■【産経抄】3月15日
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140315/plc14031503250003-n1.htm
証拠があやふやなら、STAP細胞論文の例をひくまでもなく、再検証し、撤回するのが当たり前。
ばかばかしいですね。河野談話が、あるいは「慰安婦性奴隷説」が「小保方氏のSTAP細胞並みに怪しかった」ら、「STAP細胞の小保方氏の学者生命が危機に瀕しているように」とっくの昔に河野洋平氏*1は政治生命が、吉見義明氏は学者生命が終わっていたことでしょう。
そんな怪しい代物を元に「マクドガル報告」「クマラスワミ報告」「米国下院決議」「グレンデール市の慰安婦銅像」なんてものも生まれない。
一方「談話を見直したい」と放言した安倍ですが「米国、韓国の批判(特に米国の批判)」で政治生命が終わる危険性に今頃気づき平身低頭、米国にわびを入れているわけです。
■【松本浩史の政界走り書き】「河野談話」見直しをめぐる政府の珍説にはあきれる
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140314/plc14031416540014-n1.htm
「検証するけど踏襲するというのは珍論、珍説だ」というのはその限りにおいて正論です。吉見義明氏*2 、林博史氏*3ら河野談話支持派も同じ事を言うでしょう。ただし産経は「検証するなら撤回しろ」と言い、吉見氏らが「踏襲するなら検証する必要がない」と言う点で違いますが。でどちらが正論かといえばもちろん吉見氏らです。
もちろん安倍がそういう珍論になるのは「海外の批判、特に米国の批判が怖いから」です。はっきりと「撤回したらこっちにも考えがある」と米国や韓国に警告されない限り「米国や韓国の意思に気付かず」撤回したいと言う考えを平然と表明できる(ただし警告されると即座にしどろもどろになる)と言うのも無茶苦茶なら、こうした安倍の無茶苦茶ぶりについて「歴史学者以外は」国内の批判が弱い(特に自公に至っては弱いどころか批判すらない)というのも情けない話です。
それにしてもこの期に及んで
と安倍をかばう産経には絶句です。どれほど安倍に甘いのか。もはや安倍に河野談話撤回なんかできるわけがないでしょう。