高世仁に突っ込む(2020年8/4日分)

「ありがとう」が存在しない社会2 - 高世仁の「諸悪莫作」日記
 高世仁に突っ込む(2020年8/2日分) - bogus-simotukareのブログで取り上げた「ありがとう」が存在しない社会 - 高世仁の「諸悪莫作」日記の続きです。

 探検家の関野吉晴さん*1は、近代化されていない人々、特に狩猟採集民の「平等」に大きな関心を持っている。モノを溜め込まず、助け合い、持ちつ持たれつの関係のもと、「感謝」をあらためて言葉で表すことをしない社会があるという。
 最後に、彼らのおもしろい挨拶を紹介しよう。
 《狩猟採集民はわれわれと違って、昨日、明日への意識がないんです。いまが一番大切なんですよ。それを象徴するのが、たとえばマチゲンガの人たちの挨拶です。「アイニョビ(お前は存在するか)」と呼びかけて「アーィニョ」(存在するよ)」と応える。余計なものが一切ない。》(P40)
 余計なものがない社会。一度暮らしてみたいものだ。

 いやー、俺はそんな社会には暮らしたくないですね。
 平等といったって「豊かな平等」ではなく「貧乏な平等」ですからね。
 「モノを溜め込まず」といったところで「節約」等の観点から意図的に「ためないわけでは無い」。ためたくても貧乏でためられないだけじゃ無いですか。
 「助け合い、持ちつ持たれつ」といったところで「そうせざるをえないから」そうしてる。
 人間、時には「一人きりになりたいとき」もあるかと思いますが、こういう社会ではそういう事が難しい。
 「皆が仲良しで対立が全くない」のなら「助け合い社会」もいいでしょう。でもおそらくそんなことはない。
 「助け合いが義務の社会」てのはストレスがたまると思いますよ。
 「明日への意識が無い」てそれは単に「貧乏で生活が苦しいから持てない」だけじゃないですか。
 「明日死んでも後悔しないように今を必死に生きる」という精神論の問題じゃ無い。

*1:著書『グレートジャーニー・地球を這う〈1〉南米アラスカ篇』(2014年、ちくま新書)、『グレートジャーニー・地球を這う〈2〉ユーラシア~アフリカ篇』(2005年、ちくま新書)など