松竹伸幸に悪口する(2024年5/13日分)

続・2005年の自己批判論文をご紹介・4 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 1999年3月の23日か24日だったと思う。「赤旗」政治部(もう部長だったか安保班長だったかは覚えていない)の藤田健*1から、政策委員会にいた私に内線電話があった。興奮した声の怒りを伝える電話だった。
 何かと言うと、能登半島沖の不審船事件をめぐる党の対応への抗議だった。
(中略)
 何が言いたいかというと、やはり当時の党中央は自由だったということだ。党中央が決定したとしても、党専従が別の考え方を持つのは当然だし、抗議の意見を上げても構わない。そんな党風が残っていたということだ。

 藤田主張については特に論じません。
 俺は党外の人間なので党風など分かりようが無いですが、1999年当時の党幹部は「不破委員長(現・名誉役員、松竹除名時は議長)」「志位書記局長(現・議長、松竹除名時は委員長)」で「松竹除名時」と大して違いないですし、当時と今と大して変わらないのでは無いか。また、松竹の話が事実だとしても、そもそも松竹の場合「党外に話をいきなり持ち出した」のであって「党内に話が留まっている藤田氏」とは明らかに話が違います。「藤田が処分されなかったのになんで俺が処分されるのか」という話ではない。
 なお、「昔は党風が自由だった」を連呼し「今は党風が不自由になった→除名は不当」とする松竹ですが、その主張に説得力が無いのは「上に書いたこと」の他にも「『日本のこえ』を作った志賀義雄」等と違い、党内外に松竹に同調する動きが「少なくともマスコミ報道を見る限り」全く見えないこともあるでしょう。もはやマスコミは松竹を全く報じない。
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹」には心底呆れます。


続・2005年の自己批判論文をご紹介・1 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 いま共産党内では、SNSでの異論の表明の摘発と自己批判要求が頻発している

1)「頻発」と書きながらそのように評価する根拠
→松竹の元に「摘発された」「自己批判要求された」という「党への抗議(?)」でも殺到したのか?。仮にそうだとして松竹がそれを事実と評価した根拠は何か?
2)「異論」とは具体的に何か?
→「松竹の主張への同調」か、それとも「それに限らない」のか?

を記事中に何も書かない松竹にはいつもながら呆れます。少なくともマスコミがそのような報道をしてないことは確かです。
 なお「異論」が「単なる意見の違い」に留まらず「反党行為に該当するならば」自己批判要求はむしろ「当然のこと」ではないか(具体例がないと何とも評価できませんが)。
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹」には心底呆れます。


2005年の自己批判論文をご紹介・上 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

松竹伸幸 - Wikipedia
 党機関誌『議会と自治体』2005年5月号に、論文「9条改憲反対を全国民的規模でたたかうために」を寄稿。いわゆる自衛隊活用論をめぐって、志位和夫委員長(役職は全て当時)から批判を受け、小池晃政策委員長らと1か月近く議論した意見の相違は埋まらなかったものの、同論文中に自衛隊違憲と明記されていない点では合意し、同誌翌月号に自己批判文を掲載した。
 2006年、日本共産党中央委員会勤務員を退職、かもがわ出版に入社した。

ということで松竹が「志位氏(2005年当時は委員長、現在は議長)、小池氏(2005年当時は政策委員長、現在は書記局長)」と「敵対的関係になる契機」は2005年の出来事とはいえ、除名理由は「2023年の行為(文春新書刊行や記者会見)」だし、「(2005年の主張がルーツとはいえ、その後の考えの変更等があり)2023年の主張は2005年の主張とは当然異なる」のにこんな話を持ち出すとは「どんだけ2005年の件で志位氏を恨んでるのか?(呆)」と言う話です。
 結局、松竹の行動原理は「党のためを思ってる(松竹の建前)」では全くなく「2005年に俺のプライドを破壊した志位が許せない」「志位のせいで党本部に居づらくなって本部職員を辞めることになった。これで俺も中央委員などになって出世する道がなくなった」「志位に報復してやる」という憎悪なのでしょう。呆れたバカです。
 なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹」には心底呆れます。

*1:現在は赤旗政治部長(党幹部会委員)