「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2021年8/6分:荒木和博の巻)

今こそアジアの解放を(R3.8.6): 荒木和博BLOG

 令和3年8月6日金曜日のショートメッセージ(Vol.491)。大東亜戦争がアジア解放の戦いだったと思っている人はそこで満足せず、今のアジアで中国の人権弾圧、膨張主義などで苦しんでいる人を解放するために闘いましょう*1というお話しです。

 4分43秒の動画です。「大東亜戦争(太平洋戦争)がアジア解放の戦い」とは「明らかな歴史修正主義」で、説明文だけで呆れて二の句が継げません。動画を見る気が失せますが、一応見てみます。
 それにしても荒木が今日(8月6日)が「広島への原爆投下」ということで例の原爆死没者慰霊碑 - Wikipediaの「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」について「戦前日本の過ちは負ける闘いをしたことだ。今度は負けなければいい(俺の要約)」と動画で言い出す*2のには「絶句」ですね。
 いやもちろん「大国・米国相手に敗北確実な闘いをしたこと」も愚かですが、「侵略戦争」という道義的問題はどうでもいいのか。
 大体、あの碑の「繰り返さない」というのは「負けない」ということではなく「不戦の誓い」でしょうに。そもそも「今度は負けない」てどこと戦争する気なのか。中国か、ロシアか、北朝鮮か。はたまた中東で米軍と共同軍事作戦でもやるのか。
 いずれにせよ、「戦前美化」や「香港問題などでの中国への悪口雑言」が「荒木の建前上の活動目的」である拉致被害者帰国と何の関係があるのか。むしろ「拉致に話を限れば」拉致問題に対応するのに、中国と仲良くしていて損はない - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)でしょうに。
 それにしても「大東亜戦争がアジア解放の戦いだったと思っている人」とは呆れて二の句が継げません。
 そんなのは荒木のような戦前美化の極右だけです。そして「あの戦争を批判する立場にある米国バイデン政権や日本共産党」が中国を香港問題などで批判するように「中国批判」と「戦前美化」は全く関係ない。「中国批判」と「戦前美化」をセットでやるのだから荒木には心底呆れます。
 それにしても荒木曰く「米国相手に4年も戦争をした我々が中国相手におびえるなど恥ずかしい」「日本は北京冬期五輪をボイコットすべきだ(俺の要約)」ねえ。呆れて二の句が継げませんね。

参考

【産経抄】8月7日 - 産経ニュース
 6日朝、NHKテレビで広島市平和記念公園で開かれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式を見ていて、少々心がささくれた。
 NHKが長々と大写しにした有名な慰霊碑の碑文を、またもや読む羽目になったからである。
▼「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」。
 米国が広島に原爆を投下したこの日に、毎年これを強調する*3のは何のためだろうか。主語は書かれていないが、普通に読めば「日本が悪いことをしたので原爆被害に遭いましたが、反省したので安心してください」という意味にとれる。
広島市の説明によると、碑文の趣旨は「原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというもの」だそうだが、それならはっきりと書けばいい。
東京裁判で被告全員無罪を主張したインドのパール判事*4は広島訪問の際に碑文を知り、「過ちは誰の行為を指しているのか。原爆を落とした者は日本人でない」と憤った。
▼実際、原爆投下を日本の「過ち」と受け取る日本人も珍しくない。長崎市長を4期務めた本島等*5は平成10年の小紙インタビューに語った。
「(ボーガス注:南京事件731部隊バターン死の行進など)日本がアジア太平洋戦争などで行った数々の悪魔の所業を思うと、原爆投下は仕方なかったと言わざるを得ない」。
核兵器の非人道性を語り継いでいくためにも、原爆投下は日本の「過ち」*6だから仕方がないと思わせかねない碑は、撤去した方がいい。

原爆死没者慰霊碑 - Wikipedia
 1970年には、「碑文は犠牲者の霊を冒涜している」と主張する「原爆慰霊碑を正す会」(岩田幸雄*7会長、児玉誉士夫顧問、荒木武*8相談役)なる市民グループによって碑文の抹消・改正を要求する運動が起こった。また、この運動を軍国主義的・民族主義的主張であると反発する市民グループが対抗して「碑文を守る会」を結成し、激しい論戦が繰り広げられた。この運動に対して、当時の市長・山田節男*9は「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を示した。この見解が出されて以降、碑文の意図するところは、「日本」「アメリカ」といった特定の国の枠を超えて、全ての人間が再び核戦争をしないことを誓うためのものである、とする解釈が広島市の公式見解となった。

原爆死没者慰霊碑の碑文を改めるべき - 広島市公式ホームページ
◆質問
 「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」という原爆死没者慰霊碑の碑文は、被害者である日本が「過ち」を犯したかのような文言となっており、改めるべきではないか。
◆回答
 原子爆弾は、街を一瞬のうちに壊滅させ、罪もない子どもから老人まで多くの尊い命を奪いました。かろうじて生き残った人も、心と体に大きな痛手を受け、多くの被爆者が今なお苦しんでいます。わずか一発の原子爆弾が引き起こした、この悲惨な出来事を体験した広島市並びに広島市民は「核兵器は人類滅亡を引き起こす"絶対悪"である」という人類にとって最も重要な真実を直観し、「二度とヒロシマを繰り返してはならない」と決意しました。そして、原爆犠牲者の冥福を祈るとともに、戦争や核兵器の使用という過ちを繰り返さず人類の明るい未来を切り拓いていくことを誓う言葉として、広島平和都市記念碑原爆死没者慰霊碑)に「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」と刻みました。碑文の趣旨は、原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。
 碑が完成した昭和27年(1952年)から今日まで、碑文は被爆者や広島市民だけではなく核兵器廃絶と世界平和実現を求める全世界の人々にとって祈りと誓いの原点であり続けています。
 今日では、碑文に対する疑問の声はほとんど聞かれず、本市としては碑文の修正は全く考えておりません。

*1:「思ってないので戦いません」と嫌みを言いたいところですが、荒木は「日本の悪事(アジア侵略)だけ叩いて、中国の悪事(香港問題など)は容認するなんてダブスタだ(俺の要約)」として「大東亜戦争がアジア侵略の戦いだったと思っている人」も「戦いましょう」だそうです。だったら最初から「大東亜戦争がアジア解放の戦いだったと思っている人」云々なんて言う必要はどこにもない。つうか荒木に言われるまでもなく「大東亜戦争がアジア侵略の戦いだったと思っている人(米国バイデン政権、日本共産党など)」からも中国批判が出ています。

*2:勿論、もっと酷いウヨだと「日本は何一つ間違ってない」と言い出しますが。

*3:強調してるわけではなく、慰霊碑の前で式典をやるので自然に入るだけの話です。

*4:以前、別記事でも指摘しましたが1)パルは元々チャンドラ・ボースの支持者で日本に甘い(公正中立では全くない)、2)パルはインドでは日本ウヨが言うほど有名ではなく、彼の発言はインド人の一般的意見とは言えない点を指摘しておきます。

*5:1922~2014年。長崎県議を経て長崎市長(1979~1995年)。著書『長崎市長のことば』(1989年、岩波ブックレット)など(本島等 - Wikipedia参照)

*6:私見を言えば「米国相手に勝ち目のない無謀な戦争を犯した」「サイパン陥落時に既に日本敗戦は不可避だったが国体(天皇制)護持にこだわり降伏を遅らせた」という過ちがなければ「米国による原爆投下は起きなかった(いわゆる『遅すぎた聖断』)」ので、そういう意味において原爆投下について「日本政府の過ちはあった」と俺は思います(もちろんそれは原爆を投下した『米国の責任』を免罪するという話ではないし『仕方がなかった』とまでは思いませんが)。まあ、予想される「日本ウヨの反発」を考えれば広島市もそういう回答は公式見解にはできないでしょうが。

*7:児玉の子分として活動した大物右翼

*8:1916~1994年。広島市議、県議を経て、後に広島市長(1975~1991年)(荒木武 - Wikipedia参照)

*9:1898~1975年。参院議員を経て広島市長(1967~1975年)(山田節男 - Wikipedia参照)