国民民主の玉木雄一郎代表、自民議席減へ立民と調整 次期衆院選巡り(産経)/この発言で玉木が全方面から十字砲火を浴びている - kojitakenの日記
マスコミ報道(新聞、テレビ、ラジオなど)や「与野党党首の発言」で十字砲火かと思いきや「X(旧ツイッター)で玉木が批判されている(kojitaken)」と言うから脱力します。Xで「無名人の何人か」が玉木を批判したところで、それだけでは玉木は痛くもかゆくもないでしょう(まあ、こうした「Xでの玉木批判傾向」は恐らく「Xに留まらない話(国民一般でも玉木批判派が多い)」であり、その結果として、立民が玉木に冷淡な態度を取る可能性は当然ありますが)。
まあ、
アームズ魂
>自民議席減へ立民と調整 国民・玉木氏、次期衆院選で
立憲からの候補者調整呼びかけに「共産党と組む党と調整はしない」と一蹴したり、泉代表の挨拶を断ったりと散々無礼を働いてきた玉木雄一郎氏が、今になって立憲と候補者調整したいですって?。もう憲政史に残る厚顔無恥野郎ですね。
ダニエル・ピース
(ボーガス注:マスコミ世論調査の政党支持率で)維新が立憲をリードしてたら維新
立憲が維新をリードしてたら立憲
立憲が共産と共闘し選挙*1に勝てば立憲。この手の軸なし政党は信じたらアカン
小倉雄一@船橋政治新聞
玉木@tamakiyuichiro って本当に節操がなくて恥ずかしい男ですよね。政治家として、というより人間として恥ずかしい。
と言う指摘の通り、確かに東京補選で「共産とは組めない*2」などとして「立民の酒井候補」ではなく「都民ファの乙武候補」に相乗りしながら良くもふざけたことが言えるとは俺も思いますが。東京補選で立民が敗戦し、維新(3位)や「玉木が相乗りした乙武(5位)」が勝利してればこんなことは絶対に言わなかったでしょう。野党共闘支持層(立民、共産、社民、れいわ支持層)が呆れるのは勿論、自民支持層、維新支持層だって「今まで、玉木は自民や維新にすり寄ってたんじゃ無かったか?」と呆れるでしょう。
羊のように投票所に並んで羊のように一票を入れ、後は沈黙することが民主主義なのでは決してありません。(三春充希氏のX) - kojitakenの日記
ここ数日、補選の話しかしないkojitakenがよくもこんなタイトルの記事が書けたもんだと心底呆れます。「デモや政治集会」など「選挙以外の政治活動」を軽視する「選挙至上主義(しかも選挙の勝ち負けばかりにこだわり、政策に無関心)」はkojitaken自身ではないのか。少しは政策も論じるEveryone says I love you !(宮武嶺)や村野瀬玲奈の秘書課広報室等を見習えと言いたい。
衆院東京15区補選で敗れた維新・金沢結衣の敗因は活動量や活動のあり方ではなく、維新の訴えそのものが有権者の心に響かなかったからだ - kojitakenの日記
金沢の敗因をどう理解するかはともかく一般論として「有権者に支持されない主張」は単に活動量(主張の回数)を増やしても「支持されない」とはいえるでしょう。
仮に「支持しない有権者の方が間違ってる」のだとしても「有権者がバカだから悪い」というわけにはいかないので、「支持してもらえるような主張をすること(活動の質を高めること)」が必要でしょう。
とはいえ、小生も「政治活動家ではない、全くの素人」なので「活動の質を高めること」について「具体的な話ができない」点は恐縮です。
最大の要因はなんといっても日本維新の会の訴えそのものが有権者の心に響かなかったことだ。敗因は候補者ではなく政党そのもの(執行部)にあるのである。それなのに執行部よりも候補者を責めたがる*3ところに、組織の権力者に対してやたらと甘いこの国の人々のあり方の問題点が表れている。
まず組織内権力を疑えと言いたい。
「はあ?」ですね。
何でこのタイトルで「組織内権力を疑え」なんて話になるのか意味不明です。まあ、kojitakenがそういう話がしたいだけなのでしょうが。
普通こういうタイトルなら
1)どんな政策を訴えるべきか(政策論)
2)有権者の声をどうやって把握すべきか
→党が「有権者の過半数」を占めるような巨大な党ならば意見把握に苦労はしないでしょうが、勿論、最大与党・自民党も含めてそんな党はない。結局「マスコミ世論調査」「党所属議員などへの陳情」「党と業界団体、市民団体等、各種団体との意見交換」「党によるイベント開催(どうしても参加者は支持者に偏る傾向はあるでしょうが)」など、様々な手法で意見把握に努めることになります。
3)「有権者の多数派」と「政党の主張」が異なる場合にどう動くべきか
→多数派に常に従うのでは、「政党としての自主性」が全くないので問題ですが、一方で「多数派の声など知らない。我々の主張が正しいのだから支持しない方がバカだ」という唯我独尊でもまずい。結局の所「多数派をどうやって説得して、考えを変えさせて支持してもらうか?」「考えを変えさせることが難しいなら何とか、一致する共通点で妥協して、一定の合意ができないか?」と言う話になるでしょう(そうした問題について具体的な話をできる能力は俺には残念ながらありませんが)。「共産にとっての野党共闘」もその一例ではあるわけです。
といった話をすべきではないのか。
当たり前ですが「組織内権力を疑えば」、有権者の意向が把握できるわけでもなければ、有権者の意向と政党の考えが違うときに「どう動くべきか」が決まるわけでもない。
しかも、kojitakenの場合「俺が評価しない連中(立民党の泉代表、共産の志位議長、れいわの山本代表)を支持する連中がいるのは連中に党執行部への懐疑心がないからに違いない」と勝手に決めつけた上での「組織内権力を疑え」だから呆れます。
何故「kojitakenと価値観が違うから、支持してるにすぎない(懐疑心がないという話ではない)」と理解できないのか。
なお、「維新の訴えが響かなかったから」云々というkojitakenをもじれば、kojitakenがやたらひいきにする「井戸まさえ」が立民党の東京15区総支部長になれなかったのは「単に井戸の主張が地元民(東京15区の立民支持者)に響かなかったから」ではないのか。
落下傘候補の井戸(もともとは『兵庫県議→兵庫県選出衆院議員』だったが落選を契機に東京に移籍)が地元民にそっぽを向かれた可能性は十分あると思いますが、根拠も上げずに「井戸がリベラル派だから、右派の泉に嫌われて不当にも総支部長になれなかったに違いない」と決めつけるkojitakenです。
また、松竹伸幸が共産支持層に支持されないのも「単に松竹の主張が多くの共産支持者に響かなかったから」でしょう。
勿論それは「共産執行部に何の問題もない」と言う話では必ずしもない。「松竹よりは執行部の方がましだと思う」と言う話です。
たとえるなら「トランプよりバイデンの方がまし」「維新や国民民主より自民や立民の方がまし(俺の価値観です)」等と同じ話です。
維新については「支持されない維新が悪い」というkojitakenが「井戸や松竹」については「支持しない方が悪い」と言うのだから、そのご都合主義にはあぜんです。
*1:先日の三補選のこと
*2:但し、「水面下で酒井候補支持で立民と共産が調整しているらしい」という報道があったとは言え、共産が酒井支持を正式表明する前から「乙武支持」を表明していたのが玉木なので、共産が「酒井支持せず、共産の小堤候補を擁立し続けても」玉木は乙武に相乗りしたでしょう。共産云々ではなく「自民、維新にそもそも価値観が近く、リベラル左派(社民連出身の菅最高顧問、社民党出身の辻元代表代行など)がいる立民を敵視してる」のが玉木でしょう。
*3:「執行部が明らかに自己中心主義な維新」はそうかもしれませんが、kojitakenが悪口する自民、立民、共産等、多くの政党は少なくとも建前では「候補者だけの責任ではない」として執行部の責任を認めてると思いますが?