高世仁に突っ込む(2020年12/29、30日分)

単細胞生物から多細胞生物へ―生命の複雑化は進む - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月30日付記事)
 タイトルから分かるように今日の高世記事も拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)の続きではありません。高世もいい加減、(つづく)としている拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)をほったらかしにしないでとっと終わらせたらどうなのか。

 ちょっと遅れたが、「玉川上水46億年を歩く」プレウォークの地球史解説のつづき。
 11月28日、第4区(三鷹駅代田橋)の10.6kmを歩いた。
 きょう歩くのは、今からざっと20億年前から10億年前くらいまで。
 前回の光合成のおさらいをしたい。

 「前回の光合成」と言うのが光合成が起こした地球の大革命 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(11月17日付記事)で大分前になります。
 それにしても、今回、「仕事ではない趣味の話」を延々してるのだから高世ってもう「ジャーナリスト的な活動は事実上してないんだな」と思いますね。
 それとも「地球史」云々をこれから「高世の仕事」にしていくつもりなのか?


「若者よ、恐れるな」と中村哲は言った - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月29日付記事)
 タイトルから分かるように今日の高世記事も拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)の続きではありません。高世もいい加減、(つづく)としている拉致はなぜ見過ごされてきたのか6 - 高世仁の「諸悪莫作」日記(12月7日付記事)をほったらかしにしないでとっと終わらせたらどうなのか。

 27日(日)、「中村哲*1の声が聞こえる」(NHK総合、午前10時5分~10時55分)を観た。
 制作は私がかつて籍を置いていた「日本電波ニュース社」。

 高世も「俺は道を誤った」「何故日本電波ニュース社を辞めてしまったのか」と後悔の念しきりではないか。

 若者の一人に送った言葉の「柳緑花紅」(りゅうりょくかこう)が紹介されていた。「ありのままでいいんだよ」と送られた元若者は解釈していた。

 ググったら「柳緑花紅」とは

柳緑花紅
「やなぎはみどり、はなはくれない」とも読み、11世紀の中国の詩人・蘇軾(そしょく)の詩からの引用です。
 物事が自然のままに、人の手を加えられていないことのたとえで、柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、この世のものは種々様々に異なっており、それぞれに自然の理が備わっている、という意味です。

柳緑花紅 – 遠州流茶道
 11世紀の中国の詩人・蘇軾(そしょく)の詩からの引用です。
 柳は緑色、花は紅色。
 そのありのままの姿が真実だということ。
 柳は緑色をなすように、花は紅色に咲くように、全てのものを客観的に捉え、あるがままを受け入れようということを説いている言葉です。

だそうです。

 偉大な人*2の言葉に、いろいろ考えさせられる。
 私にとっての「一隅」とはどこなのか。人はどうありのままでいられるのだろう。

 高世にとっての「一隅」とは拉致問題じゃないんですかねえ?。そう言う建前でずっとジンネットをやってきたんじゃないのか?
 そして「ありのまま」が何を意味するかはともかく、「高世のような嘘つき」はありのままではないでしょう。
 まさか高世も「特定失踪者は拉致」を本心信じてるわけではないでしょう。「ありのまま」というならまずは「特定失踪者は拉致」という主張の容認など、「過去の高世の恥ずべき黒歴史」を「ジンネットの経営のために嘘に加担して済みません」などと詫びるべきではないか。
 つまりはそういうことであるなら、小泉元首相、田中均氏、蓮池透氏らに陳謝する用意くらいはあるんだろうな - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)ですよねえ。
 まあ、俺もid:Bill_McCreary氏と同様に、高世にそんなことが出来るとは「何一つ期待していません」が。

*1:1946~2019年。ペシャワール会現地代表。著書『アフガニスタンの診療所から』(1993年、ちくまプリマーブックス→2005年、ちくま文庫)、『アフガニスタンで考える:国際貢献憲法九条』(2006年、岩波ブックレット) 、『天、共に在り:アフガニスタン三十年の闘い』(2013年、NHK出版)、『アフガン・緑の大地計画:伝統に学ぶ潅漑工法と甦る農業』(2017年、 石風社)など

*2:もちろん中村哲氏のこと。