高世仁に突っ込む(2019年11月29分)

香港:デモ隊の暴力をどう見るか2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 今回の香港の区議選で感心したのは、連日、街頭で警官隊とぶつかっていた抗議者たちが投票を控えて「戦闘」をやめ、政府が混乱を口実にして選挙を延期する企てを阻止して投票の実施につなげたことだ。抗議運動にリーダーがいないなか、こういう整然とした動きがとれるというのは驚きである。

 リーダーがいなかったらそんなことができるわけがないでしょうよ。高世も本気で言ってるならバカだし、嘘をついてるならクズです。まあ後者でしょうが。
 単に
1)リーダーの存在を隠すことで中国の弾圧をかわそうとしている
2)リーダーがいない自由な運動と宣伝している
3)リーダーの存在を隠すことで批判をかわそうとしている
のどれか、あるいは全てでしょう。1)は別に「動機として」問題は無いでしょう。しかし、2)はデマ宣伝だし、3)は無責任です。
 正直「リーダーの存在を隠さなければ1)が実現できない」とは俺は思いませんので「2)や3)つう要素もあるのだろう」と思いますし、だからこそ俺は高世ほど無邪気に香港デモを支持できません。この点では日本共産党も少し「デモ隊に甘すぎないか」と思う「日本共産党支持者」の俺です。まあ党員じゃないので、しがらみもないので、日本共産党への批判は勿論します。

 倉田徹さん*1 (立教大教授)は、香港のデモ隊は単なる暴徒ではなく、冷静に効果を計算し*2香港人の支持を得ているという。

 本当に冷静に「計算してるかどうか(また計算してるとしてその計算が正しいかどうか)」、香港市民が支持してるかどうかはともかくそんなことは高世のような「暴力デモを正当化する理由*3」には全くならないと俺は思いますが、それはさておき。
 まあたいていの場合誰でも「その計算が正しいかどうかはともかく」何らかの計算はしてるでしょう。中国側も香港デモとの対決において当然計算はしてる。
 そして高世が悪口する北朝鮮もそれなりの計算はしてるわけです。してなかったら今、北朝鮮という国はとっくに滅びてるでしょう。
 まあ高世はクズなので、「好意を持ってる暴力デモ隊」には「それなりの計算がある」という一方で、北朝鮮に対しては計算が無いようにデマを飛ばすわけですが。

 暴力行為を辞さない「前線」のデモ参加者と、休日に平和的なデモ行進を行う多数の市民は、かなり性質の異なる集団である。しかし、彼らの間には、「共通の目標を持つデモ参加者同士は攻撃し合わない」という強い意志が当初から存在している。
 負傷者・逮捕者などの犠牲者には「義士*4」の「称号」も与えられる。平和主義者も、暴力行為を非難したり、逮捕者を冷笑したりすることはしない*5
 暴力行為と平和的な行動は同時並行的に進められているが、双方が常に行なわれているわけではない。デモ支持者たちはネット上の掲示板などでしきりに議論と分析を重ね、行動の「効果」を分析し、次の行動を考える。暴力が嫌われそうな予兆があると「前線」は退いて、時には行き過ぎを謝罪もし、平和デモが主流となる。そして平和デモに応じない政府への怒りが市民に蓄積されると、政府への圧力を強めるために暴力行為が行われる*6。つまり、デモ参加者の行為は、相当程度「民意」を汲み取って構築され、実際に民意を勝ち得ている。8月16日の香港紙「民報」に掲載された調査では、デモ参加者の暴力が過度であるとする者は39.5%であったのに対し、警察の暴力が過度であるとする者は67.7%に上った。経済に悪影響が出た場合、最大の責任は香港政府にあるとする者が56.8%、デモ参加者にあるとする者はわずか8.5%である。
(倉田「香港デモ 暴力の論理」『外交』Vol.57、P16-17)

 「何だかなあ」ですね。「共通の目的(香港民主化?)」だろうと「暴力デモなど批判すべき」でしょう。これは「警察が暴力を振るってるからこっちも暴力を振るっていい」という話ではない。
 そして暴力行為を非難しない人間は「その暴力行為に参加しなくても」、俺の考えでは「平和主義者ではない」。
 かつこれは、「安倍さんを批判したらそれは北朝鮮を利する」「経済制裁を否定したら北朝鮮を利する」として蓮池透氏が家族会を除名されたような「異常な同調圧力」が香港デモに存在しないか(なお同調圧力が存在しない場合でも俺は「暴力支持、容認の運動」など基本的に支持しません)。
 つまり蓮池氏に対する「和を乱すな!」「北朝鮮を利するな!」と同様の「和を乱すな!」「中国を利するな!」がありはしないか。
 こうなると世論調査の「暴力デモ容認多数」も「匿名調査とはいえ、暴力デモ批判することは今の香港ではやりづらい」という精神的しがらみがあり、「必ずしも本心をストレートに示してる」とはいえないのではないか。
 正直「暴力デモ」などという「中国批判派」「民主派」であっても「暴力はやめるべきだ」という批判が出ておかしくない話で「相互批判が本当にない」としたらそれは俺の考えでは「異常」であり、それは香港民主化運動の強さでは無く「弱さ」だと俺は思います。
 暴力デモは既に「警察に対するカウンター」という限度を既に超え、経済に悪影響を与えてるし、デモ隊側に「経済に悪影響を与えてもかまわない」と思ってるふしさえある。そんなもんを俺は手放しで支持する気にはなりません。
 家族会が「いくら北朝鮮に問題があってもあの人たちはおかしい」として国民から見放されたように、デモ隊が今後「いくら中国に問題があってもあの人たちはおかしい」として「香港人から見放されること」も充分あり得るのではないか。
 そもそも今回の「区議選勝利」、素人の思いつきではありますが、俺は「デモ隊の勝利」と見なすことには懐疑的です(後述しますが得票数の差も、議席数の差ほどの差ではありません。いわゆる小選挙区マジックがあり、比例区中選挙区ならここまで民主派はおそらく勝利していない)。
 「今のデモには疑問を感じる、でも中国を利したくない」「少なくとも民主派の多くは暴力デモと直結しているわけではない」と思って民主派に票を投じた人間も少なくないのではないか。
 デモ隊が選挙期間中、暴力を控えたのはもちろん高世の言う「政府が混乱を口実にして選挙を延期する危険の回避」もあったでしょう。
 しかしおそらくそれだけではない。選挙期間中に暴力なんか振るったら親中派候補に「あんな暴力集団とつながる民主派に投票していいのですか?」と確実にネガキャンされて得票に影響するかもしれない。それの回避という面もあるでしょう。
 文大統領が当選確実と見なされた選挙戦で、選挙期間中に「文氏が大統領では北朝鮮の軍事的脅威に立ち向かえない」などと自由韓国党候補が主張し、「自由韓国党候補を利するのを回避するために」北朝鮮が軍事的行動(核実験やミサイル発射試験)を控えたようなもんです。
 「繰り返しますが」当然ながらそうした運動にリーダーがいないなど不自然極まりない。暴力の実行も手控えもどちらもリーダーの存在により「着実に実行された」わけです。
 「リーダーがいない」などという嘘宣伝も「政治的計算」のわけですが、既に書いたように俺はその計算を是とはしません。

 区議選の当選者数では民主派が圧倒したが、実際の民主派と親中派の割合はざっと6対4。香港世論は二分されている。
 《24日の香港区議会(地方議会)選挙は、雌雄を争った民主派と親中派の得票率がそれぞれ56.7%と41.7%となり、直接選挙枠の議席配分率が85.2%(452議席)と13.1%(59議席)だったのに比べ僅差にとどまった。区議選は各選挙区の得票数が最も多い候補が一つの議席を独占する小選挙区制だったことが、民主派を圧勝に導いた。》

 小選挙区マジックのせいで圧勝しただけで「親中派は支持されてない、民主派が圧倒的に支持されてる」というほど話は単純ではないと言うことです。正直、こういう話で「中国擁護」と誤解されることも言いづらいでしょうが、常日頃「安倍自民多数議席」を「小選挙区効果もある。議席数ほどには国民の支持はない」と批判する日本共産党澤藤統一郎氏田畑光永などが「香港区議選での小選挙区マジック」に触れないのはデタラメが過ぎるのではないのか。まあ党員じゃないので、しがらみもないので、日本共産党への批判は勿論します。
 こうした批判を「ボーガスは中国シンパだ」と思うなら「勝手にしろ」ですね。

そして民主派、親中派といっても、それぞれ一枚岩ではない。民主派には、とりあえず北京がうるさく介入してこないなら現状維持で十分だという人から、香港が独立国家になるべしという人までいる。 親中派について、香港中文大学院生の石井大智さんがこう書いている。
 《日本のメディアで一般的に「親中派」と言われる人々は、香港では「建制派」と呼ばれる。
(略)
 建制派とは簡単に言えば階層社会である香港で社会の支配階級に当たるとされている人々のことを指す。
(注:長いので、ボーガス略) 
 実際、今回の逃亡犯条例改正案についても、懸念を示した建制派とされる議員・関係者は多くいた。だからこそ香港政府は逃亡犯条例の審議を諦めざるを得なかったのである。
第3報:香港デモは区議選挙でどう変わる〜日本人研究者の緊急報告:日経ビジネス電子版
 建制派の一部は区議選で大敗を喫したことで、香港政府を批判し始めているという。区議選後の動向を見るにあたっては、建制派の動きにも注目しなければ。

 つまりは「いわゆる親中派=社会の上流層」ということは親中派とは必ずしも中国政府全面支持ではなく、「変化や軋轢を嫌う保守派」だということですね。
 上流層は通常「現状の社会構造において利益を得ている」し、当然、彼らは「自分たちにとって都合のいい変化(例:日本における法人税減税、消費税増税)」はともかく、変化を通常嫌う。中国ともめて、暴力デモで観光客が来なくなるようなことは望まないと言うことです。
 彼らが香港政府を批判するとしてもそれは「モリカケ桜を見る会疑惑」での石破の「安倍批判」のようなもんでしょう。ドラスティックな変化を望んでるとは思えません。まあ、彼らもドラスティックな変化を望めば、事態は大きく動くでしょうが。

*1:著書『中国返還後の香港』(2009年、名古屋大学出版会)、『香港』(共著、2015年、岩波新書)など

*2:当たり前ですがその種の計算をしてる運動に「リーダーがいない」なんてことはあるわけもないでしょう。

*3:倉田さんは「暴力デモ擁護」高世と違い単に「事実説明をしているだけ」かもしれないので特に批判はしません。

*4:「テロリスト(伊藤博文元韓国統監を暗殺した安重根のこと)を義士呼ばわりするのか」と韓国を非難していたウヨ連中に香港デモの「義士」をどう思うか聞きたいもんですね。

*5:冷笑(小馬鹿にすること)はしなくていいでしょうが批判、非難はすべきでしょう。でなければ平和主義者とは言えないと思います。

*6:当然ながらそうした計算が「リーダーなし」でできるわけもないでしょう。「俺についてこい」という上意下達型のリーダーではなく「それなりに民主的な、対話型のリーダーでアレ」リーダーなしでそんなことができるわけもない。