今日の産経ニュース(2020年1月7日分)

【安倍政権考】子年は政変を繰り返すか 首相一族は過去に受難(1/3ページ) - 産経ニュース

 干支と政局の関係では、参院選統一地方選が重なり、自民党が苦戦を強いられるとされる「亥年選挙」が有名だ。昨年はこの亥年選挙だったが、自民党は7月の参院選を制し、ジンクスをはね返した。

 ウィキペディア亥年選挙」に寄れば朝日新聞政治部記者、桜美林大学教授だった石川真澄*1の指摘だそうです。
 お断りしておけば、この現象、
1)参院選統一地方選が重なると双方に力を入れることが難しい(政権与党・公明党統一地方選の年の衆院解散を嫌がるのはこれが理由です)
2)参院選で負けても衆院選敗北と違って自民党下野はない(首相退陣はあるが)ので、総裁派閥議員を除けば、衆院選敗北ほど、自民党議員も深刻さは感じない→当然、自民党議員も衆院選ほど選挙に力が入らない。また自民党員も政権に不満があるときは『今の首相ではなく自民幹部のホニャララに首相になってほしい*2のであえて野党に投票』と言う選挙行動をとりやすい
ということで、全く根拠のないジンクスではありません(ただしウィキペディア亥年選挙」によればこうした石川氏の主張には批判もあるようですが)。
 まあ、後述しますが「亥年自民党への批判が高まる出来事が偶然あった」という偶然の要素もあります。
 「第一次安倍*3内閣が退陣に追い込まれた2007年参院選」は亥年選挙ですが、あれは「亥年選挙現象」というよりは「事務所費疑惑」「消えた年金問題」などによる安倍の自滅でしょう。なお、「安倍万歳新聞」として「2007年参院選敗北」には全く触れない産経です。

 子年はどうか。過去には政局が大きく動いている。
 35年には、岸信介*4首相が日米安全保障条約をめぐり、いわゆる「安保闘争」の混乱の責任を取って辞任。さらに次の47年には佐藤栄作*5首相が退陣した。
 平成の時代に入っても、子年に政局が起きる傾向は続く。20年には福田康夫*6首相も首相の座を降りた。

 産経の挙げた事例を見ても分かりますが、多くの場合「亥年選挙や亥年に起こった政治的事件の影響が子年に来た」のであって亥年と全く無関係な話ではありません。
 昭和35年(子年)の岸退陣はその前の昭和34年(亥年)の安保闘争が影響しています。
 昭和47年(子年)の佐藤退陣は「佐藤長期政権への飽き(1964~1972年で自民党総裁を4期)」「ポスト佐藤(田中*7や福田*8など)への期待」が大きいでしょう。自民党総裁を4期(1期2年なので8年)やったのは当時、佐藤しかおらず、さすがの佐藤も「5期はしない考え」と言わざるを得ませんでした。1971年(亥年)時点から既に佐藤政権のレイムダック化は始まっていたと思います(とどめとなったのは1972年のニクソン*9訪中だと思いますが)。
 平成20年(子年)の福田退陣も「平成19年(子年)の自民党参院選敗北とそれによる安倍首相辞任」のダメージを福田氏が回復できなかったという話です。

*1:著書『データ戦後政治史』(1984年、岩波新書)、『選挙制度』(1990年、岩波ブックレット)、『小選挙区制と政治改革』(1993年、岩波ブックレット)、『日本政治のしくみ』(1995年、岩波ジュニア新書)、『戦後政治史』(1995年、岩波新書)、『人物戦後政治:私の出会った政治家たち』(2009年、岩波現代文庫)など

*2:今なら「安倍に代えて石破」ですね。

*3:自民党幹事長(小泉総裁時代)、小泉内閣官房長官を経て首相

*4:戦前、満州国総務庁次官、商工次官、東条内閣商工相を歴任。戦後、日本民主党幹事長、自民党幹事長、石橋内閣外相を経て首相

*5:自由党幹事長(吉田総裁時代)、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、自民党総務会長(岸総裁時代)、池田内閣通産相科学技術庁長官などを経て首相

*6:森、小泉内閣官房長官を経て首相

*7:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)を経て首相

*8:大蔵省主計局長から政界入り。岸内閣農林相、自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)、佐藤内閣蔵相、外相、田中内閣行政管理庁長官、蔵相、三木内閣副総理・経済企画庁長官などを経て首相

*9:アイゼンハワー政権副大統領を経て大統領