新刊紹介:「前衛」2022年5月号その2(副題:昭和天皇のクズさに改めて呆れる) - bogus-simotukareのブログで以前「あの男(昭和天皇裕仁)のクズさ」を批判しましたが、その際に見落とした部分を改めて今回触れておきます。
◆Attention_on_deck
いま観ていたNHK・BSスペシャル(Nスペのロング版)の下山事件、後半は松川事件の話に。
最後に田島*1宮内庁長官の昭和天皇拝謁記を引用。昭和天皇は当時の法相(ボーガス注:なお、澤藤統一郎の憲法日記 » 天皇(裕仁)が口にした松川事件の「真相」によれば造船疑獄の指揮権発動で知られる犬養健(犬養毅首相の息子))に『松川事件の下手人は米国らしい(ボーガス注:なお、松本清張「日本の黒い霧」は松川事件だけでなく、三鷹事件、下山事件*2についても米国謀略説)』と知らされたが「(反共の防波堤たるべき)我が国のためだからまあいいか(大意)」などとホザいていたと。酷ぇ。反共のためなら謀略も上等、ってか。いい気なものだ。
この裕仁の発言は1953年。かつての柳条湖事件の謀略から戦争に突き進んだ国家の元首だろうに、それに等しい謀略を平然と認めるとはね。それにしてもNHK、BSだけでこのネタを出すとはね。地上波のNスペでは反響が大きすぎると睨んで控えたのならほんとうに情けない。
「米国がやっちゃったけどまあしょうがない」的な裕仁に対し、田島は「柳条湖事件の如き心地し容易ならぬ事」と。あの酷い侵略戦争の経緯を知る人間なら、田島のように「これはまずい」と考えるのが当然ですよね
以上は偶然見つけたツイートですが「唖然」ですね。「予想の範囲内だけど、お前(昭和天皇)本当にクズだな。松川事件で人が死んでるんやで。反共のためなら何でも許されるのか?」と思いますね。
遺族(裕仁の息子である上皇など)には失礼ながら、あの男が晩年、下血しながら「がん死」したことは「仏罰」「自業自得」「ザマア(嘲笑)」と言いたいですね。
しかし彼が死んでから大分経ったこともあって、NHKでも「BS限定であるにせよ」こういう報道をするんですね(死亡直後なら残念ながらとても無理でしょう)。
なお、これは
1)松川事件について、日本政府も米国の謀略の疑いがあると認識していた
2)反共のためなら何でも許されると思うクズが昭和天皇
という証明にはなっても「松川事件は米国の謀略だった(あるいは下山事件や三鷹事件も米国の謀略だった)」と言う証明にはならないことはお断りしておきます(勿論法相発言は、「米国からそういう報告が日本政府相手にあり、実際、松川事件は米国の謀略だった」の可能性もありますが)。
参考
犬丸治*3
時の法務大臣が昭和天皇に「松川事件アメリカ犯行説」を内奏していた、ということですよね。
◆計都
初代宮内庁長官の田島道治が昭和天皇ヒロヒトとの対話を書き記した『拝謁記』には「法務大臣に聞いたが、松川事件はアメリカがやって共産党のせいにしたとかいう事だ」というヒロヒトの発言が記述されており、松川事件謀略説を裏付ける極めて重要な史料とされている。
澤藤統一郎の憲法日記 » 天皇(裕仁)が口にした松川事件の「真相」
興味深いのは、この「拝謁記」に「松川事件」に関する記述がみえること。天皇(裕仁)の方から、田島に「松川事件」の「真相」について語りかけているのだ。1953(昭和28)年11月11日の田島の記録の全文が以下のとおり。(カタカナ書きの部分はひらがなに直す)
(昭和天皇の発言)
「一寸(ちょっと)法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやつて共産党の所為(せい)にしたとかいふ事だが」
(田島のメモ)
「田島初耳にて(ボーガス注:関東軍がやって蒋介石のせいにした)柳条溝事件(原文ママ、柳条湖が正しい)の如き心地し容易ならぬ事と思ふ」
松川事件は、連合国軍総司令部の統治下だった1949年夏、下山事件、三鷹事件に続いて起こった。戦後最大の冤罪事件であり、権力によるデッチ上げ事件である。最終的に無罪を勝ち取った法廷闘争の金字塔たる事件。
福島市松川町の旧国鉄東北線で線路のレールが何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗務員3人が死亡した。国鉄と東芝の労働組合幹部など20人が逮捕・起訴された。ときの政権によって共産党の犯罪と喧伝され、多くの共産党員が被告人とされた。1950年12月6日一審福島地裁判決では20人の被告人全員が有罪判決を受けている。内5名が死刑であった。
1953年(昭和28年)12月22日の二審仙台高裁判決では、3人が無罪となっているものの17人が有罪(うち死刑4人)であった。天皇(裕仁)の松川事件への言及は、この二審判決直前の時期に当たる。
この17人の有罪は、国民的な裁判批判の大運動展開の後に、事件から14年後に全員の無罪が確定した。が、事件の真犯人は今に至るも未解明である。当時鉄道を管理統制していた占領軍ならこの事件を起こせる、占領軍以外には起こせない、と言われていた。天皇(裕仁)は、それ以上の具体的な情報を持っていたのだろうか。「法務大臣にきいたが松川事件はアメリカがやって共産党の所為にした」は、いま天皇(裕仁)が生きていれば、内容を問い質したいところである。
しかし、残念ながら、「拝謁記」のこの日の記述はノートの最後のページに書かれ、いつもの詳細さに欠けている。田島自身が、「此日の記事は紙面を考へ要約なり」として筆を置いている。NHKが解読を依頼した現代史専門家らは、次のようにコメントしている。
「法務大臣が天皇に報告するからには、根拠不明のうわさ話などではなく、アメリカから日本の捜査当局にもたらされた話だろう。これはこれまで根拠なく語られてきた謀略説を裏付ける初めての史料ではないか」
「衝撃的な話だが、この記述だけでは評価しようがない。真偽が定かでない記述は慎重に扱うべきだ」
きっといつか、解明される日が来るだろう。「松川事件の真犯人」と、「共産党のせいにした」権力の策動が。
「国鉄三大ミステリー」松川事件に関|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB
拝謁記には、GHQ・連合国軍総司令部の統治下だった昭和24年夏に「下山事件」や「三鷹事件」とともに相次いで発生し、いまだに真相が明らかになっていない、「国鉄三大ミステリー」の1つ「松川事件」に関する記述もありました。
この事件は福島市松川町の旧国鉄東北線で線路のレールが何者かによって外され、通過した列車が脱線・転覆し、乗務員3人が死亡したもので、労働組合の幹部など20人が逮捕・起訴され、一審では全員が死刑を含む有罪判決を受けたが、事件から14年後、全員の無罪が確定しました。
この戦後最大の冤罪事件について、昭和28年11月11日の拝謁記には、昭和天皇が「一寸(ちょっと)法務大臣ニきいたが松川事件ハアメリカがやつて共産党の所為(せい)ニしたとかいふ事だ」と明かしたと記されていました。
田島長官は「田島初耳ニて(ボーガス注:関東軍がやって蒋介石のせいにした)柳条溝事件(原文ママ、柳条湖が正しい)の如き心地し容易ならぬ事と思ふ」とその時の驚きを記しています。
しかし、この日の記述はノートの最後のページに書かれ、田島長官が「此日の記事ハ紙面を考へ要約なり」として手短に終えて筆を置いたこともあって、これ以上詳しいことは記されていません。
分析にあたった専門家*4からは「法務大臣が天皇に報告するからには、根拠不明のうわさ話などではなく、アメリカから日本の捜査当局にもたらされた話だろう。これはこれまで根拠なく語られてきた謀略説を裏付ける初めての史料ではないか」という意見が出る一方で、「衝撃的な話だが、この記述だけでは評価しようがない。真偽が定かでない記述は慎重に扱うべきだ」という指摘が相次ぎました。
田島も「あまりにもやばすぎる発言」なので詳しい記載は控えたのでしょう。
余録:「法務大臣にきいたが… | 毎日新聞
「法務大臣にきいたが、松川事件はアメリカがやつて共産党の所為(せい)にしたとかいふ事だが」。
田島道治初代宮内庁長官が拝謁記に残した昭和天皇の言葉だ。
「田島初耳にて柳条湖事件の如(ごと)き心地し、容易ならぬ事と思ふ」と心情を記している。