「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2023年11/22日分:荒木和博の巻)(注:『ゴジラ-1.0』のネタバレがあります)

◆荒木ツイート

荒木和博
 令和5年11月21日火曜日「荒木和博のショートメッセージ」第1316号。(ボーガス注:公開中の映画『ゴジラ-1.0』の)『米国も日本政府もあてにならないので民間がやる』ってどこかで聞いたような話*1です。

 5分22秒の動画です。
1)荒木の言う「民間(西岡の救う会や荒木の特定失踪者問題調査会)で拉致解決」などできるわけがない
2)『ゴジラ-1.0』など、ただのフィクションにすぎない
と言う意味で馬鹿馬鹿しくて話になりません。
 なお、この映画

映画「ゴジラ-1.0」ネタバレあらすじと感想 - ルッカのあらすじ園2023.11.18
 野田*2たちが「この国は命を粗末にしすぎた」と言うのが印象的でした。
 脱出装置のない特攻って死ぬってことですものね。
 それを橘*3は敷島に「死ぬな」という意味で、(ボーガス注:日本軍の戦闘機)震電に脱出装置を作ったのでしょう。そこも感激でした。
 ゴジラに突っ込む瞬間、あー!って思ったので敷島が脱出出来て本当に良かったです。
 この映画、とても「命」について描かれてると思います。何度も「死んではいけない」ということを言ってるし。

ということで「特攻批判」と理解できるセリフがあるようですが、その点を「特攻美化右翼」荒木が完全無視してるのが滑稽です。
【参考:ゴジラ-1.0(あえて(?)酷評を中心に紹介】

【映画感想】『ゴジラ-1.0』(2023) / 山崎貴による令和ゴジラ - 退屈な日々 / Der graue Alltag2023.11.17
 この映画の最大の特徴は、人間ドラマとゴジラパートがうまく融合されていることだ。これまでのゴジラシリーズは人間ドラマが付け足しのようになっており、登場人物の背景が十分に描かれないことが多かった。とくに前作『シン・ゴジラ』では、意図的に人間ドラマが捨て去られていた。
 特撮ファンのなかには、「人間ドラマなんてどうでもいいから、ゴジラが暴れてるところをもっと見せろ」という声もある。しかし一般観客をターゲットにして興行成績を上げようとすると、人間ドラマが欠かせないということだろう。
 ただし、肝心の人間ドラマは説明過多でどうも締まりがない。なぜすべてを劇中で説明する必要があるのか。これぐらいしつこく説明しないとわからないマスがターゲットなのか。最近のテレビドラマでも同じことを感じることも多い。本作では意図的にそうしたのかとも思うが、改善の余地がある。

映画「ゴジラ-1.0」ネタバレあらすじと感想 - ルッカのあらすじ園2023.11.18
 最後、あれだけのゴジラの熱風で吹き飛ばされた典子が生きていた謎。これは多くの人が言ってるように「ゴジラ細胞」のおかげでしょうね。
 首筋に残った黒い影、あれがゴジラ細胞の証拠だとも思えます。アニメではないのだから、あの状況で生きてる典子は不自然です。
 ゴジラ細胞に汚染?されたからこそ、酷い怪我でも再生、病院にいた時も綺麗な典子でした。
 そもそも電車から海に落ちた瞬間、あの高さで普通なら死んでると思うし。

『ゴジラ-1.0』の感想とか - 幸福の先への後語り2023.11.19
 特撮映画が見たくなってきたので、いま世間で少し話題になっている「ゴジラ-1.0」を見てきた。ゴジラ70周年*4記念の作品であり、監督は「ALWAYS 三丁目の夕日 シリーズ」や「永遠のゼロ」を手掛けた山崎貴監督。「三丁目の夕日」は私も幼い頃から大好きで、当時好きな女優さんがいたのもあって何回も見返したことがある。
 ゴジラは昔から大好きで近年のゴジラは勿論、平成ゴジラシリーズや一部の昭和ゴジラシリーズもよく見ていた。
 スペースゴジラビオランテ等のソフビをよく集めたものだ。
 さて、そんな私が今回のゴジラを見て感じたことについて語っていこうと思う。ちなみにやや酷評気味なので、ゴジラ-1.0を見て感動を覚えた方は読まない方がいいかもしれない。
 で、見終わっての純粋な感想だが、まず私の好きな特撮映画、ゴジラではなかった。本作は戦後の日本を舞台にしており、戦後ようやく復興が進んだ東京をゴジラが無慈悲に襲う、まさにゼロからマイナスになっていく様が描かれている。で、そこら辺のタイトルとの繋がりは結構好きなわけだが、序盤はとても退屈だった。肝心のゴジラが全然出てこないのである。
 序盤に描かれているのは突如現れたゴジラとの戦いではなく、特攻せず逃げ帰ってきた主人公「敷島浩一*5」と、空襲で両親を失った女性「大石典子*6」、それから孤児の「明子*7」らに焦点を合わせた人間ドラマなのである。他にも仕事仲間や変な博士など、浩一を中心に様々な人物との関わりが描かれていく。まさに(ボーガス注:山崎監督の)『ALWAYS 三丁目の夕日』な内容である。
 私は『三丁目の夕日』が好きだ。好きだけれど、(ボーガス注:ゴジラ映画で)見たいのは戦後を生き抜く人々のドラマではない。ゴジラなのだ。
 ゴジラが銀座に上陸し、街を粉々にし始めるとようやく来たかといった感じでそこそこ気分も高揚したのだが、結局あの出来事も浩一というキャラクターを肉付けるための舞台装置になっているだけで、そこが凄く残念だった。たしかに主人公が悲劇を乗り越えて逞しくなっていくというストーリーは一見すると感動的ではあるのだが、そこに対して意識を裂き過ぎており、少々不自然に感じた。
 といった具合でゴジラはあくまでスパイスで、メインは人間ドラマだったのがこの作品を楽しめなかった最大の理由になる。監督の過去作を考えればこうなってしまうのはある意味当然であるし、この路線が間違いであったとは言わない。
 現に世間では大ヒットしており、一緒に映画を見に行った知人も「面白かった。感動した。」と言っていた。無論、それを聞いた瞬間は私は「信じられない」といった表情を浮かべてしまったわけだが。
 また、終盤のシナリオに関しても結構思うところがある。それはハッピーエンドへの舵の切り方である。物語中盤辺りで浩一をかばい、典子が亡くなってしまう(ボーガス注:ような描写がある)わけだが、最終的には寝たきりではあるが存命していることがわかる。これがもうどうしても許せなかった。(ボーガス注:ゴジラ細胞云々という言い訳をしているが)あんな紙みたいに吹き飛ばされ、周りのビルは粉々。そんな状況で生きているわけないだろうと。その『みんな生きていてこそハッピーエンドだ』と言わんばかりの締め方にため息が出た。
 思い返せば今作のゴジラは弱かった。重巡の砲撃を受けただけで横に倒れ込むわ、熱線はあまり吐かないわ、機銃で怯むわ、ゴジラと呼ぶにはあまりにも情けなさ過ぎた。終盤は本当に不自然さしかなかったのだ。
 振り返ってみるとやはり私は特撮映画が見たかったのであり、強くて恐ろしいゴジラが見たかったのだ。そんな状態で観に行ったのがよくなかったのかもしれない。あくまで戦後の日本を生き抜く人々のドラマを楽しむつもりで見ていたら、もう少し素直に成れたのかなと。

『ゴジラ-1.0』 - 大冒険のワッフル ~観た映画の感想などを徒然と~2023.11.19
※山崎監督の作品が好きな方にとって、不快に思われる事を書いていますのでご了承ください。
 山崎監督の映画については、言いたいことはあります。
 『スタンドバイミードラえもん』については、予告編を見た時に、泣かせてやろうという魂胆が心底不快で『ドラ泣き』なんてフレーズを聞いた時は、スクリーンを手刀で切り裂いてやろうかと思ったくらいです。

 あと思っている事を全部セリフとして役者に喋らせる傾向も見受けられます。
 例えですが「暑い!!」「寒い!!」といった状態もセリフにしてしまうイメージなので、山崎監督は映画を観ている観客の事を信用していないのか、あるいは、人間の機微を描くのが苦手な監督だと思っています。

 そういう部分はありながらも、この作品は面白かったです。
 長々と書きましたが、ここからは、飛行機のように両手を伸ばして走りながら「ゴジラ暴れるシーン最高」と言い続ける文章になりますので、ご了承ください。
 この映画、言いたいこともありますが、私は断固指示します。
 今回、銀座と共に国会議事堂も放射熱線で吹き飛ばしたので、銀座一帯は放射能汚染により使用禁止、国家の存亡の危機になるとは思いますが、何故か行政の人間が出てこないのも違和感はありましたが、そういう映画だとして飲み込みます。
 何度も書きますがゴジラが暴れて躍動するシーンは全て良かったです。
 今回のオススメ度の内訳は、ゴジラが躍動するシーンが2兆点、人間ドラマがマイナス3兆点ゴジラのメインテーマが流されたタイミングが1兆89点なので、今回のオススメ度は89となった次第です。

ゴジラ-1.0を観てきたっつーのって話・・・ - あっち側から2023.11.21
 ゴジラが建物をよけて道を歩いてしまっている、という、致命的なミスをこの映画は犯してしまっている。これではゴジラ映画ではないのである。ゴジラ映画の爽快感というのは、ビルや電柱、駅などを踏んづけてぶっ潰して進んでいくところにあるのである。この映像的な快感を観に映画館に足を運ぶのがゴジラ映画を観る理由の一つなのである。それは決してしっぽで建物を壊すという行為に置き換えていいというものではなく、この監督はこういう根本的なゴジラ映画の部分をわかってないんだなーと観ていて相当がっかりさせられたのであった。
 CGでこれをやるのが単に面倒くさかっただけなんだろうが(時間的制約とか)、そういう精神性も含めていかに昔の日本人がすごかったことか、というのもわかろうというものである。仕事に対する考え方が根本的に違うということなのだろうが、昔の日本人はそれは命を削ってディテールに徹底的にこだわりギリギリまで作品を作り込んでいたのである(だからこそ海外にウケたわけで)。
 他にも、変なところは色々あった。主人公がなんで最後にああいう役を買って出たのかをセリフで長々と説明するのも、観客はそれまでのいきさつをずっと観てきたのだから全く不要なのに、わざわざワンシーンにしてしまっているので、映画のテンポが崩れ、無意味に尺が長くなってしまっているのである。
 ただし、みなさん一生懸命比較しておられるようだが、シン・ゴジラよりは作品としては数段マシだと思う。それは比べものにならないくらい、基本的な部分の「映画とは」という点で、ゴジラ-1.0の方が映画として勝っていると思う。

ゴジラ −1.0 - 悲しみの果てに、死者の群れをお願いします。2023.11.21
 敢えてと言いますか、苦言的なものになりますが、以下の二点の展開は見直してもらった方がいいんじゃないかなと思ったところがあります。敢えてと書きながら、こっちの方が長くなってるような(苦笑)。
 先ず一点目ですが、浜辺美波さん*8ゴジラが銀座を襲ったときに神木隆之介さん*9演じる主人公を庇って、ゴジラ襲撃による爆風で吹っ飛ばされて亡くなったと思わせるのですが、終盤で実は生きていた(電報がきて、その内容は観客には最初は伏せられていますが、大凡検討が付くものではあります)ということが匂わされ、ゴジラを退治したあとに助かっていましたということが判明するのですが、ここは亡くなったままでよかったと思いました。
 まぁ、葬式はしていたけど遺体は見つかってなかったろうし(見つかった設定なら、そういう場面を入れただろうし)、演じているのが浜辺美波さんなので、これは生きてるなと思わせるには十分でしたが。
 二点目は頭部を吹っ飛ばされて(こんなに綺麗にボコられたゴジラは初めてのような気がします)、肉体が崩れ落ち海底に沈んでいったゴジラですが、ピッコロみたいな再生能力で復活していく様が描かれる部分です。
 映画の宣伝文句の一つである「生きて、抗え。」のとおり、浜辺美波さんは生き残っていたし、ゴジラも再生しますよということなのでしょう。「生きて抗う」ことは何も人間の専売特許じゃないという意味もあるでしょうし、商業的に続編とかを作りたいという邪な要素もあるでしょうが、蛇足だったと思います。
 結果的に続編が作られるにしても、本作は本作のみで完結してほしかった
と言いますか、これまた登場人物が劇中で行ってきた行動が無になるという意味なので、えっ、この映画のテーマをちゃぶ台返ししていないかと思ってしまったのです。感動している余韻を台無しにされかけたというか。

*1:「どこかで聞いたような話」ではなく「荒木ら拉致右翼が無責任に放言してる話」です。なお、「民間(自衛隊OB)で拉致被害者救出」という与太を小説化したのが喜多由浩『アキとカズ:遥かなる祖国』(喜多は産経記者で、産経新聞に連載したものを単行本化、2015年、集広舎)という代物です。

*2:演:吉岡秀隆

*3:演:青木崇高

*4:ゴジラ第1作は1954年公開

*5:演:神木隆之介

*6:演:浜辺美波

*7:演:永谷咲笑(ながたに・さえ)

*8:2000年生まれ。2011年、『東宝シンデレラオーディション』でニュージェネレーション賞を受賞し芸能界入り。2017年、映画『君の膵臓をたべたい』で報知映画賞新人賞、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞(浜辺美波 - Wikipedia参照)

*9:1993年生まれ。2006年、映画『妖怪大戦争』で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞(神木隆之介 - Wikipedia参照)