今日も「頭のおかしいバカ」kojitakenに悪口する(2024年3/24日分)

関口宏が『サンデーモーニング』を勇退。しかしここ最近の関口は本当にダメダメだった。後任の膳場貴子には期待 - kojitakenの日記

 対GDP比1%枠は1976年に三木政権が決めたものだが、弊ブログが少し前の下記記事にも書いた通り、中曽根政権時代に中曽根がレーガンにこの枠を破って防衛費を増やす口約束をしたのに対して政権ブレーンだった高坂正堯がこの政策に反対した。2人の意見が一致しなかった結果、1%をわずかに超えることで妥協したが、その後40年近く軍事費の対GDP比は1%前後でほとんど変わらなかった。

 「高坂の反対」をやたら高評価するkojitakenですが、むしろ「最大野党・社会党の反対」「社会党以外の野党(例:公明党)の反対」を重視すべきでしょう。社会党公明党を敵に回しては政権運営に支障が生じるから中曽根は妥協した。
 「高坂が反対しよう」と、社会党公明党など当時の野党が中曽根に迎合すれば、中曽根は軍拡を大々的に実施したでしょう。
 1980年代と違い、現在、「社会党の後進」社民党は見る影もなく衰退し、最大野党立民党は軍拡予算に対する批判が弱く、公明党は与党として自民の悪政に加担し「自称野党(国民民主や維新)」も自民の悪政に加担しています。この状況では「確かな野党(厳しい自民批判派)」共産党に「期待せざるを得ない」のですが、「kojitakenなど反共分子(自称・自公批判者)」が共産に不当な誹謗をすることには心底呆れます。連中は「自公批判する政党」として、何処を支持してるのか。私見では政治とは「消去法(よりましな選択)」であり「100点満点でない」として共産に不当な悪口をするのは全く馬鹿げています。


都民ファーストの会、乙武洋匡氏擁立へ 衆院東京15区補選(朝日) - kojitakenの日記
 kojitakenが嘆くように「有名タレントの乙武」を都民ファが担ぎ「自公、国民民主が相乗りの見込み」という事態(勿論現時点での最有力候補)になったのは「いつまで経っても候補を擁立しない(できない?)立民の体たらく」にあるといっていいでしょう。「チャンスを生かせない」立民には心底失望し、呆れます。
 「酒井菜摘元区議を立てる」という話が出てきたようですが、まだ正式表明ではなく「現時点では噂にすぎない」し、「共産と一本化の協議をしているか怪しい(つまり、共産に一方的に下ろすことを要求している)」「乙武支持に回るとみられる国民民主との共闘を未だに目指してる」らしいから呆れます(勿論、今の立民では共産との共闘無しで当選させられる力は無いでしょう)。そもそも「元区議(つまり区議選で落選)」で衆院選で当選できるのか?


私が大谷選手周りで特に気になるのは、大谷選手に対してネガティブな発信があると、まるで自分ごとのように怒ったり、批判したりする人々が、相当数いることである。(井戸まさえ氏のXより) - kojitakenの日記
 例は何でもいいですが「ジャニー喜多川の性加害」「宝塚歌劇団パワハラ」でも「全てのファンではなく一部にすぎない」とはいえ「当初、告発側(被害者側)を『虚偽告発ではないのか』と非難するジャニーズや宝塚のファン」はいたので「一部の大谷ファン」に限らず「ファン心理とは昔からそういうもの」であり、kojitakenらの指摘には「何を今更」感はあります。

 今回は事実関係がはっきりしないので(ボーガス注:大谷問題は)ブログ記事にはほとんど取り上げていない。

 とはいえ「記者会見で質問を禁止し、自分の言い分だけを述べて、立ち去った」大谷の対応は批判すべきではないか。
 恐らく「kojitakenが嫌ってる自民党共産党」が「何らかの問題で同様の態度」を取ったら悪口雑言でしょうし、明らかにkojitakenは「大谷に甘くないか」。


読売の政治記事によると、衆院東京15区補選について「共産は取下げの選択肢も排除していないが、立民内で浮上する国会議員について水面下で難色を示している」らしい(カタコト明朝氏のXより) - kojitakenの日記

 やはり2021年の立民代表交代なんかをやってはいけなかった*1。立民も共産もあの年の衆院選の総括*2を間違えた。悔やまれてならない。

 今更「2021年の代表選挙をやり直すことができるわけでもなく」そんな後ろ向きのことを言っても何もならないだろうと心底呆れます。問題は「今後、立民党をどう立て直すか(例えばどうやって泉を代表から下ろすかなど)」であり、立て直す展望がないのであれば立民を見限る(新党を自分で作るなり、共産、社民、れいわなど他党支持に変えるなりする)だけの話です。
 立民支持者id:kojitakenは「立て直す展望もないが、見限ることもできない」ようですが。
 なお、「泉路線を、現在、枝野(現在、立民党「つながる本部」特別参与、なお、本部長は泉)が批判せず、事実上容認してること」を考えれば果たして枝野が代表に留任したとしてもkojitakenが願望するような路線を取ったかどうかは疑問でしょう。

*1:むしろそれよりも悔やむべきは「2021年衆院選挙敗戦」を理由に枝野代表が辞任したのに「その後の参院選敗北」で泉が代表を辞めずに居座ったことでしょう。まあ、泉が代表を辞めてもまともな人間が後任代表になるか怪しいのが今の立民の体たらくですが

*2:「維新にすり寄る立民」はともかく「共産の総括(私見では「共産の総括」は①野党共闘自体は続けるべきだが、自公や維新、国民民主等の「野合批判」に「野合ではない」という反論を強める(政策のすりあわせも進める)、2)野党共闘は続ける一方で共産の独自性もアピール、③「経済面でのアピールが弱い」という批判に対応しそうしたアピールを強める(例えば共産党さんの「経済再生プラン」はすばらしいが、大事なことがひとつ足りない|松尾 匡赤旗日本共産党の財源提案の基本的考え方/大門政策委員会副委員長に聞く参照)、ではないかと思います)」の何が「kojitaken」的に間違ってるのか意味不明です。kojitakenが「自分と考えの違う人間(特に立民や共産の支持者)」に分かりやすく意見を伝える気が無い、「意見を同じくする自分の仲間(例:宮武嶺)にしか意見を伝える気しかない独善的な人間」であることがよく分かります。日常生活でもこうした独善性を発揮してるのならkojitakenの周囲も迷惑でしょう。