今日も「枝野信者」kojitakenに悪口する(2024年8/31日分)

2021年の立民代表選で藤原規眞氏に「代表選では泉健太を頼むよ」とスマホで依頼した3人の立民衆院議員は、今回の代表選で泉以外の候補者の応援に躍起になっているらしい(呆) - kojitakenの日記
 まともな理由があれば「別候補の支持」でもいいとは思います。多分「まともな理由はない」のでしょうが、とはいえ「kojitakenの引用する藤原ツイート」は具体性がなさ過ぎてその辺りは判断できません。
 まあ、具体的に書くと藤原氏的に「都合が悪い(電話をしてきた衆院議員を完全に敵に回しかねない)」のでしょうが。


秋篠宮家・悠仁(ひさひと)氏の「東大推薦入学」に1万人越えの反対署名が集まったらしい - kojitakenの日記

まことん@挑戦する氷河期
 秋篠宮家の子息、悠仁さんの「東大推薦」に1万人越えの反対署名との報道。従来型の左派的な反天皇イデオロギーとは異質の、皇室のあり方への民衆の地平からの異議申し立て*1の息吹を感じます。天皇制についての議論は、その是非も含め、タブーにすべきではありません。
悠仁さま“親がかり”の「東大推薦」に1万2500人超の反対署名…志望校変更に現実味も(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース

 秋篠宮家の長男・悠人(ひさひと)氏が東京大学に「推薦入学」しようとしている動き*2に批判があるのは当然のことだ。注目したのは、私の見るところ「反権威・反権力の皮をかぶった権威・権力ベッタリ」のメディアであるところの日刊ゲンダイがこんな記事を載せるほど、天皇タブーがその威力を薄れつつある*3ことだ。
 「皇室*4が将来の天皇候補を東大に入れたがる」とは論外としか言いようがない。超世俗的な権威としての天皇家の威光が目に見えて落ちてきたから、世俗的な権威の象徴ともいえる「東大」の権威にすがりつこう*5としているようにしか見えない。

 ということで署名運動とやらに好意的なkojitakenと類友「まことん」ですが俺的には「お前はアホか(横山ホットブラザーズ)」ですね。
 第一にそもそもこの「東大推薦入試」云々はまともな根拠があることなのか。
 まともな根拠がなければ「悠仁君と両親」に対するデマ中傷以外の何物でも無い。「天皇制に否定的な俺」ですが、むしろこの署名運動には「週刊誌の怪しい噂レベルで署名活動してんじゃねえよ、バカ」と心底呆れます。
 第二にこれはせいぜい「長女・眞子さんと小室君の結婚(どう見ても両親が反対してる)」「次女・佳子さんと両親の別居(親子が不仲のように見える)」とセットで「親も子もどうしようもないバカ」と秋篠宮家が「一部の人間」に見なされてるだけの話でしょう。天皇制批判とかご大層な話じゃない。むしろ署名運動の「かなりの部分」が「右派(天皇制支持者)」で「彼らにとってのあるべき理想の皇室」から「逸脱してる」と見なした秋篠宮家を批判してるだけではないか。
 小生も「小室と結婚する眞子みたいなろくでもない姉がいる人間(悠仁君)が将来の天皇なんて冗談じゃない。姉がアレじゃ弟も相当酷いんじゃないか」「女性天皇導入で愛子さんが天皇の方がいいんじゃないか」なんて話を「一部の天皇制支持者(勿論共産支持ではない、むしろ自民支持)」から聞くことはときたまあります。


星野智幸氏は2013年に「まず、自分の中にある依存症を各々が見つめればよいだけだから」と書いて、状況を甘く見てしまったところに問題があったのではないか - kojitakenの日記
 小生自身は、「星野氏に共感するというid:kojitaken(後述しますがむしろkojitakenの立場なら星野氏を批判すべきかと思いますが)」とは違い、後で紹介する「平野氏の星野批判ツイート」や「id:Gl17氏ほかの星野批判ブクマ」に全く同感します。リベラルに何の問題もないとはいいませんが(というか問題の無い個人、団体などありませんが)星野氏はあまりにもリベラル派を過小評価しすぎで、話も雑すぎではないか。「リベラルの端くれ」のつもりである小生も「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ(星野)」とまでは思い上がってませんし、そんなリベラル派が果たしているんですかね。勿論「間違ったことは言ってないつもり」ですが、それはリベラル派でなくても保守派でも誰でも、人間なら「誰でも持ってる気持ち(自分の主張が間違ってると思いたがる自虐的(?)な人間は普通いない)」でしょうし、それは「あまり褒められた感情ではない(もっと自分に謙虚であるべき?)」としても「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ(星野)」というほどご大層な話でもないでしょう。
 それにしても、星野氏が「リベラル」と書いてるのに勝手に「共産党支持者」に読み替えて共産に悪口する「反共分子」kojitakenには呆れます。星野氏や平野氏の政治傾向(彼らは「共産を含む野党共闘」支持者、つまり容共リベラルではあっても共産支持ではない)から考えて、ここで想定されてる「リベラル」のメイン(主役)はid:kojitakenや宮武嶺のような「立民党支持者のウチのリベラル派」、つまり「枝野前代表や西村代表代行等の支持者」でしょうよ。共産も仮に含んでるとしても共産はサブ(脇役)の扱いでしかない。

[B! 思想] 言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタル
id:nodemo
 星野氏曰く『立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている』。

だそうですし。
 「星野氏によるリベラル批判の是非」はともかく、「立民党リベラル派(枝野支持者)は自分の正しさを疑ってない」と星野氏に非難されてるのに勝手に「共産支持者は自分の(以下略)*6」と読み替えて共産非難を始めるkojitakenには「はあ?」ですね。一方で、平野氏や「平野氏に共感するという「捨てるクソ」ことid:suterakuso」やid:Gl17氏ブクマなどは「立民党リベラル派に対する不当な誹謗だ」と星野氏に反発し、批判してるわけですが。
 星野氏に対して「そうだ、立民党リベラル派(枝野や西村等の支持者)はそうした問題点があった」とも言わず、「そんなのは立民党リベラル派(枝野や西村等の支持者)に対する不当な評価だ。一部がそうだとしても全部がそうだとは言えない(星野氏、id:Gl17氏など)」とも言わずとんちんかんなことを言い出す「立民党リベラル派(枝野や西村等の支持者)」kojitakenには絶句です。星野氏の批判が「kojitakenを含む立民党リベラル派(枝野や西村等の支持者)」に向けられてると言うことを理解できないほどのバカがkojitakenなのか、それとも故意に話をすり替えてるのか。どちらにせよkojitakenはお粗末ですが。
 まあ世間的にはリベラル扱いされ、特に右翼からは「朝日は自分を無謬だと思ってる」とまで悪口される朝日がこうした文章を「無神経に掲載する」のにも絶句しますが。どこまで朝日には政治センスがないのか。それともこれは「リベラルから脱却して右傾化したい」という朝日主流派の意思表明なのか。

[B! 思想] 言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタルから星野批判のみ紹介
id:Gl17
 「極めて実践性の欠けた象牙の塔」はむしろ星野氏の意見では。世界では極右レイシストが露など権威主義国家の認知領域戦と連携して「右の正義」を盾に社会を乱し、それが宇やガザ等の実戦とも相互に補強し合う情勢にそれか。
id:vox_populi
 ブコメもコメントプラスも大賑わいのようだが、当方は記事未読。あまり読みたいとも思わない。リベラルが正義を標榜するのは当然で、そうであるがゆえに(ボーガス注:正義を必ずしも重視しない人間、むしろ自己利益を重視する人間が多い人間社会では)政治的多数派になりにくいのは古来不変。
id:akupiyo
 「リベラル」に限ったことじゃないし、「正義」の話ですらなく、原理主義は何も生まない*7よね、って話じゃないかと思うんですけど。日常用語の意味で「正義」という言葉を使わないほうがいいのでは?
id:ssig33
 作風からしてこの人が単にもともと右翼なのにに迎合して左翼のフリしてたのが辛くなっただけじゃないの
id:augsUK
  「味方」に配慮して美味しく消化してもらえる文章しか出せなくなったら、このレベルで明示的に書かないと方向転換は出来ないのだろうな。
→それが事実なら、星野氏に「自己(主体性)がなかった」だけの話でしょう。何というか「安保闘争時には安保反対運動に参加し左派的な振る舞いをしたのに、その後、右翼雑誌・諸君に日本核武装論を投稿するまでに右傾化した清水幾太郎」の同類が星野氏ではないかと疑いますね。その点、「自分の政治的発言が「消費」されていると感じるなら、「消費」されない言葉を工夫すればいいじゃないですか。」と批判してるのが平野氏です。
 勿論ここで想定されてる「味方」「客」のメインは「立民党リベラル」であるのに「確かに立民リベラルにはそうした問題があった」と反省もしなければ、「不当な評価だ」と反論もせず、共産非難を始めるkojitakenは全くトンチンカンです。
id:bt-shouichi
 (ボーガス注:枝野は出馬するな、野田佳彦が人気らしいなど)保守から朝日まで、みんな大好きリベラル*8叩きだが、ここまできたか。反論されても相手をカルトとか依存症扱いすればいいのだからそれこそ(ボーガス注:星野氏の方が)「無謬」だ
id:gaka48
 具体的に「それのどの辺がどう問題があるから、カルト化していて不適切なのか?」を(ボーガス注:星野氏が)述べないと、単に(ボーガス注:反リベラルや右翼の)「不正義」「冷笑」の加担者になるだけだよ。

id:yas-mal
 マジョリティ様*9は机上の空論だけで済ませれて、よろしおすなぁ
id:tGsQqV
 どっちもどっちみたいなこと言いたくはないけど、それってリベラルだからという理由で起こることなのかな。右派にだって自分達こそが正義だと思ってお互いにヨイショしあってる人いない?(全文は読んでない)
id:osugi3y
 カルトは旧統一教会だけで勘弁してくれ。リベラルにまでカルトのレッテルを貼るのはいかにいうても「カルトの大バーゲンセール」じゃないんですかね?
id:IkaMaru
 (ボーガス注:星野氏が正義依存症呼ばわりする)立憲民主党はむしろ、(ボーガス注:愛知での小山氏擁立など)「正義」にこだわるから負けるんだとばかりに「正義」を切り捨てる方向へとズレ込んでる真っ最中にしか見えない。
id:rna
 言ってることは正しいと思うんだけど「だからリベラルはダメなんだ」って同じくらい「ダメな仕草」でリベラル叩くアンチリベラルの励みになってるから自分ならこういう括り方では語らない
→まあ、id:rna氏の指摘は
id:gaka48
 具体的に「それのどの辺がどう問題があるから、カルト化していて不適切なのか?」を(ボーガス注:星野氏が)述べないと、単に(ボーガス注:反リベラルや右翼の)「不正義」「冷笑」の加担者になるだけだよ。

と概ね同じかと思います。
id:Kandata
 当事者置いてけぼりの話に聞こえる。困っている人からしたら、(ボーガス注:自分を支援してくれる人なら誰でも良くて)正義依存症の人の話なんて構ってる余裕がないだろう
id:Domino-R
 排外的・差別的な右派も正義を絶対化する左派も結局は同じと。本当にそう思うんなら「冷笑的な虚無主義」でしかない。(ボーガス注:侵攻したロシアに非があるのに)ウクライナもロシアも結局「やってることは同じ戦争(殺人)だ」と知ったような口ぶりで正義に背を向ける態度と同じ。
id:Gim
 何を言っているのか、頭に入ってこない。きっと自己承認欲求を満たす美麗字句が満載で、LGBTに入浴とトイレの自由は拒絶しているのであろう。
id:mikantabete
 具体的な話せず抽象的に何か言っても無駄では
→これはid:gaka48
 具体的に「それのどの辺がどう問題があるから、カルト化していて不適切なのか?」を(ボーガス注:星野氏が)述べないと、単に(ボーガス注:反リベラルや右翼の)「不正義」「冷笑」の加担者になるだけだよ。

と概ね同じかと思います。
id:good2nd
 党派性や無謬性から距離を置くのは必要なことだけど、ついでとばかりに正義を捨てるのはやめてほしいね。
id:sadamasato
 まさに(おそらく)健常者男性による「リベラルを批判できる自分格好いい!差別や抑圧に困ってないから、それらは気にしないで生きていくよ、笑」という、言論ゲーム。いかにも(ボーガス注:自分たちは高給をもらってるエリート記者なので差別や抑圧に困ってないし、読者層も恐らく同様である)朝日新聞の記事って感じですね、笑
id:taitoku
 これを「リベラル」だけの問題だと思っているとしたら相当見当外れな話なんだよな。暇アノンとかリベラルじゃないだろ?
id:hesopenn
 薄いリベラル批判の記事にアンチリベラルの人たちが飛びつく、という最近よく見る光景。もうちょっと具体的、説得的にリベラルが無謬性を信じて個人を捨てたケースを出さないと。
id:Arturo_Ui
 私は『「個」が頼りなく脆弱だからこそ「正義」が必要となる』と理解しているので、星野氏は論理が転倒しているように感じられます。遅れてきた中二病というか、典型的な「どっちもどっち」論に堕しているのでは?
id:syusuimaru
 (ボーガス注:変なすがり方をするのは当然駄目だが)すがることなく生きられる人などほとんどいないと思うけどね。でなければ仏教はじめとする宗教は成立しない。個人で自立せよとは、仏陀のようなひとでしかあり得ず、凡俗には無理だよ。
id:Ereni
 言わんとしてる事は判るが、前提の解像度が低い*10のであまりピンと来ない。
id:nodemo
 星野氏曰く『立憲民主党も左派の「正義」依存のコミュニティー化しかけている』。
(ボーガス注:選挙の票目当てで維新、国民民主など右派にも、共産、市民連合など左派にも色目を使おうとする立民の)どこが?(正義依存?)。(ボーガス注:社民連出身の菅最高顧問、社民連出身の辻元代表代行などもいるとはいえ、右派(泉代表、岡田幹事長ら)が執行部の立民が)左派?
→星野氏によってここまで立民党が悪口されてるのに、彼の立民非難に「それは違う、立民への不当な誹謗だ」とも「その通りだ、反省する」とも言えず共産への悪口が始まる「枝野支持者」kojitakenには心底呆れます。
id:gonai
 ただの「どっちもどっち論」としか思えなかった
id:gomames9
 いわゆるリベラルな人との関わりにおいて、ここに書いてないことで、何か非常に不快なことが色々あったのではないかと推察する。
→但し、その種の個人的な感情で「リベラル」という「大きな話」を展開しないで欲しいですね。その御仁が「日本リベラルの代表選手」でもないでしょうし。

平野啓一郎
 僕は星野さんは友人だと思っていますが、敢えて書きます。星野さん自身の言動はその通りだったとして、だからと言って、「リベラルな思想は疑う余地のない正しさを備えていて、そのような考え方をする自分には否定されない尊厳がある、とリベラル層は思いたいのだ」云々の雑な話をどうして出来るんですか?
 それがリベラルの大多数ですか?
 自分だけは、例外的で思慮深い真のリベラルであるかのように話されていますが、内容は、昨今の(ボーガス注:右派の)リベラル批判の大波にスッポリ呑み込まれて、その尻馬に乗っているだけじゃないですか。リベラルの弱体化が歴史的にも危機的なこの時に。自分の政治的発言が「消費」されていると感じるなら、「消費」されない言葉を工夫すればいいじゃないですか。瀬戸内(ボーガス注:寂聴)さんだって林京子さんだって大江(ボーガス注:健三郎)さんだって、みんなやってきたことでしょう。「自分は、小説があるから、もう政治的発言は止めた」でいいでしょうけど、他の人たちはどうなるんですか? しっかりしてください。

*1:こういう物言いをする「まことん」とそれを好意的に紹介するkojitakenはどう見ても「反共右派」ですね。共産党を敵視するのも「当然」ではあるでしょう。

*2:後述しますがそうした噂を「一部メディアが報じてるだけ」で確実な根拠があるわけでは全くない。

*3:kojitakenの言う「「反権威・反権力の皮をかぶった権威・権力ベッタリ」のメディアであるところの日刊ゲンダイ」の意味(ゲンダイの「反権威・反権力の皮」って何?、ゲンダイが「べったりの権威、権力」って何?)は不明ですが、いずれにせよこのゲンダイ報道は「秋篠宮一家はろくでもない」と言う報道であっても「天皇制はくだらない」「天皇制は廃止しよう」等と言う報道ではなく「秋篠宮家はろくでもないが他の皇族(例:徳仁天皇一家)は立派(秋篠宮家は皇族の汚点、面汚し)」と理解可能な報道であり、全然「反権力」ではない。kojitaken風に言えば「反権威・反権力の皮(アンチ秋篠宮家)をかぶった権威・権力ベッタリ(徳仁天皇一家など、他の皇族美化)」と理解可能な報道でしかない。

*4:そもそも「東大に入れたがる」云々自体まともな根拠があるとは思えない悠仁さまの進学先、大本命は紀子さま悲願の「東大農学部」か 「大学側に不合格にする選択肢はない」(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース等「一部メディア(週刊誌や日刊ゲンダイ)の噂報道」の上に、悠仁さま“親がかり”の「東大推薦」に1万2500人超の反対署名…志望校変更に現実味も(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュースですら「入れたがってるのは両親」としており「皇室」とはしていません。

*5:そもそも「東大に入れたがる」云々自体まともな根拠があるとは思えない「一部メディア(週刊誌や日刊ゲンダイ)の噂報道」の上に、悠仁さま“親がかり”の「東大推薦」に1万2500人超の反対署名…志望校変更に現実味も(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュースですら「入れたがってるのは両親」としており、また「単なる親馬鹿」と評価しています。

*6:勿論そうしたkojitakenの共産非難は「松竹、紙屋除名」をどう評価するにせよ不当です(紹介は省略しますが、[B! 思想] 言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸:朝日新聞デジタルにも松竹、紙屋除名をネタに共産に悪口するブクマがあってげんなりしますが)。「そうした判断の是非」はともかく共産支持者は「党執行部の言いなりで除名支持」してるわけではないでしょう(特に党規約などの縛りがない党外の支持者(例えば俺)は)。

*7:とはいえ「原理主義が過剰な日本リベラル」なんて何処にあるの?(むしろ逆に「原理原則軽視」の方が多くねえか?)、って話ですし、そんなことは間違いではないものの、当たり前すぎてほとんど無意味な主張です。

*8:勿論ここで想定されてるリベラルのメインは「立民党リベラル」でしょう。

*9:勿論星野氏のこと

*10:「抽象的すぎて具体性に欠ける」の意味