「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年6/25分:荒木和博の巻)(追記あり)

【追記】
 この記事については珍右翼・黒坂真に突っ込む(2021年6月28日分) - bogus-simotukareのブログで「有田芳生氏によれば安明進の藤田氏目撃証言はやはり信用できない」という「ある種の補足説明(?)」をしていますのでお読みいただければ幸いです。
【追記終わり】

チャンネルAJER(岡真樹子さん): 荒木和博BLOG

 チャンネルAJER「救い・守り・創る」。今回は「愛国女性のつどい花時計」の代表・岡真樹子さん*1をゲストにお招きしました。

 13分40秒程度の動画です。

愛国女性のつどい花時計 - Wikipedia
 右翼団体日本女性の会そよ風」から活動方針を巡って分派するかたちで設立された。
 2016年10月28日、蓮舫*2民進党代表(当時)の「二重国籍問題」に関して国籍法違反と公職選挙法違反の罪で告発状を東京地検に提出した。2016年12月、東京地検蓮舫を不起訴処分とした。団体はこれを不服として検察審査会へ申し立てを行うとした。

ということでいかにこの「愛国女性のつどい花時計」の代表・岡真樹子が「頭のおかしいトンデモ右翼」かがわかるでしょう。「西岡巣くう会会長」「島田巣くう会副会長」「荒木特定失踪者問題調査会代表」など、巣くう会界隈はこんなトンデモウヨしかいないのだから拉致敗戦も当然です。俺は拉致被害者家族会には何一つ同情しません。
 なお、岡はトンデモウヨなので動画を見ることは全くお薦めしません。


藤田進さん(川口)について(R3.6.25): 荒木和博BLOG
 8分程度の動画です。もちろん藤田さんの失踪を「自発的失踪」「事故や病気で死亡し遺体が発見されない」「北朝鮮拉致以外の犯罪被害」ではなく「間違いなく北朝鮮拉致」と言える根拠は全くありません。
 そもそも『特定失踪者』自体、国内で40人も発見されており、ほとんどが事件性なしの自発的失踪です。事件性があるものにしても、例えば『特定失踪者が国内で他殺体で発見された』足立区女性教師殺人事件 - Wikipediaでの「女性教師殺害犯人」は北朝鮮工作員などではありません。
 それにしても荒木がここで「安明進の藤田さん目撃証言がある」と言いだしたのには吹き出しました。
 安など、

安明進 - Wikipedia
拉致被害者の一人である蓮池薫は『軍事大で他の10人の日本人と共に姿を見た』との安証言に対し「北朝鮮で彼に逢った事はない」と発言している(2005年7月29日)。
◆2006年6月の南北離散家族再会行事の際に、フジテレビの番組内で、ある離散者に付き添っていた韓国政府(統一部)職員を「監視担当の北側工作員」と間違ってコメント。韓国外務省の抗議を受けてフジテレビ側が謝罪する事件が起こった。
◆2007年7月9日、覚醒剤を韓国国内で密売したとして逮捕。8月17日、一審で懲役4年6ヶ月(求刑懲役3年)の実刑判決。10月19日の控訴審判決では懲役3年・執行猶予5年に減刑され、即日釈放された。事件以降、日本のメディアへの出演はない。

ということで今や、もはや全く信用されておらず、表舞台から消えてしまい、生死すら不明です。
 また、

松原仁氏が「野田内閣拉致担当相時代に藤田氏を拉致認定したかった」と私、荒木に言っている(『したかった』なのでもちろん、大臣辞任後の発言)

と荒木が言い出したのにも呆れました。
 普通に考えて荒木に媚びる松原の虚言でしょう。
 松原の発言が事実なら「何故大臣時代に認定しなかったのか?」「野田首相など政権幹部から反対意見があったのか?」と言う話です。
 また、荒木が呉昇一氏と言う人物の名前を出して『藤田さん拉致に関与している疑いがある』といいだしたのにも「正気か?」と呆れました。実在の人物の名前を出して「拉致に関与呼ばわり」。しかもその「拉致疑惑」とは「政府認定拉致」ではなく「特定失踪者認定」なのだから心底呆れます。名誉毀損で訴えられても文句が言えない話です。
 なお、荒木も動画でコメントしていますが、呉昇一 - Wikipediaによれば、この呉昇一氏、今は「ニューヨーク在住で彫刻家」だそうですが、小栗康平*3監督映画『伽倻子(かやこ)のために』(1984年公開)でヒロイン・伽倻子(南果歩)の恋人役を務めたことで『(小栗ファンなど)一部では知られる御仁』だそうです。
 『伽倻子のために』ですが

李恢成 - Wikipedia
 原作者・李恢成(当時は朝鮮籍、現在は韓国籍)は「外国人初の芥川賞受賞者(1972年)」。
※但し、受賞作は『伽倻子のために』(現在は新潮文庫)ではなく『砧をうつ女』(現在は講談社文芸文庫、文春文庫)

小栗康平 - Wikipedia
 1984年11月に『伽倻子のために』を発表。フランスのジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初めて受賞

南果歩 - Wikipedia
 桐朋学園大学短期大学部(現・桐朋学園芸術短期大学)芸術科(演劇専攻)在学中の1984年に映画『伽倻子のために』のヒロイン役オーディションに応募、2200人の中から選ばれ、映画デビュー。桐朋学園短期大学は、当時、在学中の芸能活動を禁止していたが、規約改正第1号となり、映画出演を果たす。

ということで、まあ、

◆原作者・李恢成は「外国人初の芥川賞受賞」
◆小栗監督がジョルジュ・サドゥール賞を日本人として初めて受賞
南果歩のデビュー映画

ということで知ってる方は知ってる映画ですね。映画のあらすじについては伽耶子のために|MOVIE WALKER PRESSを紹介しておきます。
 さて南ですが

南果歩 - Wikipedia
◆2007年1月11日放送のNHK総合トーク番組『スタジオパークからこんにちは』内で自身が在日3世であることを告白
◆2012年12月24日放送のNHK総合のドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』の『南果歩~波乱の南一族・1300年の絆~』で一族が取り上げられた。母方の祖父は韓国慶尚北道出身で両班の家系、さらにさかのぼると唐の役人であったという。祖父は韓国では漢文を教えていたが、家族を養うために武具職人として1937年に和歌山市に移住、1940年家族を呼び寄せ、京都市に転居し、終戦後、尼崎市に転居、1981年死去。祖父の意思により、祖父母共に韓国に埋葬された。

そうです。そうなると

南果歩 - Wikipedia
 短大卒業後の1985年にはテレビ小説(TBS系列の昼ドラ)『五度半さん』のヒロイン役でテレビドラマに進出。さらに1986年9月には坂東玉三郎演出の『ロミオとジュリエット』のジュリエット役をオーデションでつかみ、初舞台を踏む。 以後、映画、テレビ、舞台と女優として活躍

という「映画『伽倻子のために』主役デビュー後も大活躍」の南の才能を認めた上でのことですが「才能オンリーで伽倻子役に選ばれたのか?」という疑念はありますね。まあ、映画の内容が内容なので「応募者には在日が多い傾向があった」かもしれませんが。
 なお、

【誕生年順】
◆南次郎(1874~1955年)
 参謀次長、朝鮮軍司令官、第二次若槻内閣陸軍大臣満州事変当時の陸軍大臣)、関東軍司令官、朝鮮総督など歴任。戦後、東京裁判終身刑となるが後に仮釈放。
南新助 - Wikipedia(1885~1972年)
 日本旅行会(今の日本旅行)創業者。
南喜一 - Wikipedia(1893~1970年)
 国策パルプ(現在は山陽国策パルプを経て、日本製紙)常務、副社長、副会長、会長、ヤクルト会長など歴任。尾崎士郎の小説「人生劇場」の登場人物「車嘉七」のモデルとされる。
南伸坊(1947年生まれ)
 イラストレーター。エッセイスト。本名は南伸宏。著書『ハリガミ考現学』(1990年、ちくま文庫)、『笑う科学』(1991年、ちくま文庫)、『笑う哲学』(1992年、ちくま文庫)、『笑う写真』、『笑う大学』、『笑う街角』(以上、1993年、ちくま文庫)、『さる業界の人々』(1994年、ちくま文庫)、『ぼくのコドモ時間』(1997年、ちくま文庫)、『オレって老人?』(2018年、ちくま文庫)、『私のイラストレーション史』(2019年、亜紀書房)など
南こうせつ(1949年生まれ)
 歌手。本名は南高節。

などでわかるように「南」姓の人間が皆「韓国・朝鮮」関係というわけはないのは当然ですが、ググる

【誕生年順】
南昇竜 - Wikipedia
 1912~2001年。1936年、ベルリン五輪男子マラソン(当時は日本代表)で銅メダル。なお、ベルリン五輪男子マラソンでは南昇竜と同じく朝鮮半島出身の孫基禎(1912~2002年。当時は日本代表)が金メダルを獲得している。
南日 - Wikipedia
 1913~1976年。朝鮮人民軍総参謀長、北朝鮮外相、副首相など歴任。

なんて人がいますね。
 なお、小栗映画というと『芸術的だが難解』という評価が専らなので俺は今後も『伽倻子のために』は見ないと思います。
 さて荒木に寄れば、有田芳生氏は「藤田さん失踪を北朝鮮拉致呼ばわりすることには根拠がない」と言っているそうです。
 まあ、有田氏(参院議員、立憲民主党所属)の発言は全く「当たり前」なのですが、有田氏に悪口する荒木です。それも「有田氏はそう言わなければいけない立場にあるのか?」「立憲民主党からも参加がある日朝国交正常化推進議員連盟の関係か?」などとまるで「立憲民主党の圧力で言わされてる」ように抜かすのだから心底呆れます。立憲民主党と有田氏も荒木に対して法的措置を執った方が良いのではないか。
 あげく『山本美保さんの遺体発見も捏造です!』『それも山梨県警の犯行ではなく、官邸の命令に違いない(なお、美保さんの遺体発見当時は小泉内閣)』『藤田さんの拉致否定(有田氏などの荒木批判)にしても、山本さんの拉致否定(山梨県警の遺体発見発表)にしても、我々、特定失踪者問題調査会への不当なデマ攻撃で許せない』と藤田さん失踪と関係ない事を言い出したあげく、その内容が「完全なデマ(山梨県警や有田氏などへの誹謗)」なのだから心底呆れます(なお、山本美保さんについては荒木は『山本美保さん失踪事件の謎を追う:拉致問題の闇』(2012年、草思社)というトンデモ著書を出している)。
 まあ「繰り返しますが」藤田さん云々、山本さん云々以前に「国内で40人発見」で、足立区女性教師殺人事件 - Wikipedia(特定失踪者が国内で他殺体で発見されたが犯人は勿論北朝鮮と関係なかった)ですから「特定失踪者なんてデマ」は話になりません。
 それにしても荒木曰く「社民党の福島党首に要請して好意的対応だった」。福島氏も『朝鮮労働党と友好関係にあった社民党は拉致の共犯も同然』などと過去に散々、社民党を誹謗していた荒木の要請なんか『過去の社民党への誹謗を荒木は謝罪しろ、それなしで要請なんか誰が受けるか』『社民党を舐めるのも大概にしろよ』と拒否すればいいと思うんですけどね。まあ、福島氏が「反共右翼」荒木のために真剣に動くことなどあり得ないし、そもそも「与党(自公)でも最大野党(立民)でもない社民党に出来ること」には限界があるわけですが。荒木が要請するならそれこそ「鳩山内閣時代の社民党(後に沖縄基地問題での鳩山首相の裏切りに反発し政権離脱するが、福島氏が少子化担当相として入閣し、与党)」にでも要請すべき話です。
 それはともかく、福島氏の『死刑廃止運動や男女共同参画への功績』でのフランス・レジオンドヌール勲章受章おめでとうございます。改めてお祝いの言葉を書いておきます。

【参考:『伽倻子のために』】

[南 果歩]映画『伽倻子のために』小栗康平監督からもらった大切な言葉とは? - ローリエプレス
 私のデビュー作は映画『伽倻子のために』。進学のために上京して1年後の19歳の時に、オーディション記事を新聞で見つけ応募したのです。
 東京に出てきて初めて観た映画がすべての始まりでした。新宿の小さな映画館で上映していた『泥の河』。評判が評判を呼び映画館前には長蛇の列、その中に私もいました。こんな日本映画があったのかという感動と衝撃と共に、それまでは洋画一辺倒だったのが、邦画に興味を持つきっかけになった映画でした。それからは往年の名作を見るために名画座をハシゴしたり、その1年間で『泥の河』も4回も観ました。
 そしてその小栗康平監督の第2作目のオーディションの公募記事に出合ったのです。
 これは運命としか考えられない!
 皆さんが想像するものとはかけ離れたオーディションを受けました。まず、履歴書と共に「私について」という作文提出。書類審査の後は会場に集められたのですが、セリフを読んだり演技をしたりすることは全くなく、中原中也の詩集を一冊渡されて好きな詩を読んだり、何かを考えながらこの会場の中を歩いてくださいとか。その後は個別に監督と会ってお話をする、それを繰り返すこと4ヶ月。華やかな発表も何もなく、ある日渡されたシナリオに自分の名前が印刷されていて、それで自分が選ばれたことを知ったのです。
 初めての撮影現場に入ってみると、そこは想像を遥かに超えた厳しい世界でした。大学を1年休学して覚悟を持って入ったはずなのに、毎日監督に叱られ、自分の不甲斐なさに落ち込み、この撮影が終わったら綺麗さっぱりと辞めよう、でもこの役だけは人生をかけて全うしようと思っていました。毎日断崖絶壁に立たされているような緊張感の中にいました。
 撮影も中盤に差し掛かり、冬の札幌のポプラ並木でのナイター撮影の準備をしていたとき、私は監督と火にあたりながら会話することもなくジッと本番を待っていました。普通の会話など怖くてできなかったというのが正直なところです。ナイターのライティングに気がついたご近所の人が数名、監督だとも知らずに声をかけてきました。
「誰が出てる映画ですか?」
南果歩が出てますよ」
「知らないな。誰ですか、その人」
「この子が南果歩ですよ。この子はこれからだから」
 そんな何気ない会話を交わしたのです。でも、私の心に「これから」という言葉がそのとき刻まれたのです。
 「これから」
 いつも私はこの言葉に励まされてきました。
 「私はこれからなんだ」
 そう思える言葉をくださった小栗監督に報いるためにも、私は女優を続けてきたんだと思います。今年もそう。私はこれから! そう思っています。

小栗康平「伽倻子のために」1984年: 本に溺れたい2013年6月24日 (月)
 東京国立近代美術館フィルムセンターで、「伽倻子のために」が今年の4、5月と上映されていたようだ。残念無念。
 「逝ける映画人を偲んで」という企画で、カメラマンの故安藤庄平氏を回顧したものとのこと。
 私は1984年の公開当時、東京・神保町の岩波ホールで観た。その頃は、東宝東和で配給される欧州映画がよく岩波ホールでかかっていて、ちょこちょこ足を運んでいた。ベルイマンの「ファニーとアレクサンドル」とか。その中にいかにも地味そうなこの邦画があった。
 ラスト。十年後、青年が北海道の少女の実家を訪ねると、聞かされたのは「結婚した」との父親の言葉。青年が嫁ぎ先のその町を訪ねると雪の積もる通りに一人の小さな女の子が遊んでいる。
 「名前は?」
 「美和子。」とその女の子が答える。ヒロインの「伽倻子」は養女としての名前。元の日本人名が「美和子」。それを耳にした主人公が雪の降る通りに立ち尽くす。
 原作の李恢成『伽倻子のために』(1970年)も読んだが、ストーリーはかなり異なり、内容はもっと辛いものだった。また、なにかのイベントで出演者の南果歩と配給元・東宝東和の故川喜多かしこ女史に会い、両者にサインと南果歩には握手をさせてもらったが、まだ素人素人した雰囲気を持ちつつ、女優の卵の輝きを放ち始めていたような気がする。
 公開から7、8年経過したときだったろうか。どうしても観たくなり、(ボーガス注:映画『伽倻子のために』製作者である)フィルムの所有者・劇団ひまわりに電話でビデオ化を問い合わせると、その予定はないが定期的な虫干しのための、劇団の施設での上映があると聞き、特別に見せてもらったことがあった。
 小栗康平氏は寡作にも関わらず、(ボーガス注:小栗の監督デビュー作で、キネマ旬報ベストテン第1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞・最優秀監督賞、ブルーリボン賞最優秀作品賞を受賞した)「泥の河」が取り上げられることがほとんど。しかし、この映画もその価値にふさわしい評価を得てもらいたいと切に願う。

南果歩さん、よかったねルーツとつながって。: 感謝カンレキ雨あられ @アジア群島人2013年01月11日
 数日前、Key hole テレビNHKの「ファミリーヒストリー」というシリーズをみました。女優の南果歩さんが在日コリアンで、ルーツが韓国からさらに中国におよぶことがつきとめられ、千3百年の家族の歴史が1本の糸で結ばれたという。彼女のことは2006年だったか、映画「伽椰子のために」について小栗康平監督に電話インタビューしたときに聞いており、感慨深かった。
 北海道新聞に、北海道の映画ロケ地をルポする連載企画「シネマの風景*4」を取材をしていたころ、小栗監督と電話で話しました。
 ヒロインの伽椰子のキャストがなかなか決まらなかったことについて、小栗監督はこんなことを言っていました。

 あるとき、一風変わった子がオーディションを受けにきた。まだ高校生で素人だったが、在日朝鮮人夫婦に育てられる日本人少女・伽椰子の設定にふさわしい雰囲気をもっていた。多分在日コリアンだろうと直感した、といいます。それが南果歩だった。

 連載記事を書いた当時、小栗監督から聞いた南さんの出自について、彼女自身が一般に公表しているかどうかは知らなかった。伽椰子を演じる上で彼女の出自が大きくかかわっているだろうことは間違いないと思ったが、それを文中で触れることはやめました。彼女とコンタクトを取って許可を得る時間がありませんでした。
 テレビ番組では、自分のルーツが朝鮮半島、さらに中国へとつながっていくのを初めて映像で見せられる果歩さんの表情がマルチスクリーンで映し出されていました。民族とファミリーの誇りを得て眼が輝いていく。
 第二次大戦前、やむにやまれぬ事情で韓国慶尚北道から和歌山にやってくる祖父ナム(南)ウンラク。そのルーツは遠く中国唐の時代にさかのぼる。使者として日本への渡航の途中、船は遭難、朝鮮半島に流れ着いた中国人金■■(メモとりそこなった)が、そのまま半島に住みつき南氏を名乗る。ウンラクは南氏24代目の世代に当たることが明かされていく。

*1:著書『日本の敵を今知るための150問150答』(2018年、青林堂)、『韓国との情報戦に勝つための50問50答』(2020年、青林堂

*2:菅、野田内閣行政刷新担当相、民主党代表代行(岡田代表時代)、民進党代表、立憲民主党副代表などを経て現在、立憲民主党代表代行

*3:著書『見ること、在ること』(1996年、平凡社)、『哀切と痛切』(1996年、平凡社ライブラリー)、『映画を見る眼』(2005年、NHK出版)、『時間をほどく』(2006年、朝日新聞社)、『じっとしている唄』(2015年、白水社

*4:後に「北の映像ミュージアム」推進協議会編『北海道 シネマの風景』(2009年、北海道新聞社)として書籍化