(大激論)松竹伸幸さんの安保問題での綱領理解をただす - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政をでの紙屋コメント
この動画、かなり伸びてますね。好評です。ぜひ多くの皆さん、この建設的な議論にご注目ください。
「建設的な議論」というのには大笑いしました。紙屋がそう評価するのは勝手ですが「建設的かどうか」は他人が評価することで自分(紙屋)が言うべきことではないと思いますけどね。これがまだ「この熱のこもった議論」等ならまだ理解できますが。
紙屋は「謙虚さがない」「自己顕示欲、自画自賛が酷い」と言うべきではないか。結局、紙屋も松竹も何だかんだ言って「俺は正しいことを言ってるのに何で党が採用しないんだ。何で俺たちは辰巳(衆院議員、党中央委員)や山添(参院議員、党政策委員長、党常任幹部会委員)のように国会議員、党幹部役員などに出世できないんだ。俺たち(松竹が1955年生まれ、紙屋は1970年生まれ)の方が辰巳(1976年生まれ)や山添(1984年生まれ)より年上なのに」等と不満を募らせてる「不良党員(除籍されたので元党員ですが)」「不満分子」にすぎないでしょう。除籍(実際はこうなった)にせよ、離党にせよ、いずれは「党への反目」は避けられなかったでしょう。
ちなみに紙屋の場合、松竹と違い「俺のコメントを掲載」はしますが「俺に対して、応答はしないで無視する」のが「いつもの話」です。結局、紙屋も松竹も偉そうなことを抜かしても「その程度の輩」の訳です。
この裁判の意義:私が記者会見・報告集会で述べたこと - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
と偉そうなことを抜かすのなら、「ご友人の松竹氏」が兵庫県知事選──「自力」ではなく「共感」の時代か | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Amebaという駄文によって「パワハラ知事・斎藤によって仕事の誇りを奪われてる県職員」を事実上侮辱してることをどう思うのか聞きたいもんです。どうせ「自分のことしか考えてない」「他人のことなどどうでもいい」のでしょうから「松竹記事を何とも思わない」のでしょう。
そして、そうした「紙屋の自己中心主義」「紙屋の冷たい人間性」が透けて見えるからこそ、「世間の紙屋に対する扱い」も冷たいのだと思います。
「俺(紙屋)は職場(福岡県の共産)でパワハラを受けた」と言いながら「世間で話題になってるパワハラ問題(例えば兵庫の斎藤問題)」について何一つ触れないような輩(紙屋)に誰が共感できるというのか。少なくとも俺は共感しません。
(大激論)松竹伸幸さんの安保問題での綱領理解をただす - かみや貴行のブログ 1%でなく99%のための福岡市政を
〈動画〉神谷貴行が松竹伸幸の安保問題での綱領理解を糺す | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba*2
「大激論」「ただす」と言ったところで「松竹と神谷はお仲間なんだから、どうせプロレスだろ」「自民、公明議員の首相質問みたいなもんだろ」というのは分かりきった話です。大体「ほぼ同時期に同じ動画が公開」なんて「お仲間」の何よりの証明でしょう。偶然そうなったなんて事があるわけがない。
「糺す」どころか「ご意見拝聴」でしょう。何せ出てくる人間が「紙屋と松竹」しかいませんし。「糺す」などというならそれこそ「日曜討論(NHK)」「朝まで生テレビ(BS朝日)」のように「司会者」でも設定して「バトル形式」でやれば説得力も出たでしょうにね。また、何も「けんか腰」でやれとは言いませんが和気藹々としており、「糺す」という緊張感などかけらもない。
本当に「糺す」のならば「三矢研究問題の追及」「ロッキード疑惑やリクルート疑惑の追及」等のような「緊張感」が動画にあったでしょう。
そもそも、俺ごとき「無名のチンピラブロガー」の松竹記事への投稿コメント(勿論松竹批判)を「毎回、掲載拒否」し「掲載権限はアメブロ公式にあるから、掲載不許可は俺のせいじゃない。文句があるならアメブロ公式に言え」と「明らかな嘘」までついて言い訳する松竹が「ガチの論戦」などしたがるわけもない。
神谷もよくもまあ松竹のような「レベルの低い嘘つき」と交遊できるもんです。要するに神谷も「嘘つきと交遊して恥じないほど、レベルが低い」と言う話ですが。
多分「最初から両者話し合いの上で台本を書いた上で、論戦してるように演技してるだけだろうな」とは思います。
私はこの激論対談を除籍(2024年8月6日)前に行いました
「で、対談直後ではなく、3ヶ月も経った今頃になって何で公開するの?」と言えば、「俺の邪推」ですが、それだけ神谷と松竹が精神的に追い詰められてるのでしょう。
当初は「除名は不当だ」で充分マスコミの話題になると思っていた。正直「党綱領のややこしい話」なんかしたところで、「党員か政治学者」以外はまず興味なんか持つわけがない。だからそんな話を党外にやっても意味がないと思っていた。
ところが全然話題にならない(マスコミが報じない)ので色々仕掛けようと言うことでしょう。まあ、そんなことしても「党外」は勿論「党内限定」ですらどれほど話題になることやら。
というか、「俺の邪推」ですが「8月6日*3」という日時も果たして本当かどうか。実際は「最近慌てて対談した」のかもしれない。
党大会決定で松竹さんを批判していますが、実際に松竹さんに直接会って勝負(論戦)を挑みに行った共産党員の方、います?
やれやれですね。
批判とは『対面で討論すること』では勿論ない。
その神谷の屁理屈なら「映画評論家」は毎度毎度映画監督と討論しないといけないのか。
「書評家」は毎度毎度「本の著者」と討論しないといけないのか。
新聞や雑誌の記事を批判する場合は毎度毎度「記事の筆者」と討論しないといけないのか。
中央省庁等の政策(例:経産省の原発推進、財務省の消費税増税、法務省の入管法改定)を批判する場合は、毎度毎度、その省庁の「政務三役(大臣、副大臣、政務官)」「事務次官」等と討論しないといけないのか。
「作品(例えば、松竹の場合は著書、映画監督の場合は映画、省庁の場合は発表した政策)を元にした批判」をすれば「それで充分」であり、『対面で討論』したければ「してもいい」ですが、討論する必要はどこにもない。
「党員による松竹批判」ならいくらでもあるのではないか。
まあ、松竹のような小心者は仮に討論を申し込まれたとして「論戦で絶対に勝てるチョロい相手」など「安全パイ」と見なした場合以外は「屁理屈つけて逃げるであろう事」はわかりきっていますが。何せ上に書きましたが「俺の投稿コメントを毎回掲載拒否」が松竹です。
神谷の場合も「松竹に対して壊滅的批判はせず、手心加えてくれる」と安全パイ扱いしたから「討論してるだけ」でしょう。そんな代物が討論と呼べるか疑問ですが。というか繰り返しますが、多分「最初から両者話し合いの上で台本を書いた上で、論戦してるように演技してるだけだろうな」とは思います。
つまりは
赤旗「やらせ」 8回中5回/教育タウンミーティング 政府が調査報告2006.11.10
政府の依頼にもとづいて、松山市の会場では「新しい時代にふさわしい教育基本法となるよう、改正することが必要ではないか」という参加者からの「やらせ質問」がありました。
等と似たような話です。何せ、こうした明らかなやらせ質問ですら「後に内部告発で台本が出てくるまでばれなかった」わけですからね。
というか、神谷や松竹だと「実際の論戦でなくて何が悪い。松竹氏の主張をわかりやすく伝えるために演技して何が悪い」とか言い出すかもしれない(但し、そう言い出すと党大会決定で松竹さんを批判していますが、実際に松竹さんに直接会って勝負(論戦)を挑みに行った共産党員の方、います?という「偉そうな物言い」と「明らかに矛盾します」が)。
なお、「安保施策について、松竹と志位の主張は同じだ」と強弁する神谷(この点は松竹も同じ)ですが、「志位氏の主張」「松竹の主張」をどう評価するにせよ、普通に考えて「そんなわけねえだろ」で終わる話です。
「同じ」なら何のために著書を出したのか。同じなら、松竹が志位氏に意見具申すればそれで終わる話です。著書を出す必要などどこにもない。
そもそも
松竹伸幸氏の除名処分について/2月6日 日本共産党京都南地区委員会常任委員会 京都府委員会常任委員会
松竹伸幸氏は、1月に出版した本のなかなどで、「核抑止抜きの専守防衛」なるものを唱え、「安保条約堅持」と自衛隊合憲を党の「基本政策」にせよと迫るとともに、日米安保条約の廃棄、自衛隊の段階的解消の方針など、党綱領と、綱領にもとづく党の安保・自衛隊政策に対して「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」などと攻撃をおこなっています。
志位委員長の記者会見/松竹氏をめぐる問題についての一問一答から一部引用
日本共産党の志位和夫委員長の9日の記者会見での松竹伸幸氏の除名処分をめぐる一問一答は次の通りです。
◆記者
松竹さんは最も重い除名となりました。もう少し話し合いや妥協点を探ることはできなかったのでしょうか。
◆志位
私は、妥当な対応だと考えております。
日米安保条約廃棄、自衛隊の段階的解消の方針という、わが党綱領とそれに基づく党の政策的立場に対して、「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」と言って攻撃したわけです。
このような事実を私たちは、たいへんに重く見ております。
のどこが「同じ意見」なのか。
同じなのに「野党共闘の障害になっている」「あまりにご都合主義」呼ばわりするのか?。「神谷や松竹の詭弁」の方が「あまりにご都合主義」でしょう。
斎藤元彦などと一緒で「嘘ついてもばれなきゃいい」と神谷や松竹は勘違いしてるのかと聞きたくなります。
兵庫県知事選──「自力」ではなく「共感」の時代か | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba
不愉快なので引用はしませんが、兵庫県知事選で勝利した「パワハラ政治家」斎藤を「選挙民の共感を得た」と美化する駄文です。
「松竹はクズ」「だから県知事選の敗戦で党に悪口するかもな」とは思っていましたが、まさか松竹が党に悪口するために「パワハラ」斎藤を美化するほどのクズだとは思ってもみませんでした。この駄文には斎藤批判も、「斎藤のパワハラ被害者に対する同情の念」も何一つ出てこないことには心底呆れます。
俺の松竹認識も「まだ甘かった」「松竹に好意的すぎた」と深く反省しています。とはいえ、「神谷を含め」こうした酷い駄文を何とも思わない「ゲス」が今の「松竹の周辺連中」なのでしょうが。人間としてここまで劣化したくないもんです。正直、松竹に対して「怒り」「軽蔑」「憎悪」等といった「負の感情」を改めて感じざるを得ません。
もはや「除名が正しかろうと間違っていようと(俺は正しいと思いますが)」、松竹には「政治活動家を名乗る資格は何も無い」と言っていいでしょう。政治活動家として持つべき「倫理観」、「人の情」とかがあまりになさすぎる。
この文章を読んだ「斎藤批判派」がどう思うかという常識すら松竹にはないのか。
「元尼崎市長」稲村(自民主流、立民、国民民主が支持)や維新候補でわかるように共産以外も「斎藤への対立候補」を立ててるのでこんな文章を書けば松竹を敵視するのは共産だけではないでしょうに、非常識な男です。「奴を除籍した、憎い共産」に悪口するためなら「稲村支持者」等も敵に回していいと言うのが今の松竹なのか。はたまた「斎藤支持者」に支持されたいのか。とはいえ斎藤支持者など「どう見ても反共右派」であり「共産に復党したい」と言う松竹を支持するとは思えませんが。まあ、斎藤支持者に支持されたら支持されたで「松竹が名実ともにウヨの仲間入りをすること」になり「党に対する裏切り分子であることが明白」なのでそれでも俺的には構いませんが。
そして、松竹が党を「パワハラ云々」で非難してることとの整合性はどうなってるのか。何故斎藤のパワハラを批判しないのか。
「共産のパワハラは汚いパワハラ、斎藤のパワハラはきれいなパワハラ」とでもいうのか。
「選挙で勝てばオールOK」とでもいうのか。「パワハラ告発当初、斎藤批判に及び腰だった自民、維新が今後、腰砕けになる可能性がある」とはいえ、百条委員会は一応まだ続いてるのですが(というか、自称パワハラ批判派「松竹」の立場なら選挙期間中に「パワハラ斎藤の落選希望」を主張してもおかしくないのですが、何故かそうはしなかった松竹です)。
「斎藤のパワハラ」によって「自殺にまで追い込まれた人間」やその遺族への同情の念は松竹にはないのか?
松竹にとって「パワハラ」とは「党に悪口するための政治的道具」でしかないのか?
こんな駄文を書くことが「松竹に対する反感をかき立て、支持者を今以上に少なくする」と言う常識もないのか(どう見ても今ですら支持者など全くいませんが)。
それにしても予想の範囲内ですがコメント欄に「斎藤を美化するなど非常識だ」等の松竹批判がまるでないことにはいつもながら呆れます。
1)そうした批判があっても松竹が掲載拒否
2)「毎度コメント掲載される松竹シンパ」は「松竹に迎合する奴ら」ばかり
と言う話でしょうが。
なお、松竹記事でも唯一正しいところはあって、それは「たとえ主張が正しくても世間に支持されるとは残念ながら限らない(残念ながらパワハラ斎藤の再選、あるいはトランプの再選)」という指摘です。
勿論松竹的には「斎藤批判派への嫌み(何でそんな嫌みを言って斎藤批判派を敵に回したがるのか意味不明です、斎藤批判派は共産支持者以外にも勿論いるし、こんなことを言ったところで斎藤支持者が松竹支持するとも思えません)」でしょうが、「たとえ主張が正しくても世間に支持されるとは残念ながら限らないこと」こそ「松竹や紙屋が支持されないこと」の「理由の一つ」でしょう(俺個人は勿論、松竹や紙屋が正しいとは全く思っていませんが)。
1)「見てくれはいい斎藤」と違い松竹や神谷が「見てくれが悪いこと(平たく言えばさえない中年男)」
→松竹はともかく「あえて言えば」「言葉を選ばず言えば」神谷なんか見た目がまるで「水木しげるマンガに出てくるモブキャラそっくり*4(平たく言えば眼鏡かけた、さえない中年男)」ですからねえ。興味のある方は「水木しげるマンガに出てくるモブキャラ」と「神谷」を是非見比べて下さい。俺に同意頂けるのではないか。
2)「元霞が関官僚」として立派な肩書きがあり、また過去に築いた政財官界の人脈がある斎藤などと違い、松竹や神谷にはそうしたものがないこと(残念ながら共産でのキャリアは共産を除籍されたらあまり意味がなかったのでしょう)
3)広告代理店の指示でもあるのか、パフォーマンスはそれなりに上手いらしい斉藤と違い、どう見ても松竹や神谷にはそうしたパフォーマンス能力がないこと
→ご本人達はあると勘違いしてるのか、そんなパフォーマンス能力がなくても問題ないいと思ってるのか知りませんが
等が「松竹や神谷」を世間から遠ざけてるわけです。
それにしても「松竹や紙屋を、党支持者が支持しないこと」は「党に盲従してる(俺たちの方が正しいのに)」と悪口する松竹が斎藤の一件では「たとえ正しい斎藤批判(パワハラ批判)でも支持されないのには訴え方に問題があった」「人は理屈だけでは動かない感情の生き物だ、感情に訴える部分が足りなかったのではないか」(俺の要約)と言い出すのには「お前、どんだけデタラメなんだよ」と呆れます。
「そのお前(松竹)の斎藤美化の理屈ならお前ら(松竹や神谷)が党支持者に支持されないのも、お前らの訴え方に問題があるからで、党支持者を党盲従分子扱いして済む話じゃない。お前らが党支持者の感情に訴える能力がない無能だからだろ」
「そのお前(松竹)の党支持者非難『党盲従分子』を斎藤支持者にスライドさせるなら、『斎藤盲従分子』と非難しても問題ないことになるけどな。何でそういう批判を斎藤支持者にしないの?」
「まあ、お前らの態度は共産罵倒(パワハラ斎藤の再選)&自画自賛(自分たちの除名問題)という限りでは一貫してるけどな(呆)」と言う話です。
なお、上記は松竹記事に投稿しますが掲載拒否でしょう。「賛同コメントしか掲載しない松竹のクズさ」には心底呆れます。
【追記】
赤旗斎藤知事 公選法違反か/兵庫知事選 宣伝会社が選挙運動
ということでその後、斎藤には公選法違反疑惑が浮上しましたが、そうしたことに触れない松竹には心底呆れます。
*1:というのは勿論、現時点では「裁判で客観的に認定された」わけではなく紙屋の主観にすぎませんが
*2:「ただす(紙屋)」「糺す(松竹)」など、微妙にタイトルを変えてるのは「掲載時期が同時期でもただの偶然」アピールするためでしょうか?。1時間もある動画を全部見る気にならなかったので、最初だけ見ましたが動画では紙屋は「紙屋高雪(かみやこうせつ)」というペンネームを名乗っています。なお、よほど「党綱領に俺は反してない」という「松竹の言い訳」に興味のある人間でもない限り1時間の動画を全部見たりはしないでしょう。そういう辺り「宣伝下手だ」とは思います。いや別に「宣伝下手でいい」んですけどね。
*3:本当であれ嘘であれ「8月6日」と言う日時設定(本当なら実際にこの日にやった、嘘ならこの日にそんなことはやってない)をしたのは何故かとか気にはなります。まあ深い意味はないかもしれませんが。
*4:あえて言えば共産党内において「水木マンガのモブキャラ」程度にすぎない男(神谷)が「水木マンガの主役(鬼太郎など)」と勘違いしたことが神谷の除籍につながったと言っていいのではないか。