◆黒坂のツイート
黒坂真がリツイート
中野顕さん。日本共産党は平清盛や源頼朝、足利尊氏、織田信長、豊臣秀吉や徳川家康は革命家*1だったと考えていますか*2。
◆中野顕
後醍醐天皇は鎌倉幕府を滅ぼし、神道にもとづく天皇中心の統一国家を夢想しましたが、権力に頼り独裁に走る傾向があったようです。蔑ろにされた武士たちは、後醍醐朝を打倒し、室町に武士権力を打ち立て京都を支配しました。
武士は天皇を敬うべきだが、天皇は政治や軍事に口を出すべきではない、という日本的な封建秩序観念の芽生えも垣間見えます。
南北朝時代は、源平の合戦、安土桃山時代、幕末・明治、戦後改革と並ぶ革命の時代でした。
黒坂の言いがかりにはいつもながら吹き出しました。「革命」と言う表現を「共産党員の中野氏」がこうした文脈で使うことについては批判や異論はあり得るでしょう。いずれにせよ、この中野ツイートの「革命」が
◆戦国時代を終了させた、太閤検地の実施など(秀吉)
◆廃藩置県、地租改正など(明治維新)
◆農地解放、『天皇の象徴化』『国家神道の廃止』など(戦後改革)
などを「画期的な出来事」と評価しているだけでそうした評価の是非はともかく、「左翼的な意味」ではないことは分かりきっている話です。
例えば、源頼朝や足利尊氏による幕府成立は『時代を大きく変えた』と思うが、「左翼でない人間の行為」に左翼の中野氏が「革命」と言っていいのか?。例えば「変革」とでも呼んだらどうか?
という批判は俺的には是非はともかく「言いがかりとまでは言えず」、十分「あり」です。
しかし、黒坂のように「源頼朝や足利尊氏は左翼なのか?」というのは明らかな言いがかりであり、論外です。
黒坂が「不破氏文章の引用」という形では紹介してないので「お引き取り願う」という言葉の意味の「正確な理解」が困難ですが、おそらくは黒坂が「今すぐ金融資産市場(株式市場など?)を廃止するなど非現実的」と悪口するような話ではなく「資産家がマネーゲームで濡れ手に粟というのは健全ではない。金融資産市場の現状には一定の規制を加える」程度の話でしょう。
つまりは「金融資産市場そのもの」ではなく「マネーゲーム」に「お引き取り願う」という事ではないか。
最終的に「廃止すべき」が不破氏の立場だとしてもそれは「将来的目標」にすぎず、「まずは一定の規制」にすぎないでしょう。
いずれにせよこうした「働かざる者食うべからず」的な考え(資産運用で『濡れ手に粟』は健全とは言えない)はむしろ「日本の伝統的ウヨ主義(例:農本主義)」に親和的だと思うのですが黒坂は違うようです。
馬鹿馬鹿しくて、吹き出しました。
中ソの政治的圧力で、日本共産党が武力闘争路線に突入した「1950年代初頭のいわゆる火焔瓶闘争時代(この時代には徳田書記長が中国に亡命し、いわゆる『北京機関』が作られ、徳田も中国で病死)」はともかく、少なくとも『北京空港事件*4(1967年)』『日本共産党によるソ連のチェコ侵攻批判(1968年)』以降、つまり遅くとも「今から約50年前からは」はソ連、中国への認識は明らかにそんな立場ではないでしょう。せいぜい「在日米軍基地」への批判的立場から「左派の平和運動としては中ソ*5よりも、米軍への批判が多かった」程度の話でしかない。
デマも大概にしろという話です。
いわゆる「6全協(1955年)」以降、そうした過去が「否定的に総括されてる」のに今更何を馬鹿なことを言っているのか。
レベルの与太と言っていいでしょう。
*1:前後の文脈から明らかに「左翼活動家」と言う意味での「革命家」です。なお、『時代を大きく変革した=革命家』という理解ならば、ここで名前が挙がってる面子を「革命家」と理解することは「是非はともかく」可能ではあるでしょう。
*2:ここで、幕末、明治の「大久保や西郷」の名前を黒坂が出さない理由は何でしょうか?
*3:2014年、日本共産党中央委員会出版局
*4:1967年8月3日、4日に紅衛兵が、中国より帰国しようとした紺野純一(『赤旗』北京特派員。『人民日報』の招待で駐在)、砂間一良(日本共産党中央委員、元衆議院議員。中国共産党中央委員会の招待で滞在)の両名を監禁し、集団で暴行を加えた事件(北京空港事件 - Wikipedia参照)