「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年2/14日分:荒木和博の巻)

韓国保守の反日(R4.2.14): 荒木和博BLOG

 21世紀に入った頃から、左派系の大統領より保守系の大統領の方が反日を強調するようになりました。なぜでしょう。

 7分37秒の動画です。説明文だけで馬鹿馬鹿しくて見る気が失せます。
 第一に、そんなことが拉致解決と何の関係があるのか。しかも「この話」、以前も荒木は

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/8分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
ミセモンジ【調査会NEWS2943】(31.3.7): 荒木和博BLOG

 反日という意味では保守政権だった李明博*1政権も朴槿恵政権もそうでした。それは日本の存在が軽くなり、けなしても大丈夫だとこちらの人が思ったからでしょう。

として書いてる話です。
 第二に後述しますが「21世紀に入る前から」韓国の保守系の大統領は「荒木定義の反日」ですが、まあ、仮に「21世紀(2000年)に入って」保守系の大統領(李昭博、朴槿恵)が左派系の大統領(金大中盧武鉉)より反日を強調したと仮定しましょう。
 それは、1)韓国が経済大国になったので昔ほど日本にへいこらする必要がなくなった、2)その一方で日本ウヨ(典型的には安倍晋三)にはそうした状況変化に気づかず、あるいは気づいてるのに無視して「戦前礼賛」を行う、その結果、保守系の大統領ですら「荒木の言う反日言動」をせざるを得なくなると言うだけの話です。
 第三に「21世紀に入る前から」韓国の保守系の大統領(朴正熙全斗煥盧泰愚)は「荒木定義の反日」です。
 その点について過去に書いた文章を改めて後で再掲しておきます。
 それにしても荒木が

李明博 - Wikipedia李大統領による天皇謝罪要求
◆しばしば「(戦後処理について)日本はドイツを見習うべき」という趣旨の発言を行った。
◆2012年8月10日、竹島に上陸し韓国領であると改めて発言し、初めて竹島に上陸した韓国大統領となった。それまでの大統領は誰も上陸しなかった。日本政府(当時は野田政権)は韓国政府に抗議し、武藤正敏駐韓大使(当時)を一時帰国させた。
◆2012年8月14日、明仁天皇(当時)について「日王」と呼称した上で、「日王が『痛惜の念*2』などという単語ひとつを言いに来るのなら、訪韓の必要はない。日王は韓国に来たければ、韓国の独立運動家が全てこの世を去る前に、彼らの前で心から謝罪すべきだ」と謝罪を要求する発言を行った。
 8月17日、野田首相は李大統領あての親書を送るが、韓国側は親書を受領せず、駐日韓国大使館員が外務省に返却しに来たため、外務省は敷地内への立ち入りを拒否した。同日、玄葉外相は申珏秀韓国駐日大使に受領拒否について抗議した。
 8月24日、衆議院本会議にて李大統領による天皇謝罪要求発言と竹島への上陸に抗議する決議が提案され民主党自由民主党公明党みんなの党国民の生活が第一(党名は全て当時)などの賛成により、日本共産党社会民主党の反対を押さえて採択された。決議では天皇謝罪要求について「友好国の国家元首の発言として極めて非礼で決して容認できない」と発言の撤回を求めた。
 8月29日、参議院本会議にて衆院決議と同様の決議案が提案され、民主党自由民主党(党名は全て当時)などの賛成により可決された。
 2012年12月16日に衆院選挙が実施される約2ヶ月前の10月8日、総選挙による政権交代で与党復帰の可能性が高いと予想された野党第一党自民党の麻生元首相は、韓国大統領府で李大統領と会談した。天皇に謝罪を求めたとされる李大統領の8月の発言について、麻生は会談後、報道陣に対し、「陛下に韓国に来いとか、謝れとかいったことはない、という話を(李大統領から)うかがった」と述べた。一方、2013年2月15日に李大統領は竹島上陸は日本への牽制である旨を語った際に、「日王は(自分の発言以後)『謝る用意もあり韓国を訪問したい』と明らかにしたという。実際より少し誇張されて自分の発言が伝えられた面がある」と、東亜日報のインタビューで明らかにした。
◆2012年8月15日、光復節(日本での終戦記念日)祝辞で「日本軍慰安婦被害者問題は人類の普遍的価値と正しい歴史に反する行為」であると述べた。

朴槿恵 - Wikipedia
◆2013年3月1日の三・一独立運動記念式典では、「(日本と韓国の)加害者と被害者という歴史的立場は1000年の歴史が流れても変わることはない」と演説
◆初の外遊となった2013年5月のアメリカ訪問では、オバマ大統領との会談において、「北東アジアの平和のために日本は正しい歴史認識を持たねばならない」と批判
◆2013年9月30日には、訪韓したチャック・ヘーゲル米国国防長官に対して「歴史や領土問題で後ろ向きの発言ばかりする日本指導部のせいで信頼関係を築けない」と発言
◆2013年11月2日のフィガロ紙に掲載された記事では「(日本の政治家が歴史問題に関して)不適切な言動を繰り返している」と答えた。
◆2013年11月4日のBBCとのインタビューでは日韓首脳会談について「首脳会談をしても得るものはない」、「日本の一部指導者は謝罪する気もなく、元慰安婦を侮辱し続けている」と述べた。
◆2013年11月8日にはヘルマン・ファン・ロンパウ欧州理事会議長との会談後の記者会見で、慰安婦問題に関して「日本には後ろ向きの政治家がいる」、「(安倍首相との会談は)逆効果」、「日本の指導者は考え方を変えるべきだ」と述べた。
◆2014年3月26日に日米韓3カ国による首脳会談を行った際には、冒頭発言で安倍首相がほほ笑みながら韓国語で挨拶するも、朴は硬い表情のまま目を合わせることもなかった。カメラマンが3首脳による握手を求めても朴が応じないなど、冷え込んだ日韓関係を象徴する異様な首脳会談となった。

を理由に「李明博朴槿恵」を反日呼ばわりしたあげく、金大中盧武鉉について

金大中 - Wikipedia
◆1998年、小渕恵三首相と日韓共同宣言を発表し、韓国でそれまで禁止されていた日本文化開放を推し進めた(ボーガス注:ただし日本コンテンツの海賊版の流通を、金大中政権以前から政府が黙認していたので、日本文化の韓国での流通自体はこれ以前からあった)。
◆1998年10月8日に日本の国会で「このような通貨危機を克服する過程で日本の支援は本当に大きかったです。日本は韓国の短期外債延長において、その3分の1を超える79億ドルを中長期外債に転換してくれました。世界のどの国よりも多くの協力をしていただいたのです。『困った時の友達が本当の友達』という言葉があります。私はこの場を借りて、改めて日本の積極的な誠意のこもったご協力に心から感謝を申し上げます」と日本への感謝の国会演説をした。
愛子内親王の誕生に際しては「皇室と国民が待ちこがれた皇孫が誕生した事を、韓国国民とともに心よりお祝いします。皇室がこの度の慶事を機に、一層繁栄することを確信します」との祝電を送った。

盧武鉉 - Wikipedia
 2003年6月8日、TBS系列の報道特別番組にて俳優・草彅剛との対談を行った時は、両国で生中継された。草彅が韓国の日本文化開放計画について聞くと、盧大統領は全面開放を約束し、実際に盧政権で日本文化は一部の分野を除き全面開放された。

を理由に「金大中盧武鉉の方が李明博朴槿恵より親日だった」と言い出したのには吹き出しました。よほど「金大中盧武鉉の方がお前らよりマシだ」と「李明博朴槿恵反日」に怒りがあったのか。
 ちなみになぜ草薙が盧武鉉と2003年に対談したかと言えば

草彅剛 - Wikipedia
 2001年4月、草彅の韓国関連の活動についての番組『チョナン・カン』がフジテレビ系列で放送開始し、これを機に韓国進出した。当時、韓国では日本文化が厳しく制限されており、日本で知名度抜群の草彅が、韓国では無名の状況下で、また、日本において、のちの韓流ブームが起こる前でのことであった。「チョナン・カン」は韓国関連での草彅の芸名でもあり、当番組は本人の冠番組にあたる。
 2001年5月22日には韓国観光公社から、番組『チョナン・カン』が韓国に多くの観光客を呼び、韓国観光広報に寄与した功績を讃えられ、感謝牌を贈呈された。
 2004年1月14日、東京・南麻布の韓国大使館を表敬訪問し、趙世衡大使と韓国語で対談した。その際、草彅主演の全編韓国語の邦画『ホテル ビーナス』が完成したことを伝えている。それを受け、趙大使は「日韓の文化交流のために、大きく貢献することだと思います」と発言した。
 2006年8月29日、主演ドラマ『海峡を渡るバイオリン(ヴァイオリン製作の職人として、「東洋のストラディバリ」と呼ばれた在日韓国人陳昌鉉の半生を描いた作品)』が韓国放送協会主催「ソウル・ドラマアワーズ2006 短編ドラマ部門 最優秀作品賞」を受賞により、草彅はソウルの授賞式で壇上にて流暢な韓国語でスピーチをし、拍手喝采を浴びた。翌月、韓国において最大規模のスクリーン数で上映された主演映画『日本沈没』が初登場1位を記録し、邦画として史上初の快挙となった。
 2008年4月21日、TBS系列の報道特別番組にて韓国の李明博大統領と韓国語で対談し、その模様が放映された。草彅は通訳の大役も任された。この対談の際、李大統領から、文化交流の「日韓文化大使」就任を要請されている。韓国大統領と対談するのは、盧武鉉前大統領と二代にわたってのことである。

ということで当時の草薙が韓国進出していたからです。
 なお、荒木が『金大中親日行為』に米国のキューバへの対応から、日本の北朝鮮への対応を考えてみる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が紹介する

>林東源は、小泉からのメッセージも金正日に伝える。「拉致問題に進展があれば、国民を説得して関係改善を進める意思がある」との趣旨だったという。
 林は「日本人拉致は『過去に過激な盲動分子がやったことだ』という程度に認め、遺憾の意を表し、早期の帰還措置を取るのがよい」という「金大中の考え」を伝えて説得したとも回顧録で主張している。

 余談ではありますが、上の金大中氏のアドバイスや具体的に動いてくれた林東源氏については、私は拉致被害者(家族)の直接の関係者ではもちろんありませんが、本当に感謝したいですね。彼らの助言や行動が、日本人拉致被害者の帰国に何らかの形で寄与したのですから、拉致被害者の日本帰国を「よかった」と思うのであれば、金大中氏のほかの政治姿勢に批判的であるとしても、少なくともこの件では、金大中氏らに感謝をすべきだと思います。ところが荒木和博などは
>「金大中事件のときに殺しておけばよかったんだ」
 数年前、私がお世話になった韓国のある大学教授のこの言葉を聞いたときはさすがにどきりとしました。

とまで書く始末。さすがに他人が語ったという形式にしていますが、荒木本人がそう考えているということでしょう。でなければこんな記事書くわけがない。こういうことを書く人間を、私は「人間のクズ」と評してなんら躊躇しませんね。世の中広いとはいえ、ここまで世話になった人にここまでの暴言で報いるクズがいる界隈は、そうはないでしょう。それでこのようなクズに拉致被害者家族は依存しているのだから、その馬鹿でどうしようもなさというのはひどいにもほどがあるというものです。

を紹介しないのは言うまでもありません。
 また、荒木が「韓国人の対馬旅行」「AKBグループメンバー(「本田仁美」「宮脇咲良」「矢吹奈子」)の韓国進出(それなりに韓国で人気を博した:これについては以前「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年1/17日分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログで触れました)」をネタに「韓国は日本右翼が主張するほど反日ではない」というのは「まあいい」としてもそこから「だから韓国の反日はインチキだ」と言い出すのは呆れます。

【日本文化愛好】
◆「対馬を旅行する」「AKBグループメンバーのファンになる」

のと

【日本ウヨの歴史修正主義批判】
河野談話否定論、朝鮮人強制連行否定論(軍艦島佐渡鉱山など)を批判する

のと何の関係があるのか。
 その「荒木の理屈」だと「日米安保反対の共産党員」は誰一人として「ハリウッド映画は見ない」のか(そんなことはあるわけもない)。

じゃあてめえら産経新聞社社員は、中国製品を使っていないのかという話になる - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)
 馬鹿、そういうつまらん言いがかりをつけるものじゃない(呆れ)。ある国の政府や政策に批判的であることと、その国の工業製品を使用したり、文化(映画、絵画、文学、音楽、アニメーションのような創作物、建物、自然、歴史、食品その他いろいろありますわな)に親しんだりすることは、話の次元が違います。ベトナム戦争の時代だって、米国のベトナム撤退を叫ぶ学生だって、サリンジャーなどの米国文学を読むし、コカコーラは飲むし、米国のロックやフォークを聞いたし、米国映画も見たし、あるいはヒッピー文化にあこがれたわけです。ある国に批判的である=その国のあらゆるものを否定してその国の工業製品も使わない、なんて話ではない。

が指摘するとおりの話です。

【参考:朴正熙全斗煥盧泰愚が荒木定義の「反日」であることについて】

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2019年3/8分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
ミセモンジ【調査会NEWS2943】(31.3.7): 荒木和博BLOG

 反日という意味では保守政権だった李明博*3政権も朴槿恵政権もそうでした。それは日本の存在が軽くなり、けなしても大丈夫だとこちらの人が思ったからでしょう。

 もちろんそんなことはありません。以下の話は荒木だって知ってるはずですが、まず韓国通には有名な事件で、第一に吉田*4政権(日本)&李承晩(韓国)時代の「久保田暴言事件(久保田妄言事件)」つうのがあります。
 ググってもいい記事が見つからなかったのですが、内容的にはあとで紹介する高杉事件とほぼ同じ、つまり「戦前日本は韓国を近代化してやった。だからカネなんぞ払う気はない」つう居直りです。実際この時期は本気で日本は払う気がなかったようですが(ただし高杉の時は「祝い金」という名目ですが払う方向になったわけです)。この時は、韓国側の反発で一時、正式な外交交渉が完全にストップします。「戦後最悪の日韓関係」とも言われる時期です。
 第二に佐藤*5政権(日本)&朴チョンヒ(韓国)時代の「高杉暴言事件(高杉妄言事件)」つうのがあります。
 これについては“メディアは事実を伝えるのが仕事だ”と主張する人に伝えておきたい政府・メディア共同で犯した隠蔽事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版を参照下さい。
 この事件が赤旗によって暴露されると日韓両国は「赤旗のデマ」と強弁します。もちろんデマではないわけですが、それはさておき。
 この時、朴チョンヒは「この件はなかったことにしよう、日本の金が欲しいから」「久保田事件の二の舞は嫌だ」と思ったわけです。しかし、それでも彼は「高杉の妄言なんかどうでもいいだろ、カネがほしいんだ!」とは公言は出来なかった。それをやったら、かえって韓国民の反発で久保田事件の二の舞です。民族の誇りとはそう言うもんでしょう。
 なお、この時は高杉妄言を「うやむやにごまかした朴チョンヒ」ですが日本には複雑な思いがあったのでしょう。妻が殺害された文世光事件では

■文世光事件(ウィキペディア参照)
・この事件の為、日韓関係は日韓国交正常化後、最悪の状態に陥ったといわれる。
・文が所持していた拳銃が大阪府内の派出所より盗まれた物であった事、韓国側の主張によれば、「朝鮮総連の関与は明白であったにも関わらず、日本側がそれを明確に認めず、朝鮮総連への家宅捜索をしなかった事」による。
・日本側の対応に対し、朴大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と憤激し、ついには「(田中政権が国交回復した)中国だけが一番なのか。(日本と断交しても)安保、経済に問題はない」、「日本は北朝鮮の赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。しかし、朴大統領の側近が「このまま国交が断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、日韓双方で、
1)日本政府が遺憾の意を表明する。
2)事件の再発防止。
3)日本から特使派遣をすること。
という内容で合意し、最悪の事態はまぬがれた。
・事件から4日後の8月19日に執り行われた朴の妻の葬儀(国葬)において、日本からは田中角栄*6首相が出席した。その際、田中首相の「えらい目に遭われましたね」という言葉に朴大統領は「言葉が軽すぎる」とかえって憤慨したと言われている。
 加えて、8月29日に木村俊夫*7外相が国会答弁の中で「客観的に見て、韓国には北朝鮮による脅威はない*8」と述べたことで、かねてから「日本国内でKCIAによって引き起こされた金大中事件」に対する日本からの韓国政府非難を受けたことにより鬱積していた反日感情が一気に爆発、連日日本大使館前には抗議のデモ隊が押し寄せ、9月6日には群衆が日本大使館に乱入し日章旗を焼き捨てる事態にまで発展した。その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前にまで至った。
 事態を見かねた日本政府は9月19日に自民党親韓派の重鎮である椎名悦三郎*9副総裁を政府特使として訪韓させた。朴は椎名との面談の席上で、「日本政府が私達を友邦と考えるなら、喪中にある大統領一家や国民が悲しみと怒りに満ちているこの時に、日本が引き続き、こんな風な姿勢を取れば、友邦とは認められないのではないか」、「(日本の姿勢は)政治と外交、法律に関係なく、東洋の礼儀上、ありえない事」、「日本外務省には秀才やエリート官僚が集まっていると聞いたが、どうやってこのような解釈ができるのか」など、激しい言葉で日本を糾弾した。退出した椎名は「長い公職人生でこれほど罵倒されたことはなかった」と憤懣やるかたない表情で語り、付き添っていた金鍾泌*10首相があわててなだめる一幕もあったという。

とまで日本政府相手にマジギレするわけです。
 第三に鈴木*11政権(日本)&全斗煥政権時(韓国)の教科書問題での「宮沢*12官房長官談話&近隣諸国条項」がある(これは韓国だけでなく中国への対応でもありますが)。
 第四に中曽根*13政権(日本)&全斗煥政権(韓国)時の「韓国併合は韓国の同意の下に行われた」と月刊文春で放言した藤尾*14文相が韓国側の抗議で更迭された「藤尾更迭事件」がある。
 以上見たように、保守政権(李承晩、朴チョンヒ、全斗煥)ですら荒木の主張ならすべて反日になってしまう。
 要するに「戦前日本には何の問題もなかった」と居直るウヨの荒木が非常識なだけです。

高世仁に突っ込む(2021年3/17日分) - bogus-simotukareのブログ
韓国では関心が低い「慰安婦問題」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 今の日韓関係は戦後最悪と言われるが、それは両国の力関係が大きく変化し、主には韓国側の日本に対する意識が変わってきたことがベースにあるという。
 要は日本の国力が沈み、韓国が力と自信をつけたいま、日本は韓国にとってワンオブゼムにすぎない。それに対して日本側は、昔と同じような「上から目線」で韓国を見ている。ここに大きなギャップが生まれているという。

 「そりゃそうだろう、お前に言われなくても知ってる。高世はどや顔すんじゃねえよ」「それが分からない奴ははっきり言ってバカだろ」で終わる話です。しかも「上から目線」が「それなりに正当性や合理性のあるもの」ならまだいい。

安重根はテロリストなのになぜ義士と称えるのか
◆日本の韓国植民地統治のおかげで韓国が近代化した
慰安婦に問題など無い、河野談話は間違ってる
端島炭鉱(いわゆる軍艦島)での韓国人徴用工には問題など無かった。世界遺産登録に反対する韓国の批判は言いがかりだ

などと罵倒や「事実を否定する居直り(歴史修正主義)」を始めるから話にならない。
 なお、

日本側は、昔と同じような「上から目線」

云々というのは「一面の真実」にすぎず、「厳密には正しくありません」。
 第一に「昔ですら」

◆久保田妄言事件(吉田内閣時代)
 これについては例えば久保田貫一郎 - Wikipediaいま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(3)/戦後、日本政府がとった態度は参照
◆高杉妄言事件(佐藤内閣時代)
 これについては例えば高杉晋一 - Wikipediaいま振りかえる 植民地支配 歴史と実態(3)/戦後、日本政府がとった態度は“メディアは事実を伝えるのが仕事だ”と主張する人に伝えておきたい政府・メディア共同で犯した隠蔽事件 - 誰かの妄想・はてなブログ版参照。
◆文世光事件での朴正熙の「日本政府への激怒」(田中内閣時代)
 これについては例えば文世光事件 - Wikipedia参照。これについては文世光事件 - Wikipediaにも書いてありますが朴をなだめに言った「韓国ロビー」椎名悦三郎(当時、自民党副総裁。池田、佐藤内閣外相として日韓国交正常化交渉に関与。また戦前は岸商工相のもとで商工次官を、戦後は岸内閣で官房長官を務めた岸の側近としても知られる)がさんざん朴に「日本は何を考えてるのか」と罵倒される羽目になります。
◆藤尾文相暴言問題(中曽根内閣時代)
 これについては例えば藤尾正行 - Wikipedia参照

などで韓国側の「反日感情(?)」が爆発しています。何も「韓国が経済大国になったこと」だけが日本批判の理由ではない。
 もちろん「経済大国になったこと」でさらに「日本はふざけるな」となるわけですが、「今と違ってまだまだ貧しかった」吉田内閣、佐藤内閣、田中内閣時代ですら場合によっては「日本への怒りが大爆発」のわけです。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年3/23、24分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
 朴正熙政権時代ですら文世光事件 - Wikipediaで分かるように「日本政府の対応に激怒した朴正熙」をなだめるために、「韓国ロビー」椎名悦三郎*15訪韓しています。
 そして椎名は「日本政府は一体何を考えてるんだ!」と散々、朴に罵倒される。
 全斗煥時代ですら藤尾*16文相(当時)の「韓国併合正当化発言」に全斗煥は抗議し、中曽根*17首相が藤尾文相を更迭*18しています。
 「強制連行などの違法行為があったこと」を認めた河野*19官房長官談話(1993年8月、当時は金泳三時代)が出る前に「慰安婦について日本政府の関与を認めた*20」加藤*21官房長官談話(1992年7月)が出ましたが、加藤談話の時は盧泰愚政権であり、盧泰愚全斗煥の側近でした。
 つまりは「朴正熙」「全斗煥」「盧泰愚」といったウヨ軍人政治家ですら荒木ら日本ウヨが強弁するほど日本べったりではないし、「日本批判=北朝鮮シンパ」という荒木の強弁では「朴、全、盧」が全員「北朝鮮シンパ」になってしまいます。

「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年1/17日分:荒木和博の巻) - bogus-simotukareのブログ
台湾と韓国 なぜこんなに対日感情が違うのか(R4.1.17): 荒木和博BLOG
 韓国も「北朝鮮との国力の違いがそれほど無い」朴正熙時代などは「かなり日本にこびていた」。しかし今や韓国は「世界に冠たる経済大国」です。もはや韓国(人)にとっては、北朝鮮は「脅威」「打倒の対象」よりもメロドラマのネタ程度のものなのだろう(たぶん日本も同じ 関川某も自分の書いたことを撤回しろとおもう) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)が指摘するように、もはや「貧乏国・北朝鮮」との対抗のために「日本にこびる必要は全くない」。
 これが現状とは逆で「中国は貧乏国で、台湾は恐れる必要は無い」とか「北朝鮮は経済大国で韓国にとって未だ脅威」ならおそらく、荒木らウヨにとって「台湾が反日で韓国が親日」になっていたでしょう。というか朴正熙時代はそういう意味から「親日だった」わけです。
 ただし、以前も今日の朝鮮・韓国ニュース(2019年5月30日分) - bogus-simotukareのブログで触れましたが、その朴ですら文世光事件では

文世光事件 - Wikipedia参照
◆この事件の為、日韓関係は当時、日韓国交正常化後、最悪の状態に陥ったといわれる。韓国側の主張によれば、朝鮮総連の関与は明白であったにも関わらず、日本側がそれを認めず、朝鮮総連への捜査を行わなかった事、文が所持していた拳銃が大阪府内の派出所より盗まれた物であった事による。
◆謝罪のない日本側に対し、朴大統領は「日本は本当に友邦なのか?」と激怒し、ついには「(ボーガス注:1972年に国交正常化した)中共だけが一番なのか。日本と断交しても安保、経済に問題はない」、「日本は赤化工作の基地となっている」という言葉まで出た。しかし、朴大統領の側近が「このまま断絶してしまえば、今までの苦労が水の泡になってしまう」と説得し、日韓双方で、
 ・日本政府が遺憾の意を表明する。
 ・かかる事件の再発防止。
 ・日本から特使派遣の合意をすること。
という内容で合意し、最悪の事態はまぬがれた。
◆事件から4日後の8月19日に執り行われた朴の妻の葬儀(国葬)において、日本からは田中角栄*22首相が出席した。その際、田中首相の「えらい目に遭われましたね」という言葉に朴大統領は言葉が軽すぎるとかえって憤慨したと言われている。
◆加えて、8月29日に木村俊夫*23外相が国会答弁の中で「客観的に見て、韓国には北朝鮮による脅威はない*24」と述べたことで、かねてから日本国内でKCIA(韓国中央情報部)によって引き起こされた金大中拉致事件に対する日本からの非難を受けたことにより鬱積していた反日感情が一気に爆発、連日日本大使館前には抗議のデモ隊が押し寄せ、9月6日には群衆が日本大使館に乱入し日章旗を焼き捨てる事態にまで発展した。その後急速に関係は悪化し、国交断絶寸前にまで至った。
 事態を見かねた日本政府は9月19日に自民党親韓派の重鎮として、韓国国内でも評価の高かった椎名悦三郎*25自民党副総裁を政府特使として訪韓させることによって両国間での問題決着がはかられた。朴大統領は椎名との面談の席上で、「喪中にある大統領一家や国民が悲しみと怒りに満ちているこの時に、日本が引き続き、こんな風な姿勢を取れば、友邦とは認められないのではないか」、「(日本の姿勢は)政治と外交、法律に関係なく、東洋の礼儀上、ありえない事」、「日本外務省には秀才やエリート官僚が集まっていると聞いたが、どうやってこのような解釈ができるのか」など、激しい言葉で日本を非難した。退出した椎名副総裁は「長い公職での人生でこれほど罵倒されたことはなかった」と憤懣やるかたない表情で語り、付き添っていた金鍾泌首相があわててなだめる一幕もあったという。

として「自民党政権相手」にマジギレしています。「朴の親日」が「方便でしかないこと」がよくわかります。

*1:ソウル市長を経て大統領

*2:明仁天皇が1990年5月24日に訪日した盧泰愚大統領を迎える宮中晩餐会でのおことばにある表現

*3:ソウル市長を経て大統領

*4:戦前、外務次官、駐イタリア大使、駐英大使など歴任。戦後、東久邇、幣原内閣外相を経て首相

*5:元運輸次官。政界入りし、吉田内閣郵政相、建設相、岸内閣蔵相、池田内閣通産相などを経て首相

*6:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相などを経て首相

*7:元運輸官僚。上司だった佐藤栄作(元運輸次官)の誘いで政界入り。佐藤内閣官房長官として沖縄返還に尽力

*8:国力の違いから実際そうですが。

*9:戦前、岸信介商工大臣(東条内閣)のもとで商工次官。戦後、岸の誘いで政界入りし、岸内閣官房長官、池田、佐藤内閣通産相、外相、自民党副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任。岸の側近として知られる。

*10:KCIA長官を経て首相

*11:池田内閣郵政相、官房長官、佐藤内閣厚生相、福田内閣農林相、自民党総務会長(大平総裁時代)などを経て首相

*12:池田内閣経済企画庁長官、佐藤内閣通産相、三木内閣外相、福田内閣経済企画庁長官、鈴木内閣官房長官、中曽根、竹下内閣蔵相を経て首相。首相退任後も小渕、森内閣で蔵相

*13:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官を経て首相

*14:鈴木内閣労働相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)、中曽根内閣文相を歴任

*15:戦前、岸商工相の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、総務会長(佐藤総裁時代)、副総裁(田中、三木総裁時代)など歴任。佐藤内閣外相時に日韓国交正常化に関与。

*16:鈴木内閣労働相、中曽根内閣文相、自民党政調会長(中曽根総裁時代)など歴任

*17:岸内閣科学技術庁長官、佐藤内閣運輸相、防衛庁長官、田中内閣通産相自民党幹事長(三木総裁時代)、総務会長(福田総裁時代)、鈴木内閣行政管理庁長官などを経て首相

*18:藤尾が辞任を拒否したため。

*19:新自由クラブ代表、中曽根内閣科学技術庁長官、宮沢内閣官房長官自民党総裁、村山、小渕、森内閣外相、衆院議長など歴任

*20:但し、違法行為の存在までは認めておらず河野談話に比べれば価値が劣るので河野談話によって発展的解消したと言える。

*21:中曽根内閣防衛庁長官、宮沢内閣官房長官自民党政調会長(河野総裁時代)、幹事長(橋本総裁時代)など歴任

*22:岸内閣郵政相、池田内閣蔵相、佐藤内閣通産相自民党政調会長(池田総裁時代)、幹事長(佐藤総裁時代)などを経て首相

*23:佐藤内閣官房長官として沖縄返還に尽力。その後も佐藤内閣経済企画庁長官、田中内閣外相など歴任

*24:まあ当時において実際にそんな脅威はないですが。今ならなおさらです。

*25:戦前、岸信介商工大臣(東条内閣)の下で商工次官。戦後、岸の誘いで政界入り。岸内閣官房長官自民党政調会長(池田総裁時代)、池田内閣通産相、外相、佐藤内閣外相、通産相自民党副総裁(田中総裁時代)など歴任。佐藤内閣外相時代に日韓国交正常化を実現。また三木武夫を総裁に指名したいわゆる椎名裁定で知られる。