珍右翼・高世仁に悪口する(2024年3/22日分)

モスクワ襲撃事件の政治利用に要注意 - 高世仁のジャーナルな日々

 モスクワ郊外のコンサート会場で133人が死亡した襲撃事件。真相はまだはっきりしないが、プーチンの反応に危険なものを感じさせる。ウクライナの関与を決めつけ、テレビ局がウクライナ要人が関与を認めたなどとするフェイクニュースまで流している。
 プーチンは謀略で権力につき、権力を維持してきた人物で、そのためなら人命など配慮しない。いくつもの爆破事件を自作自演した疑いすらあり、その後には「テロリストとの戦い」を口実に残虐非道の戦争、弾圧、暗殺へと突き進んできた。

 「真相は不明」とはいえマスコミ報道を見る限り「自作自演」はなさそうです。
 「ウクライナの関与」をプーチンが決めつけてるのは、ロシア国内に「ウクライナへの憎悪」を扇動し、ウクライナ侵攻を正当化するための「結論ありき」で恐らく根拠はないでしょう。但し、一方で「ウクライナの関与がない」と断言できる証拠も現時点ではないでしょう。今後、真相が明らかになることを期待したい。

 政府は、米国企業のライセンスに基づき国内で生産している地上配備型迎撃ミサイル「パトリオット」(PAC2、PAC3)を、米国に輸出する方針を固めた。

 これを批判する高世ですが、だったら「沖縄米軍基地の国内移転論(例えば米軍基地を「引き取る」3 - 高世仁のジャーナルな日々参照)」なんてやめたらどうか。
 共産が「日米安保廃止論」を取る理由の一つはこの「武器輸出問題」のように「基地移転では解決しない問題」があるから、「日米安保廃止によって解決する問題」があるからでしょう。この「武器輸出」は「日米安保を廃止しない限り武器輸出せざるを得ない」と言う話ではないものの、「日米安保があるから生じてる問題」であることは確かでしょう。 
 「米国への武器輸出」は明らかに「米国の要請」でしょうし、その根拠となってるのは日米安保でしょう。あるいは岸田軍拡もそれを助長してるのは明らかに「日米安保による米国の軍拡要請」です。
 「日本の国防」だけ考えれば「専守防衛自衛隊」だけで十分だと俺は思います。勿論「自称・世界の警察官=米軍」の「補佐役」を日本が演じたい(米軍の軍事展開を後方支援したい、あるいは集団的自衛権行使で米軍とともに自衛隊が戦場で戦いたい)というなら話は別ですが、俺個人はそういう立場には否定的です。


私がここにいるわけ その2④ - 高世仁のジャーナルな日々
 珍右翼・高世仁に悪口する(2024年3/10日分)(追記あり) - bogus-simotukareのブログで批判した私がここにいるわけ その2③ - 高世仁のジャーナルな日々の続きです。

 『男はつらいよ』って映画知ってる?。あの主人公の車寅次郎は、東京の下町のだんご屋の甥という設定で、あの中では昭和期まで庶民の中に残っていたコスモロジーの片りんをうかがえるセリフが出てくる。
「そんなことをするとバチがあたるよ」、「お天道様は見ているぜ」、「草葉の陰でお父つぁんが泣いてるぞ」、「お前の死んだ親父に申し訳がたたねえ」とかね。

 そして「昔は良かった」と美化する高世ですが、そもそも「寅さん」は人情喜劇、はっきり言えばファンタジーです。
 そこに描かれてることは勿論「事実とイコールではない」。
 「例は何でもいい」ですが、戦前だって「関東大震災での朝鮮人虐殺」、江戸時代だって「身分差別(穢多・非人)」のような「負の側面」はあったし、そうした「負の側面」がある程度是正されて今がある。昔は高世が美化するほど「美しい世界ではない」。
 勿論「是正しきれなかった面(例えば、昔ほど酷くないにせよ、今も朝鮮人差別はある)」はあるし、「産経が扇動してるクルド人差別」など「新たな差別や社会問題」も生じてはいますが、それは「昔が良かった」という話とは全く違う。
 「例は何でもいい」ですが、例えば高世は一時、日本でブームとなった、「身分制において横行する権力者の無法」を描いた「いわゆる残酷時代劇」

小林正樹監督『切腹』(1962年、滝口康彦の小説『異聞浪人記』を元に橋本忍が脚本)
今井正監督『武士道残酷物語』(1963年)
→内容上は全く関係ないとは言え、名称は明らかにヤコペッティ世界残酷物語』(1961年)をもじってる
小林正樹監督『上意討ち・拝領妻始末』(1967年、滝口康彦の小説『拝領妻始末』を元に橋本忍が脚本)

をどう理解するのか。「間違った認識であり、江戸時代は今より素晴らしかった」と強弁するのか?