今日の産経ニュースほか(2019年7月27日分)(追記あり)

日本国民は国の安全を守り、国を存続させていく意志があるのか? | 新・大森勝久評論集
 安倍批判も戦前日本批判もまともな代物ならともかく、くだらない陰謀論の上、非常識な反中国、反ロシアとセットで、しかも荒木和博にこびへつらって、荒木のことを

 安倍氏を名指しして批判して戦ってみえる例外的な識者の一人

などというのだから大森氏も呆れたバカです。

 戦前昭和期の日本は、国家社会主義者(天皇社会主義者とも革新派とも言われたが)が、政府、軍、議会、マスコミ、民間団体の中枢部分を支配するようになっていた。反日左翼だ。

 国家社会主義(例:東条内閣商工相・岸信介*1)が「左翼」ねえ。その理屈だとヒトラーも左翼なんでしょうか。そして岸を総裁にした自民党は左翼政党なのか。そもそもその理屈だと「昭和天皇反日左翼」になってしまうんですが。
 まあ、大森氏の認識は、近衛上奏文東条英機ら陸軍統制派を隠れ共産党呼ばわり)や「企画院事件をでっちあげた当時の検察(当時の企画院には「戦後、社会党委員長(1967~1968年)になる勝間田清一」「戦後、鎌倉市長(1970~1978年まで、2期8年)になる正木千冬」「戦後、吉田内閣農林相、社会党政策委員長などを務めた和田博雄」など、いわゆる転向者が多数いて政策立案に携わっていた)」に似た認識ではあります。
 なお「革新派」ですが戦後は「革新自治体(東京の美濃部、京都の蜷川、大阪の黒田など)」「革新政党」「美濃部・革新都政」「全国革新懇」などでわかるように「社会党共産党などの左派」を意味するこの言葉も戦前は

■商工省の岸信介
■外務省の白鳥敏夫*2
陸軍省東条英機

といった「親ドイツの右派官僚」を意味しました(たとえば戸部良一*3『外務省革新派』(2010年、中公新書)参照)。そのため、終戦直後は「なぜ東条英機岸信介を呼ぶのに使われた言葉『革新』で我々左派が呼ばれなければならないのか!。我々は東条や岸とは違う!」として左翼方面ではむしろ「革新」と言う言葉は使用を避けられたなんて話もあるくらいです。

 日本の共産主義勢力はソ連の指示に基づいて行動していた。彼らはソ連の指示により「偽装転向」して、天皇社会主義者の仮面を被って、政府・官僚、軍、マスコミ、民間団体に潜入して、独自の政治目標を実現するために活動していったのである。

 やれやれですね。戦後も右翼活動に従事した風間丈吉、佐野学、鍋山貞親のようなマジモンの転向者もいる。いわゆる「偽装転向*4」にしても「前川喜平氏の文科事務次官当時の朝鮮学校無償化除外支持(退官後、保身のための発言であり、本心ではなかったことを謝罪し、無償化適用を主張)」みたいなもんで「保身のために上の圧力を渋々受け入れた」にすぎず、「どう政府を自分の希望する方向に持って行くか」なんてことができるような状況じゃありません。
 共産主義どころか、「米国相手の戦争なんて無謀だ」「日中戦争は和平すべきではないか」レベルですら「命が危うい」時代です。
 ゾルゲ事件の尾崎*5にしても彼がした行為は情報スパイ活動にすぎません。彼は政策をどうこうできるような立場にはいない。

・彼らは国家社会主義者(天皇社会主義者)の対外政策を利用して、日本と米英が支援する資本主義経済をとる蒋介石の国民党政府の支那とを戦争させて、毛沢東中国共産党を救出するとともに、中国共産党支那を支配できるようにさせた。「日支戦争」とはそういうものであった。
共産主義者近衛文麿首相は、国家社会主義者・天皇社会主義者に偽装して、蒋介石の国民党政府の資本主義の支那を侵略して、共産中国を誕生させた。

 そんなことは誰もしていません。むしろ当時の日本共産党日中戦争に反対していたわけです。
 そして「毛沢東の勝利」は結果論でしかありません。近衛は毛沢東を救うために蒋介石と戦ったわけではない。
 その理屈(毛沢東が勝利したから、近衛など日中戦争を推進した奴は毛沢東の手先)なら

本能寺の変の黒幕は、信長死後、天下人に成り上がった豊臣秀吉
「朴チョンヒ暗殺の黒幕は、朴の死後、大統領に成り上がった全斗煥

になってしまう(もちろん秀吉も全斗煥も黒幕ではないわけです。明智光秀や金載圭・KCIA部長の単独犯行とするのが通説です)。
 当時において日本政府は毛沢東蒋介石もとことんなめてました(特に政権与党ではない毛沢東は)。左翼が謀略を仕掛けるまでもない。

 近衛文麿は3次にわたって内閣を組織したが、国家社会主義者・天皇社会主義者に偽装した共産主義者であった。

 やれやれですね。それが事実なら近衛に三度も内閣を組織させた昭和天皇

【第1次近衛内閣】
板垣征四郎
 関東軍高級参謀として満州事変を実行。関東軍参謀長、第1次近衛、平沼内閣陸軍大臣朝鮮軍司令官、第7方面軍(シンガポール)司令官など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。
賀屋興宣
 第一次近衛、東条内閣蔵相。戦後終身刑判決を受けるが後に仮釈放。公職追放も解除され政界入り。自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣法相など歴任
木戸幸一
 第一次近衛内閣文相、厚生相、平沼内閣内務相、内大臣を歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。
杉山元
 陸軍教育総監、林、第一次近衛、小磯内閣陸軍大臣参謀総長を歴任。戦後、自決
広田弘毅
 斎藤、岡田、第1次近衛内閣外相、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。
■米内光政:
 林、第一次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相など歴任
【第2次近衛内閣】
■及川古志郎
 第二次、第三次近衛内閣海軍大臣軍令部総長を歴任。
■風見章
 立憲民政党代議士を経て、第一次近衛内閣書記官長、第二次近衛内閣司法相を歴任。戦後は社会党代議士。
東條英機
 関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀。
■豊田貞次郎
 海軍軍務局長、海軍次官、第二次近衛内閣商工相、第三次近衛内閣外相、鈴木内閣軍需相など歴任
平沼騏一郎
 検事総長大審院長、第2次山本内閣司法相、枢密院議長、首相、第二次近衛内閣内務相など歴任。戦後終身刑判決で服役中に病死。後に靖国に合祀。

ら近衛内閣閣僚も「近衛のお仲間の共産主義者」か「近衛の正体を見抜けないバカ」だったのか。
 そんな「近衛のお仲間の共産主義者」か「近衛の正体を見抜けないバカ」である板垣征四郎(第一次近衛内閣陸軍大臣)、東条英機(第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣)や広田弘毅(第一次安倍内閣外相)が死刑判決を受けたA級戦犯昭和殉難者」として靖国に合祀されてることは大森氏にとってどう評価されるのか。「合祀はやめるべき」なのか。
 なお、例のトラウトマン和平工作については近衛だけでなく「広田外相」「杉山陸軍大臣」「米内海軍大臣」も否定的でしたが、大森氏の考えだと彼らも「近衛同様に毛沢東の手先」あるいは「和平に応じない方がいいという近衛にだまされた馬鹿」なのか。
 例の近衛上奏文(東条英機を隠れ共産党呼ばわり)も「共産シンパという自らへの疑いを晴らすための東条攻撃」だったのか。
 まあもちろん「近衛が隠れ共産党」なんてことはあるわけもありませんが。

 彼らは日本の北進を阻止し南進させる政策を実行していくことで、ソ連を守り、日本と資本主義の米英蘭とを戦争させることによって、英蘭仏の植民地*6ソ連の指示下にある各国の共産主義勢力に支配させようとした。

 なぜ北進ではなく南侵したかといえば
1)ノモンハン事件での敗戦のショック(まあ米英だって軍事強国ですが)
2)いわゆる米英の蒋介石支援ルートの破壊
3)南の方が石油や天然ゴムなど天然資源が豊富
4)日ソ中立条約を反故にしソ連まで完全に敵に回すことを躊躇した(米英が反対する中国侵略を強行したことで既に米英との関係は悪化)
つう話です。大体、関特演発動でわかるように日本はソ連侵攻を完全に否定していたわけではない。

 日本が侵略したアジア各地では共産主義政権が誕生したのである。

 「カンボジア北朝鮮、中国、ベトナムラオス(後にカンボジア共産国でなくなりますが)では」ですね。
1)インド、インドネシアシンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマー共産国ではないし、
2)中国は「国共内戦による共産党の勝利」まで日本の敗戦から4年もかかってるし
3)ラオスカンボジアの共産化は戦後の内戦で共産勢力が勝利したことに寄る物で、日本の侵略と直結してない
のだから詭弁でしかない。
 大体その理屈ならドイツの東欧侵略を契機に「東欧がソ連の影響に入ったこと」はどうなるのか。ヒトラーは「東欧への影響力」をねらうスターリンにだまされて開戦したとでも言うのか。

 日本はアメリカに占領され旧軍は解体された。アメリカ占領軍によって日本の民主化がすすめられて、国家社会主義者(軍国主義者と見做された人々)は大量にパージされた。だから旧軍を徹底的に批判して、憲法を守りシビリアンコントロールに服する、民主化された新国防軍を創設することは容易であった。

 実際には旧軍と全く関係ない人間だけで自衛隊を作ることは出来ず、旧軍の影響力は排除できませんでした。大体、国家社会主義者(軍国主義者)はパージされたってたとえば「賀屋興宣(第一次近衛、東条内閣商工大臣として戦後終身刑判決を受けるが、後に仮釈放。池田内閣法相、自民党政調会長(池田総裁時代)など歴任)」は大森氏にとってどういう理解なのか。

 安倍首相は2006年の第一次安倍内閣のときから、一貫して「日中の戦略的互恵関係の構築・強化」を唱えた。2018年10月下旬の日中首脳会談(北京)では彼は「日中協調の新時代」を主張した。安倍氏の主張はまさしく中国の思想工作員がするのと同じであり、彼は中国の尖兵である。

 安倍ですら中国と完全に敵対など出来ないだけの話です。
 と言うか、「長崎国旗事件」の対応で中国に批判された「安倍の祖父・岸首相」ですら「中国とは完全には敵対関係になれない」と言う理解から親中国派の藤山愛一郎*7を岸内閣外相にしています。
 そして、周鴻慶事件では大平*8外相(池田内閣)は中国の希望する方向で事件を解決したわけです。
 国交正常化前の岸、池田内閣時代ですらこれです。
 それにしても周鴻慶事件に池田内閣外相として関与した大平が後に田中内閣外相として日中国交正常化に関与するのも興味深い話です。

参考

■長崎国旗事件(ウィキペディア参照)
 1958年(昭和33年)5月2日、長崎県長崎市にある浜屋デパート4階の催事会場で、日中友好協会長崎支部の主催による「中国切手・切り紙展覧会」が開かれていた。会場の入口付近の天井には中華人民共和国(以下、中国)の国旗である五星紅旗(縦120cm、横150cm)が天井から針金で吊るされていた。
 しかしこの展示会場の中国国旗掲揚については在長崎中華民国(以下、台湾)領事館からは「国際法上非合法な自称・国旗であり、掲揚は日本と台湾政府との友好関係に悪影響を与える」との警告が発せられていた。
 5月2日、右翼団体構成員の男が乱入し、会場内に掲げられていた五星紅旗を引きずり降ろした上、毀損した。犯人はすぐに警察に拘束されたが、事情聴取のうえで器物破損で書類送検された。結局1958年12月3日になって軽犯罪法第一項の「みだりに他人の看板を取り除いた」ことによる科料500円の略式命令となった。
 当時、日本政府が国家承認していたのは台湾政府であったため、五星紅旗は「刑法の外国国章損壊罪(外国政府による親告罪)」の保護対象とは日本政府は考えておらず、また在長崎中華民国領事館の「外国国章損壊罪を適用すべきでない」との要請にも応じたためという。そのため「外国国章損壊罪」よりも軽い器物破損での処分に止まったのである。
 これに対し中国政府は、岸内閣の対応を厳しく批判し制裁ともいえる行動に出た。5月9日には陳毅副総理兼外相が日本との貿易を中止する旨の声明を出し、当時進められていた対中鉄鋼輸出の契約も破棄された。その後、1960年12月に友好商社に限った取引が再開されるまで、約2年半に渡って貿易停止に陥った。この通商断絶によって、中国大陸との貿易割合の高い商工業者は大きな経済的打撃を受けた。
 ただし、朝日新聞の社説(1958年5月11日)によれば、「外国国章損壊罪」の判例はないが、通説として「保護すべき国旗とはその国を象徴するものとして掲揚される公式の国旗のみを指し、装飾としての万国旗や歓迎用の小旗もしくは私的団体の掲げる旗は含まれない」として、今回の事件の国旗は「会場の装飾」にすぎず、中国側の反応は過激すぎると批判した。
 なお、今日では、台湾政府外交文書の公開により、事件は在長崎・台湾領事館が日本の右翼団体と密かに連絡を取り、それに基づいて日本の右翼団体が起こしたものであることが明らかになっている。

 まあ誰もそんなことはしませんが今日本で台湾「国旗」を損壊したら日本検察がどう対応するのか、ウヨが何というのかは興味があります。岸内閣の対応を前例とすれば器物損壊罪の処罰になりますが。

■周鴻慶事件(ウィキペディア参照)
 1963年9月に中国油圧機器訪日代表団の通訳として来日した周鴻慶が、全日程を終える直前の10月7日早朝、ソ連大使館に亡命を求めたことから始まった事件である。周はソ連に亡命を拒否されたことから、その後、亡命希望先を台湾(中華民国)に変更。亡命先に指名された台湾政府は、日本側に周の引き渡しを強く求めたが、中国(中華人民共和国)との関係悪化を恐れた日本政府はパスポート期限切れを理由に10月8日周を拘留、その後10月24日には「本人の意志」が中国への帰国に変わったとして、翌1964年1月10日中国大連に送還した。
 この一連の日本側の対応に台湾側は激怒し、駐日大使を召還すると共に日本政府へ厳重な警告と抗議を行い、日台関係は断絶の危機に瀕した。この台湾側の反発を解くため、池田*9首相、大平外相は、吉田茂元首相に個人の資格で台湾を訪問することを要請。吉田は池田首相の親書を持参して台北へ赴き、要人と会談した。しかし帰国後の1964年(昭和39年)5月、張群国民党秘書長へ宛てた吉田の書簡の中に対中プラント輸出に輸銀融資は使用しないと表明してあったため(いわゆる「吉田書簡」)、先に契約が成立していた倉敷レーヨンに較べ、ニチボーの契約調印は大幅に遅れることになった。


【政界徒然草】自民、敗北1人区でも比例得票率は伸ばす 野党共闘の限界が見えた参院選(1/3ページ) - 産経ニュース
 「なんとしても野党共闘を潰したい」という産経の願望がよく分かる記事タイトルです。それだけ産経も野党共闘に脅威を感じてるわけです。


【数字で振り返る参院選】(下)22・9%~参院の女性割合 「男女同数」罰則なく政党守らず - 産経ニュース

 今回の参院選は、政党に男女の候補者数を均等にするよう促す「政治分野の男女共同参画推進法」の施行後、初の国政選挙だった。しかし、候補者に占める女性の割合は28・1%だった。
 特に与党の責任が大きい。自民党参院の女性割合は17・7%、公明党17・9%で、立憲民主党25・0%、国民民主党33・3%、共産党38・5%などの野党より低い。

 「守る気がないなら法律を作るな」といいたくなる自民、公明の態度です。


元共産党県幹部を逮捕 新潟、自宅で妻殴り死なせた疑い - 産経ニュース
 反共の産経らしいですね。
 「現役ならともかく元でこんな記事にするか?」ですね。なお詳しい事情が分からないとなんとも言えません。
 「いわゆるDVによる死亡なのか」どうなのか。DVなら弁解の余地はないでしょうが。


【昭和天皇の87年】「国民政府を相手とせず…」和平を閉ざした近衛声明 - 産経ニュース

 御前会議で昭和天皇は発言しなかった。前日に近衛が《御発言のないことを願う旨の言上》をしたからだ(昭和天皇実録25巻6頁)。

 ウィキペディア「トラウトマン和平工作」や以前拙記事で紹介した、山田朗昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房)にもこの事情については書いてありますが近衛が恐れたのは、「和平派」多田参謀次長が直接、天皇に働きかけ「多田のいう和平推進の方向で首相は動け」と天皇が多田支持発言をいうことでした。これをやられたら、近衛はそれに従うほかない。近衛でなくてもある程度頭の働く人間なら「いざとなれば多田がそれをやり、昭和天皇も多田の希望通りに動くかもしれない」なんてことは分かる話です。
 「張作霖暗殺事件問題で天皇に叱責された田中義一*10の首相辞任」「226事件での青年将校への厳罰(皇道派荒木貞夫*11、真崎甚三郎*12らは寛大な処罰を主張していたが天皇の厳罰方針には屈せざるを得なかった)」でわかるように天皇の命令には絶大な権威がありました。
 しかしトラウトマン和平工作に否定的な近衛は「そうなることを避けるため」昭和天皇を説得し、「近衛に一任する」と言う形で何ら発言しないように仕向けたわけです。
 山田氏も指摘していますがこの近衛の行為も昭和天皇の「俺は政府が決めたことに従うしかなかった。俺はロボットみたいな物だ」と言う戦後の言い訳が嘘であることの証拠の一つです。昭和天皇が「ロボットみたいな物」なら近衛はこんな根回しをする必要が何一つない。
 「首相、外相、陸軍大臣海軍大臣が和平に否定的」で、天皇がロボットなら「多田参謀次長の言う和平推進の方向で動け(昭和天皇)」といって内閣の方針「和平否定」をひっくり返せるわけがない。
 勿論一番有名な「昭和天皇がロボットとは言えない証拠」は「田中義一の首相辞任」「226事件の処理」ですが。
 山田氏も指摘していますが戦前の歴史をある程度知っていれば「戦後の昭和天皇の言い訳(ロボット云々)」が完全な嘘であることはすぐに分かります。
 しかも昭和天皇の場合「最低最悪」なのはそんな言い訳をしながら「本当に象徴というロボットになった戦後」も「沖縄メッセージ」「増原防衛庁長官問題」などでわかるように「戦前同様の君主気取りの言動を恥知らずにも平然としていた」ということです。昭和天皇は「キチガイ」「サイコパス(人格破綻者)」と言っても過言ではないと思います。

 多田が憂慮したのは、戦争長期化による軍事力の消耗だ。すでに陸軍の戦争遂行能力は限界点を超えており(※1)、当面の戦争相手である蒋介石と、可能な限り和平努力を続けなければならない。
(※1) 参謀本部では日中戦争の始まる前、中国に展開できる兵力は最大で11個師団と考えていたが、すでに限界を上回る13個師団を投入しており、13年1月時点で日本に残っている常設師団は北海道の第7師団と近衛師団しかなかった

 多田を事実上のトップ*13とする参謀本部が問題にしていたのはあくまでも「戦争に勝てるのか」「負ける恐れがあるなら、早く和平した方がいいんじゃないか」と言う問題です。彼は決して平和主義者ではありません。
 しかし多田のような危機感を共有していなかった近衛首相、広田外相、杉山陸軍大臣、米内海軍大臣は「和平工作否定」の方向に動きます。
 そして日本の歴史は皮肉にも多田の懸念、危惧通り「1945年の敗戦」を招くことになります。

 翌15日の大本営政府連絡会議で、多田*14は懸命に交渉継続を訴えた。それを外相の広田弘毅*15が突き放す。
 「中国側に和平解決の誠意がないことは明らかです。参謀次長は外務大臣を信用できませんか」
 海相の米内光政*16も多田に冷たかった。
 「統帥部が外務大臣を信用しないなら、政府不信任である。内閣総辞職になってもいいのか」

 以前も書きましたが米内が「日独伊三国同盟や対米開戦に否定的だったこと」「終戦工作に関与したこと」から、世間では彼には平和主義者イメージが強い気がしますが、このエピソードから分かるように米内は対中国について言えば強硬派であり、戦争を助長しました。
 なお、米内海軍大臣、広田外相だけではなく近衛首相、杉山*17陸軍大臣と内閣のメンバーの多くがトラウトマン和平工作に否定的な上、彼らに影響されて昭和天皇も和平に否定的だったため、多田としても打つ手がなくなります。
 「あんた外相の俺が信用できないのか(広田)」「内閣総辞職を招きたいのか(米内)」とすごまれては参謀次長に過ぎない多田の立場上「そうだ、信用できない」「そうだ、お前ら、やめちまえ」とはさすがに言えない。
 和平を否定した元凶は近衛一人だけではないわけです。

 近衛は、戦争相手との交渉窓口を自ら閉ざしてしまったのだ。

 以前も書きましたが「こうした近衛らの考え」には「蒋介石は相手にしないが汪兆銘は相手にする(蒋介石から造反した汪兆銘と和平する)」という「汪兆銘擁立工作」の企みがありました(まだこの時点では工作は実現していないのですが)。しかし汪兆銘擁立工作は蒋介石にたいした打撃を与えず近衛らのもくろみは外れました。そういえば荒木和博当たりが以前、金正男存命時に「金正恩政権が倒れて金正男が政権を握れば事態が変わるかもしれない」と放言してた気がしますがノリ的にはそれに似ています。

 昭和天皇の心を占めているのは、戦地にいる将兵の苦境だ。
 「自分がこの際僅かな病気で転地するやうなことがあつては、第一線にゐる将士に対してどういふ影響があるか、大丈夫か」

 沖縄を捨て石にした、あるいは特攻作戦を容認した「鬼畜」「犬畜生」「人でなし(人非人)」「外道」「亡国の無能君主」昭和天皇にそんな「人道的な考え」があるわけがないでしょう。彼の脳内にあるのは戦争長期化による国力の衰退でしかない。
 大体産経が紹介する天皇の言葉だって「現場の戦意が落ちたら困る」つう話に過ぎません。兵隊に同情してるわけでは全くない。


【産経抄】7月27日 - 産経ニュース

「これだけマスコミにたたかれてインターネットがなかったら、とっくに政権は倒れていた」。
 安倍晋三首相が以前漏らした言葉が、今の時代を象徴している。

 おいおいですね。「以前」というのが「第一次安倍政権」かはたまた「今の安倍政権」かはともかく、むしろマスコミより「インターネット」のほうが「リテラ」など安倍に批判的な言論が多いかと思いますが。嘘ついてるのか、事実認識がゆがんでる(安倍の目には日本会議などネトウヨサイトしか見えない)のか知りませんが安倍も産経も呆れたバカです。


自民・萩生田氏「責任政党として方向性」 ホルムズ海峡の有志連合構想 - 産経ニュース

 自民党萩生田光一幹事長代行は26日夜、ジャーナリストの櫻井よしこ氏が主宰するインターネット番組「言論テレビ」に出演し、ホルムズ海峡でのタンカー護衛に向けた有志連合に関して「日本はホルムズ海峡問題の当事者だ。責任政党としてきっちり方向性を出す」と述べた。自衛隊派遣については「現行の法律に照らし、ただちに(自衛隊を)派遣できるかは慎重に考えないといけない」と説明した。

 さすがに萩生田も「自衛隊派遣」を公言するほど無謀ではないわけです。そうなると「有志連合への金銭提供」当たりで話を付ける気でしょうか?。おそらく「中東情勢を緊張させるので参加しない」と言う選択肢は考えてないのでしょうし。ただEU諸国(英仏独など)はそもそも参加するかどうか自体、現時点では「不明」なので参加は決して当然のことではありません。

 他の出演者からは、平成27年4月に就任した大島理森*18(ただもり)衆院議長が4年以上の長期にわたり務めていることから、後任に二階俊博*19幹事長を推す声が出た。

 「親中国の二階をなんとか名誉職(衆院議長)につけて安倍政権から離したい」つうよしこらのアンチ二階にはいつもながら呆れます。
 日本において衆院議長とは「ベテラン政治家の上がりポスト」みたいなもんで

衆院議長(ウィキペディア参照)
・当初は首相就任を目指す大野伴睦*20が、衆院議長(1952~1953年、吉田内閣時代)に就任するようなこともあったが、次第に衆議院議長は長老格の政治家が最後に就任する上がりのポスト扱いされるようになった。
衆議院議長候補にあげられた二階堂進*21小渕恵三*22は首相に意欲を示していたために議長就任を断っている(実際、小渕はその後首相に就任している)。
前尾繁三郎*23坂田道太*24衆議院議長退任後に首相就任の声がかかった際に、「議長経験者が首相になるのは国会の権威の上からよくない」として辞退した
衆議院議長を経験後に首相になった者は現時点では存在しない。

という話もあります。
 それともコメ欄にもバルトフェルドさんの指摘がありますが、「野党に対して大島は甘い*25」という認識による二階氏の議長就任論(野党を無視した議会運営の強行、そして改憲促進)か。まあやはり「最大の目的」は「アンチ二階」なんでしょう。

【追記】
二階氏が萩生田氏を注意 「有力議長で憲法改正」発言 - 産経ニュース
 野党の反発などから萩生田の失言と言うことで済ませることに決めたようです。
 まあそれだけではなく、大島氏本人からも不快感が表明されたのかもしれませんが。

*1:戦前、満州国総務庁次長、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、自民党幹事長(鳩山総裁時代)、石橋内閣外相を経て首相

*2:駐イタリア大使。戦後終身刑判決を受け服役中に病死。後に靖国に合祀。

*3:著書『日本陸軍と中国』(2016年、ちくま学芸文庫)など

*4:そもそも転向しないとムショ行きで最悪死にますから、仕方がないことです。

*5:尾崎の場合、「共産党支持」を表明したことはないので「偽装転向」ではなく「偽装」ですが。

*6:英国はマレーシア、フランスはベトナム、オランダはインドネシア

*7:岸内閣外相、池田、佐藤内閣経済企画庁長官を歴任

*8:池田内閣官房長官、外相、佐藤内閣通産相、田中内閣外相、三木内閣蔵相、自民党幹事長(福田総裁時代)などを経て首相

*9:大蔵次官から政界入り。吉田内閣蔵相、通産相、石橋内閣蔵相、岸内閣蔵相、通産相を経て首相

*10:参謀次長、原、第二次山本内閣陸軍大臣などを経て首相

*11:犬養内閣陸軍大臣、第1次近衛、平沼内閣文相など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放

*12:台湾軍司令官、陸軍教育総監など歴任

*13:当時の参謀総長は皇族の閑院宮なので事実上多田がトップでした。

*14:支那駐屯軍司令官、参謀次長、第3軍(満州)司令官、北支那方面軍司令官など歴任

*15:斎藤、岡田、第1次近衛内閣外相、首相など歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*16:林、第1次近衛、平沼、小磯、鈴木内閣海軍大臣、首相など歴任

*17:林、第一次近衛内閣陸軍大臣、陸軍教育総監参謀総長を歴任。戦後、自決。

*18:村山内閣環境庁長官森内閣文相(科技庁長官兼務)、小泉内閣農水相自民党国対委員長(第一次安倍、福田、麻生総裁時代)、幹事長、副総裁(谷垣総裁時代)などを経て衆院議長

*19:小渕、森内閣運輸相、小泉、福田、麻生内閣経産相自民党総務会長(第二次安倍総裁時代)を経て幹事長

*20:吉田内閣北海道開発庁長官、自民党副総裁(鳩山、池田総裁時代)など歴任。岸内閣時代、岸から大野を内閣運営に協力させることの見返りに後継総裁の念書を手に入れるが、これを反古にされる(岸の後継総裁は池田)。一説にはこの事について岸は「政治家は目的のためなら嘘をついてもかまわない」「床の間に肥溜めをおけるわけがない」と言い放ったという(この密約の存在は児玉誉士夫の著書『悪政・銃声・乱世:児玉誉士夫自伝』で暴露された。孫である安倍晋三も「祖父から直接聞いた」とテレビ等で発言し、密約の存在を認めている)。この出来事をきっかけとして、「肥溜め」呼ばわりされた大野は終生岸を憎むこととなる。岸が首相辞任表明後に右翼(大野を支持する院外団にいた男)にナイフで刺され負傷した際には「ざまあみやがれ、あのウソつきが」と発言したという説もある。大野は首相就任に強い意欲を燃やしており、1960年7月に行なわれた岸辞任後の自民党総裁選では、池田勇人に対抗し、「石井派会長」石井光次郎(吉田内閣運輸相、池田内閣通産相など歴任)とともに党人派から出馬に名乗りを上げた。しかし、大野支持で岸派の一部・十数名を束ねていた「岸派幹部(後に岸派を離れ川島派会長)」川島正次郎(自民党幹事長(岸総裁時代)、副総裁(池田総裁時代)など歴任)から「党人派が分裂すると池田に勝てないので、石井一本にまとめたほうがいい」との進言を受け、大野は泣く泣く出馬を辞退する。ところが川島は「大野を支援しようと思ったが、辞退したのでわが派は池田を支持する」と表明し、池田当選に一役買うこととなる。この時大野は「川島にだまされた」と激怒したといわれる。

*21:佐藤内閣科学技術庁長官(北海道開発庁長官兼務)、田中内閣官房長官自民党幹事長(田中総裁時代)、総務会長(鈴木総裁時代)、副総裁(中曽根総裁時代)など歴任

*22:竹下内閣官房長官自民党副総裁(河野総裁時代)、橋本内閣外相などを経て首相

*23:宏池会2代目会長。岸内閣通産相自民党幹事長(池田総裁時代)、佐藤内閣法相、衆院議長など歴任。田中首相の金脈問題での辞任後、首相候補の一人として一時名前が挙がった。

*24:岸内閣厚生相、佐藤内閣文相、三木内閣防衛庁長官、鈴木内閣法相、衆院議長など歴任。リクルート事件当時、「宮沢蔵相(竹下内閣)」「安倍幹事長(竹下総裁時代)」「渡辺政調会長(竹下総裁時代)」など多くの幹部が灰色政治家として謹慎を余儀なくされる中、首相候補の一人として一時名前が挙がった。

*25:「甘い」とは思いませんが産経が期待するほどには「野党を無視した議会運営の強行」でないことは事実です。