中国ネタを中心にいろいろ書いていくことにします。
■産経『中国、台湾統一へ威嚇と懐柔 汪洋*1政協主席「市場開放で同胞は利益」』
https://www.sankei.com/world/news/180606/wor1806060030-n1.html
台湾側から出席した中国国民党の●(=赤におおざと)龍斌(かく・りゅうひん)*2副主席は汪氏と会談し、民主進歩党の蔡政権が認めていない「一つの中国」原則に基づく「1992年コンセンサス」に触れ、国民党は「確固不動」で堅持すると強調した。また中国が2月末に公表した台湾企業を優遇する31項目の措置が「双方の利益になると信じている」と評価した。
蒋介石の国民党がここまで親中国化するとはねえ。
その結果、過去、蒋介石を持ち上げ、民進党を無視していた産経は、逆に、今は民進党を「敵(中国)の敵は味方」とばかり持ち上げ、挙げ句の果てには、蒋介石を「228事件の責任者」として非難するまでになっています。
■ニューズウィーク日本版『北極海支配まで狙う中国に、日本とロシアは雪解けで対抗せよ』楊海英
https://www.newsweekjapan.jp/youkaiei/2018/06/post-18.php
中国は既に日本海で軍事演習を繰り返しているだけでなく、北上して北海道近海から北太平洋、そして北極海への進出を果たしている。中国の進出は日ロ両国にとって脅威であり、両首脳もその危機意識を共有しているはずだ。
(中略)
日ロ両国は(ボーガス注:北方領土問題やシベリア抑留など)過去の因縁を清算して、ユーラシア外交を立て直す時が来たようだ。そうしないと早晩、北極海航路が中国の「シルクロード」となり一帯一路にのみ込まれかねない。
まあロシアは楊の言う「中国封じ込め」なんかやる気はないでしょうし、楊もそんなことはわかってるでしょう。
■プレジデント『中国人の大後悔「日本移住は失敗だった」』
http://president.jp/articles/-/25286
まあ半分は冗談でしょうが
1)今や日本より中国の方が景気はいい→中国にいた方が経済的には良かったのでは?
2)「日本人の人権」はともかく(中国人に限らず)「外国人の人権」の扱いって日本酷くねえ?、後進国じゃね?。こんなんだったら「人権的な意味でも」中国にいた方がましだったかもしれんわあ。外国移住する場合も「外国人に対して日本よりは好意的らしい」欧米でも目指せば良かったわ
つう話のようです。
■国基研『独自の国際標準を創造する中国』太田文雄
https://jinf.jp/weekly/archives/22874
中国の人権活動家、劉暁波氏がノーベル平和賞を受賞するや、これに対抗して「孔子平和賞」をつくり、アジア開発銀行(ADB)の向こうを張ってアジアインフラ投資銀行(AIIB)を創設し、さらには人民元を国際通貨にしようとする動きと軌を一にしている。
孔子平和賞をつくったのは中国政府ではありませんし、その社会的影響力もほとんどなく、「EU諸国が参加してる」AIIBや一帯一路と比較できるようなもんではありません。
■国基研『逆回転を始めた「一帯一路」』湯浅博
https://jinf.jp/weekly/archives/22878
まあ、「一帯一路は全て大成功」でもないでしょうが産経が言う程失敗でもないでしょう。
安倍が李首相を歓迎し北海道にまで同行したことはやはり産経にとって不快なことだったわけです。
そしてこんなことを書く産経は「安倍の北海道行き」以来、安倍を「反中国の同志」などとは見なしてないのでしょう。
■福島香織のツイート
福島香織がリツイート
■林原チャンネル
プレゼント企画実施中!林原チャンネルの討論番組「いわんかな」を観てどしどしご応募ください!林原健「日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか」(ベスト新書)を5名様へ!
乱脈経営で会社を潰した人間がよくもまあ「日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか」なんて本が出せるもんです。鼻で笑います。なお、林原チャンネルとは、DHCのウヨ番組みたいなもんのようです。だから福島も付き合いがあるわけです。
■林原LSIサプリ
林原健出版記念会開催されました!生演奏もあり豪華ゲストのご挨拶もあり盛況な会でした!そして林原健オリジナルレシピのサプリメントもいよいよ販売開始です〜(^。^)。壇上には浜田卓二郎*5社長と林原健氏。
浜田卓二郎が社長って(苦笑)。なんかすごく経営がやばい会社のように思えますが。何せこの林原健氏、乱脈経営で林原を潰した過去がありますしねえ(ウィキペディア「林原」によれば、林原は2011年に会社更生法を申請し、化学専門商社長瀬産業の完全子会社になっている)。
■産経『「不幸な事件、民主主義への礎に」台湾・蔡総統、天安門29年で呼びかけ』
https://www.sankei.com/world/news/180604/wor1806040028-n1.html
なんだかなあ、ですね。「中国にこびへつらえ」とまでは言いませんが、ぎくしゃくした関係をさらにギクシャクさせるようなことばかりやっていていいんでしょうか?。馬・前政権時代の中台友好をぶち壊すことしかしない蔡英文のバカさには心底呆れます。
一方で「マスコミ報道によれば」中国への対抗措置のつもりか、「蔡英文の馬鹿」はやたらトランプや安倍にこびてやがるし。まあ、ラビア・カーディルとかダライラマとかも、愚かにも、やたら日米のウヨ政治活動家にこびてるようですけど。
■I濱Y子ブログ『「独立」と植民地の間』
チベットの歴史、文化、言語、政治体制、法律はすべて中国の王朝とは別個のものとして生成・発展しており、直近の中国の王朝である清朝からも布施はうけても税金はとられていなかったことを考えると、チベットは普通に独立しており、現在近代的な意味で「独立」していないことは非常に不条理であることは言を俟たない。
不条理ねえ。「政治・文化的に違いがあるから独立してたも同然。今独立できないのは不条理」つうたら、島津藩に征服されていたとはいえ「琉球処分までは琉球王国だった」沖縄なんかも「今独立できないのは不条理」なんでしょうか?。
それはともかく「ダライ猊下の自治権拡充要求(いわゆる中道政策)を支持する」といいながらも「できればチベットには独立してほしい」つう気持ちがどうしてもモロバレになってしまう女史です。
・猊下はそしてアメリカがチベットの抵抗ゲリラに対する支援をうちきった時、我々が武器や支援をどこからえるのか話合ったことを思い出した。彼は笑いながら、私が「アフガニスタンから武器を買おう」という向こう見ずな提案をしたことを指摘した
・私は猊下に、当時、ガリ・リンポチェと私がいかにフランスの情報機関に我々のネットワークに資金を提供させようとしていたか、わたしがいかに法王事務所によってパリにおくられたかを思い出させた。
・彼は思い出した。彼は私を指さして側近にこういった。
「でもこれらの計画は結局みな意味がなかった」
「猊下、たしかに結果がでませんでした」と私は認めた。
つうことで「チベット仏教は平和的だ」つうのはまるきり嘘の訳です。何せCIAの支援でゲリラ行為をやってるわけですから。
■産経【田村秀男のお金は知っている】中国の『一帯一路』問題は台湾に聞け 「平和攻勢どころか人を殺す。相手にしなくていい」
https://www.sankei.com/premium/news/180602/prm1806020008-n1.html
「台湾に聞け」といっても出てくる人間は単なるアンチ中国ですからね。台湾の政財官界の主流は少なくとも「一帯一路」を全否定する立場ではないでしょう。そして自民党・安倍政権も日本財界も官僚も主要野党もそんな立場ではないわけです。日本政治において産経のような一帯一路否定論が政策化することはまずないでしょう。
■日経新聞『印首相「中国との協力、アジアの利益」 アジア安保会議で講演』
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO31294540R00C18A6FF8000/
最後に
インド太平洋地域の安定には法の支配が重要と繰り返し指摘。名指しはしなかったが、南シナ海などで軍事的な影響力を強める中国をけん制した。
と書いていますが記事の大半は
インドのモディ*6首相は1日夜、「インドと中国が協力することがアジアや世界のより良い将来につながる」と強調した。インドなど16カ国が交渉に参加する東アジア地域包括的経済連携(RCEP*7)については「インドは妥結に向け積極的に関与している」と述べた。シンガポールで1日開幕したアジア安全保障会議の基調講演で述べた。
モディ氏は「4月に中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席と強固で安定した関係を確認し合った」と説明し、アジアの平和と安定には2つの人口大国の協力が欠かせないとの認識を示した。
です。結局産経の言う「インドで中国封じ込め」なんてありえないわけです。
日経新聞
■遠鉄百貨店*8、中国スマホ決済導入
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30546850V10C18A5L61000/
■遠州信金、スマホ決済導入支援 店舗の中国人誘客で
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3128050001062018L61000/
■中国人観光客向けスマホ決済 天満屋、1日から岡山本店などで
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3121581031052018LC0000/
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30546850V10C18A5L61000/
遠鉄百貨店(浜松市)は、中国のスマートフォン(スマホ)決済サービス「支付宝(アリペイ)」と「微信支付(ウィーチャットペイ)」を導入した。中国人旅行者の買い物の利便性を高め、販売増につなげる考えだ。
(中略)
遠鉄百貨店の2018年2月期の免税売上高は前の期比13%増の1億1500万円。このうち中国人旅行者の買い物は65%を占めるという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3128050001062018L61000/
遠州信金によると浜松市を訪れる外国人観光客の約8割が中国人。ウィーチャットペイの導入の進み具合が、中国人観光客が行き先を決める一つの基準になりつつあるという。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3121581031052018LC0000/
百貨店の天満屋は31日、中国で普及しているスマートフォン(スマホ)決済サービス「支付宝(アリペイ)」「微信支付(ウィーチャットペイ)」を導入すると発表した。6月1日から岡山本店(岡山市)とグループ会社の天満屋ストアなどで開始し、順次、拡大する。中国人旅行者を中心に、訪日外国人客の利便性向上につなげる考えだ。
先日の安倍の李首相歓待の背景の一つがコレ(地方経済も中国人観光客を無視できない)です。
■時事通信『中国、スワジランドに秋波=アフリカ最後の「台湾陣営」』
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018060101287&g=int
中国外務省の華春瑩・副報道局長は1日の記者会見で、アフリカで唯一、台湾と外交関係を維持する南部のスワジランド(最近エスワティニに改名)に対し、「中国とアフリカの大家族に一日も早く加わることを歓迎する」と述べ、中国と早期に国交を樹立するよう促した。
スワジランドとしては
1)時流に乗って中国と国交樹立
2)あえて時流に逆らい、台湾からの多額の援助狙い
と2パターンあり得ますね。台湾にとって頭が痛いのは「スワジランドが民主国家じゃない」つうことです。国王独裁であり、だから「国名改名」なんてことも突然行われる。
「中国と国交樹立します」がいつされるかわからないし、それを阻止するためには相当の見返りを要求される可能性もあります。
■産経『台湾が中国の人権活動家保護 日本行き希望』
https://www.sankei.com/world/news/180530/wor1805300049-n1.html
台湾で対中政策を主管する行政院大陸委員会は30日夜、国連から難民認定を受けている女性人権活動家の黄燕氏(47)を保護したことを明らかにした。黄氏を支援している台湾の人権団体「関懐中国人権連盟」は産経新聞に対し、「黄氏は関係者を通じ日本への亡命を希望したが、成功せず台湾に来た」と述べた。
「日本への亡命を希望したが、成功せず」云々というところが気になるところです。先日、李首相を大歓迎したし、安倍は人権問題には基本興味ないし「入国させるのは支障があるから、丁寧にお引き取り願ってもらえ(安倍)」みたいな話でしょうか。
まあ、コレが安倍以外なら「日本への亡命を希望したが、成功せず、という発表が事実なら何という軟弱外交か!。我々は政府を批判せざるを得ない」というであろう産経も「だんまりですっとぼけ」でしょうねえ。
■産経【国際情勢分析】中露のはざま…「中央アジアに親日国を」 専門家が説く積極外交の意義とは
https://www.sankei.com/premium/news/180531/prm1805310006-n1.html
ウズベクの首都タシケント中心部には漢字で「孔子学院」と刻印された深紅の看板がある。05年、中央アジアで初めて開設された中国の教育・文化普及機関「タシケント孔子学院」だ。
孔子学院の生徒、ザキロフ・アリムさん(17)は、「将来的に(日本よりも)中国の影響力の方が大きくなると見込んで中国語を学ぶことを選んだ」と話した。将来の進路は「中国留学して、中国語を生かした仕事をウズベク国内でやりたい」と語った。
(中略)
田中氏*9は、ウズベクなど中央アジアではいま、「嫌々ながらでも中国についていくという力関係」の下で親中化が加速していると指摘する。だからこそ、「日本は経済、技術援助を含めた多面的な外交をプログラムを作っていかなくてはならない」。中央アジアに精通したエキスパートはこう、注文を付けた。
産経らしい与太で吹き出しました。単なる親日国ならまだしも産経や「産経文化人・田中氏」が希望するような「日本のために中国とガチンコで激突するような中央アジアの国」などないでしょう。そこまで日本に肩入れしても何にメリットもないからです。
■産経『中国が李登輝氏の慰霊祭出席に反対 国務院の報道官「植民地統治の美化だ」』
https://www.sankei.com/world/news/180530/wor1805300020-n1.html
李登輝が野合してる日本李登輝友の会(http://www.ritouki.jp/index.php/about/board/)は小田村四郎(故人、拓殖大学総長)や田久保忠衛(日本会議会長、国基研副理事長)、元谷外志雄(アパグループ代表)などが役員を務めるウヨ団体ですからねえ。今李登輝がやることはほとんど全て「日本ウヨへのこびへつらい」といっていいでしょう。中国の思惑が何でアレ、「植民地統治の美化」という李登輝批判は全く正しいと思います。
■産経『中国、マレーシアと協力継続を希望 高速鉄道計画見直しで』
https://www.sankei.com/world/news/180529/wor1805290044-n1.html
まあマハティールが何考えてるかよくわかりませんからね。「中止とぶち上げたものの実際は中国との間で再交渉したいだけで中止云々ははったり」なのか本気で中止するつもりかによっても話は変わってきます。いずれにせよ産経的な「中国敵視」などはさすがにする気はないでしょうが。
■産経『日中で5G周波数共有、中国が提案 日中韓情報通信相会合を前に』
https://www.sankei.com/economy/news/180527/ecn1805270006-n1.html
・中国との会談では野田*10総務相が「情報通信技術で政策課題を乗り越えていきたい。中国にとってもお役に立てる先進的な取り組みになる」とあいさつ。
・日中が共通の周波数を採用すれば、企業にとっては機器の開発がしやすくなるなどの利点があるほか、アジア各国での標準化が一気に進む可能性もある。
先日の日中韓サミット以来産経らウヨの期待を裏切り続ける安倍政権です。
■朝日新聞『訪中のメルケル*11独首相、人権派弁護士の妻らと面会』
https://www.asahi.com/articles/ASL5V519QL5VUHBI010.html
■産経『李克強首相が人権問題でドイツと対話姿勢 劉暁波氏*12妻の解放議論か』
https://www.sankei.com/world/news/180524/wor1805240040-n1.html
https://www.asahi.com/articles/ASL5V519QL5VUHBI010.html
24、25日に訪中したドイツのメルケル首相が、拘束されている中国の人権派弁護士の妻2人と24日夜に北京で面会していた。人権を重視するメルケル政権の姿勢を示した形で、ドイツへの出国を希望している、ノーベル平和賞受賞者の人権活動家故劉暁波(リウシアオポー)氏の妻、劉霞(リウシア)氏(57)の処遇にも注目が集まりそうだ。
面会した1人は、2015年7月の人権派弁護士らの一斉拘束事件で逮捕され、唯一拘束が続いている王全璋弁護士(42)の妻、李文足さん(33)。もう1人は、今年1月に政治改革を求める公開書簡を発表して拘束され、4月に国家政権転覆扇動などの容疑で逮捕された余文生弁護士(50)の妻、許艶さん(35)。
https://www.sankei.com/world/news/180524/wor1805240040-n1.html
中国の李克強首相は24日、訪中したドイツのメルケル首相と北京の人民大会堂で会談した。会談後の共同記者会見で李氏は、ノーベル平和賞受賞者で民主活動家の故劉暁波氏の妻、劉霞さん(57)が中国当局に軟禁されている問題について問われ、「人権に関する個別事案」について平等な立場でドイツ側と対話していく考えを示した。中国の指導者が人権問題の議論に前向きな姿勢を見せるのは異例だ。国内の支援者は、出国を希望している劉霞さんの解放につながる可能性があるとみて注目している。
(中略)
支援者は、李氏が人権問題に言及したことについて「メルケル氏らドイツ側の多大な努力によるものだ」と評価。劉暁波氏の一周忌を迎える7月13日以降に劉霞さんが解放される可能性を指摘しつつ、「中国当局は劉霞さんの弟の劉暉氏を“人質”として国内に残し、海外での言動に圧力を加えることも考えられる」と語った。
先日の李首相訪日時には安倍が触れず、李首相も語らなかったこと「人権問題(劉霞問題が中心)」について、訪中したメルケルがふれ、李首相もそれなりの対応をしたようです(もちろん経済交流の進展もあった)。まあ、これが安倍以外(例:民主党の鳩山、菅、野田首相)なら産経も「ホニャララ首相はなぜ李首相訪日時にメルケルのような態度がとれなかったのか」と批判するんでしょうけどねえ。安倍なので批判せずにだんまりです(苦笑)。
■産経『安倍首相、中国王岐山*13国家副主席と立ち話 北朝鮮問題での連携を確認』
https://www.sankei.com/politics/news/180526/plt1805260005-n1.html
今年が日中平和友好条約40周年であることから、両国間の交流や経済分野の協力を進め、日中関係改善を加速させる考えで一致した。
ということで少なくとも当面は日中友好の安倍です。
■朝日(社説)蔡政権2年 中台間の安定のために
https://www.asahi.com/articles/DA3S13503505.html?ref=editorial_backnumber
安全保障環境を不穏にしている第一の責任は中国にあり、習近平(シーチンピン)政権がそれを改めねばならない。
とは小生は全く思いません。馬前政権時には中台関係は安定していました。中台関係を不穏にしている第一の責任は
台湾にあり、蔡英文政権がそれを改めねばならない。
でしょう。昨今の日本メディアの中国敵視にはほとほと呆れます。
とはいえこうして中国に不当な非難を加える朝日ですら産経などとは違い
ただ一方の蔡氏も、これまでの抑制的な姿勢を崩すべきではない。「強い軍隊」の方針を表明し、トランプ米政権の支援を求めているが、軍拡競争では持続的な安定は築けない。
蔡氏が維持してきたのは、中国と台湾という異なる体制が存在する「現状」であると同時に、台湾が独立を宣言しない「現状」でもあったはずだ。
経済も軍事も肥大化する中国を前に、台湾が何もしなければ現状を維持できず、中国にのみ込まれてしまうとの危機感があるのは理解できる。
しかしだからといって、自ら現状を変えるかのような言動で緊張を高めては、展望はひらけない。蔡氏自身、「力くらべ」には意味がないと認めている。
としている点は評価できます。
しかし
むしろ台湾がめざすべきは、中国にない自由と民主主義を実践する政治の強靱(きょうじん)さを世界に示し続けることだろう。
政権交代が当たり前になり、経済的繁栄と現状維持を志向する民意を尊ぶ台湾社会の成熟ぶりを、国際社会は認めている。中国もそれを力でつぶすことは決して出来ないはずである。
という最後の落ちは「はあ?」ですね。台湾が民主主義であろうとなかろうと中国は攻めてこないでしょう。欧米の制裁など予想されるデメリットが大きすぎるからです。
そもそも1950年代はともかく1960年代以降は一度も中国は台湾侵攻などしていません。もちろんその頃の台湾は蒋介石独裁で民主主義ではありません。
「米国の支援もあって台湾軍事制圧は困難」「そんなことしなくても、『一つの中国』で大陸中国を唯一の正統政府とすればいい」という路線を1960年代以降ずっととってきた中国が「軍事侵攻路線」に転換することは「絶対にない」とまではいえずとも考えがたいことです。そうしたことを考えてないからこその「ドミニカやブルキナファソとの最近の国交樹立」でもあるでしょうし。
「軍事侵攻なんかしなくても台湾を牽制すること」はいくらでもできるわけです。
■産経【外交安保取材】李克強首相「風雲は過ぎ去った」と言うが‥再び彼らの船はやってきた(政治部 原川貴郎)
https://www.sankei.com/premium/news/180524/prm1805240005-n1.html
中国の李克強首相(62)が今月8日から11日まで公賓として来日した。中国首相の公式訪問は実に8年ぶりで、政財界は両国関係の改善ムードを盛んに演出した。李氏も安倍晋三首相(63)との日中首脳会談で「両国は風雨を経て曲がり道をたどったが、風雲は過ぎ去り晴れ空となった」との表現を用い、「今回の自分の公式訪問により、両国関係は正常な軌道に戻った」と強調した。
(中略)
8日に来日した李氏は、9日に東京で日中韓サミットと日中首脳会談や安倍首相主催の晩餐(ばんさん)会に出席し、10日は財界が主体の歓迎レセプションで「両国の指導者の定期的で正常な交流は両国の関係発展のためにもよい条件を整えることができる」とあいさつした。
公式訪問の最終日の11日は、北海道内を慌ただしく移動した。
午前中は札幌市内で開かれた日中知事・省長フォーラムで講演し、その後、電気自動車(EV)などの先端技術を視察するため、苫小牧市のトヨタ自動車北海道の工場を訪れた。現地では「熱烈歓迎」の横断幕と両国旗の小旗を手にした従業員約450人の出迎えを受けた。
安倍首相は李氏に同行し、昼には恵庭市内で食事会を開いて北海道産の魚介料理でもてなすと、午後の日程を変更して、特別機で帰国する李氏を新千歳空港まで見送った。
首相が外国要人の地方訪問に同行することは異例で、それ自体が厚遇ぶりを示していた。
(中略)
10日の歓迎レセプションで李氏は両国関係の今後についてこうも語った。
「先ほど安倍首相がいわれたように、中日関係はここから新たな出発点に立ち、正常な軌道に戻るという基礎の上で新たな発展を遂げ、かつ長期的に安定した発展を維持しなければならない」
日中関係の安定的な発展と、それに向けた両国首脳の熱意を否定する人*14は少ないだろう。ただ、言葉に実態が伴わなければ単なる政治・外交の演出に終わり、指導者と国民の認識のギャップが広がるだけの結果になりかねない。
安倍を「中国にこびるなんて失望した、この裏切り者!」などとはさすがに安倍を罵倒しないものの先日の「李首相歓迎」について相当、産経が不満を持ってることがうかがえます。
■時事通信『ブルキナファソ、台湾と断交=中国と国交締結へ』
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018052401285&g=int
■産経『台湾また断交 今度はブルキナファソ』
https://www.sankei.com/world/news/180524/wor1805240047-n1.html
■産経『中国、台湾の蔡英文政権への露骨な圧力で“アフリカ統一”に王手 台湾と外交関係、残り1国に』
https://www.sankei.com/world/news/180529/wor1805290012-n1.html
https://www.jiji.com/jc/article?k=2018052401285&g=int
台湾メディアによると、アフリカのブルキナファソは24日、台湾と断交した。ブルキナファソは中国と国交を締結する見通し。
中米ドミニカ共和国も1日、台湾と断交しており、今月に入って2カ国目の断交となる。これにより、台湾が外交関係を有する国は、18カ国*15に減った。
https://www.sankei.com/world/news/180524/wor1805240047-n1.html
蔡氏は4月17〜21日、アフリカのスワジランド(エスワティニ)を訪問。それに合わせてブルキナファソへの訪問も打診したが実現せず、台湾の外交部(外務省に相当)は、「国際会議があるとの理由で調整が付かなかった」と説明。呉●(=刊の干を金に)燮外交部長(外相)はドミニカ共和国との断交直後、残る19カ国との外交関係は「全て安定している」と述べていた。
台湾が1カ月以内に2カ国と断交するのは李登輝政権下の1998年1月以来で、蔡政権は「断交ドミノ」と言える状態に陥りつつある。米国のルビオ上院議員は今月中旬の議会公聴会で、パラグアイが断交の可能性があると警告している。
蔡英文政権が馬前政権の対中国外交を否定するかのような言動をとってからの中国の対抗措置が止まりませんね。
しかし
https://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260028-n1.html
■産経『中国、台湾との断交提案 ブルキナに5兆円示す “金銭外交”露呈』
バリー外務・協力・在外ブルキナファソ人相がこの問題を明らかにし「台湾はわれわれの友人であり、(金銭供与で)外交関係を見直すことはない」と語った。
といっていたくせにブルキナファソもずいぶん酷いもんです。
■【産経抄】5月24日
https://www.sankei.com/column/news/180524/clm1805240003-n1.html
別れ際、毛主席は田中*16首相に「楚辞集注」を贈った。中国古代の憂国詩人、屈原らの作品を集めた『楚辞』に注釈を付けたものだ。理由についてさまざまな説がある。その一つは「迷惑」の語源を示した、というものだ。
「わが国が中国国民に多大なご迷惑をおかけした」。
歓迎夕食会での田中首相のスピーチに、中国側が猛反発する場面があった。田中首相は帰国後、中国の古典をまとめた『新釈漢文大系』で調べたという。「迷惑」については、こんな記述が見つかった。
▼「慷慨(こうがい)して絶(た)たんとして得(え)ず、中●乱(ちゅうぼうらん)して迷惑(めいわく)す」。
迷惑は中国では、単に「迷い惑う」の意味だった。反省する時に使う言葉ではない、と毛主席は言いたかったのか。中国の指導者の真意を忖度(そんたく)するには、やはり『新釈漢文大系』は欠かせない。ちなみに「忖度」は、中国最古の詩集『詩経』に「他人心有(たにんこころあ)れば 予之(われこれ)を忖度す」として登場する。
●=矛の右に攵、下に目
そうした説の一つとして「かなり長い」ですが、後で、矢吹晋*17説および「矢吹氏が紹介する諸説」を紹介しておきます。
ちなみに「矢吹説=産経が紹介する『迷惑・語源説』」です。
まあ真偽はわかりませんし、「ストレートにものを伝えず」真偽を曖昧にするのが当時の(いや今もか?)中国の外交手法だったのでしょう。
矢吹説にせよ他の説にせよ「回りくどいやり方」ではあります。
なお、矢吹氏が批判する説の内、「中国が田中を侮辱した」とする安岡正篤説(この説だけが中国に敵対的な説です)だけはまともに相手をする必要はないでしょう。安岡は右翼の大物で「岸、佐藤兄弟など自民党台湾ロビー議員」とつながりがあったとされる台湾ロビーだからです。明らかにためにする言いがかりでしょう。
参考
■安岡正篤(1898〜1983年:ウィキペディア参照)
・1927年(昭和2年)酒井忠正*18伯爵の援助により「金鶏学院」を設立。「二・二六事件で死刑判決となった右翼活動家・西田税に影響を与えた一人」とも言われる。北一輝や大川周明*19の設立した右翼結社・猶存社のメンバーでもあった。
・井上準之助*20前蔵相、三井財閥総帥・團琢磨を暗殺した血盟団事件に「金鶏学院」の関係者が多く連座したため安岡も一時関与を疑われた。血盟団事件の首謀者・井上日召は、「血盟団事件の検挙の発端は、金鶏学院への波及を恐れた安岡が当局に密告したため」と、戦後に主張している。
・第二次世界大戦中には1944年(昭和19年)より大東亜省顧問として外交政策に関わったとされる。ただし大東亜省顧問として、具体的に何に何処まで関与したかはほとんど明らかにされていない。
・玉音放送の内容について、大まかな内容は内閣書記官長・迫水久常*21が作成し、8月9日以降に漢学者・川田瑞穂(内閣嘱託)が起草、さらに14日に安岡(大東亜省顧問)が推敲して完成したとされる。
・1946年(昭和21年)に、かつて安岡が創設した「金鶏学院」等の団体は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ・SCAP)により解散を命じられ財産は没収、安岡自身も公職追放される。しかし1950年(昭和25年)に公職追放解除。
・1958年(昭和33年)には岸信介*22、安倍源基*23、木村篤太郎*24らとともに「新日本協議会」を結成、安保改定運動や改憲運動などに関わった。「体制派右翼」の長老として政財官界に影響力を持ち続けた。
・池田*25派の「宏池会」という名前は中国の古典を元に安岡が命名したものだといわれる。池田勇人の「池」の字、池田の出身地である広島の「広」を「宏」に掛けているともいわれる。
・岸信介以降の「田中角栄、三木武夫*26を除く」大平正芳までの歴代首相(池田勇人、佐藤栄作*27、福田赳夫、大平正芳)が施政方針演説の推敲を依頼していたと言われる。
・1983年(昭和58年)12月13日逝去。享年85。葬儀は1984年(昭和59年)1月25日に青山葬儀所で、葬儀委員長が岸信介、同副委員長が稲山嘉寛*28、大槻文平*29で行われた。政界からは当時の首相・中曽根康弘*30を始め、田中角栄、福田赳夫*31、鈴木善幸*32の各歴代首相が参列した。
・渡部恒三*33によると、「平成」の元号は安岡の案であったと竹下首相が述べたという。
しかし内閣内政審議室長(当時)として新元号選定に関わった的場順三によると、「平成」を提案したのは、東洋史学者で東京大学名誉教授の山本達郎であるという。
的場は、「『平成』の考案者は安岡氏という誤った説も広まっていたので、歴史の真実を歪めないためにも、新元号選定の経緯を明かすようになりました。」と述べている。
http://www.21ccs.jp/china_quarterly/China_Quarterly_01.html
当時の新聞は次のように解説した。
<北京の日中関係筋によれば、二七日、毛主席が田中首相に『楚辞集註』六巻を贈ったことには、三つの意味があるとみられている。一つは、中国古代の憂国詩人屈原の作品『楚辞』にちなんだことで、日本国民のために決然として訪中した田中首相の愛国心をたたえた。
次には、田中首相が訪中にあたって漢詩を作ったことをきき、中国の作法として客人の関心があることに答えた。もう一つは、キッシンジャー*34米大統領補佐官が訪日して「なぜ、そんなに訪中を急ぐのか」と言ったのに対して、田中首相が「日本と中国の関係は、米中の付き合いよりはるかに古い」と答えたことを中国側もよく知っている。そこで「その通りである。再び古い時代から深かった友情を復活しましょう」という気持ちをこめたと解釈されている>(『朝日』9月28日)。
日中関係筋なる筋がどのような筋なのかその詮索はさておき、以上の三説はいずれもほとんど説得力を欠いたこじつけではないかと思われた。三説を仮に(1)田中の「愛国心称賛」説、(2)中国流の「作法」説、(3)日中関係説と略称しよう。
それらの解釈は正鵠を射たものか。まず(1)田中の「愛国心称賛」説だが、『楚辞』は中国の戦国時代、楚国の政治家・詩人屈原(紀元前340年ごろ〜278年ごろ)の作品とその後継者宋玉らが屈原にならって作った作品を集めた辞や賦からなる。漢代の劉向が編集したといわれる。『楚辞集註』は宋代の儒者朱子が注釈を加えたものだ。毛沢東が田中の愛国心を評価したのは事実であるとしても、それを評価するのになぜ『楚辞集註』でなければならないのか。その根拠が薄弱ではないか。
(2)中国流「作法」説もおかしい。和歌を贈られた場合に「返歌」があるように、漢詩を贈られたならば、漢詩(あるいはそれに類するもの)をつくって返礼とするのが中国文人の作法であるはずだ。田中の漢詩に対して、古人の「辞賦」を贈るとは奇怪な返礼ではないか。
もしお手本ならば『唐詩三百首』に如くはない。つまり、作法説も説得力を欠いている。
(3)日中関係と米中関係の「古さの比較」説も説明にならない。日中両国の文化交流が近代の移民国家米国との交流よりもはるかに古いことは、『楚辞集註』を引合いに出さずとも自明であろう。この変種はソ連「脅威」説である。たとえば『毎日』夕刊のコラム「近事片々」は言う。
<楚辞集註六巻。田中首相への「屈原のような愛国者」という賛辞を意味するだけのものだろうか。屈原は、大国秦の脅威に楚と斉の合従を唱えた忠臣。毛主席は現代の秦を暗示したのかもしれぬ>(9月28日)。
コラム氏によれば、「大国秦」とは「米国」ではなく、「ソ連」である。毛沢東、周恩来が「ソ連の脅威」を意識してニクソン*35や田中を招聘したことは、確かな事実である。しかしソ連を示唆するために『楚辞集註』とは、やはり迂遠ではないのか。
要するに、これら三つの説は、いずれもただちに反証の挙げられそうな憶測にすぎない。にもかかわらず三〇年後の今日、いまなお広く行なわれているようだ。たとえばこれらの憶測を踏まえて、中国の元大阪総領事王泰平は『大河奔流』(奈良日日新聞社、2002年、177頁)を書いて、前記の朝日と同じ三つの説を披瀝している。
さらに田中訪中三〇年を期して、横堀克己(元朝日新聞論説委員)は、この会談に通訳あるいは書記として同席した王效賢、林麗?をインタビューして、こう書いた。
<なぜ『楚辞集註』を贈ったのか。さまざまな憶測が流れた。「屈原に引っかけて、国民の利益のため決然として訪中した田中首相の愛国心を称えたのだ」という見方もあった。真相はよく分からない。しかし「主席はこの本が大好きだったからに違いありません」と王[效賢]さんはみている>(「毛・田中会談を再現する」『人民中国』二〇〇二年九月号、その後『日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉』石井明*36、朱建栄*37、添谷芳秀*38、林暁光*39編、岩波書店、2003年所収)。
毛沢東が『楚辞集註』を愛読していたのは事実だが、書物中毒を自称する毛沢東にとって愛読書は枚挙にいとまのないほど多いことは、田中・毛沢東会談を写した書斎風景から一目瞭然だ。これら汗牛充棟の「愛読書群」のなかから、『楚辞集註』が選ばれた理由の説明が必要ではないか。インタビューを終えて横堀はその理由は三〇年後の今日なお「真相はよく分からない」と記した。この説を仮に(4)毛沢東の愛読書説と名付けておこう。
■安岡正篤の「角栄はなめられた」説
以上のほかに、(5)田中は「なめられた」説を的場順三*40著『座して待つのか、日本人』(ワック株式会社、2000年)が説いている。的場は、元大蔵省官僚、のち大和総研理事長である。この本に曰く<田中総理と同行した大平*41外務大臣が毛沢東に会ったとき、『楚辞 』という本をもらったものの、これは正義を主張したあまり、国を追われて汨羅の淵に身投げして死んだ楚の屈原をモデルにしたものだ><一国の首相にそんな本を渡すのはたいへん失礼な話で完全になめられていたのである>。
的場の本は誤りだらけだ。まず贈物は『楚辞』ではなく、朱子が編集した『楚辞集註』である。この贈物を受けたのは大平外相ではなく田中その人である。問題はその解釈だが、「一国の首相にそんな本を渡すのはたいへん失礼な話で完全になめられていたのである」と的場は憤るが、読者にはなぜこの贈物が「失礼な話」になるのか、まるで分からない。実は的場はもう一つの話と取り違えているのだ。
四日間にわたる日中首脳会談の締めくくりになる第四回会談で周恩来が「言必信、行必果」の六文字を毛筆で書いて田中に手渡した。「言は必ず信じ、行は必ず果断」、すなわち言ったことは必ず信じて、果断に実行する、の意味だ。周恩来は田中に対して、中華民国との断交など一連の約束を誠実に実行されたいと念を押したわけだ。これに対して田中は「信は万事の元」と墨書して返礼した(『朝日』9月29日ほか各紙)。「なめられた説」は、この六文字の出典が『論語・子路』であり、この句に続く文字は「然小人哉」であることに由来する。後続の六文字について安岡の加えたコメントが政財界で広く流布された。すなわち周恩来が日本側に対してこの揮毫を示したのは、「石をカチンカチンたたくような、堅苦しくつまらない小人」と周恩来が田中、大平を見下したとする解釈だ。安岡は一八九八年大阪市生まれ。東京帝大法学部卒。東洋政治哲学・人間学の権威とされる。二〇代後半から陽明学者として政財界、陸海軍関係者に知られ、財団法人金鶏学院、日本農士学校を創立、東洋思想の研究と後進の教育に従事。戦後、師友会を設立。一九八三年一二月一三日逝去。平成の年号の考案者といわれた。台湾ロビーの理論的指導者安岡にとって日中国交正常化は間違った選択であり、揶揄の対象にすぎなかった。周恩来にとって日中国交正常化とは、日本が中華民国政府と断交し中華人民共和国との国交を樹立することであったから、この点を念を押したのは当然だ。まさにこれに反対する観点から安岡ら台湾ロビーの反対活動が行なわれた。その際の児戯にも似た揚げ足とりを元大蔵省高官が得々と説いているのは、一知半解の見本だ。
その後、中国側はしばしば「言必信、行必果」を繰り返したが、そのたびに日本の台湾ロビーたちは、「日本が「小人」と見下された」と反発した。さすがの周恩来も日本の台湾ロビーが『論語』の片言隻語をもって周恩来外交に逆襲しようとは予想していなかったようだ。的場順三のしったかぶりは安岡説の亜流にすぎないが、この俗説を信ずる者が政財界で意外に多く、中国コンプレックスを裏書きしているように思われる。
以上、五つの憶測を紹介したが、そのどれをみてもまるで説得力に欠けるというのが私の実感だ。私自身は過去四〇数年毛沢東の書いたもの、話したものを折に触れて読む研究生活を続け、今春勤務先を定年になった。私の毛沢東イメージからすると、この人物は由来、目的の曖昧な行動をとった試しがない。
「有的放矢」(すなわち的を定めて矢を放つ)。
これが毛沢東のやり方なのだ。田中に『楚辞集註』を贈るからには、もっと明確なメッセージが含まれているはずに違いない。これが私の直感であった。
(中略)
<田中首相のあいさつの途中、一区切りごとに拍手を送っていた中国側が、拍手をすっぽかすくだりがいくつかあった。中国国民に「迷惑」をかけたといったときがそうだった。同じことを周首相のあいさつは「災難」と表現した。それを、軽々しく「迷惑」くらいのことではすまされない、という不満の意思表示ではなかったろうか>
これは同行した西村秀俊社会部員の観察だ。演説の途中でこの微妙な雰囲気をとらえた記者感覚は鋭い。
(中略)
二六日午後に田中は食欲を失うほどの問題に直面する。
日本外務省記録(国交正常化当時の記録を改めて昭和六三年九月に執務資料としてタイプしたもの。なおその後情報公開法に基づいて公開されたものも内容は同一) によれば、周恩来は前夜に行われた田中のスピーチについて、冒頭こう述べた。
<日本政府首脳が国交正常化問題を法律的でなく、政治的に解決したいと言ったことを高く評価する。戦争のため幾百万の中国人が犠牲になった。日本の損害も大きかった。われわれのこのような歴史の教訓を忘れてはならぬ。田中首相が述べた「過去の不幸なことを反省する」という考え方は、我々としても受け入れられる。しかし、田中首相の「中国人民に迷惑(添了麻煩)をかけた」との言葉は中国人の反感をよぶ。中国では添了麻煩(迷惑)とは小さなことにしか使われないからである>
(中略)
(ボーガス注:帰国後の)記者会見で田中は迷惑問題について、こう述べた。外務省の記録(アジア局中国課が昭和六三年九月に執務資料としてタイプしたもの)には次のように書かれている。
<私は、千数百万人に迷惑をかけたという事実に対しては「ご迷惑をかけました」と言った。「ご迷惑」という言葉は婦人のスカートに水がかかったときに使うのだそうだが、そういう迷惑という感じを、そういうことをお互いにみんなブチまけあった。(中略)「両国には長い歴史がある。日本が戦争をしたということで大変迷惑をかけたが、中国が日本を攻めてきたことはないかと研究してみたら、実際にあった。三万人くらいが南シナ海から押し渡ってきた。しかし台風に遭って(笑い)日本に至らず、本土に帰ったのは四五〇〇人であったとこう書物は教えている(笑い)。また、クビライの元寇というのがあった。日中間にはいろいろなことがあった。過去というよりも、みんな新しいスタートに一点をしぼろうということだった>(竹内実*42編『日中国交基本文献集』下巻、蒼蒼社、1993年、211〜224ページ)。
記者会見の行なわれた自民党両院議員総会では迷惑問題は次のように報告された。
<一日目の会談では問題は何もなかったが、その晩の宴会で、日本政府の態度表明として、六五〇名から七〇〇名を前にして「戦前大変ご迷惑をかけて、深く反省している」と言った。これに対し中国側は、「ご迷惑とは何だ、ご迷惑をかけたとは、(ボーガス注:中国語においては)婦人のスカートに水がかかったのがご迷惑というのだ」と言った。中国は文字の国で本家だが、日本にはそう伝わっていない。こちらは東洋的に、すべて水に流そうという時、非常に強い気持ちで反省しているというのは、こうでなければならない。これについては毛主席との会談でも、(主席は)「ご迷惑の解釈は田中首相の方がうまいそうですね」と言っていた>(時事通信政治部編『ドキュメント日中復交』時事通信社、1972年、201ページ)。
この田中報告の核心は二つである。一つは、「迷惑」の日本語の意味が中国語と異なる点を指摘したこと、もう一つは、日本語の「メイワク」とは、「非常に強い気持ちで反省しているときにも使う」という田中の日本語感覚の披瀝である。
(中略)
この本のなかに「迷惑」の二文字が書かれているからではないのか。毛沢東は、田中の用いた「迷惑」を中国語の文脈ではこのように使う。その証拠を示すために『楚辞集註』を差し出したのではないか。
(中略)
ちなみに『魏志倭人伝』に卑弥呼が「鬼道にえ、衆を惑わす」と評されていることを想起したい。中国語の「迷惑mihuo」は、『楚辞』や『魏志倭人伝』の時代から意味が変化していない。現代中国語においても、『楚辞』と同じ意味で用いられている。これが田中のいう「メイワク」とどれだけかけ離れたものであるかは容易に理解できよう。毛沢東は、田中の用いた「迷惑」を中国語の文脈ではこのように使う、その証拠を示すために『楚辞集註』を差し出したのではないか。
ちなみに現代中国語の文脈で「迷惑」がどう使われているかを考えるために、ある友人が『人民日報』のDVD(1946〜49年)を調べたところ、「迷惑敵人」(敵を惑わす)、「迷惑群衆」(大衆を惑わす)といった使い方が散見された。ゲリラ戦争において、敵を惑わして成功した話や敵側が味方の大衆を惑わした、といった使い方がこの時期には目立った。
田中・毛沢東会談の雰囲気を物語る資料として、訪中直後に二階堂官房長官が語った記者会見の「補足発言」を念のためここに引いておきたい。<毛: ところで、田中総理が、中国国民に「迷惑」をかけましたといったので、迷惑ということばがいろいろ問題になっているようですね。彼女はじめ若いものがうるさいんですよ(前に坐っていた毛主席の通訳でニューヨーク生まれの女性をさして)。
周総理: 彼女は英語が分かるから、二階堂さんがお得意の英語で説明なさったら・・・・。
田中: 日本では迷惑をかけたということは、二度とふたたびやりませんということです。心から詫びていることなんです。
毛: 私はわかりましたから、あとは外務大臣同士で、いいものをつくってください。(私はまた迷惑論議がはじまるのかと思っていたら、それだけでした。ここでは田中総理も毛主席にていねいに説明していました)>(「毛沢東主席とわが総理の会話全録音」『週刊現代』1972年10月19日号)。
ここで二つの注釈が必要であろう。二階堂*43長官が紹介した会談における廖承志についての言及である。<毛沢東: もうケンカは済みましたか。ケンカをしないとダメですよ。
田中: 周首相と円満に話し合いました。
毛沢東: ケンカをしてこそ、初めて仲良くなれます。(廖承志氏を指しながら)かれは日本で生まれたので、こんど帰るとき、ぜひ連れてかえってください。
田中: 廖承志先生は日本でも有名です。もし参議院全国区の選挙に出馬すれば、必ず当選されるでしょう>(『ドキュメント日中復交』)
ここでいきなり廖承志(中日友好協会会長)が話題になるのはなぜか。毛沢東の指摘のように、廖承志は日本生まれであり、当時の中国で最高の日本通であった。「江戸っ子」を誇る中国人であり、そのベランメエ調はかなり有名であった。
日本語「メイワク」の含意の鑑定役をつとめたのが廖承志ではないかというのが私の推測である。第二回会談の冒頭で周恩来が「メイワクは軽すぎる」という中国側関係者の不満を体して問題を提起したのに対して、田中は「万感の思いを込めておわびする」ときにも迷惑を使うと反論した。田中のこの反論をどのように理解するのか。生半可な日本語通訳には荷が重すぎる課題であったはずだ。いわんや日本通の大学者郭沫若が「迷惑」に疑問を呈している。
しかしこの問題は、日本で生まれ、日本の風俗習慣を深く理解する廖承志にとっては、難しい問題ではなかった。周恩来から迷惑をめぐるトラブルの経緯を知らされた毛沢東はさっそく廖承志を呼び寄せて、廖承志の判断を求めたのではないか。廖承志がどのような判断を示したかを直接的に知る資料はないが、田中がメイワクを用いたのは、「誠心誠意的謝罪」の意味だと毛沢東に説明したはずである。「廖承志は日本生まれだから、日本に連れ帰ってほしい」という発言はいかにも唐突だ。しかし、日本通をもってなる「大学者」郭沫若の権威を否定できるほとんど唯一の証人が廖承志なのだ。
大胆な推測と非難されかねないが、もし廖承志が毛沢東と田中の間の「真の通訳」を果たしたことに対する毛沢東の評価を意味するものと解すれば、ケンカの話がいきなり廖承志を日本に連れ帰る話につながるのは、きわめて自然だ。つまり毛沢東は、日本人と同じように深く日本文化を理解する廖承志という男が「私とあなたの間の心の通訳を果たしたのですよ」と示唆したのではないか。
もうひとつの課題は、「『楚辞集註』のタイトルは近代の書法家沈尹黙が書いたもの」と説明したことの意味である。名書家沈尹黙の書は著名であり、周恩来も自宅と事務室の双方にその書を掲げていたほどであるから、その場で『楚辞集註』の文字を見ただけでも、沈尹黙の書であることを識別できたはずだ。しかし、二階堂の問い合わせに対して、周恩来が即座に「この贈物の件を記者に話してよい」と答えていることは何を物語るのか。毛沢東が田中への贈物をこの書物に決めていたことを周恩来はあらかじめ知らされていたことを示すものと解してよいであろう。
重ねて大胆に推測するが、廖承志から「メイワク」と「迷惑mihuo」の差を聞いて『楚辞集註』を贈物とすることを思いついた毛沢東が、その意向をあらかじめ周恩来に伝えておいたとみるのが自然であろう。周恩来がさりげなく沈尹黙の名に言及していることも意味深長である。沈尹黙は青少年時代に二度も日本に遊学しており、さらに抗日戦争期における行動も含めて、この人物もまた中日文化交流の深さを体現する人物の一人であるからだ。こうして『楚辞集註』という贈物は、日中両国文化の交流と摩擦を象徴するものとして選ばれたのではないかというのが筆者の新解釈である。
それだけの深い意味を込めた贈物の意味をなにも説明せずに手渡すとは不可解だ、筆者の新解釈への不満の声が聞こえてきそうだ。だが、これこそが「文明の作法」なのだ。あえて説明を加えるのは野暮というもの、日中双方がいずれは気づくことを期して黙って手渡したものと解してよい。まことに「東洋的」な優雅な作風ではないか。これは田中が「東洋的に」を強調したことに対するお返しなのだ。
田中・毛沢東会談を頂点とする一連の日中会談において、日中戦争に対する日本側の謝罪の意図は田中によって明瞭に述べられ、中国側は田中の真意を正確に理解した。こうして「メイワク」「迷惑mihuo」問題および日本の謝罪の問題について日中双方は共通認識に到達したのであった。すなわち「メイワク」と「反省」から出発した田中の謝罪が、「メイワク」は「添麻煩」と訳されるべきものではなく、「誠心誠意的謝罪」と翻訳し直されたことが一つである。その趣旨を体して日中共同声明においては、「日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記されたのであった。
田中・周恩来会談と田中・毛沢東会談の核心をこのように読み直す私の読み方からすると、当時の時点でこの流れを最も正確に理解しつつ、適切なコメントを発表したのは、歴史家萩原延寿*44の解釈であった。<二五日の人民大会堂での招宴のさい、田中首相が述べた「御迷惑をおかけした」という表現は、おそらく日本のある種の国内事情を考慮、ないし反映しての作文なのであろうし、その上に「多大の」という形容詞が附せられていることもたしかだが、やはりあいまいという印象はいなめず(中国語になおすとあいまいさは増加するらしい)、むしろあそこで率直かつ簡潔に、ひとこと「謝罪する」とはっきり述べたほうがよかったように思う。>
ここまでは普通の論者と異なるところがない。萩原の洞察力が冴えるのは、次のコメントである。<「謝罪する」ということは、公表されない交渉の過程で日本側の口からから出たことなのかもしれない。いや、おそらく出たものと考えたい>(『中央公論』1972年11月号)。
萩原が願望を込めて、このように記したことを田中は実行していたわけだ。
(中略)
実は外務省の担当者には、そのような認識がまるでなかったように見える。国交正常化20年を記念して、NHKがインタビューしたとき、訪中当時中国課長として同行した橋本恕(のち中国大使)はこう証言している(1992年9月27日放映、のち『周恩来の決断』1993年、NHK出版所収)。
『「迷惑」を「麻煩」と訳したのは、誤訳ではなかったか』という記者の問いかけに対して、橋本はこう答えている。
「決して翻訳上の問題ではなく、当時の日本国内世論に配慮したギリギリの文章であった」と述べている。<私は何日も何日も考え、何回も何回も推敲しました。大げさに言えば、精魂を傾けて書いた文章でした。もちろん大平外務大臣にも田中総理にも事前に何度も見せて、「これでいこう」ということになったんです>(152ページ)。
日本語の「迷惑」を用いることについて橋本が精魂を傾けた事情は理解できることだ。だがここで問われているのは、日本語の原文そのものではなく、それをどのように訳したかなのだ。
(中略)
問題は橋本が自信をもって「決して誤訳ではない」と保証したことの悪影響であろう。誤訳のゆえに「麻煩」と訳したのならば、酌量の余地はある。しかし確信をもって「麻煩」と訳したのならば許せない。おそらくこれが大方の中国人の気持ちではないか。
(中略)
中国において「迷惑」の意味が『楚辞』の時代から現代に至るまで変化していないことはすでに繰り返し指摘した。日本では、たとえば『平家物語』(鎌倉前期)あたりまでは、中国から輸入した意味で用いていた。『岩波古語辞典』(1262ページ)には、「迷うこと、とまどうこと」の意味で用いた例として、『平家物語巻5 咸陽宮』から「皇居に馴れざるが故に心迷惑す」を引いている。
(中略)
田中角栄が必死に弁明したのは日中の意味の違いであった。以上の例文調べから「迷惑」は日本でも『平家物語・巻5』の例文が示すように、鎌倉前期あたりまでは中国と同じ意味で用いていたこと、しかし鎌倉末期にはすでに含意が現代日本語のそれと似たものに転化していたことが知られる。むろんこれは「日本語のなかの漢語」としての意味の変化である。日本文化に特有ないわゆる漢文訓読、すなわち中国語の古典を「部分的にひっくり返してあたかも日本語であるかのように読む」世界では、中国語「迷惑mihuo」と同じ意味で読み続けたことはいうまでもない。
(後略)
(本稿は今年1月26日に行なわれた横浜市立大学最終講義「日中誤解はメイワクに始まる」に大幅加筆したものである。なお最終講義草稿の中国語訳は「田中角栄与毛沢東談判的真相」のタイトルで『百年潮』2004年2月号に発表された)
■産経【正論】中国の「関与」が米朝会談を壊す 文化人類学者 静岡大学教授・楊海英*45
https://www.sankei.com/column/news/180518/clm1805180004-n1.html
中国の露骨な内政干渉と革命思想の輸出を「危機」と見なした青年軍人はクーデターを発動し、華人と共産党員らを武力で排除する「九・三〇事件」が勃発。
犠牲者は数十万とも100万ともいわれているが、中国政府による過剰な内政干渉と、華人による経済的利権の独占が事件の要因であったことはほぼ定説*46となっている。
おいおいですね。そんなことで「犠牲者が100万ともいわれる虐殺事件」が正当化できるわけもないでしょう。そもそも虐殺されたのは共産党員限定でも、中国人限定でもない(もちろん中国人や共産党員なら虐殺されていい訳ではありませんが)。「九・三〇事件の被害者と遺族」に対して楊と産経は失礼極まりない。
楊の無茶苦茶さにはいつもながら呆れます。良くもこんな男が偉そうに「文革でモンゴル族の犠牲者ガー」などとほざけるもんです。
楊の「930事件正当化の強弁」をまねれば「ソ連の衛星国モンゴルの脅威があるから、中国に忠誠を誓わない反動・内モンゴル分子の、文革での粛清は仕方がなかった、楊ら内モンゴル住民は恨むなら外モンゴルを恨め」ともいえるでしょうがそういったら楊のクズ野郎はマジギレするんでしょうね。
「日本ウヨにこびたいのか」「中国に悪口さえ言えればもはや何でもありなのか」930事件を詭弁で正当化しようとする楊の中国批判など「ダブスタのでまかせ」でしかありません。「もう何度も書いていて飽きつつありますが」楊も落ちるところまで落ちたわけです。国基研の講演を引き受けたときが転落の始まりだったのでしょう。そして国基研から賞までもらったことでもはや戻れなくなったわけです。
なお、930事件についてはぐぐって見つけた以下の記事を紹介しておきます。
■シノドス『インドネシア大虐殺はなぜ起こったのか』倉沢愛子*47(インドネシア史)
https://synodos.jp/international/15069/
■早瀬晋三*48評『9・30 世界を震撼させた日−インドネシア政変の真相と波紋』倉沢愛子著
https://www.kinokuniya.co.jp/c/20140409113847.html
しかし倉沢氏や早瀬氏が「我々日本人はインドネシア・スハルト政権と経済的に付き合うことによって、スハルトが実行した930虐殺事件を事実上容認したことについて、『当時スハルト批判が現実問題として難しかったとしても』、今は悔恨の思いを抱くべきだ。せめて今からでも930事件被害者支援とかなんらかのつぐないができないか(まあ、反共主義とか金儲けの観点からスハルトと付き合ったのは日本だけでなく、欧米もそうですが)」つうのは「その通りだ」と思います。
しかし三浦小太郎だの櫻井よしこだのといったウヨ連中が「中国のチベット問題ガー」「日本の中国とのつきあいはいかがなものか」とかぬかしても「南京事件否定論のデマ右翼がふざけんな。930虐殺とかウヨ政権のやった人権侵害は黙認するくせに。人権問題なんか本当は全く興味もねえくせに。ただの中国たたき、反共主義じゃねえか。黙れカス右翼」つう感情しかありませんね。
習近平*49政権への過剰な傾斜さえなければ、国民党が政権を失うことはなかったと、その後台北を訪れた私に、現地の知識人たち*50はそう語っていた。
イヤー多分そう言うことはないでしょうね。国民党の下野理由はおそらくそういうことではない。
そもそも「過剰な傾斜」なんてしてませんけど。
そして今や民進党の蔡英文政権は
https://www.sankei.com/world/news/180518/wor1805180045-n1.html
大手テレビ局TVBSの15日の調査では支持26%、不支持60%
というすさまじい状況です。
東南アジア諸国の中には、一党独裁の北京と運命共同体を築こうとする国が複数ある。ミャンマーはイスラム教徒少数民族のロヒンギャに対する弾圧を緩めておらず、ウイグル人に対して反人道的な犯罪を続けている中国もそれを支援している。
カンボジアでは親北京のフン・セン政権が国内の野党を解散に追い込んだし、タイ軍事政権も中国人民解放軍との交流を深め、国内の言論弾圧を強めている。こうした現象は朝貢国と「宗主国」との一体化をもたらし、21世紀の異質な地域共同体となってきている。
中国や東南アジア諸国への言いがかりも甚だしいですね。これらの国を支えてるのは何も「中国オンリー」ではないですし、これらの国々と中国の関係はもちろん「朝貢国と宗主国ではない」「運命共同体ではない」わけです。是非はともかく単に国益判断から付き合ってるに過ぎない。
例えば日本も欧米もミャンマー、タイ、カンボジアとつきあいがあるわけです。
なお、タイでの軍事クーデターについてペマ・ギャルポは以前「タクシン政権が親中国だから反中国派の軍部がクーデターを起こしたという面がある。中国批判派として喜ばしい」とかぬかしてましたが、この楊の文によれば「軍事政権も中国と経済交流してる」ので、やはりそういうことではないようですね。
日本はシンガポールの「母体」であるマレーシアとの連携を強化すべきだろう。
まあ一般論としてマレーシアとの友好は大事です。しかし楊の言うような「中国封じ込め」なんてのは論外です。そんなことをマレーシアもする気はないでしょう。
■リベラル21『護憲、わが悩み知りたもう?』阿部治平
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-4372.html
下でも書きましたが阿部という男は「普通のコメントをしても」、『過去の非難コメントから、深く憎悪しているらしい』俺のコメントは掲載拒否するらしいことが解ったので今回はこちらのブログでのみコメントします。
日中関係はいま緊張緩和傾向だが、これは一時的なものである。習近平氏への嫌気が高まったり、政府への不満が暴動化したりして国内情勢が揺れ動くようだと、中国政府は関心を外にそらすために、台湾統一ないしは反日ナショナリズムを煽り、軍事的プレゼンスをいま以上に強化する。そうすると、安倍晋三流の改憲派は、あのJアラートのように、大いにこれを利用するはずだ。護憲運動の敗北は目に見えている。
おいおいですね。「反中国で頭が狂ってしまったキチガイ」阿部らしい「中国に対する差別と偏見」の極みと言うべきでしょう。台湾のことはひとまずおきましょう。以下は日本限定で話をします(とはいえ台湾にしても、台湾側が『蔡英文総統訪米』などのような挑発行為でもしない限り、軍事対応など中国はまずしないでしょうが。そもそも先日の「ドミニカの台湾との断交(そして中国との国交樹立)」でも解るように何も軍事的牽制をしなくても、中国による台湾への政治的牽制はいくらでも可能ですし)。
先日の「李克強・中国首相に対する安倍・日本国首相の歓待ぶり(北海道までわざわざ同行して、新千歳空港からの李首相帰国も見送った)」を考えればそうした「安倍の中国にへいこらする態度」を犠牲にして、けんか腰の態度をとる理由は中国にはどこにもないでしょう。
そもそも中国とてそれ相応の理由がなければ、けんか腰の態度をとる大義名分がありません。
過去においても「鳩山政権の尖閣侵入船長逮捕(従来は即時退去処分で穏便に片付けていました)」「野田政権の尖閣国有化」「安倍の靖国参拝」など「日本側の挑発行為」があったからこそ、中国も対抗措置を執ったのであり、今後、安倍が「靖国参拝のような挑発行為」でもしない限り、中国としてもけんか腰の態度をとる理由はどこにもありません。
つうか阿部治平がこれほどまでに中国に差別と偏見を持っているのも「常軌を逸したチベットキチガイだから」なんでしょうね。
まあ、I濱女史やid:Mukkeもそうですがこいつらチベットキチガイのバカどもにはもう少しまともな常識をもってほしいもんです。まずはダライラマの愚行(日本ウヨとの野合やオウム真理教からの1億円の多額の金銭受領)でも「ウヨとの野合は辞めてください」「オウム被害者団体に1億円を寄付してください」などとガツンと批判してほしいもんです。期待してませんけど。
■リベラル21『ダライ・ラマ15世はなぜインドに行ったか』阿部治平*51
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-4366.html
びっくりするのは「15世」と阿部が堂々と書いてることです。
なぜなら現在のダライは「14世」だからです。今のダライが死んで「次のダライが仮に登場すれば」、それが15世です。もちろん「ダライは14世で打ち止め」「次のチベット仏教最高指導者はダライを名乗らない」とすればダライ15世は登場しませんが。
人間誰しも間違いはありますが、「チベット支援者であることを自分の売りにして、チベット関係の著書もある人物・阿部」が、こういうミスをするというのはマジで驚きます。
とりあえず阿部ブログに「誤記ですよねえ?」と5/16に投稿しておきます。コメントが掲載されるかどうか、掲載されないまでもタイトルが修正されるかどうか。まあ俺が指摘する前に「リベラル21もそれくらいチェックしろよ!」ですが。
【2018年5/20追記】
http://lib21.blog96.fc2.com/blog-entry-4366.html
拙稿表題「ダライ・ラマ15世はなぜインドに行ったか」は、「ダライ・ラマ14世はなぜインドに行ったか」と訂正します。
「14世」とすべきものをうっかり*52「15世」としてしまいました。「15世」はまだこの世に存在していません。
だそうです。ただし小生の「誤記ですよねえ?」コメントは掲載されていません。たぶん以前「あなたの日本共産党や中国への悪口雑言は事実に反する非常識なものだと思います(要約)」というコメントを「共産党に言いがかりをつけるのも大概にしろ!」「あなたの中国非難ってその辺の街宣右翼と同レベルですよねえ?。そんな人間のどこがリベラルなんですか?。鼻で笑います」などという「敵意たっぷりの罵倒コメント」で投稿したので「そのことを阿部が恨みに思ってる」のでしょう。
ただし、今回は「誤記ですよねえ?」としか投稿しておらず罵倒など何一つしてないので全く阿部という男も狭量な男です(苦笑)。まあぶっちゃけ「リベラルを名乗る人間のとる態度」じゃないですよね。まあ、そんな愚劣な人間を厚遇してるリベラル21もろくなサイトではないですね。
読者から「ダライ・ラマはなぜインドに亡命したか」というメールをいただきました。
そんなん今更阿部に聞くなよ、ですね。
阿部もいろいろ書いてるし、ダライもいろいろ講演でいったり本で書いたりしてる。
「ダライの日本事務所」サイトhttp://www.tibethouse.jp/dalai_lama/にもダライ側の言い分が書いてあります。
あまりにも「不自然な質問」なので疑えば、「そもそもそんな人本当にいるの?。(さすがに手垢のついた話を書くことに躊躇した)阿部のでっち上げじゃないの?」ですね。
で、まあ、詳しい紹介は面倒くさいので「思い切り要約しますが」阿部のいってることは「中国のチベット統治が現地住民の意向を軽視したもので、対立が深まり、ついに蜂起(暴動)に至ったから。悪いのは全て中国です」つう「うん、知ってる!。いつも君らダライ支持者がいってる話だよね!」つう話です。
まあ、阿部が個人ブログに書くのなら奴の勝手ですが、こんな手垢のついた「ある意味」くだらない話をリベラル21も良く載せるもんです。
そんなことより先日の「日中韓サミットをリベラル21としてどう考えるのか」でも載せろよと思いますけどねえ。いやもちろん、阿部の書いた記事でなくていいんで。
事情はともかくあの極右・安倍が「中国、韓国に仲良くやっていきたいと頭を下げる(安倍当人は言い訳するでしょうが結局そういう話でしょう。そしてそうした心境に安倍がなった理由の一つは加計森友による支持率低迷でしょう)」という「リベラル21が予想もしなかった」衝撃的事実に頭がパニックなんでしょうか?
第二次大戦期には、摂政ダクダ活仏らは日本勝利を信じ、連合国側がいわゆる「(中国支援の)援蒋ルート」をチベットに開こうとしたときもそっけなく断った。
(中略)
しかし、チベットにも政府の無策無能が続けば、大戦後チベットはイギリスか中華民国の植民地*53になると危惧した若者たちがいた。プンワンを指導者とする地下のチベット共産党である。彼らは政府に連合国側に立ち、土地制度を改革して農牧民を自立させ軍備を増強しなければチベットは滅びると訴えたが、相手にされなかった(のちにプンワンらはコミンテルン・中共の民族政策を知り、中共勝利の暁にはチベットは独立でき、(ボーガス注:旧ソビエト連邦のような)中華連邦の構成国になるものと信じて中共に党を挙げて加わった)。
(中略)
このようにしてラサ政府は滅びました。原因は、(中略)チベット社会上層は因習にこだわり統治能力を失い、無責任だったからです。
当時のダライ一味にまるきり政治センスがなかったこと、であるがゆえに、プンツォク・ワンギャルが「チベット近代化にはもはや外圧しかない」と判断し、中国共産党入りしたことを「ダライ盲従分子・阿部」ですら認めざるを得ないわけです。
インドは朝野を挙げてチベットに同情し亡命を受け入れた。
「民間人はともかく」、少なくともインド「政府」はそんなきれい事ではないでしょうし、阿部もそのことは解ってるでしょうにねえ。
私は、いまからほぼ60年前、東京の左翼学生の集会で指導者格の男が「ハンガリーでは反革命を事前に抑えきれず動乱になったが、中国ではチベットの貴族と反動派の叛乱を抑えるのに成功した」という演説をしたことをおぼえています。
これが長い間、左翼勢力のチベット認識でした。
今から60年前は1958年。ちょうどこの年に現天皇と皇后の婚約が発表されています(正式な結婚は翌年の1959年)。
ちなみに
・1953年
チベット解放
・1954年
第五福竜丸被爆事件
・1955年
自民党結党&社会党左右両派統一&日本共産党の六全協(共産党の分裂が終了し宮本顕治氏が書記長に就任)」
第1回原水爆禁止世界大会開催
・1956年
「フルシチョフ・ソ連共産党第一書記のスターリン批判」やハンガリー事件(ハンガリー動乱)
・1959年
ダライが亡命したラサ暴動
・1960年
安保闘争(岸内閣)と浅沼社会党委員長暗殺
・1962年
キューバ危機
・1963年
ケネディ米国大統領暗殺
・1964年
東京五輪
・1965年
文革の開始(〜1975年)
ベ平連結成(〜1974年)
・1968年
プラハの春
です。そんな昔のこと今更持ち出して何か意味があるのか。60年前ならまだしも、今時ハンガリー事件を「反革命のナジ首相をソ連が鎮圧できて良かった」なんていう左派はいないでしょう。
いまでもチベットや内モンゴル、東トルキスタンの歴史に関心をもちません。これが日本の左翼を民主主義者らしからぬ存在にしている悪しき習性ではないかと私は思うのです。
小生みたいな「心情左翼(「どっちかというと左翼」というライトな左派、そんなに強固ではない。正直、自民党宏池会が大平正芳*54が首相になった頃のようにもっとまともなら自民党支持してるかもしれない)」からすれば「左派への悪口雑言も大概にしろよ、手前」ですよねえ。
基本的に左派に限らず「外国のこと(中国に限りません)」に興味のある人は少ないでしょう。
「スペイン政府がカタルーニャ州のプチデモンさんを亡命に追い込んだのが許せない」「エジプトやタイの軍事独裁が許せない」とかあんまりいない。阿部だって、彼が興味のある外国のことは「中国限定」でしょう。
その程度のことで「左翼が民主的でない」とか言われる筋合いないですけどねえ。
つうか「民主的でない」と阿部がいうその「民主的でない」とは具体的になんなのか。
つうか阿部の立場なら、むしろそんなことより「日中韓サミットを歓迎する日本社会に失望した!。李克強*55首相の訪日、北海道訪問を歓迎する日本国民と北海道民に(以下略)」とか言えばいいんじゃないか。何もチベットその他にあまり興味ないのは左派限定ではないので。
*1:重慶市党委員会書記、広東省党委員会書記、副首相などを経て中国人民政治協商会議全国委員会主席(党中央政治局常務委員兼務)
*2:台湾軍参謀総長、首相を務めたカク柏村の息子。台北市長などを経て国民党副主席
*3:安倍の最近の親中国(?)は国内政治の絡みと言うより「中国ビジネスを犠牲にする安倍への財界からの批判」でしょうね。
*4:「はあ?」ですね。途上国は「一帯一路に安倍総理からダメ出ししてほしい」なんてことは全く思ってないでしょうに。
*7:ASEAN(東南アジア諸国連合)加盟10ヶ国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア)に、日本、中国、韓国、インド、オーストラリア、ニュージーランドの6ヶ国を含めた計16ヶ国でFTA(自由貿易協定)を進める構想。
*9:著書『キルギス大統領顧問日記』(2001年、中公新書)
*10:小渕内閣郵政相、福田、麻生内閣消費者問題等担当相、自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て第四次安倍内閣総務相
*11:コール政権婦人・青年担当相、環境相、キリスト教民主同盟 (CDU)幹事長などを経て首相
*12:著書『現代中国知識人批判』(1992年、徳間書店)、『天安門事件から「08憲章」へ』(2009年、藤原書店)、『「私には敵はいない」の思想』(2011年、藤原書店)、『最後の審判を生き延びて』(2011年、岩波書店)など。
*13:海南省党委員会書記、北京市長、副首相、党中央規律検査委員会書記(党中央政治局常務委員兼務)などを経て国家副主席
*14:てっきり「日中関係の安定的な発展」を否定するのが産経かと思ってました。どうやら違うようです。
*15:キリバス、ソロモン諸島、ツバル、パラオ、マーシャル諸島、ナウル、スワジランド(エスワティニ)、エルサルバドル、グアテマラ、セントクリストファー・ネービス、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、ニカラグア、ハイチ、パラグアイ、ベリーズ、ホンジュラス、セントルシア、バチカン
*16:岸内閣郵政相、自民党政調会長(池田総裁時代)池田内閣蔵相、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相などを経て首相
*17:最近の著書に『チャイメリカ:米中結託と日本の進路』(2012年、花伝社)、『尖閣問題の核心:日中関係はどうなる』(2013年、花伝社)、『南シナ海領土紛争と日本』(2016年、花伝社)、『習近平の夢:台頭する中国と米中露三角関係』(2017年、花伝社)、『中国の夢:電脳社会主義の可能性』(2018年、花伝社)など
*18:戦前、阿部内閣で農林相。戦後は日本中央競馬会理事長。
*19:1886〜1957年。戦時中は大東亜省の大東亜共同宣言の作成に携わった。戦後、民間人としては唯一A級戦犯の容疑で起訴された(ただし精神異常を理由に結局、裁判から除外された)(ウィキペディア「大川周明」参照)。
*20:日銀総裁、第2次山本、濱口、第2次若槻内閣蔵相を歴任
*22:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相
*25:吉田、石橋、岸内閣蔵相、吉田、岸内閣通産相などを経て首相
*26:片山内閣逓信相、鳩山内閣運輸相、岸内閣科学技術庁長官(経済企画庁長官兼務)、池田内閣科学技術庁長官、自民党政調会長(岸、池田総裁時代)、幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣通産相、外相、田中内閣副総理・環境庁長官などを経て首相
*27:吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相、科学技術庁長官などを経て首相
*29:三菱鉱業セメント社長、三菱鉱業会長、日経連会長などを歴任
*30:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相、自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相
*31:岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣外相、田中内閣蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相
*32:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相
*33:中曽根内閣厚生相、海部内閣自治相・国家公安委員長、宮澤内閣通産相、新進党総務会長、衆院副議長、民主党国対委員長などを歴任
*34:ニクソン、フォード政権で安保担当大統領補佐官、国務長官
*36:著書『中国国境 熱戦の跡を歩く』(2014年、岩波現代全書)
*37:著書『毛沢東の朝鮮戦争』(2004年、岩波現代文庫)、『中国外交 苦難と超克の100年』(2012年、PHP研究所)など
*38:著書『日本の「ミドルパワー」外交』(2005年、ちくま新書)、『日本の外交:「戦後」を読みとく』(2017年、ちくま学芸文庫) など
*39:著書『現代中国のマスメディア・IT革命』(2006年、明石書店)
*41:池田内閣官房長官、外相、自民党政調会長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相
*42:著書『日本人にとっての中国像』(1992年、岩波同時代ライブラリー)、『毛沢東』(2005年、岩波新書)、『中国という世界』(2009年、岩波新書)ほか
*43:田中内閣官房長官、自民党幹事長(田中総裁時代)、総務会長(鈴木総裁時代)、副総裁(中曽根総裁時代)など歴任
*44:著書『馬場辰猪』(1995年、中公文庫)など
*45:著書『草原と馬とモンゴル人』(2001年、NHKブックス)、『モンゴル草原の文人たち:手写本が語る民族誌』(2005年、平凡社)、『チンギス・ハーン祭祀』(2005年、風響社)『墓標なき草原(上)(下):内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2009年、岩波書店)、『続・墓標なき草原:内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(2011年、岩波書店)、『中国とモンゴルのはざまで:ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢』(2013年、岩波現代全書)、『植民地としてのモンゴル:中国の官制ナショナリズムと革命思想』(2013年、勉誠出版)、『ジェノサイドと文化大革命:内モンゴルの民族問題』(2014年、勉誠出版)、『モンゴルとイスラーム的中国』(2014年、文春学藝ライブラリー)、『チベットに舞う日本刀:モンゴル騎兵の現代史』(2014年、文藝春秋)、『狂暴国家中国の正体』(2014年、扶桑社新書)、『日本陸軍とモンゴル:興安軍官学校の知られざる戦い』(2015年、中公新書)、『モンゴル人の民族自決と「対日協力」:いまなお続く中国文化大革命』(2016年、集広舎)、『「中国」という神話:習近平「偉大なる中華民族」のウソ』(2018年、文春新書)など
*46:この事件を機にスハルトがスカルノを失脚させ大統領に就任して実権を奪ったことを考えれば「930事件は中国のせい」といえるかは疑問でしょう。「中国を口実にしたスハルトの謀略」の疑いが否定できません。
*47:著書『日本占領下のジャワ農村の変容』(1992年、草思社)、『二十年目のインドネシア』(1994年、草思社)、『「大東亜」戦争を知っていますか』(2002年、講談社現代新書)、『インドネシア イスラームの覚醒』(2006年、洋泉社)、『戦後日本=インドネシア関係史』(2011年、草思社)、『資源の戦争:「大東亜共栄圏」の人流・物流』(2012年、岩波書店)、『9・30 世界を震撼させた日:インドネシア政変の真相と波紋』(2014年、岩波現代全書)など
*48:著書『未完のフィリピン革命と植民地化』(2009年、山川出版社世界史リブレット)、『フィリピン近現代史のなかの日本人』(2012年、東京大学出版会)、『グローバル化する靖国問題:東南アジアからの問い』(2018年、岩波現代全書)など
*49:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席、党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席
*50:もちろん「反中国の知識人」でしょうね。
*51:著書『もうひとつのチベット現代史:プンツォク=ワンギェルの夢と革命の生涯』(2006年、明石書店)、『チベット高原の片隅で』(2012年、合同出版)など
*52:「うっかり」ねえ(苦笑)。
*53:植民地も何もチベット独立なんて中華民国も国際社会も認めてませんが。世間的には榎本武揚の蝦夷共和国みたいなもんでしょう。
*54:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相
*55:中国共産主義青年団(共青団)中央書記処第一書記、河南省長、党委員会書記、遼寧省党委員会書記、第一副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)