「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(11/24分:高世仁の巻)&北朝鮮最新ニュースその他色々(追記・訂正あり)

 高世以外にも北朝鮮、韓国中心にいろいろ書いています。
ブッダは心の医師
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190105
■死後はどうでもいいとブッダは言った
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190104
の続きですね。

 ブッダは、(中略)死後の世界はあるかないかなどを説かなかった。それは何の利益(りやく*1)もなく、覚りの役にもたたないからだという。それでは何を説いたか。
 「マールンクヤプッタ(ボーガス注:仏陀の弟子)よ、では、わたしによって説かれたこととは何であろうか。
〈苦の滅尽である〉」
 悩み、苦しみの原因をつきとめ、それを克服する方法を説いたのだ。

 高世の指摘が事実ならブッダは完全なリアリズムです。
 「今のつらさの原因を突き止めそれを克服するのが私の教えだ」。
 「今克服するのだから、死んだ後、生まれ変わって幸せになっても『今とは関係ない』。そもそも生まれ変わりがあるかどうかもわからない。仮に生まれ変わりがあっても、生まれ変わったときにどんな風に生まれ変わるかも分からない。当然、今の時点で『生まれ変わりの準備』なんか出来ない。だから生まれ変わりのことなんか、考えても無駄だ」
 なるほど全く道理です。ただこれに精神的についてこれる人ばかりではない。
 特に昔なんか「奴隷に生まれたら経済的に貧乏だわ、差別を受けるわ」でしょう。
 そういう人間に「現世で幸せになることを考えよう、生まれ変わりなんかあるか分からないから(正論だと思いますが)」つうても「奴隷の俺がどうやれば幸せになれるンすか!。なれるわけないでしょう。あんたは、元シャカ族の王様つう恵まれた立場だからそんな脳天気なことがいえるんすよ。いいすよ、あんたの仏教と言う思想なんか受け入れないから。生まれ変われば幸せになれるかもしれないつう教え(ヒンズー教?)を支持します。現世で幸せになることはもう諦めてますから」つうことになりやすいでしょうね。
 だからこそ「生まれ変わり」という考えがブッダの考えをゆがめる。
 あるいは「現世での幸せになる方法を考えよう」という「モノホンの仏教」はおそらく「仏陀はアドバイスするだけ」「考えて解決するのは当事者の自分」「他人のアドバイスや協力を得てもいいが、結局自分が努力しないといけない」わけです。
 たとえて言うなら「ラーメンが食べたかったら自分で作るか、ラーメン屋に行け、お経をあげてもラーメンは出来ない」「病気になったら病院に行きなさい、お経を上げても(以下略)」というような話です(例は何でもいいですが)。ラーメンならある意味どうでもいい。別に食べなくてもいい。しかし「不治の病で余命幾ばくもない」「失業して生活保護を受けてる」「息子が非行で何度も警察の世話になってる上、妻が寝たきりで介護をしている」とかそういう困難に立ち向かえと言ってもそれは楽なことではない。
 それならば、後世のでっちあげだろうと「南無阿弥陀仏と念仏すれば、南無妙法蓮華経と題目を挙げればOK」の方が楽なわけです。
 そして「これがモノホンの仏教」ならモノホンの仏教は「マルクス主義」と何ら矛盾しない。何せ神やあの世など、神秘的なものが何一つ出てこないで、「仏陀が経験したこと」しか「仏陀の教え」の前提に出てこないし、基本的には「自分で努力しなさい」が教えの根本の訳ですから。
 まるでデカルトの「我思う、故に我あり」の仏陀版ですね。

「輪廻」だが、これはお釈迦様(とりあえずブッダと呼ぶ)が登場するはるか前、古代インドですでに常識となっていた世界観で、一般庶民は輪廻を前提にして生きていたはずだ。

 高世の指摘が事実なら、つまりは「輪廻(死後の世界や生まれ変わりのこと)」は仏教の考えとは全く関係ない。それどころか「輪廻なんて考えるだけ無駄だ。今のことだけ考えろ」という考えが「仏教」だったのだという衝撃の事実ですね。チベット仏教も、少なくとも転生霊童は明らかに「モノホン仏教からの逸脱」ですね。
 とはいえ「当たり前のこと」ですが、「正しい、正しくない」と「受け入れられるか、受け入れられないか」は別問題です。
 「輪廻なんて考えるだけ無駄だ」という考えは「仮に正しいにしても」、世間の多くの人間には受け入れられなかったわけです。
 横田の奥さんが「めぐみさんは死んでる可能性が高い。そんなことにこだわるよりウンギョンさんと彼女の産んだ赤ちゃんに会いなさい。あんた、ウンギョンさんの祖母でしょ?」という「正しい事実認識」を受けいられないのと同じです。
 あるいは「米国と戦争しても負けるだけだ。ドイツに過剰な期待をするのはリスキーすぎる」という「正しい事実認識」が否定されて日本が太平洋戦争に突き進んだのと同じ事です。
 「正しければ受け入れられる」のなら苦労しない。だから「良薬は口に苦けれども病に利あり。忠言は耳に逆らえども行いに利あり(孔子)」のわけです。
 ブッダの「輪廻なんか考えるな」という良薬は「苦いが故に受け入れられなかった」わけです。

 ブッダは、人によっては輪廻を前提とした説教をし、別の人には輪廻など関係ないと語っている。その人に合わせた対機説法(教えをきく人の能力・素質にふさわしく法を説くこと)である。
 ブッダは、人間はみな「無明」という「病気」にかかっていて、これを治療しようとしたと解釈してよいと思う。その治療は一律ではなく、患者と病状に応じて適切なものを選ぶ。すべては方便なのである。
 つまり、原理原則が大事なのではなく、効果があればそれでよい。

 仏陀の考えはやはり「輪廻なんて考えるだけ無駄」でしょう。
 ただし「高世の文章が事実ならば」それで通用しそうにない人間には「輪廻があるかのような説法をした(但しおそらく輪廻があるとははっきり言わないで適当にごまかしてはいる)」つうことなんでしょうね。
 まあ「嘘も方便」です。それは高世の主張とは違い「原理原則がない」つうことではない。やはりブッダの原理原則は「輪廻なんて考えるだけ無駄だ、考えても意味がないから」「意味のないことは考えるだけ無駄だ」のわけです。
 しかし、その結果、「嘘も方便」の方が「世間に通用してしまい、仏教が輪廻を認める思想になってしまった」。
 しかしこの「高世が紹介する」仏陀の考え「結果が大事だ」は「中国最高指導者だったあの人(故人)の考え」によく似ています。
 そう「黒猫でも白猫でもネズミをとるのが良い猫だ(いわゆる黒猫・白猫論)」といって文革終了後、改革開放を推進したトウ小平です(黒猫、白猫は資本主義、共産主義のたとえで、『ネズミを捕る』が経済成長のたとえ、です)。
【参考】

トウ小平(1904〜1997年。ウィキペディア参照)
■トウの政策
 1978年10月に日本を訪れたトウは日本の経済力と技術力に圧倒された。また、同年11月には、シンガポール外資誘致の実態を見学した。これらの海外視察から帰国したトウは、党第11期3中全会(同年12月)において、「経済がほかの一切を圧倒する」という政策を打ち出した。
 その代表的な経済政策が、「改革・開放」政策の一環である経済特区の設置である。一部地域に限り外資の導入を許可することで経済成長を目指すというこの政策は、大きな成果を収めた。生産力の増大を第一に考える彼の政策は「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」といういわゆる「白猫黒猫論」に表れている。
 なお、「白猫黒猫論」は彼の出身地・四川省の古くからの諺であり、実際に彼が言ったのは「白い猫」ではなく「黄色い猫」だといわれる。
 1984年12月には、「一国二制度」構想のもと、イギリスの植民地であった香港の返還に関する合意文書に、サッチャー首相とともに調印している。台湾総統蒋経国とはシンガポール首相のリー・クアンユーらを通じて交渉を行い、1985年7月には香港などを介した大陸との間接貿易を台湾に事実上解禁させることに成功し(対中直接投資は1992年9月に解禁)、1987年11月には三親等以内の大陸親族への訪問の容認を引き出した。
■エピソード
 1978年の訪日時には様々な談話を残した。「これからは日本に見習わなくてはならない」という言葉は、工業化の差を痛感したもので、2ヶ月後の党第11期3中全会決議に通じるものであった。

 あるいはいい悪いはともかく(個人的にはいいとは全く思いませんが)、当初「迷信」として「チベットの転生霊童」に否定的だった中国共産党

・パンチェンラマ10世死後、転生霊童・11世を擁立する
ダライラマ14世死後、転生霊童・15世の擁立を計画してることを事実上認めてる

のも「その方が支配に役立つ、一番大事なのはチベットをどううまく支配するかということ、つう認識(その『支配に役立ってる』つう認識が正しいかどうかはともかく)」があるからでしょう。
 そのほかでも中国は

国共合作」=「とにかく日本軍に勝てればいい。国民党との関係は後で考えれば。大体、軍事的に劣勢やから国民党には勝てそうにないし(最終的には「国共内戦での共産党勝利」という形で片がつきましたが)
「香港の一国二制度」=「とにかく英国を納得させて香港が帰ってくれば、ひとまずそれでええ。あの制度を今後どうするかは後で考えれば」
「一つの中国」=「とりあえず台湾の独立宣言が阻止できれば、ひとまずそれでええ。軍事統一なんか無理やし、平和的統一の可能性も近未来では少ないやろ。統一は遠い将来の課題でええ」
「対日戦争賠償の放棄」=「とりあえず日本と国交正常化することが最優先や。放棄する代わりにODAとかで日本はそれなりに配慮してくれるそうやし」

つう「仏陀的現実主義」だったわけです。
 「中国共産党=ある意味仏陀的(仏教的)」とは驚きの事実です。
 それはともかく、ということは

「拉致の解決」も「仏陀的にはすべては方便であり、拉致被害者帰国という結果さえ出ればいい」。
 だから仏陀的には「拉致被害者が帰国するなら経済支援でバーター取引してもいい」「蓮池透さんを家族会から除名した連中は間違ってる」と思うんですがどうなんすか、高世さん?。
 少なくとも仏陀的には「16年やって効果のなかった制裁はやめた方がいい」と思うんすけど、どうなんすか、高世さん?

そういう意味では「よど号事件」「ダッカ事件」で犯人と取引したことも、仏陀的には「被害者解放が実現できた。残念ながらあの時点ではあれ以外に方法がなかった」つうことで問題ないすよね?
 で「よど号ダッカ」での犯罪者との取引を認めるなら、国連加盟国・北朝鮮と取引しても問題ないすよね?

 そういう意味では仏陀的には横田奥さんはウンギョンさんともっと会うべきですよね。
 「輪廻の存在は分からない、分かったところで対応のしようがないから意味がない」のと同じ(?)で「めぐみさんが生きてるか分からない。ウンギョンさんに会わなければめぐみさんの生死が分かるわけでもない」ですから。つうか「輪廻の存在が分からない(あるという根拠がないから)」のと同じ(?)で「生きてるつう根拠ない」んだから「めぐみさんの生死」なんか考えるだけ無駄ですよね。とりあえず「死んだつう最悪の想定」しといた方がよくないすか?

そういう意味では太陽政策仏陀的ですよね。「戦争の脅威が避けられるなら北朝鮮に経済支援してもええやないか」つう話ですから。

て俺が聞いたらどう答えるんですかね、高世は。たぶんだんまりで逃げるんでしょうけど(苦笑)。
 そういう意味では野党共闘も「仏陀的」ですよね。さすがに共産党も原理原則を完全無視はしてないでしょうが、それに必要以上にこだわらずに

沖縄県知事選で安倍自民選挙敗北という結果があればいい
堺市長選で橋下維新敗北という結果があればいい

つうことで、「元自民の翁長氏」や「元維新の竹山氏」を支援したわけです。
 このブッダ的な考えによれば北方領土問題も

 とにかく島の返還を最優先に考えるのなら、方便は何でもいい

つうことになります。まあ、島は帰ってきそうにないですけどね。
 しかしこうなると「ブッダは心の医師」かどうかはともかく一般的な宗教とはやはりかなり異質な気がします。


■死後はどうでもいいとブッダは言った(その2)
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190104
 さて死後のことなどどうでもいいとブッダは言ったという話を下で紹介しましたが高世によれば仏陀はそのとき、次のような例え話をしたそうです。

『マールンクヤプッタ(ボーガス注:仏陀の弟子)よ、それは、ちょうど、人が毒を塗られた箭(や)をもって射られたようなものである。すると、彼の友人・仲間・親族・縁者は、彼のために箭医を迎えにやるであろう。だが、彼は、〈わたしを射た者は、クシャトリア*2なのか、ブラーフマナ*3なのか、ヴァイシャ*4なのか、あるいはシュードラ*5なのか、それが判らないうちは、この箭を抜いてはならない〉といったとするがよい。また、彼は、〈わたしを射たものは、いかなる名、いかなる姓であるか、それが判らないうちは、この箭を抜いてはならない〉といったとする。
(略)
 それでは、マールンクヤプッタよ、その人は、それらのことが知られないうちに、そのまま命終(みょうじゅう=ボーガス注:死ぬこと)しなければならないであろう。

 「死後の世界があるか、生まれ変わりがあるか知ること=矢を射た犯人が誰か知ること」「現実世界で幸せになること=矢を抜いて毒を吸い出し命を救おうとすること」というのはたとえが変な気がしますが、それはさておき。
 この例え話、「北朝鮮拉致問題」を考える上で大変面白い材料を提供しているかと思います。
 要するに「優先順位を考えろ。優先順位の低いもんは後回しでええ」つう話です。
 仏陀が言うように「毒の矢で射られた人が死なないようにすること」、つまり「治療だけ考えれば」犯人が誰かなんかどうでもいい。犯人が誰かなんて事は「刑事処罰の時だけ」問題になる話です*6。「犯人が誰か分からないと治療できない」なんて馬鹿なこと言ってたら死んじゃう。
 でこれは拉致も同じで「拉致被害者の帰国」だけ考えれば『拉致実行犯は誰なのか、それが分からないウチは拉致問題は解決しない』『そもそも北朝鮮のような独裁国家が存在していいのか』とかそういう話ではないわけです。
 ブッダが「犯人が誰かとか、とりあえず後でええ。まず治療が大事や。死んでもええんか。優先順位を考えろ」つうのと同じで「犯人が誰かとか、北朝鮮みたいな独裁国家が存続してええのかとか、とりあえず後でええ。拉致被害者の帰国が一番大事と違うのか。拉致被害者が死ぬまで帰国できなくてもええんか。優先順位を考えろ」つう話です。
 まあ巣くう会が「拉致被害者の帰国を口実にした、ただの反北朝鮮右翼団体」てのはわかってますが、それに引きずられる家族会は本当にバカだと思います。
 

■死後はどうでもいいとブッダは言った(その1)
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190104
 高世が中村元先生*7の『ブッダのことば:スッタニパータ』(岩波文庫)を読んだらそういう話が出てきたそうです。
 さて「話が少し脱線しますが」中村先生と言えば、無知な俺ですら「バカなので、彼の本を読んだことは一度もないが、名前ぐらいは知ってる日本仏教学者のビッグネーム」です。
 仏教学者の世界においては「漫画界における手塚治虫、藤子F(藤本弘)、藤子A(我孫子素雄)、赤塚不二夫石森章太郎並のビッグネーム」「日本での死刑廃止論における団藤重光*8なみのビッグネーム」といっていいでしょう(まあたとえは何でもいいのですが)。
 『日本学士院会員。勲一等瑞宝章文化勲章紫綬褒章受章(ウィキペ「中村元」参照)』という大物ですが、こういう仏陀逸話を中村先生が著書で紹介していることを知ってる人はおそらく少ないでしょうね。
 つまり大抵の凡人は「ホニャララ先生(例えば中村先生)ってすごいらしい」と聞いても、「中村先生の本を一度も読んだことがない俺」と同じで、わざわざその先生の本を読もうとはしないことが多いって事です。「よく分からないが、皆がすごいつうから、すごいんだろう」で終わってしまう。
 「例は何でもいいですが」、例えば共産党員は「マルクス*9エンゲルス*10レーニン*11はすごい」つう立場で、反共主義者は「マルクスエンゲルスレーニンはろくでもない」つう立場ですが、じゃあ彼らのほとんどが「マルクスエンゲルスレーニンの著作は全部読んだか」つうと必ずしもそういうこともないでしょう。何せ分量が多いですから。ましてや「きちんと理解する」となったらもっと大変です。
 話が脱線しましたが、ブッダの逸話については詳しくは高世の文を読んでほしいと思います。
 以下は俺の高世文章要約です。
 仏典に次のようなブッダ(お釈迦様、ゴータマ・シッダッタ)の言行録があるそうです。
 ある弟子がブッダに「あの世はあるのですか、生まれ変わりはあるのですか?」と聞いた。
 そうしたらブッダは「そんなことは私にはわからない。そして分かったところで意味がない(注:あの世がないとはいっていません。「分からない(真偽不明)」というのは「ない」とは違います。もちろん「ある」ともいっていませんが)」といった。
 何で意味がないのか?。
 「お前には前世の記憶が、あの世の記憶があるのか?。『生まれ変わりがあるのですか?、あの世があるのですか?』と私に聞いているのだからないのだろう?。だったら、仮にこれから死後のお前に生まれ変わりがあっても、生まれ変わったお前にはそのときは今の記憶は全くないはずだ。だったらお前は今の経験を生まれ変わったときに生かすことは出来ない。だったら生まれ変わりの有無なんか知っても意味はない。そしてどっちにしろ生まれ変わったお前の人生は今のお前の人生とは関係ない。生まれ変わりがあっても今のお前の人生が幸せになるわけでも何でもない。幸せになるかもしれないのは、生まれ変わりとはいえ、『今のお前の記憶はない』、『赤の他人も同然』な人間だ。だったら今を一生懸命に生きる。それしかないだろう?。違うか?」と。
 ひねりの全くない、直球ストレートな正論です。
 「であるなら、死後の世界があるという仏教(日本仏教は全部そうじゃないか?)、生まれ変わりがあるという仏教(例:チベット仏教の転生霊童)はモノホンの仏教じゃないの?」  
チベット仏教の転生制度(転生ダライ・ラマ、転生パンチェン・ラマ制度)ってモノホンの仏教じゃないの?。」。
 うーん、論理的にはそういうことになるんでしょう。そのあたり「ダライを褒め称える」高世に聞いたらどう答えてくれるのやら。あるいはI濱女史、id:Mukke、阿部治平といった「ダライ盲従主義の方々」の方々にこの話の感想を聞いたらどう答えてくれるのやら。
 しかしこの高世の主張が事実なら仏教は通常の宗教とは異質な気がします。
 「死後の世界なんか考えても意味がない」なんてまるで儒教の「怪力乱神を語らず」や「マルクス主義などの無神論」、あるいは伊藤栄*12検事総長の著書名『人は死ねばゴミになる』(1998年、小学館文庫)のようです。
 もちろん「儒教マルクス主義に似てる気がする」といっても「ということは儒教文化圏マルクス主義=日本、中国、北朝鮮ベトナム共産党はモノホンの仏教に親和的」「つまり中国共産党の方がダライ一味よりもモノホンの仏教に近い立場にある*13」なんて馬鹿なことは言いませんので念のため。
 それにしても「仏典にそういう話が出てくる」なら明らかに「死んだら悪人は地獄に行って善人は極楽浄土に行く(日本仏教)」云々とか、「チベット仏教の転生霊童」など「後世のでっち上げの訳」です。でもそういうことがまかり通るのは、いかに人間(特に過去の人間)に「死んだらおしまいなんて嫌だ、こんな人生で終わったら惨めだ」つう思いが強いかと言うことです。「今だって不幸な人は不幸ですが」、どこの国でも、昔は貧乏人は「ろくに食べ物も食えず、働きずめに働いて、それでも経済的貧困にあえいで死ぬ」ことが多かったわけです。そうした人々にとっては「死後の世界なんかあるか分からない、分かったって今の人生にとって意味がない。大体生まれ変わりがあったって、生まれ変わる前の記憶がないんじゃ別人と同然じゃん。そんなん意味あるの?。生まれ変わったときに幸せになれる保証もない」つう「仏陀の正論」は「そりゃそうかもしれないけどそんなのは嫌だ」「生まれ変わりの記憶がなくたって、今の人生と関係なくたって『生まれ変わったら幸せになれるかもしれない』と思うだけでも今の人生が楽になる気がする」のわけです。
 世の中は『人は死ねばゴミになる、でもゴミになるまでは一生懸命生きていこう』と達観できる伊藤元検事総長のような人ばかりではない。

【参考】

https://blog.goo.ne.jp/a1214/e/e3b0c0c3deee9a07f9147d31eef2de11
伊藤栄樹『人は死ねばゴミになる』2006年08月25日
 伊藤栄樹『人は死ねばゴミになる』は、真宗の人(にかぎらないだろうが)にはどうも評判が悪い。
最近の日本人は、死んだらおしまいだ、だから生きている間に好きなことをしなくては、今さえよければいい、という風潮なんだ、と言う人が多く、そのいい例として『人は死ねばゴミになる』が挙げられる。
 林暁宇師は『むなしさをこえる』という本の中で、ガンでなくなった鈴木章子さんの「未完のままに」という詩を紹介している。

伊藤栄樹さま
「人間死ねばゴミになる」
 残された子に
 残された妻に
 ゴミを拝めというのですか
 あなたにとりましては
 亡くなられた
 お父上
 お母上も
 ゴミだったのですか

 林師、鈴木さん、お二人とも死んだらお浄土に往生し、亡くなった人たちと再会すると話されている。
 だから、伊藤栄樹の死んだらおしまいという考えはとても受け入れられないのだろう。
 しかしながら『人は死ねばゴミになる』は、鈴木さんの言うような意味で「死んだらゴミになる」と言っているわけではないことは読めばわかる。
 伊藤栄樹は検事総長在任中(62歳)の時に、盲腸ガンになる。
 医者との会話から、早くて数ヵ月、長くて2〜3年だと判断する*14
 そして、仕事を片づけて適当な時に辞める、残された妻が困らないようにする、ということを考える。
 このあたり、ものすごく冷静であるし、潔い。
 石鹸を見ては「わが人生最後の石鹸になるのではないか」と思い、「来年のプロ野球はもう見ることができないはずだ」と考える。
 そうこうしているうちに、「ぼつぼつ一番大事なことに決着を付けておかなければならないと思い至った。つまり、私自身、まもなく間違いなくやってくる自分の死をどのように納得するかということである」
 そこで、妻を相手にこういうことを話す。
 伊藤栄樹の家は浄土真宗門徒である。

 しかし、仏教という宗教を信じているわけではない。僕は、神とか仏とか自分を超えたところに存在するものにすがって心のなぐさめを得ようという気持ちには、とうていなれそうにない。
(略)
 僕は、人は、死んだ瞬間、ただの物質、つまりホコリと同じようなものになってしまうのだと思うよ。死の向こうに死者の世界とか霊界といったようなものはないと思う。死んでしまったら、当人は、まったくのゴミみたいなものと化して、意識のようなものは残らないだろうよ。

 このように霊魂や死後の世界を否定する。
 それに対して妻は、「でも、あなたのような冷たい考え方は、いやよ。死んでからも、残された私たちを見守っていてくれなくては、いやです」と言うのだが、伊藤栄樹はあくまでも霊魂を否定する。

 死んでいく当人は、ゴミに帰するだけだなどとのんきなことをいえるのだが、生きてこの世に残る人たちの立場は、まったく別である。僕だって、身近な人、親しい人が亡くなれば、ほんとうに悲しく、心から冥福を祈らずにはいられない。それは、生きている人間としての当然の心情である。死んでいく者としても、残る人たちのこの心情を思い、生きている間にできるかぎりこれにこたえるよう心しなくてはなるまい。

 チベットでは、死体は抜け殻だからというので、死体を鳥に布施する、つまり食べさせるわけで、伊藤栄樹の考えが間違っているわけではない。
 伊藤栄樹の考え、生き方に共感する人は多いと思う。
 もっとも、遠藤周作が「我々に先だって死んだ愛する者と死によって再会できるという希望は、大きな悦びになる筈だ」と書いていることに対して、

 私には、乱暴ないい方をすれば、死んだ後までこの世のきずなを引きずらされてはかなわんなあ、という気さえする。

という感想を述べているが、いくらなんでもさばさばしすぎではないか。
 柳田国男じゃないが、子孫の行く末が気になるのが普通のように思う。
 伊藤栄樹が死んだ人がゴミになったとは思っていない証拠に、元検事総長布施健*15が死んだ時、「元検事総長が亡くなられると、現職の検事総長が葬儀委員長を務める例となっている。誠心誠意務めさせてもらおう」と、病身をおして葬儀委員長の引き受けている。
 そして葬儀について次のように書く。

 葬儀委員長として弔辞を読み、御遺族とともに最後まで会葬者に立礼して、無事務め終わった。布施先生の霊よ、安らかにお休みください。

 霊魂を否定しているのにこんなことを言うなんて矛盾だが、自分の死と大切な人の死について受け止め方が違うわけで、そのあたり面白いと思う。
 佐倉哲という人がHPに、増谷文雄*16の文章を引用し、そして死後の世界についてこういうことが書いている。

http://www.j-world.com/usr/sakura/buddhism/masutani.html
 何がわたしにとって衝撃的であったかというと、ここで増谷文雄氏が思いを馳せておられる「死後の世界」というものが、死後に氏が行く世界のことではなく、死後に氏があとに残して行くこの世界、つまり「人類の運命や世界の成りゆき」のことだ、ということです。わたしはうまれてはじめて仏教の「無我」という言葉の意味がわかるような思いがしました。同時に、「死後の世界」というと、ただちに、死後における自分の運命や成りゆきのことしか思いを馳せぬ思想が、とても貧弱なものであるように思うようになりました。
(略)
 単純な事実は、わたしが死んで塵と帰しても世界は依然として存在し続けるであろうということです。しかも、わたしが今日いかに生きるかということは、その世界と無関係ではあり得ないのです。

 「人類の運命や世界の成りゆき」のために「せめて石ころの一つでも貢献をしたい」と言う増谷文雄や佐倉哲と同じように、伊藤栄樹も自分が死んだ後のこの世のために今できることを精一杯しなければ、と伝えようとしているように思う。
 「死んだらおしまいだから今を楽しく」ということは伊藤栄樹の考えからはかけ離れている。
【コメント欄のコメント】
・伊藤さんのように、社会的にかなり有意義に仕事ができる人ではなくても、「自分は精一杯やった。これでよし」と思えれば、死後の世界なんていらないようにも思います。そして、自分の遺志(といえば大げさですが)を受け継いでくれると思われる人にバトンタッチすればそれでいいような気もします。

 しかし、「高世の紹介する話」が事実なら皮肉にも伊藤氏の生き様こそが「真の仏教だった」わけです(伊藤氏は死後の世界を明確に否定し、仏陀は死後の世界があるか、不明としている点は違いますが、いずれも「死後の世界」を重視しない点は同じです)。
 それはともかく「伊藤氏のような人は少ない」ので、「真の仏教が世間に受けない」その結果、「仏陀の教えを説いても『えー、死後の世界や生まれ変わりがあるか分からないの?。じゃあー死んだらそれで終わりかもしれないの?。嫌や、そんなん』つうことで全然受けない。信者がいないと教団がやっていけない。死後の世界はあることに、善人は極楽に行って悪人は地獄に行くことにしよう」つうことで仏教が「原理原則から外れていった」のでしょう。
 つまりは仏教の原理主義(初心に返ること、原理原則に戻ること)は「死後の世界や生まれ変わり(輪廻転生)を否定すること」ですね。
 ということで改めて高世の言う
■仏教は原理主義になりえない
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190103
つう事は間違いだと言うことが分かります。つうかここで俺が書いてることは高世も気づいてると思うんですけどね。いつもながら高世も変な奴です。


■仏教は原理主義になりえない
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190103

金剛般若経」など般若系の経典を読むと、これは我々がふつう「宗教」と呼んでいるものとは違うのではないかと思えてくる。
「私(如来)は(特定の・実体的な)真理を説いている」と私が考えていると、言ったり思ったりしてはならない。なぜなら、もし、誰かが「如来は特定の真理・実体的な真理を説いている」と言ったら、実はそれは仏を謗ることになるからだ。私が説いていることをわかっていないからだ、と厳しく諌めている。(P251〜)

 意味がよく分かりません。「特定の真理・実体的な真理を説いていない」とはどういう意味なのか。
 科学に例えれば「正しい結論ではなく正しい結論に至ることが出来るであろう方法論を説いているのだ」つうことか。
 ただそれだって「真理を説いていること」になる気がしますが。

 つまり、「仏教の教えはかくかくしかじかである」と絶対視し押しつけてはならないわけで、「原理主義」的な仏教はありえないことになる。あらためて仏教(大乗仏教)は「宗教」というより、哲学であり、人の生きる道の探求なのだなと再確認した。

 いやいや「仏教の教えはかくかくしかじかである」つうのは当然あると思いますね。それなかったら教えじゃないでしょう。
 そして「かくかくしかじかである」つうのは必ずしも「押しつけ」ではない。単に「私は仏教の教えはかくかくしかじかだと思う」つう価値判断に過ぎないわけで、暴力を伴ってるわけではない。
 つうか仏教に限らず「何でもあり」つうたらそれもはや教えじゃないでしょう。
 「何でもあり」なら戦前日本仏教の戦争協力(権力の恫喝により協力せざるを得なかった面が大きいですが)も「あり」なのか。戦後の仏教教団の反省表明は必要なかったのか。そんな馬鹿な話はないでしょう。
 そもそも高世の「原理主義理解」も間違ってると思いますね。原理主義つうのは文字通り『その宗教や哲学の原理原則に帰れ』つう意味でしかない。必ずしも押しつけではない。
 ただキリスト教原理主義イスラム原理主義ヒンズー教原理主義とか実際に存在する「原理主義と呼ばれるグループの多く」が暴力的で排他的なだけでしょう。
 ただ原理主義を「現実にいかに矛盾していようとも教祖の言ったとおり、教典に書かれたとおりにするのが正しい」と理解するならこれはどんな宗教であれ「現実から乖離した押しつけ的なもの」になるでしょうね。
 教祖や教典は「100パーセント無問題な無謬の存在」ではありえないからです。どうしても時代の限界がある。
 たとえば聖書に書かれた天地創造説なんて明らかに事実じゃないわけです。
 あるいは日蓮宗国立戒壇なんか現実問題、実行できない。
 そういうところはいかに原理主義を唱えても、まともな人間なら現実に妥協せざるをえない。
 とはいえ「だから原理原則なんかどうでもいいんだ」つう話でもないでしょう。

 ところが困ったことに、仏教を名乗る新興宗派に極端な原理主義的傾向がみられる。最近、たまたま知り合った人から「会いたい」と喫茶店に呼び出され、行ってみるともう一人知らない人も同席して、激しい「折伏(しゃくぶく)」を受けた。日蓮系の団体で、狂信的な表現と口ぶりに恐怖感さえ覚えた。彼らこそ仏を謗るもの、だろう。

 そういうのは原理主義ではなく過激主義とでも呼んだ方がいいんじゃないか。何度も言いますが原理主義とは言葉の意味としては『その宗教や哲学の原理原則に帰れ』つう意味でしかないからです。
 それはともかく。今思ったんですが、高世が批判する「原理主義的な態度(俺の言葉だと過激主義的な態度)」って、もろ横田の奥さんですよね。
 「北朝鮮には制裁するしかない、異論は認めない」「めぐみは絶対に生きてる、異論は認めない」「異論を唱える奴はバカか、北朝鮮の手先だ」てもう排他的なことこの上ない。
 やはりこれは奥さんの信じてる宗教が「仏教ではなくキリスト教だから」なんでしょうか(もちろん冗談)。
 冗談はともかく、高世は本気で「原理主義的な態度(俺の言葉だと過激主義的な態度)は良くない」と思うなら横田奥さんに「もっと人の声を聞いた方がいい。自分の考えと違うからと言って田中均氏、蓮池透氏などを敵視すべきではない」というべきでしょう。まあ、高世がそんなことを奥さんにいえるとは思いませんし、言ったところであの奥さんは高世を敵視するだけでしょうが。


氏神さまへ初詣
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20190101
 小生の記事日付が11月なのに、ネタにしてる高世記事タイトルが「氏神さまへ初詣」となってる点はご容赦下さい。
 なお、「氏神」とは「自分が住んでる地域の神」なので「埼玉に住んでる人間(俺の場合)」が「明治神宮(都内)」など県外の神社に行くのは「氏神様に初詣」にはなりません。しかし小生も最近は「大晦日、正月三が日は混んでる」ので面倒くさくなって初詣なんか全く行かなくなりました。
 「神社本庁が右翼の巣窟だ」「以前読んだ本によれば初詣が全国的に行われるようになったのは明治以降に誕生した風習に過ぎない」つうのも行かないことを助長しています(行かないメインの理由は単に「面倒くさいから」ですが)。

今年の年賀状には、昨年を振り返って・・
喜:シリアで拘束された安田純平さんの無事帰国
怒:いっこうに先が見えない拉致被害者の奪還
哀:入管施設に長期収容中の難民申請者のハンスト
楽:民俗学者宮本常一*17の故郷、周防大島への旅
と書いた。

 俺的には
喜:
 沖縄県知事選でのデニー氏勝利
 米朝首脳会談、南北首脳会談による緊張緩和の流れ
 安倍が「昨年5月に李克強*18首相を歓迎する」「昨年10月に訪中し習近平*19主席と会談」などし、正式に一帯一路参加を表明(安倍の中国敵視路線に公的にストップがかかった)
 日朝国交正常化議連の活動再開、
 米国下院選での民主党勝利、など
怒:
 いっこうに明るい結果(差別の廃止)が出ない朝鮮学校差別問題。特に「一部下級審での原告勝訴判決を除き」裁判所が安倍に忖度して不当判決を下してることが許しがたい。
 安倍の自民党総裁選勝利
 安倍のせいで悪化の一途をたどる日韓関係
 安倍のせいで強行された5兆円を超える大軍拡
 沖縄県知事選で敗北しても辺野古基地移設を強行しようとする安倍
 「次の質問どうぞ」などというふざけた態度をとって恥じない河野と、そこから予想される「対ロシア外交での日本敗北」
 安倍による「ただの人気取り」としか思えないオウム死刑囚処刑
 安倍らが西日本豪雨による被害が予想される前日に非常識にも酒盛り(宴会)してたこと、しかもそれを恥知らずにも当初、インスタグラムに掲載したこと(批判を受け後に削除)
 安倍によるIWCの脱退
 安倍に忖度したとしか思えない植村元記者の櫻井よしこらへの不当敗訴
 杉田水脈LGBT差別問題
  但しこれによって新潮45が廃刊されたことは「喜」ですね。まあ、まともな雑誌に生まれ変わればそれでもいいですけどありえないからね。
 モリカケ疑惑。特に検察が森友疑惑で政治家どころか財務官僚すら誰一人起訴しなかったこと。
 いつまでたっても安倍万歳をやめない拉致被害者家族会の馬鹿さ
 検察が起訴するや、今まで散々持ち上げていたのに、手のひらかえしでゴーンを袋だたきにするマスゴミ
 東京医科大の女性差別入試問題
 サウジアラビアのジャーナリスト殺害問題、など
哀:
 清水寺のイベントで『昨年を代表する漢字』が「災」となるほど、発生した災害
 幼い子どもリンさんを殺され、『被告人への死刑』を求めるベトナム人父母(ベトナム人父母への怒りはそれほどないですね。彼らを持ち上げる『死刑愛好家』への怒りはありますが)
 また、怪我による長期欠場となったフィギュアスケートの羽生*20、など
楽:思いつかないので省略
など
ですね(個人情報をもらしたくないので個人的な喜怒哀楽については書きません)。
 怒について、付け加えれば
1)ほとんど安倍がらみ。安倍が退陣すればこの怒りも大分和らぐと思う
2)高世については、

 何が『喜:シリアで拘束された安田純平さんの無事帰国』だ。高世はふざけんな。手前が『身代金を払わなくても安田は救出できる』とほざいて、彼の救出の足を引っ張ったことは俺は忘れてねえからな。黙ってろ、馬鹿野郎!

 何が『怒:いっこうに先が見えない拉致被害者の奪還』だ。高世はふざけんな。手前が制裁路線など支持するから先が見えないんだろうが!。外交交渉以外に解決の道があるわけねえだろ!。そして制裁してて外交が成立すると思ってるのかよ!。黙ってろ、馬鹿野郎!

と高世のような「馬鹿でくずに」は改めて怒りを覚えました。
 高世には

・高世のようなクズは会社が倒産したあげく、がんでのたうち回って死ねばいいのに。
・高世のかみさんと子ども(所詮、高世の肉親なので多分、高世と同類のクズ)が交通事故とか自然災害(台風など)とかで突然死んで、高世一人生き残るってのでもいいけど。ああ、でも高世先生ってゲスだから、そういうときに『俺さえ生き残ればそれでいい』と考えて悲しみとか覚えないんでしたっけ?

とすら思います。


■わが心深き底あり喜びも憂の波もとどかじと思う
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181231

ここからは岡野先生の本の引用。
《(前略)
 覚ったら悩みがなくなると想像している人がいるが、非常に深い覚りを開いた人も、現象としていろいろなことに悩むことはなくならない。しかし、心の深いところで、それから解放されているということのようである。
 西田幾多郎*21は、坐禅をしながら哲学をした有名な哲学者で、世間的には生前にすでに日本最高の哲学者と讃えられた人であるが、家庭的にはいろいろ不幸なことがあったという。そういう不幸の真っただ中に日記に書いた和歌が残っている。
 わが心深き底あり喜びも憂(うれい)の波もとどかじと思う
 心の表面には確かに喜びや悲しみが波立っているのだが、その波は私の深い心の底には決してとどかない、という心境を歌っている。》(P240-241)
 悩みを避けることはできない、しかし、その底に宇宙と私への全肯定があればいい。この境地をしっかり自分のものにしたいものだ。

 そういうお題目でなんとかなるなら、その人は「よほど人間が出来ているか」、「ご本人が思ってるほど不幸ではないか」どっちかでしょう。
 小生は「人間が出来てない」のでつまらないことでも「喜んだり、悲しんだり」「焦ったり、慌てたり」「怒ったり、いらついたり」します。
 我ながら恥ずかしい。なんとか「不動の精神」を身につけたいですが「仕方ないじゃないか、凡人だもの(相田みつを風に)」と一方では思います。


■沖縄の海兵隊に戦略的重要性なし、と米元高官
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181230

 きのうのTBS「報道特集」の「偽情報で開戦〜イラク戦争15年」では、なぜ、イラク大量破壊兵器を持っているというウソの情報でアメリカのイラク侵攻がはじまったのかを追っていた。
 15年前、アメリカのコリン・パウエル*22国務長官は国連で、サダム・フセイン大量破壊兵器を所有している明確な証拠があると述べた。誠実なイメージのパウエルのこの演説は開戦を決定づけたが、後に彼は、この演説は自分の経歴の汚点だと語っている。
 「報道特集」では、当時のパウエルの首席補佐官だったローレンス・ウィルカーソン氏(Lawrence Wilkerson)にインタビュー。ウィルカーソン氏こそ、CIAの情報からの情報をチェック、分析してパウエル演説を準備した人物だ。ウィルカーソン氏は後に当時を振り返って、戦争をやりたくて仕方がないネオコンを率いるチェイニー*23副大統領がCIAを11回訪れて、戦争に踏み切るのに都合のよい情報を出せと「圧力」をかけたと見ている。

 ウィルカーソン氏の読みが正しければ、当時の米国は「誤認識で戦争したのではなく」、チェイニーなどネオコンが『戦いたい理由が何かはともかく』イラクと戦争がしたいが故に、「大量破壊兵器があるという主張に都合のいい情報(怪しい情報でも)だけ」をセレクトして無理矢理戦争に突入したというとんでもない話になるわけです。

 彼は別の番組で、イラク戦争時、集団的自衛権が使えていれば、日本政府に参戦を要請していたとも語っている。

 その危険性は否定できないでしょう。
 つうかベトナム戦争についても「集団的自衛権が使えれば韓国のように日本への参戦を要請していた」といいますからね。

さらに彼は今月、『琉球新報』の取材に沖縄の海兵隊駐留に戦略的意味がないと明言している。https://ryukyushimpo.jp/news/entry-852864.html

 「戦略的重要性なし」とは「絶対に沖縄に置かなくてはならない理由はない」「軍事的合理性だけ考えるのならば、日本の本土や場合によっては米国本土でもいい」つうことです。
 単に「米国本土や日本本土では反対運動を押さえ込めない」つうだけの話に過ぎないわけです。


■「人権派ジャーナリスト」の性暴力
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181229

 26日はジン・ネットの忘年会。夜8時、元軍事ジャーナリスト、カトケンこと加藤健二郎さん*24によるバグパイプ演奏がはじまる。

 この加藤氏については以前(2011年、2012年、2016年、2017年*25)もこの時期(12月下旬)に高世は

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111228
・26日の月曜日は朝からオフィスの大掃除、そして夜は忘年会だった。
 忘年会を締めくくったのは、軍事ジャーナリストの加藤健二郎さんによるバグパイプの演奏だ。バグパイプが発する音のボリュームはすさまじく、体がビリビリ震えてきそうだ。
加藤健二郎さんは、チェチェンコソボ中南米イラクなど非常に危険な戦場を渡り歩いてきた戦場カメラマンでもある。
 弊社も加藤さんにイランからイラクへの潜入を依頼したり、いろいろお世話になっている。
・「東長崎機関」という怪しげなグループを率いており、アフガンで拘束された常岡さんなどもこの一派*26である。
http://www.higashi-nagasaki.com/
 近年はバグパイプ演奏活動ばかりになっている*27が、ちょっと寂しいなあ。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20121227
 きのうは会社の忘年会だった。
 飲みすぎて一日二日酔い。
 今年も戦場ジャーナリスト*28加藤健二郎さんがバグパイプ持参で来てくれた。本格的なスコットランド(でしたね?)の衣装に着替えて、素晴らしい演奏を披露。大音響で元気よく一年を締めくくることができた。

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20160127
 先週金曜は、弊社の大掃除と新年会だった。
 新年会は今年お世話になった方々とうちのスタッフだけの内輪の宴会で、特別のおもてなしはないが、恒例のバグパイプ演奏は好評だ。
 奏者は元戦場ジャーナリスト加藤健二郎氏。
 「スコットランドザブレイブ」、「マッサン」のテーマ(麦の歌)などのほか、「インターナショナル」と「君が代」も演奏し てもらった。大音響でいい景気づけになった。さあ今年もガンバロー!

http://d.hatena.ne.jp/takase22/20171230
 28日は、うちの会社「ジン・ネット」の大掃除と忘年会。
 忘年会では、恒例のバグパイプ演奏で景気よく一年を締めた。奏者は、かつて戦場カメラマン、軍事ジャーナリストとして活躍した加藤健二郎さん。いまや日本でトップレベルのバグパイプ奏者だ。

として「忘年会を今年も友人の加藤さんがバグパイプ演奏で盛り上げてくれました」と、ブログ記事で紹介しています。たぶん特別なこと(「加藤氏と高世がけんか別れする」、「ジンネットが倒産して会社の忘年会を当然ながらしなくなる」、「加藤氏または高世が死亡する」など)がない限り来年も同じ時期(12月下旬)に高世は同じ記事を書くのでしょう。
 バグパイプは加藤氏の趣味ではなく今は「これが商売」で「転職した」ようです。
 ということで「元ジャーナリスト(現在はプロのバグパイプ演奏家)」加藤氏のことを「ジンネットの忘年会でいつもバグパイプ演奏で盛り上げてくれる」「昔は一緒にジャーナリズム活動した」友人としてブログで触れる高世も「過去に共著まで出した」「自称・現役ジャーナリスト」常岡については本当にブログで全く触れなくなりました。高世も「常岡との過去の関係はなかったことにしたい」、今はそういう関係性なのでしょう(苦笑)。もちろん常岡は「おそらく」ジンネットの忘年会には行かなかった。さすがに来たら常岡の忘年会出席について高世も何か書くんじゃないか(おそらく高世から常岡への忘年会開催の連絡もなかったし、常岡も連絡もないのにジンネットの忘年会にのこのこと行けるような親しい関係では今はないのでしょう)。
 それはともかく、今回の広河氏*29の件については「安倍と家族会」みたいだなとは思いました。
 本来批判されなければいけない人間(安倍や広河氏)がなぜか「被害者」に批判されない。
 広河氏の性暴力(セクハラ)が批判されなかった理由と、「家族会が未だに安倍批判しない理由」とは違いますけどね。不合理がまかり通ったという意味では同じです。
 ということで高世大先生におかれては「家族会にいい加減安倍批判するように」、そして「蓮池透氏と和解するように」是非とも「親しい関係にあるらしい」横田奥さんに働きかけてほしいのですがね。
 やっぱ「性暴力の疑惑を知りながら、にもかかわらずしがらみから広河氏を批判できなかった疑いのある彼の周囲の人々=横田奥さんと高世大先生の関係」だからそんなの無理ですか?
 ですよね、偉そうなこと抜かしても高世大先生てその程度のくず野郎ですもんね(皮肉のつもり)。
 他にも高世に軽く突っ込んでおきますか。俺は巣くう会と野合して恥じない、その結果「特定失踪者デマ」を垂れ流して恥じない、あるいは朝鮮学校差別に加担して恥じない高世が「反吐が出るほど大嫌い」なのでねえ。奴に対しては怒りと憎悪しか基本的にはありません。

 性犯罪は、万引きなどとは違って、深刻な人権被害である。

 来ましたね、高世大先生の非常識発言。
 言いたいことはなんとなく分かりますが、「商店主など、万引き被害に苦しんでる人間(幸いにも俺はそういう人間ではないですが)」の精神を逆なでするであろうナイス暴言です。
 「万引きなどとは違って」てこの部分、完全にいりません。
 ここまで「高世への悪口がメイン」になってますが、もちろん広河氏のセクハラは批判します。彼も渋々ではあれ、非を認め謝罪しましたし、デイズジャパンも彼を代表者から更迭しましたから「事実無根」てことはもはやないでしょう。
 今後は
1)広河氏に対して、どのような責任(刑事や民事など)追及をしていくか、
2)被害女性のメンタルケア
3)もっと早い段階でなんとかならなかったのか、周囲がしがらみから追及を避けていたのではないかという反省(高世曰く「そういう噂を聞いていた」そうなので)
といったところでしょうか。
 しかし高世記事で「今思いついた完全な思いつき」ですが
今年は
1)海外では#Metoo運動があった
2)今年のノーベル平和賞受賞者「デニス・ムクウェゲ氏」「ナーディーヤ・ムラード氏」は性暴力撲滅に取り組んでる人士
3)福田財務次官(当時)がセクハラ問題で辞任
4)杉田水脈新潮45LGBT差別暴言。新潮45が廃刊に追い込まれると共に、日本においてある程度LGBT問題への注目が集まった
5)東京医科大の女性受験者差別問題が発覚
6)慰安婦報道を巡る名誉毀損訴訟で植村元記者が櫻井よしこらに不当にも敗訴、植村氏は当然ながら、控訴(どう見ても裁判所の安倍への忖度:改めて安倍の下野が急務と痛感)
などなど(他にもあると思いますが思いついたものを挙げました)、ということで今年は「性暴力あるいは性差別(LGBT差別含む)の1年だった」ということで、今年の漢字1文字は俺としては「災」ではなく「性」としたいと思います(半分は冗談ですが半分は割とマジです)。
 「(3)〜6)を理由に)イヤー、日本って本当にろくでもない国ですね。それではまた来年もお会いしましょうね、さよなら、さよなら、さよなら」(淀川長治さん風に)
 なお、以上の「さよなら」は淀川ネタがやりたかっただけで、まだたぶん「さよならはしません」。
 明日(12/30)、あさって(12/31)もたぶんここに高世批判記事でも書くかと思います。


道元にみる水と私のつながり
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181219

 お上*30が(いつものように)(ボーガス注:辺野古への土砂投入、軍事予算増大、IWC脱退方針など)好き勝手に破壊的な政策を決めている。国民の側には無力感が漂っているようにも感じられる。

 安倍のゲスさと「そんな安倍を支持するバカ国民」には心底うんざりしますが諦めずに戦うほかないのでしょう。それにしても「希望の党」騒動で安倍を利した上、「にもかかわらず辞任もせずに」未だに政治フィクサー気取りの「神津会長ら連合執行部」の愚劣さ、醜悪さには怒りを禁じ得ません。来年の参院選でも「また、下らぬ反共主義から、野党共闘の足を引っ張り、安倍をアシストした上、責任もとらずに居直るのが神津たちではないのか」と思うと「連合傘下組合は神津たちをいつまで図に乗らせれば気が済むのか」と心底呆れます。


■トランプがシリアからの米軍撤退を発表
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181222
 「シリア問題については無知で不勉強」なので撤退の是非はひとまずおきます(高世は撤退反対だそうですが)。なお、トランプは平気で前言撤回する男ですし、未だ「実際には撤退は行われてない」ので結局撤退しない可能性も現時点ではゼロではありません(ただし仮に撤退を撤回しても、もはや辞任したマチス国防長官はトランプには見切りをつけており、トランプの元には戻らないでしょうが)。
 「結論の是非はひとまず置く」としても、問題は「国内外の反発を見る」にトランプと側近連(副大統領、国防長官*31国務長官あたりか)だけで決めて、共和党上層部や同盟国(シリアに共同介入している英仏)にまともに相談してない疑いが大きいと言うことですね。
 野党・民主党が反発するのはある意味当然としても与党・共和党上層部や同盟国首脳から反発の声が出るというのはおよそまともではないでしょう。

参考

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181223/k10011757691000.html
NHK『シリア撤退でトランプ大統領に抗議 担当特使が辞任』
アメリカのトランプ大統領がシリアからのアメリカ軍の撤退を決めたことを受けて、この問題を担当してきた大統領特使が、決定に抗議して辞表を提出したことがわかりました。
 辞表を提出したのは、過激派組織IS=イスラミックステートの壊滅を目指す有志連合の調整役を3年前から担ってきたアメリカのマクガーク大統領特使です。
・マクガーク大統領特使は、今月11日の記者会見で「アメリカ軍はシリアに当分の間、残る」と明言しましたが、その後、トランプ大統領が撤退の決定を下しました。
 この決定をめぐってはシリアからの撤退に反対してきたマティス国防長官が、来年2月に辞任すると発表していて、国防長官に続く政府高官の辞任となります。
 トランプ大統領は22日、ツイッターに「過激派組織ISはほぼ打ちのめされた。残党がいてもトルコなどの周辺国が簡単に対処できるはずだ。われわれは帰る!」と書き込み、アメリカ軍の撤退の正当性を改めて強調しています。
■大統領「知らない人」
 トランプ大統領は22日、ツイッターに「ブレット・マクガークという私の知らない人物は、2015年にオバマ前大統領に任命された」と書き込みました。
 そして、マクガーク大統領特使は、もともと来年2月で退任する予定だったとしたうえで、「彼は目立ちたがり屋か?。フェイクニュースはこの意味のない出来事を大きく扱っている」と投稿し、辞任を大きく伝えるメディアへのいらだちをあらわにしました。


吉永春子さんの墓参り
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181215

 このあいだ、技術実習生の話で、実習生と受け入れ企業の間に監理団体というものがあって、日本の受け入れ企業はそこに毎月数万円の管理費をおさめ、これは企業にとっては余計なコストになっていることを指摘した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181209
 ところがその監理団体からさらにお金をとる団体がある。例えばミャンマーの場合なら「日本ミャンマー協会」。
 この協会とは何か、とHPを見ると、役員には、中曽根康弘*32(名誉会長)、麻生太郎*33(最高顧問)はじめ政治家がずらり。http://japanmyanmar.or.jp/yakuin.html

 ちなみに今回高世が取り上げた件はすでに

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242651
日刊ゲンダイ『最高顧問は麻生大臣 実習生を食い物にする“ピンハネ協会”』
 第2次安倍政権の発足後、真っ先に外遊に飛び立ったのは麻生大臣だった。訪問先はミャンマー
 その後も麻生大臣は来日したミャンマー政府関係者と、現在までに11回会談。麻生大臣が同国に熱を上げるのは「日本ミャンマー協会」(JMA)の最高顧問の肩書を持つことと無縁ではない。
 JMAは宮沢内閣で郵政相を務め、自民から民主などへ渡り歩いた渡辺秀央参院議員が会長の一般社団法人。現在は、渡辺氏の息子が常務理事兼事務総長として業務を仕切っているという。
 役員名簿には麻生大臣のほか、〈別表〉の通り自公の大物がズラリ。立憲民主の福山哲郎幹事長も名を連ね、民主党政権で(ボーガス注:鳩山内閣行政刷新担当相、菅内閣官房長官など)要職を歴任した仙谷由人氏も今年10月に亡くなるまで副会長を務めていた。
 問題は、JMAがミャンマーからの「実習生あっせん利権」を独占していることだ。
 民間の人材あっせん会社は、実習生受け入れに関与できない。代わりに受け入れ先との仲介役を担うのが、「監理団体」と呼ばれる組織。ミャンマーからの受け入れで、監理団体から「求人票の事前審査業務」と称して手数料をピンハネしているのが、JMAだ。
 麻生大臣の政治力もあってなのか、安倍政権下でミャンマーからの実習生は急拡大。12年末には87人に過ぎなかったが、昨年末には6144人と実に70倍増だ。その分、JMAの収入も増える。さらに移民法成立で受け入れ数が増えれば、利権が膨らむ構図である。
「JMAへの支出は監理団体から、零細企業や農家などが大半を占める受け入れ先に転嫁され、重い負担となる。そのシワ寄せは実習生の賃金抑制にはね返る。政治の利権が実習生の低賃金を生み出す結果を招いているのです」(出井康博氏*34
 少なくとも、与党に揚げ足を取られる前に、福山氏は足抜けすべきだ。

という記事があります。高世の今回のブログ記事もこうした報道が元ネタでしょう。しかし高世も元ネタにについて紹介ぐらいしたらどうなんですかね。
 それはともかく、要するに「ある種の利権ではないのか、そもそもこんな監理団体システムが必要なのか」という高世や日刊ゲンダイの批判です。
 高世が名前を挙げてない政治家では役員には

会長・理事長
 渡邉秀央(元自民党衆院議員、宮沢*35内閣で郵政相)
理事長代行
 古賀誠(元自民党衆議院議員、橋本*36内閣運輸相、自民党幹事長(森*37総裁時代)を歴任)
 白浜一良(元参議院議員公明党参院会長、副代表などを経て現在、公明党顧問)
理 事
 甘利明自民党衆議院議員、小渕*38内閣労働相、第一次安倍*39、福田*40内閣経産相自民党政調会長(第二次安倍総裁時代)、第二次、第三次安倍内閣経済財政担当相など歴任)
 魚住裕一郎(参議院議員公明党参議院会長)
 田中慶秋(元民主党衆議院議員、野田*41内閣で法相)
 浜田靖一自民党衆議院議員麻生内閣で防衛相)
 福山哲郎参議院議員立憲民主党幹事長。鳩山*42内閣官房副長官、菅*43内閣外務副大臣民主党政調会長(海江田*44代表時代)など歴任)

がいますね(このうち、渡邉氏、福山氏については日刊ゲンダイが名前を挙げていますが)。
 また他にも

相談役
 清水信次(㈱ライフコーポレーション代表取締役会長兼CEO)
副会長
 佐々木幹夫三菱商事㈱特別顧問)
 岡素之(住友商事㈱名誉顧問)
理事
 江利川毅(元厚生労働省事務次官。元人事院総裁
 小笠原倫明(元総務省事務次官
 篠沢恭助(元大蔵省事務次官。元国際協力銀行総裁)
 渡辺修(元通商産業省事務次官。元JETRO日本貿易振興機構)理事長)

といった政財官界の大物が名を連ねています。しかし「日刊ゲンダイも批判していますが」、「また立憲民主党の福山か(もともとは前原*45民進党代表に近いとされる)」ですね。この件を問いただされたら、立民や福山氏はどう釈明する気でしょうか?


■冬雪さえてすずしかりけり
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20181212

夜は安田純平さん*46と会って酒を飲んだ。おもしろい話をしたのだが、それは次回書こう。

 常岡と一緒に「身代金を払わなくても安田は救える」と無茶苦茶なことを言った高世とよく酒なんか飲めるな、俺なら「私は高世さんのことが嫌いなので結構です」とはっきり言ってるけどな、と思います。
 高世が「安田氏へのマスコミ取材など(安田氏が文春に発表した手記、安田氏出席のシンポジウムなど)をコーディネートする」という形でうまく丸め込んだと言うことでしょうか。
 一方そういう丸め込みが出来なかったのか、安田氏の身柄拘束時は「俺が安田を救う(結局、救えない上に、『俺は悪くない、西谷文和*47が悪い』と言い出す無様さでしたが)」と安田氏の友人面だった常岡*48も、「この間安田氏に会いました」なんてツイートなどしないわけです。
 安田氏に完全に避けられてるんでしょう。
 でそんな常岡のツイート。

常岡
 入場料1000円!。それで、安田純平にギャラ払うのか?。今までは入場料取りながら出演者に一円も払わなかったようだが
創出版『緊急シンポ!安田純平さん解放とジャーナリズムを考える』12月26日(水)18:15分、18:30開会 1000円 出演: 安田純平/原田浩司/金平茂紀綿井健陽/他 文京区民センター3階A会議室 
http://tsukuru.co.jp/sympo1226.pdf

 「はあ?」ですね。
 「安田氏らシンポ出演者にギャラを払うか払わないか」は「出演者と主催者(創出版新聞労連、アジアプレスの共同主催のようです)の問題」。そして「シンポ出席者(客)から金を取るかどうか」も「出席者(客)と、シンポ主催者(創出版など)や出演者の問題」であって部外者の常岡がどうこういう話ではありません。
 出演者が「ノーギャラでもいい」、出席者が「1000円なら払ってもいい」と思うならそれで終わる話です。
 「ノーギャラじゃ嫌だ」「1000円なんか払いたくない」と思うなら、出演しない、出席しないだけの話です。
 常岡が創出版など主催者にどうこういえるのは「ギャラが出る約束で創出版などの主催するシンポに常岡が出たが、未だに出てない。契約違反じゃないか」つう時だけです。
 まさか常岡が安田氏に「ギャラを創出版が支払うように常岡さんが働きかけてほしい」といわれたわけでもないでしょう(そういう働きかけとはとても思えないただの罵倒ですしね)。
 しかも常岡は本気で「安田君にギャラが出なかったら彼がかわいそうだ」と思ってるわけではないでしょう。
1)安田氏が帰国後、常岡を全く相手にしてくれず
2)一方で「理由はともかく」常岡とはあまり仲が良くないらしい「創出版新聞労連、アジアプレス(シンポ主催者)」「原田浩司(共同通信編集委員)/金平茂紀*49(TBS『報道特集』キャスター)/綿井健陽*50(主催者の一つであるアジアプレス所属のライター)/川上泰徳*51フリーライター元朝日新聞記者)/野中章弘(主催者の一つであるアジアプレスの社長)/南彰*52(主催者の一つである新聞労連の委員長で朝日新聞記者)(シンポ出演予定者)」「篠田博之*53(シンポ司会、主催者の一つである『創出版』が発行する月刊『創』の編集長)(以上、すべて敬称は省略)」と安田氏がこのようにつきあってることに『安田の野郎、何で俺を無視するんだ!』『しかも俺が嫌いなあんな奴ら*54と付き合いやがって』『大体こういうシンポをやるならなぜ、安田は俺を出席者として呼ぼうとしない!。こういうシンポには常岡さんを是非呼んでくださいと、なぜ言わない』などと恨みや怒り、嫉妬といったネガティブな感情を覚え
3)とはいえ、「過去に友人面した手前」、『何で安田は俺を無視するんだ!』『しかも俺が嫌いなあんな奴らと付き合いやがって』『大体こういうシンポをやるならなぜ、安田は俺を出席者として呼ぼうとしない!』なんて無様なことはいえず、「とにかくこのシンポに言いがかりがつけたい」と思ってつけた言いがかりが「創出版は安田にギャラを支払ってるのか!」でしょう。
 「キジも鳴かずば打たれまい」「沈黙は金」つうかこんな無様なこと言うくらいなら常岡は黙っていた方がましでしょう。
 そういう常識がないのが常岡なんでしょうが。
【追記】

常岡浩介がリツイート
・KimK/ふるくらむ
 以前常岡さん主催でやっていたロフトの戦場野郎イベントを再開させて欲しいです。再開後第一回のゲストは勿論安田さんで。

 吹き出しました。常岡と類友(あるいは常岡狂信者)てなんでこんなにバカなのか。「創出版の安田パネリストのシンポ(実施済み)より、常岡と安田氏のトークショー(未実施)がみたい」て安田氏が「本当に」常岡の友人ならとっくの昔にそういうイベントしてるでしょう。つうか、この創出版のシンポに常岡がパネリストとして呼ばれてもおかしくない。
 安田氏が「どうしても常岡氏をパネリストに入れてほしい」といえばそれを拒否する理由はどこにもないでしょう。
 にもかかわらず安田氏は常岡を避け続けるわけです。
 つまり安田氏は、このシンポについて意見を聞かれたとき

「ホニャララさんをパネリストに呼んでほしい」

といったか、それとも「特に希望はないので、パネリストの選出は主催者にお任せします」といったかはともかく少なくとも「常岡君を呼んでほしい」とはいわなかったのでしょう。
 安田氏が常岡に好感を持ってないことは明白でしょう。しかし、常岡もこんな醜態さらすくらいなら黙ってたらどうなのか?。つうか後日「そういえば安田氏と一緒にトークショーやらないんですか?」と聞かれたらどうする気なのか?(たぶんいつまでたってもそんなもん開催されないでしょうからね)。
 つうか

以前常岡さん主催でやっていたロフトの戦場野郎イベントを再開

云々つう事は「常岡にやる気がないのか」、はたまた「常岡が関係各位とトラブルを起こしてやれなくなったのか」はともかくそんなイベントは今やってないわけです。全く「常岡と安田氏のトークショー」以前の話でしょう。常岡信者「KimK/ふるくらむ」の馬鹿さには心底呆れます。
 つうかこんなに「創出版のシンポ」に悪口したら「そんなシンポに出席した安田氏はアホだ」と常岡らはいってるのも同然です。また、「常岡がもっぱら悪口してる篠田氏」はもちろん「シンポに出席したパネリストやシンポを聞きに行った人々」にけんかを売ってるのも同然です。
 まあ「安田氏を懐柔しようとして、創出版のシンパを常岡が逆に褒め称えようと」何があろうと安田氏は「常岡とは付き合う気はない」でしょうが、こんな悪口をすれば『篠田氏らとの関係を考慮して』安田氏がいっそう常岡から距離を置くであろう、くらいのことがアホの常岡には分からないようです。
 つうかもはや、常岡としては「常岡との泥仕合」を恐れて、安田氏が面と向かって常岡批判はしないものの「安田氏が常岡に冷淡な態度をとり続けること(そうすることで友人面する常岡をやんわりと批判すること)」で「安田氏は僕の友人」という「常岡の過去の嘘」が事実上、完全に崩壊した今、安田氏との関係修復など考えてないのでしょう。とはいえさんざん友人アピールした手前、安田氏に悪口することはさすがに躊躇し、しかし安田氏が『常岡が嫌いらしい篠田氏とつきあってること』に我慢がならず、篠田氏に悪口するわけです。まあ、本当なら常岡は安田氏にも「俺を避けるな、見捨てるな」「俺たち友達じゃなかったのか!」「何で篠田なんかと付き合う!」と悪口したいのでしょうねえ。
 しかし「安田氏を使って売名しようとした常岡の愚行」はこうしてみると、安田氏が常岡を完全に避けてることで、「常岡狂信者以外には」、常岡の人間としての醜悪さ、愚劣さを「わかりやすく教えてくれる」ことになりましたね。もはやまともな人間は常岡なんか相手しないでしょう。

常岡浩介
 自己責任論語る前にまずはメディアの責任として安田純平にギャラ払え

 もちろん「ギャラを支払う責任」は必ずしもありません。ギャラを支払う責任が生じるのは「ギャラを支払うと約束したのに支払わなかったとき」だけです。
 安田氏が「ギャラはいらない」というなら払う必要はどこにもありません。
 まあ、安田氏が「ギャラをいついつまでに払うと言ったのにまだ支払いがない」と現時点で篠田氏を批判してるならまた話も別ですが、常岡のツイートの内容(安田君がギャラ不払いにぼやいてたなどの、安田氏の意向に触れた記載が何もない)から見て、安田氏の意思など関係なく、勝手に常岡が篠田氏に因縁つけてるだけでしょう。
 篠田氏どころか安田氏まで「誰が手前にそんなことしろって頼んだんだよ、常岡!(by安田氏)」と怒らせかねませんが、まあ、常岡的にはもはや安田氏との関係もどうでもいいんですかね?。しかしこんなことなら最初から「俺は安田の友人だ(by常岡)」なんて言わなければいいのに。

常岡浩介
 今回も(ボーガス注:シンポの司会を務める月刊雑誌『創』の)篠田編集長は安田純平にギャラを払わず、会場の人たちに入場料(資料代)と別にカンパを要求してるという情報が入ってきているのですが、マジ?

 「安田氏にギャラを払うかどうか」も「来館者にカンパ(安田氏経済支援のカンパ?)を求めるかどうか」も「安田氏と主催者の関係」「主催者と来館者の関係」であって常岡には全く関係がない。「安田氏へのカンパ」名目でカンパ要請しながら、篠田氏が一円も安田氏に渡さなかった詐欺行為や篠田氏が『無茶苦茶な口実でカンパ金から大幅なピンハネ(あるいは何も言わずにこっそり一部を懐に入れる)などした横領行為』でもない限り、当事者双方が納得しているならそれで終わる話です。
 常岡がなぜか篠田氏および「篠田氏が司会を務めるシンポに出席する安田氏」、そして「常岡をそうしたシンポに呼ばず明らかに避けてる安田氏*55」に憎悪の念を抱いてるらしいことは分かりますが。
 仮に常岡が「ギャラ支払いの約束」を篠田氏に反故にされたことが過去にある*56のだとしても、それは「以前のギャラ不払いの件、俺は許さないからな、篠田(by常岡)」とでもいえばすむ話で「安田云々」と、関係ない安田氏を勝手にだしにしていい話ではない。

常岡浩介
 会場ほぼ満席とのこと。500人の会場で、参加費1000円取りますから、安田くんには当然、30万円ぐらいは支払うんですよね?

 「ギャラ30万円の根拠がさっぱり分からない*57」つうか、たぶん根拠レスで適当なことを放言してるだけでしょうが、それはさておき。
 「創出版など主催者が、安田氏にギャラをいくら払うか(あるいはそもそもノーギャラか)」は「主催者と安田氏の間の契約による問題」であって「部外者」の常岡には何一つ関係ありません。常岡ってどうしてこう馬鹿でくずなのか。
【追記終わり】

 道元の「正法眼蔵」を岡野*58先生の指導で読んだとき、その深さに感動した。

と高世のような「人間のくず」がほざいたところで「お前が正法眼蔵に感動した?。よく言うわ」と鼻で笑いますね。岡野の本も読まずにこんなことを言ってはいけませんが「人間のくずの高世が褒めてる」つうだけで俺的には「岡野某の本を読む気」は全くないです。
 「どうせ高世が評価してるんじゃろくな人間じゃねえだろ」てことです。

*1:「仏様の御利益(ごりやく)」の「りやく」ですね。まあ意味的には利益(りえき)とかわりませんが

*2:貴族階級のこと

*3:僧侶のこと

*4:庶民階級のこと

*5:奴隷階級のこと

*6:「使われた毒が一般に広く知られたものではなく、犯人しか知らない特殊な毒で、犯人を逮捕しないと治療できない」なんて特殊なケースはまた話が別ですが、このたとえ話は明らかにそういう状況ではないでしょう。

*7:1912〜1999年。東京大学名誉教授(仏教学者)。著書『原始仏典を読む』、『大乗の教え(上)(下)』、『仏典のことば:現代に呼びかける知慧』、『ブッダの生涯』(以上、岩波現代文庫)、『ブッダ物語』(共著、岩波ジュニア新書)、『ブッダのことば:スッタニパータ』、『ブッダの真理のことば・感興のことば』、『ブッダ最後の旅:大パリニッバーナ経』(以上、岩波文庫)、『原始仏教 その思想と生活』(NHKブックス)、『ブッダの人と思想』(共著、NHKブックス)、『ブッダ伝 生涯と思想』、『仏教経典散策』、『仏教語源散策』(以上、角川ソフィア文庫)、『古代インド』(講談社学術文庫)、『原始仏典』(ちくま学芸文庫)、『釈尊の生涯』(平凡社ライブラリー)など

*8:1913〜2012年。東大名誉教授。勲一等旭日大綬章文化勲章受賞者。一時、最高裁判事東宮職参与、宮内庁参与を務めた。著書『死刑廃止論』(有斐閣)により、死刑廃止論者としても有名。

*9:著書『共産党宣言』、『経済学・哲学草稿』、『経済学批判』、『ゴータ綱領批判』、『十八世紀の秘密外交史』、『剰余価値学説史』、『資本論』、『賃金・価格・利潤』、『賃労働と資本』、『哲学の貧困』、『ドイツイデオロギー』、『フォイエルバッハ論』、『フランスにおける内乱』、『ヘーゲル法哲学批判序説』、『ルイ・ボナパルトブリュメール18日』など

*10:著書『イギリスにおける労働者階級の状態』、『家族、私有財産および国家の起源』、『空想から科学へ』、『自然の弁証法』、『ドイツにおける革命と反革命』、『反デューリング論』など

*11:著書『国家と革命』、『帝国主義論』、『哲学ノート』、『唯物論と経験批判論』、『ロシアにおける資本主義の発展』など

*12:法務事務次官、東京高検検事長検事総長など歴任。著書『検事総長の回想』(1992年、朝日文庫)、『人は死ねばゴミになる』(1998年、小学館文庫)など

*13:つうたら「冗談でも」Mukkeとか阿部治平とかI濱女子とか怒り出すんでしょうね。

*14:ちなみに伊藤氏は63歳で死去しています(ウィキペディア伊藤栄樹』参照)。

*15:東京地検特捜部長、東京高検検事長検事総長など歴任

*16:1902〜1987年。仏教学者。著書『仏陀 その生涯と思想』、『選書・仏陀のことば』(以上、角川選書)、『釈尊のさとり』、『無量寿経講話』(以上、講談社学術文庫)、『新しい仏教のこころ わたしの仏教概論』(講談社現代新書)、『歎異抄』(ちくま学芸文庫)など

*17:1907〜1981年。武蔵野美術大学名誉教授。著書『絵巻物に見る日本庶民生活誌』(1981年、中公新書)、『家郷の訓』、『忘れられた日本人』(以上、1984年、岩波文庫)、『塩の道』、『民間暦』(以上、1985年、講談社学術文庫)、『ふるさとの生活』(1986年、講談社学術文庫)、『庶民の発見』(1987年、講談社学術文庫)、『民俗学の旅』(1993年、講談社学術文庫)、『日本の村・海をひらいた人々』(1995年、ちくま文庫)、『女の民俗誌』、『空からの民俗学』、『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』(以上、2001年、岩波現代文庫)、『日本文化の形成』(2005年、講談社学術文庫)、『山に生きる人びと』(2011年、河出文庫)、『生きていく民俗:生業の推移』、『周防大島昔話集』、『民俗のふるさと』(以上、2012年、河出文庫)、『日本人のくらしと文化:炉辺夜話』(2013年、河出文庫)、『イザベラ・バードの旅:「日本奥地紀行」を読む』(2014年、講談社学術文庫)、『海に生きる人びと』(2015年、河出文庫)、『辺境を歩いた人々』(2018年、河出文庫)など

*18:共青団中央書記処第一書記、河南省長・党委員会書記、遼寧省党委員会書記、副首相などを経て首相(党中央政治局常務委員兼務)

*19:福州市党委員会書記、福建省長、浙江省党委員会書記、上海市党委員会書記、国家副主席、党中央軍事委員会副主席、国家中央軍事委員会副主席などを経て党総書記、国家主席党中央軍事委員会主席、国家中央軍事委員会主席

*20:ソチ、平昌五輪フィギュアスケート金メダル

*21:京都大学名誉教授。著書『善の研究』(岩波文庫講談社学術文庫)、『思索と体験』(岩波文庫)など。

*22:レーガン政権国家安全保障担当大統領補佐官、ブッシュ父、クリントン政権統合参謀本部議長、ブッシュ子政権国務長官など歴任、

*23:ブッシュ父政権国防長官、ブッシュ子政権副大統領など歴任

*24:個人サイト(http://www.higashi-nagasaki.com/bagpipesIndex.html)。著書『戦場の現在:戦闘地域の最前線をゆく』(2005年、集英社新書)、『戦場のハローワーク』(2009年、講談社文庫)、『女性兵士』(2010年、講談社文庫)など

*25:2013〜2015年はどうだったのかは不明です。そもそも忘年会がなかったのかもしれません。

*26:つまり「常岡の元親分or元先輩=加藤氏」でしょうか。高世と常岡のつきあいも元は「加藤氏つながり」かもしれませんね。

*27:ということはこの時期は「戦場ジャーナリスト」に「元」がついてないし、正式に戦場ジャーナリスト廃業を宣言してはいなかった、つうことでしょうか?

*28:「元」がついてないのは1)単なる誤記、2)この時期まで戦場ジャーナリストを実際にやっていた、3)「さすがにやっていなかった」が正式に戦場ジャーナリスト廃業を宣言したのは2013年以降、のどれでしょうか?

*29:著書『チェルノブイリ報告』(1991年、岩波新書)、『中東共存への道:パレスチナイスラエル』(1994年、岩波新書)、『チェルノブイリから広島へ』(1995年、岩波ジュニア新書)、『薬害エイズ』(1995年、岩波ブックレット)、『裁かれる薬害エイズ』(1996年、岩波ブックレット)、『薬害エイズの真相』(1996年、徳間文庫)、『パレスチナ(新版)』(2002年、岩波新書)、『福島 原発と人びと』(2011年、岩波新書)など

*30:というか安倍自民

*31:マチス国防長官はこの件で『撤退など受け入れられない』と抗議辞任したわけですが。

*32:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*33:橋本内閣経済企画庁長官、森内閣経済財政担当相、小泉内閣総務相、第一次安倍内閣外相、自民党幹事長(福田総裁時代)を経て首相。現在、第二〜第四次安倍内閣副総理・財務相

*34:フリーライター。著書『松下政経塾とは何か』(2004年、新潮新書)、『年金夫婦の海外移住』(2008年、小学館)、『長寿大国の虚構 外国人介護士の現場を追う』(2009年、新潮社)、『民主党代議士の作られ方』(2010年、新潮新書)、『ルポ ニッポン絶望工場』(2016年、講談社プラスアルファ新書)など

*35:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*36:大平内閣厚生相、中曽根内閣運輸相、海部内閣蔵相、自民党政調会長(河野総裁時代)、村山内閣通産相を経て首相

*37:中曽根内閣文相、自民党政調会長(宮沢総裁時代)、宮沢内閣通産相、村山内閣建設相、自民党総務会長(橋本総裁時代)、幹事長(小渕総裁時代)を経て首相

*38:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相を経て首相

*39:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*40:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*41:鳩山内閣財務副大臣菅内閣財務相、首相、民進党幹事長(蓮舫代表時代)を歴任

*42:細川内閣官房副長官新党さきがけ代表幹事、民主党幹事長(小沢代表時代)などを経て首相

*43:社民連副代表、新党さきがけ政調会長、橋本内閣厚生相、鳩山内閣副総理・財務相などを経て首相

*44:菅内閣経産相

*45:鳩山内閣国交相菅内閣外相、民主党政調会長(野田代表時代)、野田内閣国家戦略担当相、民進党代表を歴任

*46:著書『ルポ 戦場出稼ぎ労働者』(2010年、集英社新書)など

*47:著書『後藤さんを救えなかったか』(2015年、第三書館)、『「テロとの戦い」を疑え』(2017年、かもがわ出版)、『戦争はウソから始まる』(2018年、日本機関紙出版センター)など

*48:著書『ロシア 語られない戦争 チェチェンゲリラ従軍記』(2012年、アスキー新書)、『イスラム国とは何か』(2015年、旬報社)など

*49:著書『テレビニュースは終わらない』(2007年、集英社新書)、『抗うニュースキャスター』(2016年、かもがわ出版)、『漂流キャスター日誌』(2018年、七つ森書館)など

*50:著書『リトルバーズ:戦火のバグダッドから』(2005年、晶文社)など

*51:著書『現地発 エジプト革命:中東民主化のゆくえ』(2011年、岩波ブックレット)、『中東の現場を歩く:激動20年の取材のディテール』(2015年、合同出版)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない:グローバル・ジハードという幻想』(2016年、集英社新書)など

*52:著書『安倍政治 100のファクトチェック』(共著、2018年、集英社新書

*53:著書『増補版 ドキュメント死刑囚』(2015年、ちくま文庫)など

*54:常岡がこれら(主催者である創出版新聞労連、アジアプレスや出演者である原田浩司、金平茂紀氏ら)の全部と仲が悪いのか、一部と仲が悪いのかはともかく「嫌いな人間がいる」のは間違いないでしょう。

*55:安田氏が「自称・友人にすぎない」常岡とお付き合いする義務はないので憎悪する常岡の方が間違っています。

*56:そういうことがあるかは知りません。そのようなことがあるなら常岡が「ギャラ云々」で篠田氏に絡む理由が理解しやすいという話です。

*57:500人の会場で参加費1000円なら「他にパンフ販売などをしない限り」収益は500×1000円=50万円になりますが、問題は「安田氏へのギャラ」以外にどれほどの経費が発生するか、つう事です。常岡が「(安田が主役だから?)安田氏に三〇万払って残りの二〇万で他の費用(会場借料、広告宣伝費、安田氏以外の出席者へのギャラなど)をすべて工面すべきだ」と考えるのは奴の勝手ですが、それは決して「一般的な考え」とはいえないでしょう。

*58:著書『仏教とアドラー心理学』(2010年、佼成出版社)、『大乗仏教深層心理学』(2011年、青土社)など