今日のMSN産経ニュース(5/4分)(追記・訂正あり)

【 土・日曜日に書く】編集委員・安本寿久 国民医療費から考える尊厳死
http://sankei.jp.msn.com/life/news/120520/bdy12052003110000-n1.htm
これに俺は次のようなブクマをつけました。

タイトルから「医療費抑制のためにも尊厳死推進でどんどん死んでもらおうぜ」という鬼畜な主張をするのか、いくら産経でも署名コラムで?と思ったら予想通りで震撼した。産経には常識がないらしい

これにいろいろと付け加え。
まず第一に尊厳死というのは尊厳死したい人の「いわゆる植物人間になってまで生きたくない」などといった意思によるものであって「国家財政のために死んでくれ」って話じゃありません。当たり前ですが(安楽死ももちろん同じ話です)。
第二にですが日本では尊厳死安楽死)合法化論に批判もあってその批判の最大のものは「尊厳死安楽死)自体に反対と言うより、今の日本で尊厳死安楽死)を認めることに反対」「日本のような同調圧力の強い国、福祉予算の少ない国では『尊厳死安楽死)の自由』は『尊厳死安楽死)の義務』になりかねない」「生きてる価値のない人間は死ねと言うことになりかねない」というものです。
産経のこの記事はそうした批判派の危惧が間違いでないことを証明していると言っていいでしょう。「後ろ弾」撃ってどうするんですかね、産経は。まあ、産経がアホな記事書いて「後ろ弾」になるのはいつものことですが。
 そして「まともな尊厳死安楽死)賛成派」はこういうのは反対派以上に批判しないといけません。反対派の危惧に対して「それは誤解だ、誤解をなんとかして解きたい」といってきたんですから。たとえば産経が紹介する「尊厳死法制化を考える議員連盟」とか日本尊厳死協会(http://www.songenshi-kyokai.com/)とかですが。

参考
【ググって見つけた尊厳死法制化批判派の意見】
安楽死尊厳死法制化を阻止する会」サイト
http://soshisuru.fc2web.com/

http://www.sakura-kai.net/wp/20120420/
 私たちALS等神経筋疾患患者は病いの進行に伴い、いずれは常時人工呼吸器を装着し、経管等で水分や栄養の補給をすることになりますが、これらの治療法の確立のおかげで長期生存が実現しています。
 しかしながら、現在の日本において1日24時間、1年365日をカバーする公的介護保障が確立されていないために、長期生存につながる経管栄養や人工呼吸器の治療の開始と継続は、実質的には世話をする家族の犠牲的覚悟に委ねられています。
 それゆえALS等の難病患者が家族に遠慮することなく、治療を受けたい、生きていきたいという気持ちを自由に表明できる環境はないに等しく、家族の同意なしには呼吸器の装着が叶えられず、医師にも社会にも見捨てられ、無念のうちに亡くなる患者は後を絶ちません。
 難病患者とて命に係わる治療に関して自分の意思で決定したいと思っていますが、ALS等の進行性疾患の場合、早期の事前指示書の作成により治療を断念する方向に指導されてしまいます。重度の身体障害を併せ持つ難病患者が、家族に頼らず、個人で生き延びるための生活保障や介護保障は、いまだ皆無に近い状況にあるため、事前に治療を断って死ぬ覚悟を患者自らが表明してしまうと家族も医師も安心し、呼吸器の長期装着を勧めてくれなくなります。もし、治療を断るための事前指示書やリビングウィルの作成が法的に効力を持つようなことになれば、ますますこれらの患者たちは、事前指示書の作成を強いられ、のちに治療を望む気持ちになっても書き換えはことごとく阻止され、生存を断念する方向に向けた無言の指導(圧力)を受け続けることが予想できます。
 このたび「尊厳死法制化を考える議員連盟」で検討されているという「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」は、その内容から難治性疾患患者や重度障害児者、遷延性意識障害者、頸椎脊椎損傷者、精神疾患患者、また貧困のために医療費や介護費用の自己負担に耐えられない社会的弱者に対しても、冷たく自己決定による治療の断念を迫るものであります。
 この法案は患者の権利を謳いながら、実はこれらの難治性疾患・重度障害の予備軍であるすべての国民から生存のために必要不可欠な治療や、救急医療を受ける権利をはく奪するものであります。私たちは法案提出に反対する意見をここに表明いたします。
「誰の尊厳のための死なのか。優先されるべきは当事者の尊厳であることはいつの世も変わってはならない」と人工呼吸器療法も20年目のALS患者は考えています。

http://www.sakura-kai.net/wp/20120325-1/
 もっとも親しい友人が怒りにまかせてこう言っている。
 彼女はALS療養者。経管栄養と人工呼吸器のベテランユーザー。2007年秋に逝った実の母も同じALS患者であった。二人はご対面したことはないが、「逝かない身体」を持つ者同士(同志)。管だらけの特殊な身体と生きてきた。人はそうして栄養と呼吸のための管を身体に上手に繋げば長く生きられる。死ぬ時が来るまでは生きばいい。
 人は病いの進行に伴い、いずれは常時人工呼吸器を装着し、経管等で水分や栄養の補給をすることになる。日本では海外から驚異的と絶賛されるほどの長期生存が実現している。ざらに20年以上も生きる病気なのだから延命どころではないのだが、患者も呼吸器という人工物に慣れてしまえば戸惑うこともなく、平凡な毎日を送ってきた。
 このたび超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」で検討されているという「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」は、治療を拒否する事前指示書やリビングウィルが法的に効力を持つことを目指している。患者の意思決定を書いたカードが、脳死臓器移植カードのように治療の不開始を宣言するだろう。この法案により生を断念する方向に向けた無言の圧力が増大する。法案は「患者の権利」を謳いながらも、医師の免責が目的だという。そんなに訴追される医師が多いのか。だとしたら免責では到底解決できない医療や介護の質に問題があるということなのだろう。
 また、現在の日本において、高齢者の1日24時間×1年365日をカバーする介護保障は確立されていない。そのため長期生存に繋がる経管栄養等は実質的には世話をする家族の犠牲的覚悟に委ねられてしまう。心ある患者なら家族に遠慮することなく、あらゆる治療を試したいとはなかなか言えない。ALSでは早期の事前指示書の作成も推奨されてきたが、一筆書いて治療を断念する方向に向かわせて、同居家族を安心させようとした者もいた。
 それにいったん治療拒否を表明してしまうと、誰も呼吸器の装着を勧めなくなるかもしれない。延命治療をわざとしないことは今でも行われているが、要は患者が強く希望しなければ治療してもらえない点である。患者ではなく、他者が治療停止できる法律が欲しいのである。人が人を死ぬままにしてもいいという近未来がそこまで来ている。
 法案は病院から地域医療への受け皿であった家族の消滅に伴って、すべての国民から生存に必要不可欠な治療や医療を受ける権利をはく奪するものになるだろう。


【追記】

http://d.hatena.ne.jp/pr3/20120520/1337525047
見出しを読んだとき、最初はあまりにも想像の範疇を超えていたので意味がわからず、二度目に読んだときその意味に気づき、言葉を失いました。

 id:pr3さんは純真なんだなあと(もちろん皮肉ってるわけではないです)。すぐに意味がわかった俺は薄汚れてるんだなと。
 ただ産経も酷いですが記事中で紹介されてる方も地元の名士のはずなのに言うことが酷いなと。言ってることは産経の記者とほとんど同じですから(産経の捏造や誤解なら話は別ですが)。