珍右翼・高世仁に突っ込む(2021年7/29日分)(副題:魯迅『故郷』再読&今日も高世に悪口する)

「藤野先生」再読 - 高世仁の「諸悪莫作」日記

 東京の一日のコロナ感染者が3000人を超え、昨日、今日と過去最多を更新し続けている。
 菅首相はどこまでも突っ走るつもりらしい。今の政府を、「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」と評した人(中野晃一*1上智大学教授)がいる。言い得て妙だ。五輪で盛り上げて総選挙へ・・との目論見だと言われてきたが、もうそんな段階じゃなくて、まともな判断力を失い、賭け続けるしかない博打うち。

 高世には「やれやれ」ですね。
 「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」のは菅よりもむしろ

◆小泉訪朝(2002年)から無為無策に18年間がたっても未だに展望のない制裁路線に固執
◆段階的帰国を目指すべきところ、現実性の低い即時一括全員帰国に固執
◆国内で40人も発見されており明らかに『北朝鮮拉致ではない特定失踪者』を巣くう会が『特定失踪者は北朝鮮拉致の疑いがある』と放言するのを容認
◆巣くう会に批判的な人間(たとえば平壌に常駐事務所を設置すべき、段階的帰国でもいいのではないか、経済支援とバーター取引すべき、横田めぐみさんが生きている保証はないと主張など)は『小泉訪朝の立役者』田中均氏であろうとも、『元家族会事務局長』蓮池透氏であろうとも『元自民党幹事長』石破茂であろうともいたずらに敵視

という「巣くう会言いなりの家族会」ではないのか。
 高世の物言いをもじれば

 経済制裁で追い詰めて拉致被害者帰国へ・・との目論見だと言われてきたが、「2002年の小泉訪朝から18年もたって、有本嘉代子や横田滋ら高齢化する拉致被害者家族が死去する中、何ら成果は出ず」もうそんな段階じゃなくて、まともな判断力を失い、賭け続けるしかない博打うち。

ですね。
 おそらく家族会も、さすがに、皆が皆「巣くう会を全面的に信頼しているわけではない」と思います。小泉訪朝から18年たっても何の成果もないわけですから。しかし、当初、巣くう会の言いなりになって、ついに蓮池透除名までやらかしたことで彼らは「負けがこんでしまった博打うちと同じでやめられなくなっている」わけです。今の路線を辞めるには「巣くう会の反発を受けても彼らと縁切りした上」で田中均氏、蓮池透氏にわびる必要がありますが、彼らは「謝罪で面子が潰れる恐怖」「縁切りで巣くう会から攻撃される恐怖」でそれができないのでしょう。無様で滑稽な話です。
 「今の路線を続けても」拉致解決の展望はないのに。何のための家族会なのか。拉致解決のためではなかったのか。もはや家族会は完全に目的を見失っています。ただの「巣くう会の傀儡団体、操り人形」と化している。
 そして高世も「拉致問題で一時は一発大きく当てたがために(そして大きく当てたときは巣くう会万歳の主張だったがために)」、最後までそれをやめることができず、「拉致の風化」が起こるとかえって会社を潰す羽目になり、そして会社を潰した今になっても
これじゃあ「ジャーナリスト」でなくて「反北朝鮮活動家」だ - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2012.2.27
そういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2020.12.21
北朝鮮が崩壊する前に自分の会社を倒産させた無様で無残な話 - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.4.28
巣食う会とか家族会系の連中とかかわった北朝鮮関係の言論人は、その後ろくな状況でないと思う(関川夏央や高世仁、恵谷治、李英和ほか) - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)2021.7.14
と批判されるような醜態をさらすわけです。正直俺的には「高世や家族会に比べたら菅の方がよほどましだ」ですね。それは菅が立派という話ではなく「高世や家族会が酷すぎる、菅さえもまともに見えるほどのクズ」と言う話ですが。まあ、そう言われたら「俺が菅以下の人格で人間のくずとはどういうことだ!」と高世はマジギレかもしれませんが。

あの「内山書店」が76年ぶりに中国に復活した。

 以下の記事を紹介しておきます。魯迅ゆかりの「内山書店」が天津で復活--人民網日本語版--人民日報は7/29記事ですが魯迅が通った日中文化人サロン「内山書店」、天津で復活…日本関連の書籍が半数以上 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンラインは7/10記事、魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流 | NHKニュースは7/11記事です。
 しかし約3週間前の記事を今頃紹介する高世も変な男です。「魯迅ファン」佐高信氏(後述します)に最近教えてもらった記事なのか?

魯迅が通った日中文化人サロン「内山書店」、天津で復活…日本関連の書籍が半数以上 : 国際 : ニュース : 読売新聞オンライン2021.7.10
 戦前の中国・上海で文豪の魯迅が通った「内山書店」が10日、天津市に開業した。中国での営業は上海店が閉鎖した1945年以来となる。地元の中国人男性が「日中文化交流の舞台を再建したい」と東京・神田神保町の内山書店に「のれん分け」を求め、76年ぶりの復活が実現した。
 1917年に上海で創業した内山書店は、文化人が集うサロンとして知られた。魯迅は社会思想や美術など日本の書籍に親しみ、店主の内山完造(1959年死去)は魯迅の執筆活動も支えたという。
 地元テレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する記録番組を制作した際、2人の交友に感銘し、「中国店の再興」を志すように。完造の親戚で、内山書店を経営する内山深さん(49)が、東京まで来て頼み込む趙さんの熱意にほだされ、「内山書店」の商標ロゴの使用を認めた。資本関係はないという。

魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流 | NHKニュース2021.7.11
 内山書店は、その後、東京にも開店しましたが、上海の店は終戦とともに閉店していました。
 ところが、天津のテレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する番組を制作したことがきっかけとなり、地元政府の協力を得た企業が東京の店から商標権を取得して、中国で戦後初めて天津に復活させました。
 10日は開店を祝う式典が行われ、東京で内山書店を経営する内山深さんがビデオメッセージを寄せ「中国に再び開店させることは、数十年来の夢でした。皆さんの支援に感謝します」と述べました。
 また、式典に参加した魯迅の孫の周令飛さんは、「上海の店はまだ復活していないが、みんなの努力で必ず戻ると信じている」と話していました。

魯迅ゆかりの「内山書店」が天津で復活--人民網日本語版--人民日報2021.7.29
 1917年に内山完造が上海に開業した内山書店は、文豪の魯迅郭沫若、田漢*2、郁達夫*3などが通ったことで知られている。そんな内山書店が今月、天津のドキュメンタリー監督・趙奇氏と内山家の人々の熱い思いが実り、天津で復活した。
「内山書店」復活のきっかけは、趙氏が「海外書店」という番組を手掛けた2013年にまで遡る。趙氏は番組の取材で東京の「内山書店」を訪れ、「内山書店」の4代目店長・内山深氏をはじめとする内山家の人々と知り合うことになった。
 2015年4月3日、趙氏は内山深氏と、上海の万国公墓にある内山完造の墓参りをした。内山深氏は、内山完造の弟で東京の内山書店を創業した内山嘉吉の孫にあたる。内山深氏は内山完造の墓前で涙を流しながら、「祖父らの夢は中国で内山書店を再び開店させることだった」と語り始めたという。
 2019年、天津市党委員会宣伝部の指導者らが趙氏と連絡を取り、幾たびもの話し合いを経て、天津市は、天津出版伝媒集団が内山書店の開店と運営などを担当することを承認した。そして2020年に、内山深氏らは、「内山書店」の商標を中国で独占排他的に使用する権利を天津出版伝媒集団に授与することを認めた。同年8月、天津出版伝媒集団は子会社の「天津内山書店有限公司」を立ち上げた。
 天津内山書店有限公司総経理に就任した趙氏によると、天津の内山書店には現時点で、6000種類以上の本が並び、うち、中日文化交流関連の本が2000種類以上を占めるという。

 さて高世記事の紹介に戻ります。

 私も触発されて魯迅の本を再読した。
 「藤野先生」に感動した。

 高世には「やれやれ」ですね。
 朝鮮学校無償化除外などに加担する自らが「藤野先生とは真逆の在日差別者だ」という認識はないのか。
 朝鮮学校無償化国賠訴訟の弁護団や支援者等こそが「藤野先生のような存在」という認識はないのか。
 「河野談話否定論」「朝鮮人強制連行違法性否定論」などを放言する巣くう会右翼(西岡巣くう会会長、島田巣くう会副会長など)が「藤野先生とは真逆の在日差別者だ」という認識はないのか。西岡ら巣くう会右翼のような「在日差別者のデマ屋」がでかい面をしていて拉致に解決の展望があると思ってるのか。
 「藤野先生に感動した」と抜かすのなら高世は1)自らの朝鮮学校差別の非をわびた上で、2)「河野談話否定論」「朝鮮人強制連行違法性否定論」などを放言する巣くう会右翼(西岡巣くう会会長、島田巣くう会副会長など)を批判したらどうなのか。

 藤野先生は、のちに魯迅が有名になったことを知らされたが、よく覚えていなかったという。彼にとってはごく当たり前のことをしたという認識だったようだ。
 「藤野先生」は今でも学校で教えてされているのだろうか。これこそ、愛国心の教育には格好の教材だと思うのだが。

 俺も魯迅作品は短編「藤野先生」と「故郷」*4を国語教科書で読んだ記憶があります。
 やれやれですね。何で「愛国心」なのか。
 藤野先生は「愛国心」から魯迅に親切にしたのか。違うでしょうよ。教師としての義務感からそうしたわけです。
 それとも、高世が問題にする「愛国心」とは「中国の植民地化」の危機を前に「文学による国民啓蒙」を志す「魯迅愛国心」か。
 ただしあの小説でスポットが当たってるのは魯迅愛国心より「藤野先生の教師としての立派さ」ですよねえ。
 そして魯迅愛国心に共感すると言うことは「中国を植民地化しようとしていた日本への批判」を意味するわけですが、その点を「長年、巣くう会と野合してきた高世」はどう考えてるのか。
 なお、ここからは「性格のひねて歪んでる俺の邪推であること」「俺は高世を『人間として全く信用してない』ので奴の言動にはすべて『薄汚い裏』があると疑っていること」をお断りしておきます。
【1】
 以前、高世が

シリア難民の番組ディレクターに「放送人グランプリ」大賞 - 高世仁の「諸悪莫作」日記2021.7.9
 きょう午後は、ある用事で、佐高信さんにお会いした。
初対面だったのだが、とても気さくな方で、同じ山形県出身ということもあり、サクランボの品種の話(佐藤錦より紅秀峰の方がうまいとか)やら同郷の藤沢周平石原莞爾大川周明の話で楽しくおしゃべりしてきた。勉強家で人脈の広さには驚く。
 別れ際、佐高さんの『石原莞爾 その虚飾』(講談社文庫)を勧められたので、読んでみよう。

として佐高氏にこびていたこと(佐高氏のコネ、つてで仕事が欲しいのでしょう)
【2】
 佐高氏には

◆『魯迅烈読』(2007年、岩波現代文庫)
◆『いま、なぜ魯迅か』(2019年、集英社新書)

と言った魯迅関係著書があることを考えると、この記事は高世による「魯迅ファン・佐高氏への媚びへつらい」ではないのか。
 ジンネットを倒産させて、もはや拉致では食えないことを自覚した高世が「巣くう会、家族会に代わる新たなご主人様(?)の一人」として佐高氏を選び「佐高氏から仕事をもらうこと」をもくろんだと言うことではないか。もちろん「この俺の邪推が仮に正しいとしても」そうした高世のもくろみが成功するかは解りませんが。何も佐高氏のつてで仕事をもらおうとしているのは高世だけではないでしょうし。

【参考:藤野先生】

藤野厳九郎 - Wikipedia
 1874年、敦賀坂井郡本荘村下番(現福井県あわら市)で、代々続く医者の家に生まれた。愛知県立医学校(名古屋大学医学部の前身)卒業後、同学校の助手となり、のち助教授に昇格。郷里に近い第四高等学校医学部(後の旧制金沢医科大学、現在の金沢大学医学部)への転勤を希望したが却下。知人の紹介で仙台医学専門学校(現東北大学医学部)に講師として赴任、1904年7月に解剖学講座の教授に昇格。1915年、仙台医専東北帝国大学医学部に改組された。帝国大学教員には帝大卒の資格が必要であったため、医学専門学校卒の藤野は資格を満たせず、退官して郷里の福井県に戻り、三国町で開業医となった。
 戦後になると日中友好に貢献した人物として評価されるようになる。その後「藤野先生」は日中両国で国語の教科書に取り上げられ、彼の名は両国に広く知られた。1961年には記念碑が福井市に建てられ、旧宅はあわら市に移築されて藤野厳九郎記念館となった。東北大学では彼の名を冠した「東北大学藤野先生賞」「東北大学藤野記念奨励賞」が設けられた。

【参考:魯迅『故郷』】 
『故郷』の訳で一番普及しているのは竹内好訳ですが、 魯迅 井上紅梅訳 故郷井上紅梅 - Wikipedia訳が、魯迅 佐藤春夫訳 故郷佐藤春夫 - Wikipedia訳が全文読めます。

魯迅の「故郷」 中国では日本より読まれない?--人民網日本語版--人民日報2014.11.5
 日本の著名な魯迅研究家である藤井省三*5東京大学教授*6)が3日、南京外国語学校で「村上春樹魯迅」というテーマで講演を行った。
 藤井氏によると、日本の中学3年生の国語教材を出版する出版社のうち、5社が魯迅の「故郷」を収録しているという。
 高校の国語教材では、「藤野先生」と「孔乙己*7」が最も多く収録されている。「藤野先生」は、魯迅が日本に留学していた時の恩師を描いた作品で、日本人にも馴染み深い。また、「孔乙己」の主人公の孔乙己は、科挙制度の犠牲者として描かれているが、試験は日本の高校生にとって最も現実的な問題だ。「むしろ自国の村上春樹川端康成大江健三郎といった作家の作品は、国語教科書においてそれほど重視されていない」と藤井氏は語る。
 日本の教育基準(?)では、「故郷」は中学生の必読作品、「藤野先生」は高校生の必読作品と定められているのだ。

身分による差別を描く:魯迅「故郷」
 魯迅の短編小説「故郷」は、日本の中学三年生の国語教科書すべてに採用されているそうである。
 周知のようにこの作品は、かつての中国社会における厳しい身分差別と、下層身分の人々の悲惨な暮らしぶりを描いたものだ。そうした身分差別が現在の日本社会に遍在するわけではないし、また、この小説に描かれているような貧困が、蔓延しているわけでもない。だから、この小説を読んだ中学生の多くは、そこに描かれていることがらを、自分の身に引き比べて考えることはしないだろう。身分差別といい、貧困といい、可能性としてありうるものとして、観念的にとらえるだけだろう。少なくとも、想像力を働かせない限りは。
 たしかに、この小説を読むには、かなりの想像力が必要だ。想像力を働かせない限り、そこに描かれていることは、現実の日本社会とそこに生きている自分自身にとっては、かかわりのない絵空事だ、と思えるだけかもしれない。だが、想像力を働かせて読めば、身分による差別というものがどんなに非合理なもので、また、民衆の貧困がもたらす悲惨さも、決して絵空事ではなく、少なくともかつての中国社会に現存したものだということを、少なくとも頭の中では理解できようし、それについて自分なりに判断することもできるだろう。国語教育がこの作品に期待したのは、そうしたもろもろの事柄なのだろう。
 この小説は、魯迅の実体験にもとづいている。魯迅は、北京での生活基盤が整ったところで、紹興に住む母親や妻を引き取って、一緒に暮らす決心をする。そして自分から紹興まで迎えに出向くのだが、この小説は、その時のことを下敷きに書いているのである。
 この小説には妻は出てこないが、母親が出てきて、主人公のためにいろいろと世話をする。その中で、かつて主人公の子ども時代の親友だった閏土(ルントウ)の近況について話して聞かせ、近く訪ねてくるはずだと知らせる。その知らせを聞いた主人公には、一気に昔の記憶がよみがえり、閏土とともに遊んだ少年時代の楽しい思い出が次から次へと蘇ってきた。そしていよいよ、その閏土が自分の目の前に現れる。主人公は、子ども時代と同じような気持ちで閏土に接しようとする。ところが閏土が最初に発した言葉は、「旦那さま」という言葉であった。
 この言葉に接した主人公は、身震いしたような気がし、自分と閏土との間に、「すでに悲しむべき壁が築かれたことを覚った」。母親は母親で、二人の間を気遣って、折角何年ぶりかであったのだから、そんなによそよそしくしないで、昔どおりに接すればよいではないかというのであるが、二人の間に築かれてしまった壁は、簡単には乗り越えられないのである。
 さて、差別といい、貧困といい、この小説のテーマは非常に暗いのであるが、ひとつだけ明るいところがある。それは、子どもたちの未来に希望を託しているところである。こうした明るさがどこにもなければ、この作品は読むに耐えないだろう。
 小説の末尾で、魯迅は次のように書いて、希望とは人々が作り出すものだという意味のことを言うのだ。
「思うに、希望とは、もともとあるものだともいえぬし、ないものだともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には、道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」(竹内好*8訳)

魯迅『故郷』教材雑感①|神楽坂いづみ|note2020.5.28
 正直、20世紀前半に中国で書かれたこの物語が、現代の国語の教科書に掲載され続けている意義がよくわからなかった。学校図書の教科書のねらいには「他者と共有し得る未来への願いを考える」とあるが、このねらいを達成するフィクションは他にもあるのではないか?と考えていた。
 1920年代の中国という非常に特殊な時代状況の中で、魯迅という多様な背景を持つ作家によって書かれたこの物語を、現代の生徒にどう繋げるべきなのか。国語の教材を「べき」論で語っていいかはわからないが、とにかく接続の方法に苦慮した。
 でも、読み込んでいくと、『故郷』が孕んでいる特殊性と普遍性というのは均衡が取れるものなのかもしれないと思うようになってきた。もちろん、当時の時代背景を調べる取り組みはするが、時代背景の知識に大きく依存しなくても、この物語の「本質」めいたものにたどり着けるのではないか。
(中略)
 寂寥感を払拭するように、「私」は閏土(ルントウ)と過ごした「三十年近い昔」の風景に没入する。その中の閏土は「艶のいい丸顔で、小さな毛織の帽子をかぶり、きらきら光る銀の首輪をはめていた」。生命力と活力に溢れている理想の少年として「私」の記憶(幻想)の中に現れる。
 この回想はただの回想ではない。先ほども述べた通り、あまりにもわびしい故郷の風景から来る寂寥感を忘れるためのものに思える。現実から逃れるために回想に自分の身を投じている。
 寂寥感から逃げるために理想に没頭した「私」だったが、また現実の光景に引き戻される。そして、現実を目の当たりにすればするほど理想(閏土との過去)を希求する。その結果が、閏土が家を訪ねてきたとき「思わずあっと声がでかかった」という反応である。叫び出しそうになるくらいに「私」は閏土を望んでいた。
 しかし、そこにもまた「現実」が立ち尽くしていた。
 「私は感激で胸がいっぱいになり」というように、「私」は閏土との再会を喜んでいる=理想に固執している。
 その理想を打ち砕いたのは閏土の「旦那様!」という言葉だった。その言葉によって、楊おばさんとの会話以上に「悲しむべき厚い壁が二人の間を隔てて」いることを実感する。
 閏土は子どもである水生(シュイション)に叩頭することを促す。竹内の訳では「お辞儀」となっているが、ここでは単に会釈をすることではなく、跪き、額を床に当てる「叩頭」である(藤井省三の解説より)。
 そして閏土の口から直接現在の窮状が語られ、さらには母が客人である閏土に「自分で台所へ行って、飯をいためて食べるように勧め」る。閏土は客であっても、「私」や「私」の母とは身分が違う。歓待される者ではあり得ず、どこまでいっても「仕える者」である。
 「私」は理想としての「故郷」も、理想としての「閏土」も喪失した。何も残されていないと考えていた「私」に、新しい理想を与えたのが甥である宏児(ホンル)の言葉だった。家に帰りたいという宏児に理由を訪ねたところ「だって、水生が僕に、家へ遊びに来いって」と無邪気に述べる。この言葉に「私」と母が「はっと胸をつかれた」。「私」は宏児と水生の間にありし日の「私」と閏土の純粋な友情を投影したことであろう。
 その感動もつかの間、母の口からは閏土の窃盗まがいの行為や、楊おばさんに閏土の行為を明らかにした報酬を求められたエピソードが語られ、また現実に引き戻される。そうして現実に侵された「私」の心情は「名残惜しい気はしない」というものだった。
 そして、その現実をまたもや振り払うかごとく、宏児と水生という「若い世代」への希望を語り始める。

 希望を言えば、彼らは新しい生活を持たなくてはならない。私たちの経験しなかった新しい生活を。

 ここで終われば、これまで抱いていた理想は失ったものの、その代替として、若い世代に理想を託すという道を見出した、という非常に前向きな終結を迎えることができた。
 しかし、この理想としての「希望」も「私」は否定しなければならなくなる。
 香炉や燭台という仏具に固執する閏土を「相変わらずの偶像崇拝だな」と軽蔑しながら、自分が抱いている「希望」も、「手製の偶像」、つまり実態のない信仰の対象に過ぎないという認識に至る。再度理想の中に自己を浸そうとしても、その自己は現実の光景によって理想からまたもや引っ張り上げられる。
 最後の段では、「思うに希望とは、もともとあるものとも言えぬし、ないものとも言えない」が、「歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」という境地にたどり着く。この一節からは様々な心情が読み取れることができる。諦念、渇望、決意…。
 理想にも現実にも身を投じることができない「私」は半ば宙ぶらりの存在として自己を規定し、語りは閉じられる。
 このように、語ることで生じる葛藤、苦痛を見るには『故郷』は絶好の教材であり、これは他の教材にはない特徴である。時代背景を詳しく調べなくとも、テクストの論理を辿っていけば「私」の葛藤に触れることができる。
 自分を語るという経験が浅い中学生にとって、「私」の「語る苦しみ」がどこまで近しいものと感じられるかはわからない。しかし、人は人である限り、いつか自分を語るときは来る。そのときのためにも、自己を語ること、理想を語ることは、自家撞着に陥り、現実の自己や現状と乖離していく可能性を孕んでいるということを学ぶことは有意義に違いない。

*1:著書『戦後日本の国家保守主義:内務・自治官僚の軌跡』(2013年、岩波書店)、『右傾化する日本政治』(2015年、岩波新書)、『私物化される国家:支配と服従の日本政治』(2018年、角川新書)など

*2:1898~1968年。中国の国歌『義勇軍進行曲(義勇軍行進曲)』の作詞者として知られる。なお『義勇軍進行曲』はもともとは1935年の映画『風雲児女』の主題歌として作成され国歌として作成されたわけではない。文革中の1968年に獄中で病死。そのため、彼の作詞した歌は歌えず、国歌も曲の演奏にとどめられた。集会ではその代わりに毛沢東を称える『東方紅』が歌われた。1979年、田漢の名誉は回復された。1982年12月4日の第5期全国人民代表大会第5回総会で再び『義勇軍進行曲』が中国の国歌と正式に定められた。(田漢 - Wikipedia義勇軍進行曲 - Wikipedia参照)。

*3:1896~1945年。1945年に失踪し、生死不明となる。日本憲兵隊に殺されたとも、抗日戦線に「漢奸(対日協力者)」として秘密裏に処刑されたともいわれているものの今なお謎とされている。1952年、中国政府は、郁に「革命烈士」を追贈した(郁達夫 - Wikipedia参照)。

*4:故郷 (魯迅) - Wikipediaによれば「日本では、中学3年用国語教科書の5社(学校図書、教育出版、三省堂、東京書籍、光村図書)すべてに採用されており、親しまれている。」

*5:著書『中国文学この百年』(1991年、新潮選書)、『東京外語支那語部:交流と侵略のはざまで』(1992年、朝日選書)、『魯迅「故郷」の読書史』(1997年、創文社)、『台湾文学この百年』(1998年、東方選書)、『現代中国文化探検』(1999年、岩波新書)、『中国映画:百年を描く、百年を読む』(2002年、岩波書店)、『中国見聞一五〇年』(2003年、NHK生活人新書)、『村上春樹のなかの中国』(2007年、朝日選書)、『魯迅』(2011年、岩波新書)、『中国語圏文学史』(2011年、東京大学出版会)、『魯迅と日本文学』(2015年、東京大学出版会)、『魯迅紹興酒』(2018年、東方選書)、『魯迅と世界文学』(2020年、東方書店)など

*6:2014年当時。現在は東京大学名誉教授。名古屋外国語大学教授(藤井省三 - Wikipedia参照)

*7:これについては魯迅 井上紅梅訳 孔乙己で全文が読めます。

*8:1910~1977年。著書『日本とアジア』(1993年、ちくま学芸文庫)、『魯迅入門』(1996年、講談社文芸文庫)、『日本イデオロギイ』(1999年、こぶし文庫)など(竹内好 - Wikipedia参照)