の品位が描かれている小説と思い読みすすんだ。最初の方はそんな感じであったが、後半は必ずしもそんな感じではない。逆に伝統的な英国貴族とそれを無批判に信奉する執事に疑いの目を向けるような内容としても読めると思った。(早川文庫の丸谷才一の「信頼できない語り手」という解説参照)

「日の名残り」(カズオイシグロ)の雑感、欺瞞的な「品格」の中身 - 京都在住シングルファーザーおじさんのつれづれ雑記帳
 主人公の執事は、それこそが執事の品格であるといわんばかりに自らの頭で主体的に考えることを放棄していきます。僕は、その姿に怖さを感じます。
 この小説の主人公が執事が重んじる「品格」なるもの。それは武士道精神や騎士道精神とも言えるし、あるいは明治政府がさかんに吹聴した各種の勅語(代表は教育勅語)などとも言えます。現実はそれらに宿される精神などすべて欺瞞的なものです。品格、名誉、そんな言葉の裏にあるのは隠しもせず「主君への忠誠」です。つまり「奴隷になれ」ということです。大事なのは自分で考えること、判断すること、論議すること、主体性を放棄しないこと。読後、そんなことを考えています。

など「kojitakenの他にもある」一方で

第40回考える読書会 『日の名残り』 – 横浜読書会KURIBOOKS
 この物語をハッピーエンドとしてとらえたか、バッドエンドとしてとらえたかを、参加者の皆さんにお聞きしました。
 ハッピーエンドという方が多く、その理由として「ケントンとの関係が失恋という形で決着がつき、人生に区切りをつけて前向きに生きようとしている」「執事として新しい主人のもと新しい時代の中で生きていこうとしている」「ケントンから過去に想われていたことを聞けただけでも幸せ」などが挙げられました。

『日の名残り』感想 カズオ・イシグロによる「信頼できない語り手」手法の金字塔(ネタバレあり) | ちんぱんパパの湘南子育てブログ
 自分はスティーブンス*6の執事という職業に対する誇り、度々登場する品格という概念に対する姿勢は「素敵だな」と思わせる真摯さがあったと思います。自分が読んだのは訳文ですが、スティーブンスのかしこまった語り口も、非常に美しい言葉使いだなと思いながら読み進められました。彼が執事として培った人生を、認識が主観的に凝り固まった人物として片付けてしまうことは自分にはできません。
 人間は誰だって主観的にものごとを見て生きているし、自分の中での正解を信じて生きていると思います。それが悲しい結果を招いたとしても「人生とはそういうものだ」ということで良いじゃないですか、と。
 ラストも素晴らしいです。ミス・ケントンが自分のことを好きだったと気づいて、それを無碍にしてしまったことを後悔する。だけども、後ろばっかり振り返ってくよくよしてもしょうがない。「前向きにこれからの人生を生きていこうじゃないか」という非常にポジティブに着地して、物語は終わります。
 後悔することなんか誰だってある、それより、今後をどう生きるかの方が大事だ。そういうメッセージが『日の名残り』から感じられました。「信頼できない語り手」ではあったかもしれませんが、スティーブンスの生き方は立派だと思います。

信頼できない語り手が作り出す三つの世界「日の名残り」 - ほんだなぶろぐ
 実際のダーリントン*7はスティーブンスが考えているような偉大な人物でもなければ極悪人でもないように示唆されている。
 ダーリントンをただの愚かな人間、と切り捨ててしまうのはあまりにも寂しい。カズオ・イシグロダーリントンという一人の男を実に魅力的に描いている。ダーリントンは高潔なイギリス紳士であり、彼が過ちを犯したとしても、それはその時はダーリントン自身の良心にしたがって自らの信じる道を進んだだけのことだとわかる。実際ダーリントンユダヤ人を解雇したのは不当だった、と後悔するような言葉をスティーブンスに残している。それがたとえ過ちだったとしても、本物の紳士であるならば彼に悪意を持つべきではない。
 この繊細で美しい世界観は、そのままミス・ケントンや、主人公であるスティーブンスにも適応することができる。彼らはそのときどきで自分が信じた道を進んだにすぎない。たとえそれが間違った道だとしても、誰にもそれを責める権利などないのだ。そしてそれはスティーブンス自身にも言える。自分で自分を責める必要も権利もない。この小説にはそうした繊細で美しい味がある。

小説の「信頼できない語り手」とは?カズオ・イシグロの『日の名残り』【英語文学】 - ENGLISH JOURNAL
 ただ、*8の選択を安易になじるような気持ちにもならないのは、彼にとっては彼の想起する人生こそが真実であり、かけがえのないものだからだ。一人の人間が、自分自身の生き方にとらわれながらも、そのときそのときを懸命に生きていた、という実直さが物語を通して伝わってくる。
 カズオ・イシグロは、人生への慈しみがあふれている作家だと思う。

というkojitakenとはかなり「異なる書評(kojitakenほど執事に冷淡ではない)」もあります(kojitakenは誤読と決めつけるのかもしれませんが)。
 というかこういう「ややこしそうな小説」は「頭が鈍い小生」としては、個人的にはあまり読みたくないですけどね(なお小生はイシグロについては未読ですし、今後も読まないと思います)。
 また信頼できない語り手という「概念」はイシグロ小説のキーワード(「信頼できない語り手、イシグロ」でググると記事が多数ヒット)のようですが、それに全く触れないkojitaken書評は書評としていかがな物か?。「まさかとは思いますが」、イシグロについて「信頼できない語り手」という手法の「名手」と言う評価をそもそも知らないのか?


宮部みゆき『小暮写眞館I〜IV』(新潮文庫nex,2017) を読む - KJ's Books and Music

 ミステリ・歴史小説作家で私と同世代の宮部みゆき

1)宮部は「1960年生まれ(63歳)」なのでkojitakenは60代なのでしょう。
2)宮部にはミステリ小説、歴史小説もありますが、米国の児童文学賞『ミルドレッド・L・バチェルダー賞*9(米国で翻訳された海外児童文学に授与)』を受賞し、またアニメ化された『ブレイブ・ストーリー』等、ミステリ、歴史小説の枠に入らない小説も多数あるので「ミステリ・歴史小説作家」と呼ぶのはいかがな物か。

飯島明子*10
 頼むからもっと小説を読んでくれ…。できればラノベではなく、もう少し文章の整ったものを…。東野圭吾とか宮部みゆきとか北村薫*11とか、あるいは翻訳ミステリやSFもいいぞ…。そうすれば自分で文章を書くときにもう少しマシになる…。こちらも答案を解読する手間が減る…。頼む…。 

 これに対しては
1)優れたラノベライトノベル)もあるのに全てのラノベがくだらないかのような物言いはおかしい
2)宮部作品の内、『ブレイブストーリー』はラノベ的な小説だ
という批判(kojitakenもそうした批判者の一人)があり正論だと思いますが、俺的にはむしろ
1)小説を読んだからと言って文章読解力ならともかく、文章執筆力はつかないと思う、文章執筆力をつけるには文章を書くしかない。
2)読書とは、

【あいうえお順】
井上ひさし『自家製・文章読本』(新潮文庫)
谷崎潤一郎文章読本』(中公文庫)
中村真一郎文章読本』(新潮文庫)
◆瀬戸賢一*12『書くための文章読本』(集英社インターナショナル新書)
本多勝一『日本語の作文技術』(朝日文庫
丸谷才一文章読本』(中公文庫)
三島由紀夫文章読本』(中公文庫)

等のいわゆる文章読本ならともかく文章執筆力をつけるためにするものではない
3)文章執筆力(それも大学のテスト答案や卒論等)という意味では小説よりもむしろ「説明的文書(岩波新書中公新書等)」を読むべきではないか
と批判したい。

*1:要するに叙述トリック(クリスティ『アクロイド殺人事件』等)の一種でしょう。但し『アクロイド殺人事件』と違い、イシグロ小説においては「語り手が嘘(主観的には嘘ではない自己欺瞞や勘違い、思い込みを含む)をついてるのかどうか」が明確な形では恐らく「示されてない点(示唆されてるにすぎない点)」が厄介な点です。

*2:2017年にノーベル文学賞を受賞。著書『女たちの遠い夏』(1994年、ちくま文庫)、『遠い山なみの光』、『日の名残り』(2001年、ハヤカワepi文庫)、『わたしを離さないで』(2008年、ハヤカワepi文庫)、『クララとお日さま』(2023年、ハヤカワepi文庫)等

*3:ナチスドイツに協調的だったことは事実」でしょうがそれは果たして「戦争犯罪に加担」なのか?。そこまで言うのは言いすぎではないか(そもそも英国人にそんなことはできないでしょう)。「朝鮮労働党北朝鮮の政権与党)に大甘だった一時期の社会党」を「北朝鮮拉致に加担」と罵倒する救う会並の暴論ではないか?

*4:他の書評では「執事(スティーブンス)が女中頭(ミス・ケントン→結婚後はミセス・ベン)と職場恋愛するのは執事に求められる品格に反する、と執事は考えた(それが本心か、自己欺瞞かはともかく)」という評価が示されてるので、果たして「そんな仕事のために自らの恋愛を犠牲」と評価すべきかどうか?

*5:武内氏は上智大名誉教授、敬愛大特任教授(上智大定年退職後の2010~2017年まで)(これについては例えば敬愛大学での最後の授業 – 武内清(教育社会学)研究室(2017.1.26)参照)。著書『学生文化・生徒文化の社会学』(2014年、ハーベスト社)。武内氏の「イシグロ書評」としてカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.1.30)、 カズオ・イシグロ(『わたしを離さないで』(感想 その2) – 武内清(教育社会学)研究室(2018.2.1)、カズオ・イシグロ『充たされざる者』(早川書房、2007)を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.5.20)、カズオ イシグ「わたしたちが孤児だったころ 」を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.7.27)、カズオ イシグロ『夜想曲集: 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語 (ハヤカワepi文庫)』を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.7.28)、カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読む 水沼文平 – 武内清(教育社会学)研究室(2018.8.18)、カズオ・イシグロ『浮世の画家』を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.9.21)、 カズオ・イシグロ・小野寺健訳『遠い山なみの光』を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2018.10.1)、 マージナルな立場―イシグロ「私を離さないで」再考 – 武内清(教育社会学)研究室(2020.4.20)、カズオ・イシグロ『クララとお日さま』を読む – 武内清(教育社会学)研究室(2021.6.3)も紹介しておきます(特にコメントはしません)。

*6:kojitakenの表現では「執事」

*7:kojitakenの表現では「雇い主」

*8:執事のこと

*9:日本人のバチェルダー賞受賞者としては他に柏葉幸子(『帰命寺横丁の夏』)、上橋菜穂子(『精霊の守り人』)がいる(米国 児童文学翻訳賞に「精霊の守り人」 2年連続日本作品 | アニメ!アニメ!(2009.1.29)、米児童文学賞に柏葉幸子さん「帰命寺横丁の夏」 - 産経ニュース(2022.1.26)参照)。

*10:神田外語大准教授

*11:飯島氏は「彼女が知ってる著名なミステリ作家のうち、江戸川乱歩横溝正史松本清張等といった故人ではなく存命の作家として、江戸川乱歩賞(『放課後』)、日本推理作家協会賞(『秘密』)、直木賞受賞者(『容疑者Xの献身』)の東野、日本推理作家協会賞(『龍は眠る』)、直木賞受賞者(『理由』)の宮部、日本推理作家協会賞(『夜の蝉』)、直木賞受賞者(『鷺と雪』)の北村」を挙げただけで深い意味はないでしょう。例えば「伊坂幸太郎(『ゴールデンスランバー』で本屋大賞受賞)」「東川篤哉(『謎解きはディナーのあとで』で本屋大賞受賞)」「湊かなえ(『告白』で本屋大賞受賞)」等のミステリ作家の名前がここで上がらないのは飯島氏が「本屋大賞を権威と認めてないだけ」でしょう。飯島氏は直木賞日本推理作家協会賞等の権威を重視する「権威主義者」ではないか。その意味では「東野なんか評価するのか!」というkojitakenの批判は少しずれています。むしろ「飯島は権威主義者だ」と批判すべきではないか。

*12:大阪市立第名誉教授。著書『日本語のレトリック』(岩波ジュニア新書)、『メタファー思考』(講談社現代新書)、『よくわかるメタファー』(ちくま学芸文庫)、『時間の言語学』(ちくま新書)等