中国の「チベット解放」のすばらしさを人民日報で学ぼう

 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」を笑おう・パート13(追記・訂正あり)
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20081217/1307052595
でも少しだけ紹介したが。なお、これは「日本の朝鮮植民地支配を経済発展を理由に正当化」しながら「中国のチベット支配」については「中国のおかげでチベットは豊かになった」(このこと自体は否定できない事実の筈だが)とは言わない三浦小太郎のようなウヨへの皮肉のつもりである。念のため断っておく。
 やってることが「悪趣味」「幼稚」「大人げない」と思いますか?。まあ、そうですね(棒読み)

http://j.people.com.cn/94474/7439240.html
チベット活仏の目に映る新旧チベット
「比較して初めて判断ができる」。このほどラサで開かれた「西蔵チベット)平和解放60周年慶祝座談会」で、西蔵北部ナクチュ地区にあるシャプテン寺の第7世活仏、ギュガン・トブデンクギュ氏は5つの「最低限の」を用いて新旧西蔵を比較してみせた。
 同氏は、(中略)現在は西蔵自治区政協(政治協商会議)副主席、中国仏教協会副会長、全国政協常務委員などのポストを兼任している。
 旧西蔵では無数の人民大衆には「最低限の」*1人権すらなかった。民主や法制など言うまでもない。60年前の西蔵社会は人口の5%足らずの役人、貴族、高僧の「三大領主」にとって天国で、百万の農奴にとってはこの世の地獄だった。
 肥沃な土地や群れなす牛と羊はみな「三大領主」が所有し、農奴は自分の影のほかに何も持っていなかった。しかも様々な租税を納め、重い賦役に服さねばならず、少し不注意があれば目をくり抜かれ、筋を切られ、虫やサソリのいる深い穴に投げ入れられるなどの残酷な刑罰を受けなければならなかった。60年前、西蔵の上流階級は農奴を売買することもできた。西蔵の無数の農奴には人身の自由さえなかったのだ。
 旧西蔵には「最低限の」*2教育システムすらなかった。発展など言うまでもない。旧西蔵には貴族の子女が通うポタラ学校以外に学校はなく、貧しい家庭の子女は教育を受けるすべがなかった。平和解放前、西蔵の適齢児童の入学率は2%以下で、非識字率は95%に達していた。現在では小学校入学率は99.2%、中学入学率は98.2%に上り、自治区全体で累計170万人の非識字者が新たに読み書きを覚え、青壮年の非識字率は1.2%にまで下がり、平均教育年数は7.3年に達している。
 60年後の今日では、西蔵全体をカバーする大学、高校、中学、小学教育ネットワークがすでに形成されている。現在は「三包」政策(食費・寮費・学費援助)や内地での西蔵中学創設により、適齢児童の入学率は上がり続けている。
 旧西蔵には「最低限の」*3病院すらなかった。健康や長寿など言うまでもない。昔の西蔵にはチャクポ・リのチベット医学院以外に病院はなかった。60年後、西蔵にはチベット医学、中国医学、西洋医学を結合した医療衛生ネットワークや「農村合作医療制度」があり、農牧民は良好な医療を保障されている。
 60年来、西蔵人の寿命は伸び続けた。現在、西蔵の各郷・鎮に衛生所が設置され、平均寿命は平和解放前の35歳から67歳へと伸びた。
 旧西蔵には「最低限の」*4道路すらなかった。建設など言うまでもない。
 「最低限の」*5エネルギー(電気)すらなかった。科学技術など言うまでもない。生産力の解放はなおさら言うまでもない。60年前の西蔵では輸送は家畜や人力頼みだった。照明もバターや松の油を使用するしかなく、電気は全くなかった。
 (今日の幸福な生活を深く心に感じ)現在、西蔵には道路、橋、鉄道、航空輸送を柱とする交通ネットワークが形成され、各県、郷、村に道路が通じている。大部分の地区に電気が通じ、各村にラジオやテレビの電波が通じている。農牧区の大衆はラジオやテレビを楽しむことができ、電話や携帯電話といった現代的な通信手段が普及し、大衆の物質・精神文化生活はどんどん豊かになっている。
 今では箱(テレビやラジオ)の中に世界を見ることができる。手の中(携帯電話や固定電話)で言葉を交わせる。本当なんだ!私の生まれ育ったナクチュの放牧地では昔はテントに住み、遊牧生活を送っていたが、今では定住生活を送っている。農牧区の立ち後れた社会状況から現在の社会主義新農村へと、大衆の生活は大きく様変わりした。

http://j.people.com.cn/94474/6599566.html
チベットの民主改革、50年で大きな成果
 チベットで民主改革政策が実施されて50年が経ちましたが、これまでに経済の発展、各民族の団結と住民の生活レベルの向上で大きな成果を上げ、チベットはいま新しい発展ぶりを見せています。
 民主改革前のチベット農奴人口は90%以上で、農奴たちは自由を奪われ、常に売買されて、苦しみのどん底にありました。しかし民主改革の実施後、農奴チベットの主人公となったのです。
 この50年来、チベットの経済は急速に発展し、社会は絶えず進歩を遂げ、人々の生活レベルも大きく向上しました。
 一昨年2007年のチベットGDP国内総生産)は340億元に達し、これは1959年の60倍になります。また青海−チベット鉄道の開通により、観光業はチベットの支柱産業になっています。
 また、チベットの農牧民は改革実施前はほとんど収入がなかったのが、2007年の一人当たりの平均収入は2788元に達し、年平均増加率は10%に上っています。このほか、医療衛生条件も大きく改善されました。
 これまでの50年の改革の成果から、民主改革は、チベットの発展の基盤を固めていることが実証されています。

*1:5つのうちの最初の「最低限」

*2:5つのうちの2つ目の「最低限」

*3:5つのうちの3つ目の「最低限」

*4:5つのうちの4つ目の「最低限」

*5:5つのうちの最後の「最低限」