「維新の独り勝ち」「共産の独り負け」だった、統一地方選挙前半戦の結果を見て(1)、共産党党首公選問題を考える(その7)、岸田内閣と野党共闘(42) - 広原盛明のつれづれ日記
いつものように日本共産党に悪口してるだけの駄文です。
しかし
という広原の文章こそが皮肉にも「共産党に悪口して済む話ではないこと」を示しています。
広原はそうした「無党派層の深刻な選挙離れ」について、一体何をしてきたのか、自分の責任を問うてはどうなのか。それとも「全てを野党各党のせいにする」のが広原なのか?
なお、上記は広原記事に掲載しましたが「どうせ掲載拒否」でしょう。そんな「狭量な人格」の「老害野郎」がよくもリベラリストを詐称できたもんです。
心底呆れます。
〝旧いままの共産党〟では21世紀に生き残れない、衆参5補選、統一地方選挙後半戦の結果から(2)、共産党党首公選問題を考える(その10)、岸田内閣と野党共闘(45) - 広原盛明のつれづれ日記
いつものように日本共産党に悪口してるだけの駄文です。
しかし「広原ら、悪口する側がほとんど何の政治的成果も生み出せてないこと」に比べれば日本共産党は、広原の言う
るということに「一定程度成功している」と見るべきでしょう。
もちろんトータルでの議席を減らした以上過大評価はできませんが、それでも全国で一定数の議席を獲得したわけですから。
「地域住民とのつながり」なくして、議席の獲得は無理でしょう。
むしろ「広原ら、悪口する側」の方こそ「そうした多様性」にどこまで取組み、成果を上げてるのか疑問符がつくところでしょう。広原らは共産に悪口するだけで「自分の政治的成果」を何ら誇示できません。そもそも、広原らはまともな政治活動自体をやってるのかどうか。
というか、「共産党に不満がある」のなら広原らが「れいわ新選組や参政党」のように新党でも作ればいいでしょう。
共産どころか「れいわ新選組や参政党にすら劣る政治的影響力」のない「無能な老害」の分際でよくも偉そうなことが言えたもんです。
なお、上記は広原記事に掲載しましたが「どうせ掲載拒否」でしょう。そんな「狭量な人格」の「老害野郎」がよくもリベラリストを詐称できたもんです。
心底呆れます。
リベラル21 「使える英語」は学校で身につくか?(小川洋)
そんなことが「護憲・軍縮・共生」と何の関係があるのかと心底呆れます。結局、リベラル21とは「クローズサークル(固定メンバーが集まった閉じられた集団)」にすぎず、そのため、そのサークルの仲間内なら「何書いても掲載される」わけです。
しかも小川は教育研究者といっても
◆『地方大学再生』(2019年、朝日新書)
と言う著書で分かるように「英語学習」が専門ではない。まあ、「専門のはずの分野」ですら「無名人」小川がどれほど評価されてるかは疑問ですが。