新刊紹介:「歴史評論」2024年4月号

特集『近現代国家と国葬・公葬』
◆近現代日本国葬に関する研究の現状と課題(宮間純一*1
(内容紹介)
 Q&A形式で書きます。なお、宮間氏が日本近代史家ということで内容は日本限定です。

 日本の国葬は何時始まったのですか?

 事実上の国葬は「紀尾井坂の変」で不平士族に暗殺された大久保利通1878年)、法律上、明確に国葬と位置づけられたのは岩倉具視(1883年)だとされます。
 日本の国葬の特徴として国葬対象者が「皇族」「大物政治家(元首相で元老の伊藤博文山県有朋松方正義西園寺公望など)」「大物軍人(東郷平八郎山本五十六)」であり、「文化人」を国葬対象とするフランス(例:歌手のシャルル・アズナヴールなど)とは違い、文化人が国葬対象となったことはありません。フランスについては本号でも論文があるので、詳しくはそれを参照下さい。

 国葬研究について宮間先生が考えるポイントを教えて下さい。

1)国葬に対する国民の評価
 「死もまた社会奉仕」と石橋湛山に酷評された山県有朋国葬(例えば時の在りか:石橋湛山は国葬に反対した=伊藤智永 | 毎日新聞参照)、「野党(社会党共産党など)支持層の批判を受けた」吉田元首相、安倍元首相の国葬(例:憲法違反の「国葬」を中止せよ│声明・談話・発言│日本共産党の政策│日本共産党中央委員会(2022.9.1)、赤旗主張/きょう安倍氏国葬/憲法違反の儀式強行許されぬ(2022.9.27)、主張/抗議の中の国葬/強行した岸田首相の責任重大(2022.9.28)、主張/国葬強行から1年/違憲の儀式に反省ないままだ(2023.9.27)参照)が典型ですが、国葬は何も国民全てが高評価したわけではありません(勿論高評価した国民もいますが)。国葬を国民それぞれがどう評価したのかを分析する必要があります。
2)国葬と公葬の違い
 最近も羽田空港衝突事故から2か月 海上保安官5人の公葬営まれる | NHK | 羽田空港事故(2024.3.2)として「公葬(海上保安庁主催)」が報じられましたが、国以外の行政機関、公的機関(地方自治体など)が行う葬儀を公葬(例:山口県での安倍元首相の県民葬)と言いますが国葬と公葬には微妙な違いがあると思います。
3)大隈重信の「国民葬
 「外相(第一次伊藤、黒田、第二次松方内閣)、首相等を歴任した大物政治家」大隈については国葬を求める動きが支持者から出ましたが、結局、国葬はされなかった物の、支持者によって「国民葬」がされました。この「国民葬」をどう評価するかも重要かと思います。
4)前近代との連続と断絶
 前近代には国葬は存在しませんが、とはいえ「秀吉(豊国大明神)を祀った豊国神社」「家康(東照大権現)を祀った日光東照宮」でわかるように「権力者の死」を美化する動き自体はありました。そうした前近代の動きとの「連続と断絶」も国葬を考える上でのポイントです。
5)「朝鮮王族」の国葬
 国葬というと日本人に焦点が当たりがちですが、李熈(元韓国皇帝・高宗)、李坧(元韓国皇帝・純宗)の国葬についても目配りする必要があります。
【参考:公葬】

沖縄前知事県民葬:玉城知事「翁長さんの思い 胸に刻む」 | 毎日新聞2018.10.10
 8月8日に膵がんのため67歳で亡くなった翁長雄志(おなが・たけし)前沖縄県知事の県民葬が9日、那覇市の県立武道館で営まれた。9月30日の知事選で翁長さんの後継として初当選した玉城(たまき)デニー知事や菅義偉官房長官ら約3000人が参列。米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設計画に異を唱え続け、沖縄の米軍基地負担の軽減に向けて力を尽くした翁長さんの冥福を祈った。

中曽根元首相に最後の別れ 群馬・高崎で合同葬 山本一太知事「戦後日本を代表する名宰相」 - 産経ニュース2020.11.12
 昨年11月に101歳で亡くなった中曽根康弘元首相の出身地である群馬県高崎市で県と市による合同葬が12日、営まれた。合同葬実施委員長の山本一太知事のほか県選出国会議員ら政界関係者、県内自治体首長ら約2200人が参列し、故人をしのんだ。

反対の声は国葬だけじゃない 安倍晋三元首相の地元・山口県での県民葬に市民団体「法的根拠ない」:東京新聞 TOKYO Web2022.9.16
 県民葬は来月15日、県や自民党県連、県議会などでつくる葬儀委員会と安倍家などが主催し、同県下関市で開催。国会議員や県、市町の関係者ら約2000人の参列を見込み、主会場と県内7カ所で献花を受け付ける。
 県人事課によると、これまでに首相経験者の佐藤栄作氏と岸信介氏の他、元知事の橋本正之氏、安倍氏の父で元外相の晋太郎氏、旧文相などを務めた田中龍夫氏の計5人の県民葬を営んだ。
 反対意見もある中での開催について、中央大の宮間純一教授(日本近代史)は「『県民葬』を名乗り、税金を投じる以上、県民全員を巻き込む。県の安倍氏への評価に、県民みんなが関わらざるをえない」と内心の自由に踏み込む恐れを指摘。「(ボーガス注:県民全員が選挙投票する県知事ならともかく、安倍氏は『選挙区民(一部の県民)』に選ばれたにすぎず)県民が直接選んだわけではない首相を県民葬にするなら、県民の合意形成は欠かせない」と強調する。

殉職警官公葬:旭署・浜口警部補 田尻で270人参列 /大阪 | 毎日新聞2019.4.2
 羽曳野市で今年2月、鑑識活動中にトラックにはねられて死亡した旭署刑事課の浜口翔警部補(32)=巡査長から2階級特進=の公葬が11日、田尻町の府警察学校であった。遺族や府警幹部ら約270人が参列し、浜口警部補との早すぎる別れを惜しんだ。

「我々の模範だった」殉職した高速隊の警察官、公葬で300人が別れ [大阪府]:朝日新聞デジタル2023.10.6
 大阪府岸和田市阪和自動車道で7月31日、府警高速隊の松宮崇警部補(当時50)=2階級特進で警視に昇任=が交通違反の取り締まり後、路肩のパトカーに乗ろうとした際、後ろからきたトラックにはねられ死亡した。5日、松宮さんの公葬が田尻町の府警察学校であり、遺族や同僚ら305人が参列した。

【参考:大隈重信の「国民葬」】

大隈重信の国民葬、熱狂的に 100年前、日比谷公園に30万人 「国民による事実上の国葬」 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞
 1922(大正11)年1月、大隈重信の「国民葬」が東京・日比谷公園で開かれた。佐賀出身で首相を2度務めた大隈の死を、30万もの人々が悼んだとされる。関係者が目指した国葬は実現しなかったが、民意を重視した民衆政治家*2との惜別の場として熱狂的に迎えられた。賛否をめぐって世論が割れる安倍晋三元首相の国葬とは対照的だ。

【参考:朝鮮王族の国葬

国王「国葬」記録を閲覧/韓国市民団体と笠井氏 公文書館訪問
 「韓国併合」により日本が朝鮮半島を植民地にして以降、高宗、純宗は日本の王族となり、その葬儀も日本の「国葬」として実施されました。
 高宗の葬儀(1919年)は、日本の皇族の葬儀に朝鮮式を加えた形で行われましたが、高宗の死を契機に、3・1独立運動が広がったことをうけて、日本政府は朝鮮統治の方法を転換。純宗の葬儀(1926年)では、「朝鮮固有の形式」に改められました。
 その際に、参考資料として用いられたのが、朝鮮王朝の儀式の記録で、昨年、韓国側に返還された「朝鮮王朝儀軌」でした。

日本の「国葬」で送られた朝鮮人がいた…知られざる「朝鮮王公族」 - RKBオンライン
 安倍元首相の国葬をめぐって世論は二分している。そんな中、かつて日本で亡くなった朝鮮王公族に「国葬」が行われた、というできごとを、RKBラジオ『田畑竜介 Grooooow Up』に出演した神戸金史・RKB毎日放送解説委員が紹介した。
【神戸解説委員】
 「王族」は、日本に併合された大韓帝国の皇室直系の人たち。皇帝の弟など、傍系の方々を「公族」と呼んだそうです。「王公族」は1910年の韓国併合から戦後の1947年まで存在していました。併合に際して、大韓帝国皇室のために天皇が証書を発して創設した身分でした。これは「朝鮮王公族:帝国日本の準皇族」(新城道彦*3著・中公新書・2015年)を読んで、初めて知ったんです。
 朝鮮の元皇帝を国葬にした理由は「朝鮮人を懐柔するためであった」と、この本には一言で書いてあります。国葬の予算審議で、当時の貴族院議員の一人は「前皇帝を国葬にすると聞けば、朝鮮人は必ずや感涙にむせび感激致すに違いない」と発言しているのだそうです。
 当時の日本の国葬は神式です。大韓帝国の皇室(王公族)はもちろん朝鮮の儀礼で今まで送られてきています。しかし国葬の「国」は、あくまで日本であり朝鮮式でやるわけにはいきません。そこで、「国葬」と、李王家の「内葬」に分けて、一般の告別式にあたる部分は国葬として日本式で執り行い、棺を墓に納める儀式は、主体を李王家に移して朝鮮式で行うことにしました。どうしたらいいかみんなわからずに、右往左往している感じがします。
 この国葬が大きな事件を起こしてしまうことを、この本を読むまで知りませんでした。国葬は3月3日に予定されていました。翌4日にお墓に納める「内葬」が行われます。3月1日は教科書に載っている「三・一独立運動」が起きた日です。朝鮮で独立を求める人たちが集まって、鎮圧するまで何か月もかかり、何千人かが死亡するような事件です。
 朝鮮では集会が禁止されていましたが、(ボーガス注:「朝鮮人を懐柔するためであった」「前皇帝を国葬にすると聞けば、朝鮮人は必ずや感涙にむせび感激致すに違いない」と言う思惑から)この葬儀を朝鮮人に見せるのが「国葬」の一つの目的だったので、多くの人が全国から集まり始めました。パゴダ公園で急進的な学生が「独立万歳」を叫びながらデモ行進を始めてしまいます。そして、「国葬」見物のために上京した人たちが、デモが起きていることを国中に伝えていきました。(ボーガス注:「朝鮮人を懐柔するためであった」「前皇帝を国葬にすると聞けば、朝鮮人は必ずや感涙にむせび感激致すに違いない」と言う日本政府の思惑に反し)「国葬」が、三・一運動の大きなきっかけになったということです。
 実際の国葬では、800席の朝鮮人がほとんどボイコットして、空席だらけになってしまいました。三・一運動を引き起こすステージになってしまったんです。内実の伴わない国葬がいかに惨めなものになるのか、という例なのかな*4と、この本を読み直してみて思いました。
【神戸解説委員より補足】
 ラジオで話しきれなかった部分を補足します。
 李太王「国葬」の失敗から、1926年に行われた李王の「国葬」は大きく変わりました。日本スタイルの国葬から「儀式」の部分8つだけを取り除き、「朝鮮の古礼でよく似たもの」をその穴に当てはめました。儀式は朝鮮式に行っても、大枠は日本の国葬であるとの名分を維持するためでした。なお、この時は、「三・一運動」のような独立運動は起きませんでした。
 昭和に入ると、王公族は皇族とほぼ同一視されていました。しかし、地域籍はあくまで朝鮮。1947年5月2日、新憲法施行の前日に外国人登録令が出されると、王公族も外国人となり、李垠の妃(元・梨本宮方子女王)は「李方子」として登録しています。そしてサンフランシスコ平和条約が締結されると、日本に滞在していた旧王公族8人は、一般の在日朝鮮人と同様に無国籍状態となりました。
 韓国の李承晩政権は王政復古を恐れ、李夫妻の帰国を認めませんでした。夫妻は一時日本に帰化しましたが、李承晩大統領が失脚した後の1961年、韓国籍を回復して韓国に渡ります。李方子は、障害者福祉に後半生を捧げ、1989年に韓国で死去しました。日本の皇族に生まれ、激しい変転の人生を歩んだ女性です。

【参考:宮間氏】

国葬、戦前は「民主主義とは相いれない儀式」 安倍元首相で実施なら国会であり方議論を 日本近代史研究者:東京新聞 TOKYO Web2022.7.24
 政府が22日に閣議決定した安倍晋三元首相の国葬を巡っては、国民の間でも賛否が割れている。日本近代史を研究している中央大の宮間純一教授(39)に国葬の歴史や今回の政府対応について聞いた。
記者
 国葬とは何か。
宮間
 「国が国費で営む葬儀のことで、最初の例は太政官制で右大臣を務め、1883年に死去した岩倉具視にさかのぼる。85年に内閣制が始まってからは閣議決定で対象者が決められ、1926年に公布された国葬令という勅令で法律上、位置付けられた。軍人の山本五十六*5らが国葬されている。47年に国葬令が失効した後は、67年の吉田茂元首相が最後だ」
記者
 どんな目的があったのか。
宮間
 「戦前には国をまとめ、国民を統一する狙いで、天皇から賜る形で行われた。国や天皇に対する功績があった人が選ばれ、国葬が決まれば公に異論は唱えられなくなった。(戦死した)山本五十六は、まさに国民のかがみとして奉るために行われた。現代の日本の民主主義とは本来、相いれない儀式だと考えている」
記者
 安倍氏国葬をどうみるか。
宮間
 「戦前と同一視はしないが、歴史を検証しないまま、突き進む岸田文雄首相の姿勢に危うさを感じる。今回、内閣主導で進めているため『内閣葬』と呼ぶ方が正確だが、国葬という名称にする以上、(中略)国葬のあり方や対象者の基準などを国会で議論し、安倍氏が当てはまるかどうか検討すべきだ。首相はその手続きを排除している」

安倍元首相の国葬は「民主主義と相容れない」 宮間純一教授と歴史から国葬を考える | AERA dot. (アエラドット)2022.9.24
 日本における国葬の原型は、「維新の三傑」の一人、大久保利通の葬儀にさかのぼる。1878(明治11)年5月、大久保は不平士族らに暗殺された。当時国葬の制度はなかったが、死から3日後、大久保の葬儀は盛大に執り行われた。
「当時、明治政府は盤石ではありませんでした。そこで、大久保の後継者として内務卿に就いた伊藤博文たちは、天皇の名の下に国家を挙げ哀悼することで、政府に逆らうことは天皇の意思に背くことだということを明確にしようとしたのです」
 歴史学者国葬の歴史を研究する、中央大学の宮間純一教授は、こう述べる。
 大久保の葬儀から5年後の1883(明治16)年、右大臣を務めた岩倉具視の葬儀が日本初の国葬となった。
 その後も明治・大正期を通じて国葬は実施され、1926(大正15)年、「国葬令」が公布された。
天皇や国家に特別な功績があったとされる、『功臣』に天皇から国葬を賜ることが明文化されます。国葬は叙位・叙勲などと同じ栄典の一種で、その中でも最高位の一つに位置します。国民は喪に服すことを求められ、天皇や国家に尽くした功臣を国全体で悼むことで、国葬天皇のもとに国民を統合する文化装置として機能しました」
 戦時中、国葬は戦意高揚・戦争動員の目的で利用される。43年、太平洋戦争で戦死した連合艦隊司令長官山本五十六国葬の対象となった。
山本五十六国葬は象徴的です。山本は知名度が高い軍人でしたが、先例に照らして国葬の対象となるかは疑問です。山本の国葬が行われた年は、戦局が悪化し、国民の生活も苦しくなっていました。政府は、国葬を通じて国民に戦争協力を促し、不満を抑えつけ、戦争に総動員することを目的として山本の死を利用します」
 当時の首相は東条英機。東条は国葬に際し、山本の精神を継承して「米英撃沈」に邁進し天皇の心を安んじなければならないなどと国民に訴えた。国葬は権力とは異なる思想を排除する装置として機能し、国民は戦争への協力を強いられたという。
「このように、国葬は被葬者のためではなく、主催する側が政治的意図をもって利用してきた歴史があります。ナショナリズムを高揚させる機能を持ち、国家による思想統制や戦時動員などにも利用されました」
 戦後、国葬令は新憲法が施行されるのにともなって47年に失効する。だが67年、閣議決定吉田茂元首相が国葬となった。その背景について、宮間教授はこう見る。
吉田茂が亡くなったのは、日本が敗戦から立ち上がり高度経済成長期に入って国民が生活レベルで豊かさを実感できるようになっていた時期です。(中略)一方で時の政権は、ベトナム戦争に対する反戦運動など難しい課題も抱えていました」
 吉田は戦後復興を進めてきたシンボル的政治家だった。その吉田が行った功績の面をたたえることで、当時首相だった佐藤栄作が自らの政治基盤を安定したものにしようという意図があったのではないかという。
 天皇・皇后・皇太后を除けば、岩倉具視から吉田茂まで、国葬になったのは計21人。その中で皇族、元大韓帝国皇帝を除く14人は(ボーガス注:岩倉具視*6三条実美*7伊藤博文*8大山巌*9山県有朋*10松方正義*11東郷平八郎*12西園寺公望*13山本五十六吉田茂など)政治家か軍人だ。
 今回、安倍晋三氏の国葬が発表された時、宮間教授は「まず驚いた」と振り返る。
国葬は国家が特定の人間の人生を特別視し、批判意見・思想を抑圧しうる制度。戦後日本の民主主義とは相容れないもの。大日本帝国の遺物で、現在の日本には必要のないものと考えています。それを今、再現させるのはどういうことなのか。岸田首相はじめ国葬を決定した人たちは、その点を検証していないのではないかと思います。そういう意味でとても怖い」
 宮間教授は、今回の国葬が民主主義を壊す一つのステップになることを最も懸念する。
国葬に関する法律がないのに国会での審議を省き閣議決定したことは、議会制民主主義に反します」

国葬じゃなかった? 後継者争いのアピール? 専門家2人どう見た [国葬]:朝日新聞デジタル2022.9.29
 反対する集会が各地で開かれ、会場周辺でデモ行進があった。
 「国民が分断している状況が目に見えるような形で表現されたのは、日本の国葬の歴史では初めてでした。国葬は本来、国民を一つにまとめようとする性格を持っているのに、逆に分断を招いてしまいました」
 「本来の国葬は、国全体で弔意を示さないと成立しない。(ボーガス注:野党の反対で国葬法も制定できず、国会で弔意決議もできなかった)今回のは国葬じゃなかったと思います」
 日本近代史が専攻の中央大教授、宮間純一さん(39)は指摘する。
 政府は官公庁や学校を休みにせず、地方自治体などに弔意表明を求めなかった。黙禱をするかどうかの判断は国民に委ねられた。
 広く国民や企業にまで協力を呼びかけた、55年前の吉田茂元首相の国葬のときとは大きく異なる。
 「政府は判断の責任を負いたくないから、あいまいにした。その結果、国葬の体裁をなさなくなった。国民に丸投げ状態で、踏み絵を踏まされるような自己責任の催しとなりました」
 一方で、宮間さんはこうも感じたという。
 「『一つの価値観を押し付けないでくれ』という考えを持つ人がたくさん出てきた。『自由主義が尊重されている健全な社会だ』ということを皮肉にもあらわした。全体主義の国家や戦前の日本のような天皇制国家だと国葬は機能しますが、今の日本では、ただ対立を生んだだけのイベントでした」

「政治家の国葬、現代で成立せぬと実証」 研究者が見た安倍氏国葬 | 毎日新聞2022.9.30
 吉田茂元首相以来、55年ぶりの戦後2例目の国葬国葬について研究してきた宮間純一・中央大文学部教授(日本近代史)は「国葬の体をなしておらず、政治的にも何も生まなかった。政治家の国葬は現代では成立しないことが実証されたのではないか」と総括する。
「日本史上、ここまで批判が噴出する中で行われた国葬はありません。結果として国民に分断と緊張状態だけを生みました」
自民党政権が自らの功績を賛美するために利用したようにしか見えません。しかし、結果として内閣支持率は下がり続け、国民世論の分断を招き、外国メディアを通じて世界へも良い印象を与えていません。政治的意図のある政策として見ても、何を生み出したのか疑問です」

文学部の宮間純一教授が「国葬儀」で「新語・流行語大賞」を受賞しました | 中央大学2022.12.3
 文学部日本史学専攻の宮間純一教授が「国葬儀」で新語・流行語大賞を受賞しました。
 新語・流行語大賞は、1年の間に発生した様々な《ことば》の中で、軽妙に世相を衝いた表現とニュアンスをもって、広く大衆の目、口、耳をにぎわせた新語・流行語を選び、そのことばの発生に深くかかわった人物、団体を顕彰するものです。
 宮間教授は明治維新史・日本近代史・アーカイブス学が専門で、公葬を研究テーマの一つとしており、『国葬の成立:明治国家と「功臣の死」』(勉誠出版、2015年)などの著作があります。
 12月1日に開催された表彰式では「国葬の成り立ちや果たした役割を正面から取り上げ、国葬の問題点を明らかにした」などとして新語・流行語大賞に選ばれました。


◆戦後の国葬論議と栄典(前田修輔*14
(内容紹介)
 戦前日本の国葬について「東郷平八郎(1934年)」「山本五十六(1943年)」など軍人が国葬され「軍国主義の温床になった」と見なしたGHQ国葬に対して否定的な態度を取った。日本の独立回復後もこうした「国葬に否定的な意識」を保守派は打破できず、 戦後実施された国葬は「載仁親王(1945年、皇族、元参謀総長)」、「貞明皇后(1951年、当時は皇太后)」「吉田茂(1967年、元首相)」、「昭和天皇(1989年)」「安倍晋三(2022年、元首相)」に留まっている。また国葬に関する法律は現在に至るまでついに制定されなかった。

参考

まさか復活するとは…国葬で博士号とった研究者 当日はここに注目 [国葬]:朝日新聞デジタル2022.9.25
 「まさか復活してしまうとは。歴史上のできごととして終わったものだと思っていた。国葬の研究者として、ちょっと油断していました」
 「先例と照らし合わせると、該当する人物はいないのではないかと。(ボーガス注:戦後、国葬となったのは吉田元首相しかいないので)現代であれば、日本が戦争に巻き込まれたうえで勝利した首相とか、そのレベルでないとできないだろうなと考えていました」
 上智福岡中高(福岡市)教諭の前田修輔さん(32)は言う。
 日本における国葬研究の第一人者だ。
 九州大学で近代史研究をしていたときのこと。
 偶然「国葬」という記述を見つけた。
 「全然知らなかったので、そもそも国葬って何?といった感じでした」
 先行研究がほとんどない国葬。関心を持ち、卒論のテーマに選んだ。
 社会科教諭を務めながら、母校の大学院に通い、博士号を取得した。
 「国葬で博士になった人は、日本ではいないのでは。ニッチな分野で、ネットで調べても『国総』と、国家公務員総合職の略が出てきました。(ボーガス注:安倍元首相暗殺で)まさか日の目を見るとは思いませんでした」
 研究の第一人者ですら、復活を予想できなかった国葬。その理由とは。

国葬じゃなかった? 後継者争いのアピール? 専門家2人どう見た [国葬]:朝日新聞デジタル2022.9.29
 国葬研究で博士号を持つ、上智福岡中高教諭の前田修輔さん(32)は「国葬が鏡になって、今の日本を映し出した」とみる。
 「社会の分断を招いたともいわれる安倍政治の集大成の日が、最後まで賛成、反対が分かれていたのは象徴的でした」
 前田さんは論文「戦後日本の公葬」の中で、(ボーガス注:吉田元首相の)国葬が批判を浴び、「落としどころとして」(ボーガス注:歴代の自民党首相(岸、大平、福田赳夫、鈴木、中曽根、橋本、小渕、宮沢)の葬儀が)内閣と自民党との合同葬に変容していく様を伝えた。
 しかし今回、よみがえった国葬
 前田さんは、その効果をこう分析する。
 「対象となる政治家の系譜を肯定し、時の政権の正統性を主張することにつながる。そして残された政治家にとって、政治的な意味合いを持つ」
 約8分間流された、安倍元首相の生前の映像。
 続く追悼の辞で、(ボーガス注:第二次、第三次安倍内閣外相だった)岸田文雄首相は「あなたが敷いた土台のうえに」と語った。
(ボーガス注:第二~第四次安倍内閣官房長官だった) 菅義偉前首相は、安倍元首相の再決起を促した焼き鳥屋でのやりとりを明かし、「生涯最大の達成」と誇った。
 「正統な後継者であることを訴え、自らの立ち位置を強固にする。そんなアピールの場にもなっていたように見えました。『国葬になったすごい人』と、安倍元首相の功績が補強される式典でもあった。後々に影響を及ぼすような出来事だったと思います」


◆近代日本の国葬に見る「未亡人」像(胡安美)
(内容紹介)
 国葬において「国葬対象者の未亡人(妻)」には「悲しみに耐える貞女」としての振る舞いが求められた。
 なお、国葬に参列できる「未亡人」は正妻に限られた。山県有朋(元首相で元老)の事実上の妻であった堀貞子(山県の正妻の死後、事実上の妻(内縁の妻)だったが正式な入籍はせず)は「山県の国葬」に参列できなかった。


◆近現代イギリスにおける国葬(中村武司*15
(内容紹介)
 英国で国葬となった人物として「ネルソン(トラファルガー海戦でナポレオンに勝利)」「ウェリントンワーテルローの戦いでナポレオンに勝利)」「グラッドストン(四度首相を務めた大物政治家)」「チャーチル(第二次大戦でヒトラーに勝利)」等が紹介されていますが、小生の無能のため詳細な紹介は省略します。
 なお、国葬 - Wikipediaによれば、国葬ではないものの、国葬に準じる「準国葬」があり、元首相のウィリアム・ピット (小ピット)、サッチャーなどが「準国葬」を受けたとのこと。
参考

国葬 - Wikipedia
 元英国首相でグラッドストン(元英国首相で国葬を受けた)のライバルとして有名だったベンジャミン・ディズレーリや、看護教育学者となったフローレンス・ナイチンゲール国葬を打診されたが、ディズレーリは本人の意志、ナイチンゲールは遺族の要望で辞退している。サッチャー国葬を辞退し、準国葬になった。

各国の国葬ってどうなっているの?調べてみました | NHK
 「国葬」は歴代の国王や女王のほか、万有引力の法則を発見した科学者のニュートンや、「トラファルガーの海戦」でフランスのナポレオンの艦隊をやぶったネルソン提督が死去した際にも行われました。最後に「国葬」が行われたのは、1965年のチャーチル元首相の時でした。
 一方、近年は比較的規模を抑えた「儀礼葬」が増えています。 ダイアナ元皇太子妃やサッチャー元首相、それに王室でもエリザベス女王の夫で、去年亡くなったフィリップ殿下は「儀礼葬」でした。

世界の国葬事情を調べてみた 国王・大統領のほかに軍人や学者、歌手、俳優も:東京新聞 TOKYO Web
 英国の国葬は慣例で君主(国王・女王)が対象となる。エリザベス女王の前には、女王の父ジョージ6世の国葬が1952年に実施された。
 例外として、議会が「類いまれな国への功績がある」と承認した功労者も国葬が行われる。万有引力の法則を発見したニュートン(1727年)、ナポレオンのフランス海軍を破った提督ネルソン(1806年)などがいる。直近では、第2次大戦を勝利に導いたチャーチル元首相の国葬が1965年にあった。
 昨年死去したエリザベス女王の夫フィリップ殿下は、国葬に準じる「儀礼葬」となった。ほかに97年に事故死したダイアナ元皇太子妃や、エリザベス女王の母のエリザベス皇太后、「鉄の女」で知られるサッチャー元首相らに儀礼葬が実施された。


◆フランス共和政のパンテオン葬(長井伸仁*16
(内容紹介)
 パンテオンに埋葬された人間についてパンテオン (パリ) - Wikipediaを参照。カルノー大統領(大統領在任中にテロで暗殺)、ジャン・ジョレス(社会党幹部)、パンルヴェ元首相など政治家もいますが、ヴォルテール(哲学者)、ヴィクトル・ユーゴー(小説家)、エミール・ゾラ(小説家)、ジャン・ペラン*17(物理学者)、ルイ・ブライユ(盲学校教師、ブライユ式点字の開発者)、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(小説家)、ピエール・キュリー*18とマリ・キュリー*19(物理学者)、アレクサンドル・デュマ・ペール(いわゆる大デュマ、小説家)、アンリ・ベルクソン*20(哲学者)、ジョセフィン・ベーカー(歌手)など文化人が多く埋葬されています。
参考

世界の国葬事情を調べてみた 国王・大統領のほかに軍人や学者、歌手、俳優も:東京新聞 TOKYO Web
 フランスではすべての葬儀費用を国費負担する国葬と、追悼式典のみを国費で負担する「オマージュ・ナショナル」がある。明確な判断基準はなく、いずれも大統領が実施を決定する。
 国葬は1975年の歌手ジョセフィン・ベーカーさんらごく少数に限られる。大統領経験者は遺言で国葬などを辞退することが恒例化しているが、2019年に死去したシラク氏は遺言がなかったことなどから国葬が行われた。
 オマージュ・ナショナルも、国のために亡くなった軍人や、社会的な功績が大きい著名人が対象となる。従来は第2次大戦中の対独抵抗運動レジスタンスでの活躍や仏最高勲章レジオン・ドヌール受章など特別な経歴を持つ人物が対象となってきた。しかしマクロン大統領の就任後は歌手や俳優など文化人での実施が増え、テロ事件で犠牲になった一般市民も対象となった。


◆韓国の公葬とメディア言説(森類*21(もり・ともおみ))
(内容紹介)

国葬 - Wikipedia参照
 大韓民国では、従来「国葬国民葬法」の中で、国家が葬儀の費用を全額負担する国葬と一部を負担する国民葬が規定されていた。しかし、「国葬国民葬の区別は不要な社会的確執を誘発する素地がある」という指摘が出たことから、2011年5月に法律を改正し、国葬国民葬を国家葬に統合した。
 韓国でこれまで国葬の対象となったのは朴正煕、金大中元大統領が、国民葬の対象となったのは崔圭夏、盧武鉉元大統領が、国家葬の対象となったのは金泳三、盧泰愚元大統領などがいる(全斗煥は、光州事件の遺族等に配慮し国家葬の対象にならなかった)。

 問題は「軍事クーデターの朴正熙光州事件盧泰愚(左派は勿論否定的)」「太陽政策(保守派は否定的評価)の金大中」「金大中の後継者として、太陽政策を推進、大統領退任後、在任中の汚職疑惑捜査中に自殺した盧武鉉(保守派は否定的評価)」の国葬については「右派、左派双方の対立を招きかえって国民分断を助長した」ことですね。
 筆者は「汚職で有罪判決を受けた李明博朴槿恵」の死去時に「保守派が国葬を要求し、革新派が反対」することで国民分断が助長されることを危惧しています。
 なお、国葬ではないが「呂運亨」「金九」「いわゆる独立三義士(尹奉吉*22李奉昌白貞基)」については支持者による国民葬が行われたとのこと。
参考

各国の国葬ってどうなっているの?調べてみました | NHK
 1967年に「国葬国民葬に関する法律」が制定され、「国葬」の費用は国が全額負担し、「国民葬」は一部を負担するなどと定められました。
 大統領経験者では、▽パク・チョンヒ(朴正煕)氏とキム・デジュン(金大中)氏が死去した際には「国葬」が、▽チェ・ギュハ(崔圭夏)氏とノ・ムヒョン盧武鉉)氏は「国民葬」が、それぞれ執り行われました。
 ただ、法律では「国葬」にするか「国民葬」にするかの具体的な基準が示されておらず、あいまいな部分が多いという指摘があり、2011年には、これらを「国家葬」に統合し、費用は原則、国が全額負担することを盛り込んだ法律が制定されました。
 「国家葬」を行うかどうかは、現職の大統領が判断することになっていて、この法律をもとに、元大統領のキム・ヨンサム(金泳三)氏とノ・テウ(盧泰愚)氏の葬儀は、「国家葬」として行われました。

 韓国では2011年に、従来の国葬国民葬を「国家葬」に統合し、弔問客の食事代などを除く費用を国が負担すると定めた。これを受け、金泳三(キムヨンサム)、盧泰愚(ノテウ)の両元大統領は国家葬が行われた。一方、文在寅(ムンジェイン)前政権は、昨年11月に全斗煥(チョンドゥファン)元大統領が死去した際、1980年に民主化運動を弾圧した「光州事件」への誠意ある謝罪がなかったとして、国家葬を行わなかった。
 11年以前には、国が費用を全額負担する国葬と、一部を補助する国民葬があったが、対象者の区分に明確な基準はなかった。
 大統領経験者では在任中に暗殺された朴正煕(パクチョンヒ)氏とノーベル平和賞受賞の金大中(キムデジュン)氏は国葬が行われ、崔圭夏(チェギュハ)氏と盧武鉉ノムヒョン)氏は国民葬となった。盧氏を巡っては、退任後に検察から捜査を受け、自殺した経緯があり、当時の李明博(イミョンバク)政権と盧氏の遺族が対立し、国葬が見送られたとの見方もあった。

*1:中央大学教授。著書『国葬の成立:明治国家と「功臣」の死』(2015年、勉誠出版)、『戊辰内乱期の社会』(2016年、思文閣出版)、『天皇陵と近代:地域の中の大友皇子伝説』(2018年、平凡社)等

*2:「民意を軽視した安倍」への皮肉でしょうか?

*3:フェリス女学院大学教授。著書『天皇韓国併合』(2011年、法政大学出版局)、『朝鮮半島の歴史:政争と外患の六百年』(2023年、新潮選書)

*4:安倍国葬に対する皮肉でしょう。

*5:海軍航空本部長、海軍次官連合艦隊司令長官等を歴任

*6:外務卿、右大臣など歴任

*7:太政大臣内大臣など歴任

*8:首相、貴族院議長、枢密院議長、韓国統監など歴任。元老の一人

*9:第一次伊藤、黒田、第一次山県、第一次松方内閣陸軍大臣内大臣を歴任。元老の一人

*10:第一次伊藤、黒田内閣内務相、首相、第二次伊藤内閣司法相、枢密院議長など歴任。元老の一人

*11:第一次伊藤、黒田、第一次山県、第二次伊藤内閣蔵相、首相、内大臣を歴任。元老の一人

*12:連合艦隊司令長官、海軍軍令部長など歴任

*13:第二次、第三次伊藤内閣文相、首相など歴任。元老の一人

*14:上智福岡中学・高等学校教諭

*15:弘前大学准教授

*16:東大教授。著書『歴史がつくった偉人たち:近代フランスとパンテオン』(2007年、山川出版社)、『近代パリの社会と政治』(2022年、勁草書房

*17:1926年、ノーベル物理学賞を受賞

*18:1903年、妻マリ・キュリーやアンリ・ベクレルと共にノーベル物理学賞を受賞

*19:1903年ノーベル物理学賞、1911年にノーベル化学賞を受賞

*20:1927年にノーベル文学賞を受賞

*21:摂南大学特任准教授。著書『韓国ジャーナリズムと言論民主化運動:『ハンギョレ新聞』をめぐる歴史社会学』(2019年、日本経済評論社

*22:1932年、上海派遣軍司令官・白川義則を暗殺(上海天長節爆弾事件)し、死刑判決。1962年に義士として建国勲章大韓民国章(1等級)を贈呈された