いつもながら、プレーヤー意識のない「リベラル21」に呆れる(2021年12/31分)

リベラル21 立憲民主党と共産党がこのままの状態では参院選で〝共倒れ〟する広原盛明)

 2021年10月衆院選が終わって以降、立憲と共産との間で野党共闘に関する総括の話がまったく進んでいない。

 広原の言う「総括」てのは具体的に何なんですかね。
 なお
1)小選挙区では野党共闘したからこそ当選した候補(典型的には甘利幹事長(当時)や石原元幹事長を破った立民候補)がいたのであり、野党共闘していなかったら、小選挙区での立民の獲得議席はもっと少なかったろう。自民応援団の産経や読売が野党共闘に否定的なのもそういうこと(自民に有利な状況を作りたい)である
→連合会長など「一部の野党共闘否定派」の非難は間違っており、今後も野党共闘すべし(まずは首長選挙参院選挙一人区での野党共闘)。問題は「野党共闘するかどうか」ではなく「どのような共闘をするか」である
2)立民の比例獲得議席の減は野党共闘が原因だという明確な根拠はどこにもない、仮に「野党共闘で減った」のだとしても問題は「野党共闘を続けながら減らさない努力」であり、野党共闘をやめることではない
3)むしろ「野党共闘を続けるかどうか」ではなく「なぜ自民の議席があまり減らなかったのか」「なぜ維新が伸びたのか」という問題の立て方をし、それへの解決策を考えるるべき
→ただしこれについては残念ながらすぐに回答は出ないので今後の検討課題
4)共産の議席が減ったことは残念だが、「比例で減らした議席2」≒「れいわの比例獲得議席3」(つまりれいわに流れた票がなければ前回と同一議席か微増)なので実は「政策がかなり違うはず」の維新に票が流れたと見られる立民に比べれば、政策が比較的近い「れいわ」に食われたことは共産にとって「ダメージは小さい」(あくまでも立民との相対的な意味ですが)。
 前回選挙ではれいわがなかったところ、今回れいわができたことで「社民左派の一部」がれいわに流れたと見られる。
5)「河野太郎の反共演説」などを考えればむしろ「野党共闘(そして共産党)」に自民が一定の脅威を感じていたとみられる 
ということで共産党(あるいは俺のような共産支持者)としては「一応結論は出している」と思います。 
 しかし、いつもながら「まともな総括がない」「早く出せ」というだけで「俺はこういう総括をしてこう動くべきだと思う」つうのが広原に最後まで何もないあたり呆れます。
 リベラル21とは「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」などと大口を叩いていても「無責任な評論家」の集まりでしかないのでしょう。決して「活動家」「運動家」ではない。
 「例は何でもいい」のですが、俺の知ってる団体の名前を挙げれば「市民連合」「全国革新懇」「九条の会」といった団体をリベラル21は少しは見習えと言いたい。
 あるいは

マルクス「哲学者たちは、世界を様々に解釈してきただけである。肝心なのは、それを変革することである(フォイエルバッハに関するテーゼ - Wikipedia参照)」
◆闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう(中島みゆき『ファイト!』)

と言う言葉を「解釈しかしない哲学者」「闘わない奴ら」である「広原&リベラル21」には贈呈したい。広原やリベラル21には「世界を変革しよう」という「闘う志」を俺は全く感じません。勿論共産や立民を批判するなとは言わない。
 しかし「自分を棚上げにして、立民や共産に悪口しかしない広原ら」には「闘わない奴らが闘う奴を冷笑してるだけ」「世界を様々に解釈しているだけ(決して自分の力で変革はしない)」ではないのか、つう不快感を禁じ得ません。
 おそらく「構成メンバーがてんでんばらばらに記事書いて、サイト掲載して、それで終わり」つう「ただの自己満足の集まり」がリベラル21でしょうね。
 おそらくは書いた記事についてお互いに討議することも、何もやってないでしょう。ただ「てんでんばらばらに書いて載せるだけ」。
 それで何が「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」なのか(呆)。

 連合が言う如く「共産との選挙協力が敗因のすべて」であれば、立憲は共産と決別して独自の道を歩めばよい。共産は「政治権力との対決がすべて」であれば、「千万人と雖も我往かん」との気概で〝政治対決の弁証法*1を実践すればよい。来年夏の参院選はもうそこまで迫っている。立憲と共産が〝共倒れ〟*2になる日はそう遠くないのかもしれない。

 これ以前にも広原はいろいろ書いていますが、それにはあえてコメントしません。
 「広原の結論」らしい最後の「この締めの文章」を引用して突っ込んでおきます。
 むしろそう遠くないのかもしれない。のは「1938年生まれの広原(現在83才)の寿命が終わるとき*3」「広原のような高齢者を幹部とする老人集団リベラル21の活動が終わるとき(どう見ても若い幹部がいるようには見えませんので)」と思います*4がそれはさておき。
 この広原の文章を読んでも「広原野党共闘をどう評価して立民や共産に何をしてほしいのか」はさっぱり分かりません。
 この文章は、赤字部分を読むと「泉新代表に否定的な広原」による「野党共闘否定」のようにも読めますが広原ははっきりそう書いてるわけではありません(勿論俺は野党共闘支持の立場ですが)。「立民や共産が選挙結果についてホニャララと思うのならチョメチョメしたらどうか」という広原の文章は「私(広原)は選挙結果についてホニャララと思うので、立民や共産はチョメチョメしたらどうか」という文章とは違いますので。
 この文章の最低最悪なところは「そこ」でしょう。最後まで読んでも広原が「立憲民主党共産党(あるいは野党共闘)の現状に不満があるらしい」と分かっても、その不満を広原がどう解消したいのか、立民や共産にどう状況を改善してほしいのか(あるいは既に両党を見放しており、参院選に向けて両党とは関係ない別の運動でもする気なのか)がさっぱり分からない。
 広原もこんな意味不明な文章をよく書けると呆れます。
 「元大学教授(京都府立大学名誉教授)」で一応著書*5もあり、「一時は京都市長選にも出馬」し「他者(学生や同業者(大学教員)、本の読者や選挙民など)に自分の考えを何度も訴えてきたはず」の広原の脳内には「他者(読み手)の存在」はないのか。こんな意味不明な文章でも、読み手に理解してもらえると本気で思ってるのか。それとも「自分が書きたいことを書ければ、読み手が理解できなくてもそれでいい」のか。
 リベラル21も良くこんな意味不明な文章を「修正要求もしないで」掲載するもんです。リベラル21にはこの文章が本当に理解できるのか。といったら多分「常連投稿者はノーチェックでそのまま掲載」する「エコーチェンバー集団」がリベラル21なのでしょうが。
 ひとまずは広原の文章に

野党共闘支持者
 何が言いたいのか全く理解できませんが、野党共闘を辞めるべきだと思ってるのですか?。まずは立民や共産に何をしてほしいのか、それとも「両党には期待しておらず別の運動を目指してるのか」、あなたの考えをもっと明確に書いて下さい

とコメントしておきます。多分掲載拒否でしょうが。「自分に賛同しない人間のコメント」はためらいなく掲載拒否にするつうのがリベラル21の振る舞いです。俺も過去に何度もコメントを掲載拒否されています。そんな「他者の批判や疑問」に耳を貸さない狭量な連中がリベラルを自称する。呆れて二の句が継げません。

*1:志位氏の主張「政治権力との対決がすべて」「政治対決の弁証法」を肯定的に評価するにせよ、批判的に評価するにせよ「野党共闘否定」のわけもないでしょう。「野党共闘否定」であるかのように曲解する広原には心底呆れます。

*2:もしこの広原の文章が「野党共闘否定」を意味するなら馬鹿げています。むしろ野党共闘を辞めた方が参院選一人区で共倒れでしょうに。

*3:1938年 - Wikipediaを見れば分かりますが長寿社会の今、「1938年生まれで存命の方(例:細川元首相、伊吹元衆院議長)」もいますが、一方で「大林宣彦(映画監督、2020年死去)」「なかにし礼(作詞家、2020年死去)など故人もいます。

*4:勿論「広原の不当な共産評価」に憤慨する俺の「広原への大人げない悪口」です。

*5:著書『震災・神戸都市計画の検証』(1996年、自治体研究社)、『開発主義神戸の思想と経営』(2001年、日本経済評論社)、『日本型コミュニティ政策:東京・横浜・武蔵野の経験』(2011年、晃洋書房)、『観光立国政策と観光都市京都』(2020年、文理閣 )など