田﨑史郎氏の政局時評 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
あるSNS*1である人*2が田﨑史郎氏*3の講演を聞いてまとめていた。それなりにポイントを突いている*4と思うので、ご本人の論評部分を除いて、そのまま紹介しておく。
衛藤征士郎*5議員の早朝朝食会で、田﨑史郎氏の講演会。
高市氏は極右だが、安倍氏は実は高市氏を評価していなかった。総裁の器ではないと言っていたとのこと。その理由は、難しい局面で自分で抱え込んで他人の意見も(安部氏や櫻井よしこ氏の電話も)聞こうとしない*6(田崎氏は「またあの人のビョーキが出た」と両本人から聞いたと)。
松竹の紹介する田崎発言を見て呆れると共に吹き出しました。
安倍政権時代には「安倍にすり寄っていた田崎」ですが、石破首相就任後は「安倍派や高市」を負け犬と見なし、「石破や石破政権の幹部」にすり寄ることにしたのでしょう。全く「仁義なき戦い」ならぬ「仁義なき田崎」です。
しかしそうなると「安倍に近いのは高市なのに何で石破にすり寄るのか、あなたは生前、安倍と親しかったではないか?」「石破が勝ち馬とみて変節したのか?」と田崎が批判される。
そこで「勝ち馬に乗って何が悪い」「俺の安倍支持だって当時は安倍が勝ち馬だったから。総裁選で石破が安倍に勝ってれば、当時から石破を支持してた」等とは居直れず、必死にひねり出した田崎の言い訳が「実は昔はともかく、晩年の安倍氏は高市氏に批判的だった。安倍氏と親しい桜井氏(国家基本問題研究所理事長)も高市氏に批判的だった」と言う話ですが、どう見ても嘘でしょう。
高市を「自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)や第三次安倍内閣総務相」として重用し、また「岸田が当選した総裁選」で当初、安倍が支持したのが高市です。また高市が岸田政権で「自民党政調会長」の役職に就いたのも安倍の支援による物です*7。
また桜井も
「 総裁選出馬演説、抜群の高市早苗氏 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
会見の内容は文句なしだ。経済安全保障担当大臣として所管してきた事案に加え、年来のキャリアの実績を十分に示して、すでに出馬を表明している候補者の中で群を抜いて充実した演説だった。
高市氏の1時間にわたった出馬演説は経済、安全保障、対中外交などおしなべて納得のいくものだった。
として総裁選において高市支持を表明し、
「 部下の信頼も決断力も欠く石破氏 」 | 櫻井よしこ オフィシャルサイト
私の知る範囲で、防衛大臣*8としての石破氏を高く評価する自衛官はほぼゼロだ。自分の部下から尊敬も評価もされない人物に、国を任せるわけにはいかない
として石破に悪口しています。
一方で「安倍が総裁に三選された総裁選」に出馬した石破は安倍の反感を買い、「それ以前(小泉内閣防衛庁長官、福田内閣防衛相、麻生内閣農水相、自民党政調会長(谷垣総裁時代)、幹事長(第二次安倍総裁時代)、第三次安倍内閣地方創生担当相等)」とは違い、それ以降は安倍が亡くなるまで「第四次安倍、菅、岸田内閣」でずっと無役だったわけです。今も安倍が存命なら、石破首相の目などなかったでしょうし、高市が「安倍の応援」で首相になり、田崎が「高市首相」を褒め称えていたかもしれない。
まあ、百歩譲って、安倍や桜井がそうした発言をしていたとしても「具体的な事情」が分からなければなんとも言えません。
安倍や桜井が「無茶苦茶な助言」をしていたのなら無視する高市の方が正しい。
高市氏が総裁になれば、靖国参拝で中国、韓国と対立し、米国との関係も悪くなる。中国との経済関係も悪化する。高市氏がもし勝てば、日本でも極右政権が成立*9する。総選挙は、過激保守では自民党は大負け*10。石破氏が決戦で勝ったのは自民党内の穏健保守の勝利。
高市に比べればマシとはいえ、石破も「改憲右翼」で穏健保守と言えるような人間ではない。
また石破政権幹部も「第二~第四次安倍内閣官房長官だった菅副総裁」「第二次、第四次安倍内閣防衛相だった小野寺政調会長」「第四次安倍内閣厚労相、自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)だった加藤財務相」「第二次、第三次安倍内閣農水相、第四次安倍内閣文科相だった林官房長官」と「安倍政権で重用された人間」も複数いる。
それにしても「安倍の靖国参拝」を容認していた田崎が良くも言ったもんです。
自公政権は続く。なぜなら、共産党が多くの小選挙区で立候補するから、テレビではいえない*11が、あの政党はバカだ。自民党を利するだけ。
こうした「共産への悪口」が「反党分子」松竹が今回、田崎発言を紹介した理由でしょう。但し、これは「田崎の本心」というより衛藤征士郎議員の早朝朝食会という場所(自民党支持者が多い)にあわせた「聴衆への迎合」かと思います。恐らく共産が今回「野党共闘で候補擁立を自粛」しても田崎は「枝野*12代表時代に立民と共産が野党共闘しても敗戦(立民が議席減)して、枝野代表は引責辞任している。今回も自民が勝つだろう」と(自民党支持者が多い)聴衆に迎合発言したでしょう。
もし自公で過半数割れすれば石破退陣。(ボーガス注:公明のように入閣するか、閣外協力に留まるかはともかく、自民に近い)維新や国民民主党が自公政権を支える。
以前「共産は維新や国民民主と共闘すべきだ」と言っていた松竹がこんな田崎発言を躊躇なく紹介するのには呆れます。松竹がこの田崎発言を評価するなら「維新や国民民主は自民の同類だから共闘できない」と言っていた共産党執行部が正しく、松竹が間違っていたことになるのですが、その点、どう釈明する気なのか?。「松竹ってバカだから、田崎の共産への悪口に大喜びして、過去の自分の主張との論理整合性とか何も考えてないんじゃないか?」と呆れます。松竹みたいな「共産党を裏切った反党分子(バカでくず)」「態度やプライド、自己評価が無駄にでかいだけで、人望も人脈もない無能(その結果、マスコミも今ではまるで報じず完全に『過去の人間』『あの人は今』となっている)」を支持できる人間の気が知れません。
石破退陣の次は、林官房長官が首相になるだろう。
というのは、客観的事実と言うよりも「石破退陣の場合」の「田崎の願望」でしょう(これが「石破退陣で林首相になって欲しい(できれば総裁選勝利で林首相になって欲しかった)」と言う意味か「石破退陣という最悪の事態でも林首相でリカバリーして欲しい」と言う意味かはともかく)。「田崎にとってどんな利益がある」のか知りませんが、田崎には
【いずれも今回の総裁選に出馬】
◆加藤首相
自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)、第四次安倍内閣厚労相、菅内閣官房長官、岸田内閣厚労相等を経て現在、石破内閣財務相
◆小泉首相
第四次安倍、菅内閣環境相等を経て、現在、自民党選対委員長
◆河野首相
第三次安倍内閣国家公安委員長、第四次安倍内閣外相、防衛相、菅内閣行革相、岸田内閣デジタル相を歴任。石破政権では特に役職に就かず反主流派になったとみられる。
◆高市首相
第一次安倍内閣沖縄・北方等担当相、第三次安倍内閣総務相、自民党政調会長(第二次安倍、岸田総裁時代)、岸田内閣経済安保相を歴任。石破政権では特に役職に就かず反主流派になったとみられる。
◆茂木首相
自民党茂木派領袖。小泉内閣沖縄・北方等担当相、福田内閣行革相、第二次安倍内閣経産相、第四次安倍内閣経済財政担当相、第四次安倍、菅、岸田内閣外相、自民党政調会長(谷垣、第二次安倍総裁時代)、選対委員長(第二次安倍総裁時代)、幹事長(岸田総裁時代)を歴任。石破政権では特に役職に就かず反主流派になったとみられる。
等ではなく
◆林首相
福田内閣防衛相、麻生内閣経済財政担当相、第二次、第三次安倍総裁時代農水相、第四次安倍内閣文科相、岸田内閣外相、官房長官を経て現在、石破内閣官房長官
が都合がいいわけです。あるいは、田崎としては「誰が首相でもいい」が、衛藤征士郎議員の早朝朝食会ということで衛藤氏に媚びたのか(衛藤氏が林と親しい?)。別の場所なら「別の人間」を「次期首相候補」として名前を出したのか?
もはや田崎は「ジャーナリスト」「政治評論家」というより「政治ゴロ」でしょう。
石井光次郎 - Wikipedia参照
岸*13首相の退陣後に、笠信太郎*14(当時、朝日新聞論説主幹)が、「朝日新聞元専務」で「自民党石井派領袖」の石井光次郎*15をその後継首相に据えようと政治工作している。
渡邉恒雄 - Wikipedia参照
読売新聞ワシントン支局長、解説部長、政治部長、論説委員長、副社長、社長等を歴任。
読売新聞では自民党幹部・大野伴睦*16の番記者になった。渡辺に対する大野の信頼は篤く、渡辺は大野のゴーストライターとして、週刊誌の論説の執筆まで引き受ける。
大野と親しい関係にあった「右翼・児玉誉士夫」と懇意になり、児玉の指令のもとに九頭竜ダム建設補償問題や日韓国交正常化交渉の場で暗躍したとされている。
渡辺は、岸内閣入閣を望む中曽根*17と自民党副総裁だった大野との仲を取り持った。大野は造船疑獄の際に、自らを追及した中曽根を快く思っていなかったが、渡辺の執り成しによって態度を変え、岸内閣への入閣を確約した(中曽根は岸内閣に科技庁長官で入閣)。1982年(昭和57年)の自民党総裁選の時には、渡辺は「自民党・田中派領袖」田中角栄*18元首相の中曽根支持を得るため、田中の秘書・早坂茂三*19に働きかけた(その結果、中曽根が総裁に当選)。なお、中曽根は首相就任後、渡辺と共に料亭で早坂と面会し、中曽根が土下座し早坂へ賛辞を述べたという。
三浦甲子二 - Wikipedia
1979年6月、三浦はテレビ朝日を実質的に切り盛りする専務となった。
1982年の自民党総裁選では、読売新聞の渡邉恒雄とともに、最大派閥「田中派」の領袖・田中角栄に中曽根への支持を頼みこむ地ならしを行い、中曽根の総裁当選に寄与した。
と言った「フィクサー的、政治ゴロ的な動きをした朝日の笠や読売の渡辺、テレビ朝日の三浦」と「時事通信・田崎」の「林首相」云々は「全く違いは無い」でしょう。
日本の政治が酷い理由の一つは「ジャーナリストであるべき人間(笠、渡辺、三浦、田崎)がその地位を悪用し、自民党政治家(笠の場合は石井、三浦、渡辺の場合は中曽根、田崎の場合は安倍)の応援団として動いてきたこと」にもあると俺は思っています。
なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない」松竹のクズさには心底呆れます。
*1:X(旧ツイッター)などと書かずに「あるSNS」とまでぼかす理由は何なのか?
*2:「ある人」と松竹がぼかすのが怪しいですね。
*3:時事通信政治部次長、編集局次長、解説委員長を歴任。首相時代の安倍と親しく、寿司屋での会食をよくしているためか、安倍や自民党を擁護する発言が多く、安倍や自民党に批判的な人間からは「田崎スシロー」と呼ばれている。著書『竹下派死闘の七十日』(2000年、文春文庫)、『安倍官邸の正体』(2014年、講談社現代新書)、『小泉進次郎と福田達夫』(2017年、文春新書)等
*4:「ポイントを突いている」という曖昧な表現で逃げてる辺りが松竹らしい姑息さです。
*5:村山内閣防衛庁長官、森内閣外務副大臣、衆院副議長等を歴任
*6:松竹の引用を見る限りでは、田崎の言う「難しい局面」「自分で抱え込む」「人の意見を聞かない」の具体性がなさ過ぎて「はあ?」ですね。
*7:なお、高市は岸田内閣経済安保相にもなってますが、この時期は既に安倍が死去しており、安倍の「直接的な力」による就任ではない(とはいえ、安倍が生前、高市を応援し続けたことが「経済安保相就任」に勿論つながっていますが)。
*9:そもそも安倍政権自体が極右政権で、その安倍政権を賛美していたのが田崎のくせに良くも言ったもんです。「今は高市は負け犬」と見てこんなことを言ってるのでしょうが。
*10:極右政権の安倍政権(第二次安倍政権以降)が長期政権だったことを考えれば「高市政権なら大負け」といえるかは残念ながら何とも言えないと思います。
*11:こんなことを言えば『「テレビでは言えないが」という弁解付きで、少人数の限られた場所では、共産以外の個人や団体に対しても、その場の受け狙いでどんな暴言や悪口雑言を吐いてるか分からない』と良識ある人間は、田崎を冷たい目で見たでしょう。恐らく「その場の受け」しか田崎は気にしないのでしょうし、そういう「田崎への批判的な認識」は「反党分子」松竹にはなさそうですが
*12:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官、野田内閣経産相、民主党幹事長(海江田、岡田代表時代)、民進党代表代行(前原代表時代)、立民党代表等を経て、現在、立民党最高顧問
*13:1896~1987年。戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相。自民党岸派領袖
*14:1900~1967年。著書『ものの見方について』(角川ソフィア文庫)等
*15:1889~1981年。吉田内閣商工相、運輸相、岸内閣副総理、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、佐藤内閣法相、衆院議長等を歴任
*16:1890~1964年。日本自由党幹事長(鳩山、吉田総裁時代)、衆院議長、吉田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(岸、池田総裁時代)等を歴任。自民党大野派領袖
*17:1918~2019年。岸内閣科技庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行管庁長官等を経て首相。自民党中曽根派領袖
*18:1918~1993年。岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)等を経て首相
*19:1930~2004年。東京タイムズ(1992年に廃刊)の政治部記者として自民党佐藤派を担当。佐藤派幹部だった田中角栄と知り合う。1962年12月、池田内閣蔵相の田中に誘われ、蔵相秘書官事務取扱に就任。以来、田中が1985年に脳梗塞で倒れるまでの23年間にわたり政務秘書を務めた。その後は政治評論家に転身。著書『田中角栄回想録』(集英社文庫)等