島田洋一
安倍首相辞任会見での、一部記者の礼を欠き、知性を欠き、軽重の感覚を欠いた質問を聞いていて(ボーガス注:魯迅の小説に出てくる)「戦士の鼻にたかるハエ」という言葉を思い出した。
ちなみに島田の言う「一部記者の礼を欠き、知性を欠き、軽重の感覚を欠いた質問」てのは
令和2年8月28日 安倍内閣総理大臣記者会見 | 令和2年 | 総理の演説・記者会見など | ニュース | 首相官邸ホームページ
(記者)
幹事社、日本テレビの菅原(すがわら)です。よろしくお願いいたします。
(中略)
1次政権に続いて任期途中での辞任ということになります。コロナ禍にあって、政権投げ出しという批判もあるかと思いますが、こうした批判に対してはどのように説明なさいますでしょうか。
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(記者)
東京新聞の清水と申します。
(中略)
公文書の改ざんを迫られ自殺した財務省職員の御遺族は今も再調査を求め、政権の説明責任を問うています。この間、国民に疑問を持たれた様々な問題に、歴史が判断する材料としての公文書管理及び政治家の説明などで十分な説明責任を果たせたとお考えでしょうか。御所感をお願いいたします。
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(記者)
西日本新聞社の川口と申します。
(中略)
森友学園問題や加計学園問題、桜を見る会の問題など、国民から厳しい批判にさらされたこともあったと思います。コロナ対策でも、(ボーガス中:電通給付金疑惑や布マスク疑惑で)政権に対する批判が厳しいと感じられることも多かったと思うのですが、こうしたことに共通するのは、政権の私物化という批判ではないかと思います。こうした指摘は国民側の誤解なのでしょうか。それについて総理がどう考えられるか、これまで御自身が振り返って、もし反省すべき点があったとしたら、それを教えてください。
のうちの「どれのこと」ですかね(なお、「安倍のふざけた回答」については、精神衛生に良くないので紹介を省略します)。
もしかして「全部がそうなのか」。島田が「礼を欠き、知性を欠き、軽重の感覚を欠いた質問」とは何なのか、具体的な質問内容を書いた上で、具体的に反論できない時点で、島田は「敗北の自白」も同然と思いますね。
なお、引用紹介はしませんがちなみに「戦士の鼻にたかるハエ」でググったら他にも島田の駄文がヒットしました。島田にとっては「お気に入りの表現」のようです。
安倍は戦士ではないのですがねえ。
むしろ「戦士の鼻にたかるハエ(死んだ戦士にたかるはえ、つまり死人が反論できないのをいいことに誹謗中傷するゲス)」とは「安重根をテロリスト呼ばわりする菅官房長官」など島田らウヨの方では無いのか。しかし魯迅も生きていれば「俺が想定してるハエってのは手前のことだ、島田!」と言いたいところでしょう。それにしても「中国共産党が高く評価する魯迅」「小説『藤野先生』を信じれば日本の中国侵略に強い怒りを覚えていた魯迅」って言うまでも無く(?)「島田の基準では」反日左翼なんですが、島田はその辺りどう認識してるのか。
【参考:魯迅】
藤野厳九郎 - Wikipedia
・日本留学時代の魯迅の恩師(仙台医学専門学校(現東北大学医学部)教授)として知られる。
・教え子の魯迅が1926年に「藤野先生」を発表、魯迅が中国で高く評価されるにつれ、藤野の名が世に知られるようになった。
・1961年には記念碑が福井市に建てられ、旧宅はあわら市に移築されて藤野厳九郎記念館となった。東北大学では彼の名を冠した「東北大学藤野先生賞」「東北大学藤野記念奨励賞」が設けられた。
魯迅の「故郷」 中国では日本より読まれない?--人民網日本語版--人民日報(2014年11月5日)
◆中学で「故郷」を、高校で「藤野先生」を読む日本の学生
藤井氏*1によると、日本の中学3年生の国語教材を出版する出版社のうち、5社が魯迅の「故郷」を収録しているという。
高校の国語教材では、「藤野先生」と「孔乙己」が最も多く収録されている。「藤野先生」は、魯迅が日本に留学していた時の恩師を描いた作品で、日本人にも馴染み深い。また、「孔乙己」の主人公の孔乙己は、科挙制度の犠牲者として描かれているが、試験は日本の高校生にとって最も現実的な問題だ。「薬」を収録する教材もあるという。
「むしろ自国の村上春樹や川端康成、大江健三郎といった作家の作品は、国語教科書においてそれほど重視されていない」と藤井氏は語る。
第4部 異端児(中)文学を志した地「仙台」…中国近代文学の父・魯迅 : yomiDr./ヨミドクター(読売新聞)
魯迅が中国人にとって特別な存在であることは、国家主席(当時)の江沢民*2が1998年、魯迅ゆかりの仙台を訪れたことからもわかる。
江は、仙台市民らの募金で60年に現在の市博物館(仙台市青葉区)の庭に建てられた「魯迅の碑」を訪問。友好のシンボルとして梅の木を植樹した。階段教室では、魯迅の定位置だったとされる座席に座り、「中国の人にとって、必ず来たいところ」と満面の笑みを浮かべた。
中国外交部新聞団が東北大に 魯迅の足跡を訪ねて--人民網日本語版--人民日報
中国人なら仙台を誰もがよく知っている。高校の国語教科書で、魯迅作「藤野先生」に登場する仙台の名を知る人は多い。
asahi.com:朝日新聞 歴史は生きている
「藤野先生」は魯迅の作品の題名で、仙台医学専門学校の恩師・藤野厳九郎教授との思い出がつづられている。藤野は解剖学の教授で、魯迅を親身に指導した。北京魯迅博物館には、藤野が「惜別」と裏に書いて魯迅に贈った自分の写真とともに、赤ペンで藤野が丁寧に補足した魯迅のノートが展示されている。
魯迅烈読 - 岩波書店
「戦士が戦死したとき,青蝿どもがまっ先に発見したのは彼の欠点と傷痕であった,貪り食いついて,ブンブンと叫びながら,得意になり,死んだ戦士よりももっと英雄のつもりである.だが,戦士はもう戦死している,もう手をふって彼らをはらいのけはしない.そこで青蝿どもは一そうブンブンと叫んで,自分たちこそが不朽の声だと思う,なぜなら戦士以上にずっと彼らの方が完全であるから.
確かに,誰も青蝿たちの欠点と傷を発見したものはない.
だが,欠点ある戦士も,ひっきょう戦士である,完全な青蝿でも,ひっきょうは青蝿であるにすぎない.
去れ,青蝿ども! 羽根があって,ブンブンできたところで,どうせ戦士を超えることはできないのだ.お前たちこの虫けらども!」
【参考終わり】
呆れて二の句が継げませんね。「けれん」とは「ごまかし」「はったり」等という意味ですが、安倍ほど「ごまかし」「はったり」だらけの不誠実な人間もいないでしょうよ。
*1:東京大学名誉教授、名古屋外国語大学教授。著書『魯迅』(1986年、平凡社選書)、『中国文学この百年』(1991年、新潮選書)、『東京外語支那語部』(1992年、朝日選書)、『魯迅「故郷」の読書史』(1997年、創文社)、『台湾文学この百年』(1998年、東方選書)、『現代中国文化探検』(1999年、岩波新書)、『中国映画:百年を描く、百年を読む』(2002年、岩波書店)、『中国見聞一五〇年』(2003年、NHK生活人新書)、『村上春樹のなかの中国』(2007年、朝日選書)、『魯迅』(2011年、岩波新書)、『中国語圏文学史』(2011年、東京大学出版会)、『魯迅と日本文学』(2015年、東京大学出版会)、『魯迅と紹興酒:お酒で読み解く現代中国文化史』(2018年、東方書店)など(藤井省三 - Wikipedia参照)