今日のMSN産経ニュース(4/13分)(追記・訂正あり)

ダライ・ラマ法話「宗教トラブル、心痛む」 和歌山・高野山
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140413/chn14041322380002-n1.htm
 今、ダライは日本にいるんですが全然騒がれてないですね。
 以前島田洋一は「安倍首相はダライにあってくれ」と叫びましたが今回はそういうのはなし。
 ダライファン・石濱先生も「仕事がお忙しい」のか、はたまた「今回のダライイベントは一般参加がほとんどない*1」からなのか、ツイッターやブログでもほとんどダライ訪日への言及なし(2014年4/15追記:あとでちょっとだけ触れたツィートがありましたが「ダライ先生のイベントに参加できて良かった」とか普通の内容でした)。
 まあ、石濱先生はともかく、島田らウヨがダライ訪日に触れないのは
1)過去「安倍さんは訪日したダライに会いなさい」と言った手前、ダライ訪日に触れると「今度こそダライに会って下さい」といわざるをえない
2)でも安倍が会わないことはほぼ100パー確実(たぶんダライも内心ではそういうことはあきらめてるでしょう)
3)だからといってウヨに「何で手前ダライに会わないんだ!」と安倍非難する選択肢はない
4)なら「ダライ訪日については触れないでとぼけちまおう」という暗黙の了解が出来ている
ということでしょう。くだらない話ではあります。


■【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(53)米国を読み違え三国同盟

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140413/art14041313550004-n1.htm
 昭和16(1941)年12月8日朝、米、英との戦争突入の発表を聞いた元外務官僚の斎藤良衛は、外相を辞めて5カ月ほどの松岡洋右を東京・千駄ケ谷の自宅に訪ねた。
(中略)
 病気で伏せっていた松岡は、斎藤を見るなり、涙を浮かべながらこんな趣旨のことを語った。
 「三国同盟の締結は僕一生の不覚だった。アメリカの参戦防止によって世界戦争の再起を予防し、国家を泰山の安きにおくことを目的としたのだが、ことごとく志と違い、死んでも死にきれない」
 斎藤が戦後、著書『欺かれた歴史−松岡洋右三国同盟の裏面』*2で明らかにしている。
(中略)
 第2次近衛内閣はそれまでと一転して「南進」政策を打ち出す。
 南進すれば多分米国が黙ってはいまい。だが日本がドイツ、イタリアと強固な同盟を結べば、(注:アメリカの領土であるフィリピンを攻撃しない限り)口を出せないだろう。そう考えた松岡は海軍などを説き伏せ、就任後わずか2カ月余りで、調印にこぎつけたのだ。松岡らの「自信」の背景には、大戦でのドイツの「快進撃」があった。

本当に松岡が「日独伊ソ四国同盟で抑えつければ対米戦争なんて起きない」と考えていたのか、はたまた「戦争になっても日独伊ソ四国同盟があれば勝てる」*3と考えていたのかはさておき。
何で南進するのかと言えば

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140406/art14040608070001-n1.htm
【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(52)にわかに決めた南進政策
 (注:南進には)いくつかの理由があった。
 まず日中戦争の膠着化だ。日本に南京を攻略された蒋介石の国民党政府は内陸部の重慶に移転、日本への反攻姿勢を強めていた。その蒋介石政府を、反日を強める米国などが支援、仏印を通るルートで物資を送り込んでいた。いわゆる「援蒋ルート」だ。これを断ち日中戦争にケリをつけたいというのが、一つの理由だった。
 さらに時局処理要綱にもある通り「必要な資源」、とりわけ満州では期待できない石油開発を南方に求めたのである。

という話です。要するに「大東亜戦争=アジア民族の解放」なんて麗しい話じゃない。
蒋介石支援ルートの破壊」と「天然資源(特に石油)の確保」が南進目的で、これが太平洋戦争を引き起こすことになります。最初に南進が開始されたのは「ドイツが支配下においたフランス」の植民地「フランス領インドシナ」でした。「ドイツは日本の同盟国なんだから米国の反発も少ないだろう」と言う読みがあったわけです。大外れしますけど。
 なお、「米国の反発」は恐れる日本ですが、ドイツの快進撃で「英国もいずれフランスみたいに降伏するだろ」という甘い読みで英国の反発は大して恐れていません。
 でこういうことを歴史学者や左派が指摘すると「自虐だ」という産経がまるきり同じ事(アジア解放の戦争とは建前に過ぎない)を紙面に書くのには苦笑せざるを得ません。
では、■『【子供たちに伝えたい日本人の近現代史】(53)米国を読み違え三国同盟』の続きを読んでみましょう。

ヒトラー率いるドイツは前年の9月、ポーランドに侵攻、これに対し英国、フランスが宣戦布告し第二次大戦が始まった。はじめの半年ほどは膠着状態だったが、15(1940)年4月から、ドイツはノルウェー、オランダ、ベルギーなどを次々と落とし、6月にはフランスのパリが陥落した。
 ドイツの世界大戦での勝利は間違いなく、米国も手が出せないと思ったのだ。
 だが米国は全く逆に日本の南進に対しはじめは屑鉄など、16年には石油の禁輸という強硬な姿勢に出た。さらに追い詰められた日本が真珠湾などを攻撃したのを機に欧州戦線にも参戦、日独伊三国を打ち破ることになる。
 ナチスドイツのような独裁国家は決して許さず、そうした国と同盟する国も認めない。米国がそんな自らの「正義」で動くことを理解していなかったのである*4
 もうひとつ、松岡の誤算はドイツが16年6月、ソ連に攻め入ったことである。ドイツとソ連との良好な関係からソ連を含めた四国同盟を夢想していたが、これでもう一度ソ連の脅威にも備えなければならなくなった。

まあ、そういうことです。
「フランス領インドシナ進駐なら米国も大目に見てくれる→見てくれない」
「日本の同盟国ドイツが独ソ不可侵条約を結んだことでソ連の脅威はなくなった、それどころかソ連は『日本の同盟国(ドイツ)の同盟国は日本の同盟国も同じ』ということで米国への対抗手段として使える→ドイツの対ソ連戦争開始」
「ドイツは英国も降伏させるはず→降伏させられない」
という「数々の読み違い」で日本は「太平洋戦争」に突入したのであって「アジア民族解放の戦争・大東亜戦争」なんて麗しい話じゃない。
「フランス領インドシナ進駐でもアメリカは許さないだろう」「ドイツは英国を打倒できない」「独ソ戦はいずれ起こる」と実際の政治判断と逆の政治判断をしていたら戦争は起こらなかったかも知れない。

*1:産経紹介のイベントは場所が仏教系大学高野山大学和歌山県)」で参加者が僧侶限定のようです

*2:1955年、読売新聞社刊行。後に2012年、中公文庫

*3:まあ、こう考えていたとしても敗戦後「勝てると思っていた」とは言えないでしょう

*4:まあ、「ナチドイツとの同盟」への反発も大きかったでしょうが日本の南進は「フィリピンを植民地とする米国」にとって「経済制裁」を発動するほど、充分脅威だったと思いますよ