高世仁に突っ込む(2019年8/21分)

記録とはこういうものと「拝謁記」 - 高世仁の「諸悪莫作」日記*1
【追記】
・「ドラえもん」作品「ふつうの男の子に戻らない」のネタバレがあります。
【追記終わり】

 天皇が「下剋上」と言う空しさよ(山口県 青野浩二)
 NHKがスクープした昭和天皇の「生の声」である。
 《初代宮内庁長官を務めた故田島道治(みちじ)が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料が十九日、公開された。
(中略)
 軍部が暴走した張作霖爆殺事件(二八年)や、青年将校による二・二六事件(三六年)、太平洋戦争などの回想も登場。「終戦で戦争を止める位なら宣戦前か或はもつと早く止める事が出来なかつたかといふやうな疑を退位論者でなくとも疑問を持つと思う」と言いつつ「事の実際としてハ下剋上でとても出来るものではなかつた」(五一年十二月十七日)と後悔を記している。

 昭和天皇の「下克上」と言う言い訳が全くの嘘八百で「本能寺の変明智光秀による織田信長暗殺)のような反逆行為を誰も彼に対して考えていない*2」「日中戦争も太平洋戦争も彼が主体的に行った*3」「彼が決断すれば日中戦争和平も日米戦争回避も出来た」「にもかかわらず保身のために嘘をついている」と言う意味で、つまり「こんな嘘つきで、無責任で恥知らずな男が国家元首だったのか」「こんな男を日本人は退位もさせずに許したのか*4」と言う意味で「空しい」ですね。この川柳作者の言う「空しさ」がそういう「空しさ」かどうかはわかりませんが(もちろん「下克上」が事実でも「最高権力者でありながらそんな事態を生んだ無能」は「天皇退位に値する無能さ」であり、その場合「こんな無能で、無責任で恥知らずな男が国家元首だったのか(非難理由「嘘つき」が「無能」に変わる)」「こんな男を日本人は退位もさせずに許したのか」と言う意味で「空しい」ですね)。
 226事件が鎮圧され「青年将校が要求した真崎甚三郎の首相就任」が無視されたこと、その後、青年将校に近い立場の「いわゆる皇道派」は「荒木貞夫*5、香椎浩平*6、本庄繁*7、真崎甚三郎*8が予備役入り*9」「陸軍省軍事調査部長だった山下奉文が歩兵第40旅団長に左遷*10」と一挙に陸軍中央から追放され、東条英機*11武藤章*12らいわゆる統制派が陸軍の実権を握ったことでわかるように天皇の権威は絶大でした。「下克上で自分は軍の言いなりだった」という昭和天皇の主張ははっきり言ってウソです。
 それが事実なら青年将校は処罰されず、彼らが要求した「真崎の首相就任」も実現していたことでしょう。軍の実権は統制派ではなく皇道派が握っていた。
 満州事変にしても「軍部が怖いから認めた」わけではなく「結果オーライ(満州国が出来て日本の利権が増えたから許す)」で認めたわけです。
 この満州事変での「結果オーライ」が陸軍の暴走を助長し、その後、昭和天皇がつけを払うことになります。 

 退位の可能性は繰り返し言及。「講和ガ訂結サレタ時ニ又退位等ノ論が出テイロイロノ情勢ガ許セバ退位トカ譲位トカイフコトモ考ヘラルル」(四九年十二月十九日)。独立回復を祝う式典のお言葉を検討する中では「国民が退位を希望するなら少しも躊躇せぬといふ事も書いて貰ひたい」(五一年十二月十三日)と述べていた。

 まあ言い訳ですね。本音では昭和天皇は「自分から進んで退位すること」は一度も考えたことはないでしょう。生前の近衛元首相*13から退位を示唆されても同意しなかったのは有名な話です。
 「国民が退位を希望するなら」という言い訳は「希望者は少ない」という判断(実際、そうでしたが)とセットになってるわけです。
 ドラえもんに「やめないで!」という慰留の声が出ることを期待してジャイアンが「引退リサイタルをやる」と言う話*14が出てきますが、それと全く変わらない。
 あるいはインパール作戦の牟田口の「自決したい」発言と全く変わらない。

参考

2013年6月14日(金曜日)「ジャイアンの引退コンサート」「ユメかんとくいす」|ドラえもん|テレビ朝日
 ジャイアンが突然、「歌手を引退して、ふつうの男の子に戻りたい*15」と言い出した。翌日の自分の誕生日に“引退コンサート”を開いて、それを機に歌を辞めるという。それを聞いたのび太たちは、「ついにあの苦しみから解放される!」と大よろこび。だが、スネ夫だけは、「あれだけ夢見ていた歌手への道を、そう簡単にあきらめるとは信じられない」と怪しむ。
 そこでドラえもんが、『ホンネ吸いだしポンプ』を使って、ジャイアンの本心を探ることに。するとジャイアンは、歌手を辞めると言ってみんなをあわてさせ、「辞めないで!」と惜しまれたところで、カムバックを宣言するつもりだったことがわかる。
 それを知ったみんなは、大ショック! どうやったら歌を辞めてくれるのか、ジャイアンをこのまま引退させるため、のび太たちは必死に作戦を練るが…!?

(※ネタバレ)「ふつうの男の子に戻らない」(ドラえもん): 円熟未熟留学生 in ケンブリッジ(という町)
(ネタバレですので、未読の方は先にコミックをお読みください。)  
 「ふつうの男の子に戻らない」(小学館てんとうむしコミックス40 巻収録)
歌手としての不人気をうすうす気づいていたジャイアンが引退を決意、しかしそこには恐るべき計算が秘められており、ジャイアンの真意を知ったドラえもんたちが、どうにか引退を実現させようと必死で奔走するというお話です。
 なお、「ふつうの男の子に戻らない」というフレーズは、キャンディーズが人気絶頂で解散を決意した時の「ふつうの女の子に戻ります」という名台詞をふまえたものです。
(あらすじ)
 「ほ、ほんとかい!?」
 のび太ドラえもんは、家を訪ねてきたジャイアンから、衝撃的な告白を聞かされました。
 「芸能界からすっぱり足を洗って、ふつうの男の子に戻りたい?」
 ジャイアンは苦渋の面持ちでうなずきました。
 「本当は、デリケートな自分にはわかっていた。
  自分のコンサートが不人気であること。いやそれは、自分の歌が大衆に理解されにくいということだが。
  みんながいやいや来ているんじゃないかと、ちらっと思ってしまう。」
 「へー、よくわかってんじゃない。」
 率直すぎるのび太の口を、「シッ!バカ!」と素早く塞ぐと、「よく決心したねぇ」と、ドラえもんは、無難な対応をしました。
 内心、歓喜に打ち震えながら。
「ワーイ!!」
 両手を挙げて、嬉し泣きに泣きながら、走っていく二人。
 骨川邸に駆け込むと、スネ夫に、ジャイアンが、本日の引退コンサートをもって普通の男の子に戻ることを報告しました。
 ところが、スネ夫は、この明るい大ニュースに懐疑的でした。
 「ジャイアンがあれだけ夢見ていた歌手への道をそう簡単にあきらめると思う?」
 スネ夫の言う通りだと気付いたドラえもんは、タケコプターで上空からジャイアンに近づき、「ホンネ吸出しポンプ」で、ジャイアンの後頭部から本音を吸い出してきました。
 骨川邸に戻ったドラえもんが、吸い出した本音をポンプから放出してみると、ジャイアンの心の声が噴き出してきました。
 「……俺のコンサートは、どうも人気が盛り上がらない。
 このへんでもうやめたと言ったらどうだろう。
 みんな大慌てするに違いない。今更のように俺の歌の良さを思い出して、「おしい」「やめないで」と、みんな口々に叫ぶ。
 そこで、俺はしぶしぶカムバック宣言をする。……」
 「こんなことだと思った!!」
 何か裏があるに違いないとは思っていたものの、ジャイアンの勘違いも甚だしい計画に、三人は震えあがりました。
 慌てて、三方に散ると、聴衆となる近所の子供たちに警告します。
 3時からジャイアンの「さよならコンサート」があるが、絶対に、「おしい」とか「やめないで」とか言ってはいけない
 拍手も熱狂的にしてはいけない。いかにもお義理みたいにパラパラと……。
 3時前、コンサート会場となる空き地に、集合する少年少女たち。
(補足:ジャイアンのコンサートは常に暗黙の了解で全員参加〈コンサートチラシに「参加しない奴はぶんなぐる」と明記されているケースもある。)
 木箱を寄せ集めて作ったステージの上に、ドラえもんが立っています。
「ぜひ練習の必要があると思って早めに集まってもらった。じゃあね、ドラえもんジャイアンだと思って拍手してみよう」
 スネ夫の合図で巻き起こる、力強い拍手。
「そんな勢いで叩いたらジャイアンに自信をつけさせちゃうぞ!」
 スネ夫の言うことはみんなよくわかっていました。
 「でも、もうあの歌を聴かないで済むと思うと、うれしくてつい力がこもってしまうし、気の無い拍手をしてジャイアンににらまれても怖い。
 自分だって、いざその時になったら力いっぱい叩くんだろ。」
 のび太からの指摘に、返す言葉の無いスネ夫
 そこで、ドラえもんは「拍手水増しマイク」を取り出しました。
 不景気なコンサートでこれを使うとまばらな拍手も嵐のようにとどろくというもので、マイナススイッチを押せば、逆に大きな拍手もまばらにすることができます。
 マイナス設定したマイクを、空き缶に活けたステージ上の花束に隠すと、ほどなくしてジャイアンがやってきました。
 開演前から満席で、自分の歌を待ちかねてくれていたファンのために涙するジャイアン
(「いや、そんなわけでも……。」と、そっとつぶやくスネ夫ドラえもん。)
 司会進行担当のドラえもんが、先にステージに上がりました。
「長い間、ぼくらを苦しめ…いや、楽しませてくれたジャイアンコンサートもこれが最後。まことにうれし…いや残念…というほどでもない。……こともない。」
 「なにがいいたいんだ。」
 どうしても口をついて出る本心を、何度も打ち消しながら、汗をかきかき、残念がっている風を装うドラえもんを、唇を「3」に尖らせたジャイアンが怪訝そうに見つめました。
(進行補佐としてステージ前に立ち、ドラえもんのだだもれする本心に、気付かないふりしつつ共感している様子のスネ夫〈珍しい正面向き〉が味わい深い。)
 次に、ジャイアン本人がステージに立ちました。
「ま、そんなわけで、もう二度と俺の歌は聞けないわけだ。みんな寂しいだろな」
 沈黙。
「やめないで、という声もあるだろうが」
 沈黙。
 話しながらも間をとって、チラチラと観客の反応をうかがうジャイアンでしたが、水を打ったように静まり返っています。
 観客側は内心必死でした。
「こたえるな!ここがしんぼうのしどころだぞ。ジャイアンと目をあわせないように」
 のび太の密かな指令に同調し、じっとうつむいて、冷や汗を流しながらも決して目を上げない観客たち。
 「そうかよ!じゃあ、これから二時間半、おれのヒットナンバーをメドレーで」
 すっかり鼻白んだ様子のジャイアン、いつどこで「ヒット」したのかは謎の歌を歌い始めます。
 (メドレーで二時間半とは凄い曲数。それをすべて聞かされてきた、これまでののび太達の苦労がしのばれます。)
 「それからの二時間半は、まさにごうもんであった。みんなは、『これが最後!』『くじけるな!!』と励ましあってたえぬいたのだ。」
 「ヒットナンバー」のメドレーが、住宅街を揺るがす光景の中、浮かび上がるナレーション。
 (『ドラえもん』は基本的に登場人物同士のやりとりで話が進みますが、たまに出てくるこういうナレーションが、妙に真顔感を醸していて面白いです。)
 「ジャイアンコンサート、めでたく歌い収めです!!」
 ドラえもんの言葉とともに、別の感動の涙を流した観客たちが、一斉に拍手しました。
 パラパラ……ポチポチ……。
 雨だれ程度の拍手に驚いたジャイアンが、観客を見回しますが、みんな力いっぱい叩いている様子です。
(だって満面の笑みで泣いてすらいる。)
 すっきりしないものを感じたジャイアンは、アンコールを強行しようとし、ドラえもんは、思わず「えーっ!!」と叫んでしまいます。
 「このままもえつきたほうがいいのでは……」と、おしとどめようとするスネ夫と、「一分間時間をください。やめるように説得します」と、完全に目が泳いでいるドラえもん
 引退コンサートにあるまじき言動の二人に激怒したジャイアンは、「おまえら!!」と、怒鳴って、足元の空き缶入り花束を踏みつけました。
 はずみで「拍手水増しマイク」のスイッチがプラスに切り替わり、ジャイアンに向けて鳴り響く、怒涛のごとき拍手。
「ありがとう、ありがとう。おれ、もう二度とやめるなんて言わない。ジャイアンの歌は永遠です。」
 ジャイアンは、熱い涙と感謝とともに、生涯歌い続けることをファンに固く誓いました。
 後日。
 道を歩くのび太ドラえもんに振り返り、または見送る、スネ夫やしずかちゃんら、近所の子供たち。
 「かなり長い間。のび太ドラえもんは、みんなの冷たい視線に耐えなければならなかったのである。」
 (真顔ナレーション)
(完)
 引退撤回を何が何でも阻止するべく、開始前に全員集合して、シミュレーションまでする、のび太たちの結束力、何よりも、ジャイアンに「何が言いたいんだ(「3」唇)」と、言わせたドラえもんのしどろもどろな名司会が印象に残る回です。
 ジャイアンの歌関連では、まだまだ名作が多いです。
 是非、原作をお手に取ってみて、その活躍をお楽しみください。

藤子・F・不二雄『ドラえもん』40巻(小学館)で伝説の「1984年紅白」オマージュ!!! - ENGEI-COMIC SHAMROCK
 不朽の名作ギャグ漫画「ドラえもん」後期における傑作エピソードの一つ「ふつうの男の子に戻らない」。初出は1985年。
 まあ結構有名な話だと思うが、あらすじを。ジャイアンがコンサートの不調から己の限界を感じ、歌手引退の決意をドラえもんのび太に伝える。
 大喜びの2人だが、スネ夫からは「ジャイアンが簡単に歌手の道をあきらめると思う?」というしごくもっともな指摘が。ドラえもんひみつ道具「ホンネ吸い出しポンプ」でジャイアンの真意を探ってみると、コンサートでの聴衆の反応が悪い現状のテコ入れとしてわざと引退宣言をするというものだった。聴衆から「やめないでー!!」という言葉を引き出し(皆無だと思うが)、引退撤回宣言をするというもくろみだ。
 ジャイアンの本音を知ったドラえもんたちは先手を打ち、聴衆が盛り上がらない演出をして彼に引導を渡そうとする。ドラえもんが取り出したるは「拍手水ましマイク」。元来は不景気なコンサートで(どんなコンサートだ)使う道具だが、これをマイナスに調節して、聴衆が引退のうれしさでどれだけ拍手をしてもジャイアンにまばらに聞こえるように準備した。
 そしてジャイアンのさよならコンサートが開演。この「ふつうの―」は8ページの短編だが、残り3ページの畳みかけで爆笑を誘う。まず司会を務めるドラえもんの冒頭のあいさつが面白い。
 「なにがいいたいんだ」と司会者にツッコみながら、ジャイアンがMC。「みんなさみしいだろうな」と水を向けてものび太、しずから聴衆は沈黙する。ジャイアンは不機嫌になるが、気を取り直してこのように発言。
 「二時間半」「おれのヒットナンバー」「メドレー」
 パワーワード並べすぎw 2時間半て本職の歌手並みに時間使うんだなと。しかも聴かせる歌声が「公害の一種」と言わしめるレベルだからな。
 「ヒットナンバー」て、どこでヒットしたんだろw
 そして引退コンサートはすべての演目を終了。うれしさで泣いているスネ夫の姿が見切れて描かれており、かわいらしい。
 しかしジャイアン本人は「拍手水ましマイク」の効果で、雨だれのようなまばらな拍手しか聞けない。引退撤回のタイミングを切り出せないためか、自らアンコールをやると言いだす。そこで司会のドラえもんスネ夫は驚き、こちら↓のコマへ。
 とりあえずジャイアンの表情にツッコんでおこうw スネ夫の「このままもえつきたほうがいいのでは……」もたいがいだが、何と言っても白眉はドラえもんだ。
「一分間時間をください、やめるように説得します」
 言うまでもなく*16、このセリフは「ふつうのー」が掲載される前年の年末に行われ、都はるみの引退(後年復帰)が大きな話題を呼んでいた「第35回紅白歌合戦」(NHKテレビ)が元ネタである。発言者はNHKアナウンサー(当時)で白組司会のベテラン鈴木健二。この呼びかけは翌年の流行語となった。
 藤子Fのすごいところはこの元ネタの逆パターンを徹底して描き切った点である。盛大な拍手を受けた都に比べて、まばらな拍手(拍手水ましマイクの効果だが)のジャイアン。既に「夫婦坂」で感極まり、とてもアンコールに応える状況ではない都に対し、自らアンコールを切り出すジャイアン。そして紅白史上初となるアンコールへの同意を都に求めて説得する鈴木に対し、アンコールをやめるよう説得するドラえもん
 てわけで、ジャイアンの引退コンサートは都はるみ引退の感動的な一部始終をすべてひっくり返して描いた。パロディーとしてはすさまじく秀逸であり、藤子Fの卓越した手腕を感じざるを得ない。
 結局、花束に隠れていた「拍手水ましマイク」をジャイアンが踏み、スイッチがプラスになって盛大な拍手が流れる。これに感激したジャイアンはもくろみ通りに引退を撤回した。
 ジャイアンの引退騒動を描いた「ふつうの男の子に戻らない」(よくよく考えればこのサブタイがオチになっているw)は名作だと思う。

牟田口廉也ウィキペディア参照)
 インパール作戦が敗色濃厚となり部下の藤原岩市参謀に「陛下へのお詫びに自決したい」と相談した(もとより慰留を期待しての事とされる)。これに対し藤原参謀は「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。 司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません、司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」と苦言を呈され、あてが外れた牟田口は悄然としたが自決することなく、余生をまっとうした。

 藤原参謀をまねすれば

「昔からやめる、やめるといった人にやめたためしがありません。国家元首、軍最高司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って天皇をやめて下さい。私は邪魔したり止めたり致しません。心置きなく退位して下さい。今回の敗戦はそれだけの価値があります」

ですね。

東西冷戦が激化する中、戦前の軍隊を否定しつつも、改憲による再軍備も主張。田島は「政治ニ天皇は関与されぬ御立場」「それは禁句」などといさめている。

 昭和天皇が象徴の地位に反する政治的発言を平気でやっていたこと(例:いわゆる沖縄メッセージ)は以前から別資料で分かっていましたが、また同様の資料の存在が判明したわけです。「国家元首を辞めること(象徴になること)」で「戦犯訴追を免れた」のに、「国家元首気取りの政治的発言」とは、昭和天皇の恥知らずぶりには心底吐き気がします。しかしこれ、NHK天皇批判の思惑はないのかもしれませんが、俺的には全て天皇批判のネタにしかならない話だと思います。

 戦後のこの時点で、天皇がかつての軍部の暴走を嫌悪*17し、戦争について強い「反省」の気持ちを持っていたことが分かる。

 「高世はアホか」ですね。国家元首、軍最高司令官として背負うべき自らの「戦争責任」を「下克上だから何も出来なかった、軍が全て悪い。俺は悪くない」と嘘をついて逃げようとする*18上に、再軍備*19なんか主張する人間・昭和天皇についてなんでそういう変な理解になるのか。
 大体

(なお、今回のNHKによる日記公開*20に批判的な論評として昭和天皇の戦争責任問題「反省」という点を特筆大書したいNHK特番,田島道治に関する放送(2019年8月18日)は,加藤恭子の17年前の学術研究をどう踏まえているのか : 社会科学者の随想を参照。)

として俺のような批判をしているブログ記事を紹介しながら*21何でそういう結論になるのか。高世は頭がおかしいんじゃないか。
 なお、昭和天皇の「下克上だから何も出来なかった」がウソであることについては、「昭和天皇の戦争責任追及」をライフワークとする山田朗氏の著書

・『昭和天皇の戦争指導』(1990年、昭和出版
・『遅すぎた聖断:昭和天皇の戦争指導と戦争責任』(纐纈厚氏との共著、1991年、昭和出版
・『徹底検証・昭和天皇「独白録」』(藤原彰・粟屋憲太郎・吉田裕氏との共著、1991年、大月書店)
・『大元帥昭和天皇』(1994年、新日本出版社
・『昭和天皇の軍事思想と戦略』(2002年、校倉書房
・『昭和天皇の戦争:「昭和天皇実録」に残されたこと・消されたこと』(2017年、岩波書店) 
・『日本の戦争III:天皇と戦争責任』(2019年、新日本出版社

をお読み頂ければ分かるかと思います。
 また山田氏と共著を出した方々も

・粟屋憲太郎『東京裁判への道』(2013年、講談社学術文庫)
・纐纈厚『「聖断」虚構と昭和天皇』(2006年、新日本出版社
・吉田裕『昭和天皇終戦史』(1992年、岩波新書

など「下克上だから何も出来なかった」がウソであること、「戦後の保身(政治工作)」に過ぎないことを指摘する著書を出しています。
 なお、小生や昭和天皇の戦争責任問題「反省」という点を特筆大書したいNHK特番,田島道治に関する放送(2019年8月18日)は,加藤恭子の17年前の学術研究をどう踏まえているのか : 社会科学者の随想のような「NHK報道批判」「昭和天皇批判」として
8月20日の朝刊一面は「昭和天皇の"反省""肉声"報道」が氾濫した~「NHKスペシャル・昭和天皇は何を語ったのか」の拡散、これでいいのか | ちきゅう座内野光子*22
鴻毛より軽い、天皇の責任感の希薄さ。田島道治「拝謁記」に見る天皇の「肉声」 | ちきゅう座澤藤統一郎*23
を紹介しておきます。

南京事件に触れた点も興味深い。
 《昭和天皇は1952年2月20日に、自身にも反省することが多くあると述べ、その一つに南京事件を挙げた。南京での行為について、「ひくい其筋(そのすじ)でないもの」からうっすらと耳にしたが、表だっての報告はなかった*24と明かし、「従って私は此事(このこと)を注意もしなかったが市ヶ谷裁判(東京裁判)で公ニなった事を見れば実ニひどい」と述べた。その上で、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ*25」と語ったとされる》(朝日新聞

 ということで昭和天皇南京事件の存在を事件当時から認識していたことが今回の田島日記公開で明らかになりました(以前から別資料で既に明らかだったかもしれませんが、小生は無知のためその辺り全く知りません)。
 この「田島宮内庁長官*26日記(田島日記)」について櫻井よしこら、ウヨ連中が
1)無視するのか
2)「(A級戦犯が合祀されたので)靖国は参拝しない、それが私の心だ」という富田宮内庁長官*27メモ(富田メモ)を「富田氏のメモだから富田氏の主観が入ってる。本当か分からない」だの「そもそも本当に富田氏の直筆か(捏造呼ばわり)」などと抜かし、天皇発言自体を否定しようとしたように「田島氏の日記だから田島氏の主観が入ってる。本当か分からない」だの「そもそも本当に田島氏の直筆か(捏造呼ばわり)」などと抜かすのかが気になるところです(俺の予想では2)です)。
 まあ、よしこらが南京事件否定論を何があっても撤回しないことだけは間違いないことです。そして「富田メモ公開」と同様に「田島日記公開」について「余計な物を公開してくれた」と公開した遺族らを敵視していることも間違いないことです。

 田島本人は、病気で入院するさい、すべて焼くつもりだったのを、親族が保存を主張して焼却を免れたという。

 田島自身は「昭和天皇の政治的発言」について「後で公になるとまずい」と言う認識があり、「宮内庁長官時代に、仕事の都合から記録はした」ものの、墓場に持って行くつもりだったのでしょう。「保存を主張した親族」は評価に値するでしょう。
 とはいえ今回の公開は「昭和天皇の死から30年以上経過」していますが。

日記を保存し公開に踏み切った遺族に感謝するとともに、早い全面公開を希望する。

 まあそういうことですね。

*1:「面会記録」などではなく「拝謁記」とへりくだってる辺り、俺的には「何だかなあ」ですね。

*2:226事件青年将校は主観的には「君側の奸を抹殺しただけ」であり、当然その行為は「昭和天皇暗殺どころか昭和天皇への忠義」でした。昭和天皇の側は「自分は暗殺されるのではないか」「青年将校と過去に親交がある秩父宮天皇に擁立されるのではないか」と青年将校におびえていたことは有名な話ですが。

*3:日中戦争も太平洋戦争も政府、軍が彼に対し「中国や米国に勝つ見込みがある」と説明し、彼がそれを信用したから起こったわけです。「太平洋戦争勝利の説明」に使われたのは「同盟国ドイツの快進撃」でした。「フランスを降伏させたドイツが、英国も降伏させれば、米国は日独伊三国を相手に一人で戦わざるを得ない(ソ連は日ソ中立条約があるから日本の敵ではない)。そうなれば日本が勝てる」と「捕らぬ狸の皮算用」で説明されたわけです。

*4:ドイツやロシアでは「第一次大戦の敗北」が、イタリアでは「第二次大戦の敗北」が王制廃止を招いています(ロシアに至ってはニコライ2世など王族の殺害にまで至った)。日本もそうなっても本来ならおかしくなかったでしょう。「明治時代から続く強固な天皇崇拝の洗脳」がそうした事態を阻止したわけですが。

*5:犬養内閣陸軍大臣、第一次近衛、平沼内閣文相など歴任。戦後、終身刑判決を受けるが後に仮釈放。

*6:226事件時、戒厳司令官。最後まで武力鎮圧をためらい、彼が皇道派だったことから天皇の不信を買うことになる。

*7:226事件当時、侍従武官長。娘婿の歩兵第1連隊中隊長山口一太郎大尉(事件後無期禁固になるが後に仮釈放)が226事件に参加したこともあり、青年将校に好意的態度をとったことで昭和天皇の不信を買う。満州事変当時の関東軍司令官だったことから戦後、戦犯指定を受け、それを理由に自決。

*8:台湾軍司令官、参謀次長、陸軍教育総監を歴任

*9:また皇道派ではないが事件当時の川島義之陸軍大臣が責任をとって予備役入りした。

*10:決起部隊が反乱軍と認定されることが不可避となった折に、皇道派の山下の説得で青年将校は自決を覚悟した。このとき山下は川島陸軍大臣と本庄侍従武官長を通じて、彼らの自決に立ち会う侍従武官の差遣を昭和天皇に願い出たが、これは昭和天皇の不興を買うことになった。この件に関して『昭和天皇独白録』には「本庄武官長が山下奉文の案を持ってきた。それによると、反乱軍の首領3人が自決するから検視の者を遣わされたいというのである。しかし、検視の使者を遣わすという事は、その行為に筋の通ったところがあり、これを礼遇する意味も含まれていると思う。赤穂義士の自決の場合に検視の使者を立てるという事は判ったやり方だが、背いた者に検視を出す事はできないから、この案を採り上げないで、討伐命令を出したのである」とある。また『木戸幸一日記』にも「自殺するなら勝手になすべく、このごときものに勅使なぞ、以ってのほかなり」とあり、青年将校を擁護する山下に対し、天皇天皇側近の評価は極めて低かった(なお、青年将校が山下に約束した自決は「侍従武官の差遣」が条件だったため、この条件が果たせない時点で事実上約束は無効になり、野中四郎(自決により死亡)、安藤輝三(自決未遂、後に死刑判決)など一部を除き青年将校は自決しなかった)。このため山下は事件後、歩兵第40旅団長に左遷される。太平洋戦争では第25軍(マレーシア)司令官として、マレー作戦を指揮し、「マレーの虎」と国民的人気を得るが、226事件後の山下は、彼と対立する東条英機ら統制派が陸軍の実権を握っていたこともあり、歩兵第40旅団長、支那駐屯混成旅団長、北支那方面軍参謀長、関東防衛軍(満州)司令官、第25軍(マレーシア)司令官、第1方面軍司令官(満州)、第14方面軍(フィリピン)司令官と「それなりには出世はする」ものの、 「一時、陸軍航空本部長を務めたこと」を除けば、外回りに終始しついに陸軍中央に戻ることが出来なかった。戦後、戦犯として死刑判決(ウィキペディア山下奉文」参照)。

*11:関東憲兵隊司令官、関東軍参謀長、陸軍次官、第二次、第三次近衛内閣陸軍大臣、首相を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*12:参謀本部作戦課長、中支那方面軍参謀副長、北支那方面軍参謀副長、陸軍省軍務局長兼調査部長、近衛師団長、第14方面軍(フィリピン)参謀長を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*13:後に戦犯指定を苦にして自決

*14:まあ、このドラえもん話で藤子F不二雄が皮肉ってるのは「実行する気もないことについて虚言を吐く昭和天皇や牟田口のような輩」のわけですが。

*15:元ネタは勿論キャンディーズ「普通の女の子に戻りたい(1978年の解散)」と都はるみ「普通のおばさんに戻りたい(1984年の一時引退)」です(つまり原作の発表はその頃)。しかし、今の子どもには分からないと思います(分からなくても楽しめますが)。なお、「キャンディーズのうち伊藤蘭田中好子」「都はるみ」は後に芸能界に復帰しました

*16:まあ都はるみの一時引退を知ってる俺のような人間には「言うまでもなく」ですが最近の若者は元ネタが分からないでしょう(元ネタが分からなくても笑えますが)。

*17:満州事変が典型的ですが「関東軍の暴走」を「嫌悪どころか」毎度毎度「日本の利権が拡大したから許す」と、結果オーライで容認してきたのが昭和天皇です。

*18:ただし、こうした逃げがウソであることは歴史学者によって暴かれていることは言うまでもありません。かつこんなウソは明治時代からの洗脳教育(教育勅語軍人勅諭御真影など)によって天皇崇拝が強固な日本はともかく、海外では「昭和天皇オランダ訪問時のいわゆる魔法瓶投げつけ事件」「昭和天皇死去時の報道(戦争責任について批判的に報道)」でわかるように全く通用しませんでしたが。

*19:もちろん昭和天皇再軍備で戦後めざしたものは「太平洋戦争」のような日本独自の戦争ではなく、あくまでも冷戦下における「米軍の下請け」でしょうが。

*20:批判されてるのは「日記公開それ自体」ではなく「下克上だから何も出来なかった」と言う昭和天皇の嘘を注釈なしでそのまんま報じるNHKの報道姿勢ですね。北朝鮮の「金正男殺害は我が国と関係ない」、プーチンの「リトビネンコ暗殺は我が国と関係ない」を注釈なしで報じるレベルの愚行でしょう。

*21:とはいえ高世も「高世さんは言ってることがおかしい」という批判が知人から出ることを想定してか「エクスキューズとして昭和天皇の戦争責任問題「反省」という点を特筆大書したいNHK特番,田島道治に関する放送(2019年8月18日)は,加藤恭子の17年前の学術研究をどう踏まえているのか : 社会科学者の随想」を紹介したのでしょう。しかし「天皇は反省してる云々」と言う高世の意見はなぜか変えないと。高世もいつもながら変な男です。

*22:個人ブログ内野光子のブログ。著書『短歌に出会った女たち』(1996年、三一書房)、『短歌と天皇制』(2000年、風媒社)、『天皇の短歌は何を語るのか:現代短歌と天皇制』(2013年、御茶の水書房)、『齋藤史 『朱天』から『うたのゆくへ』の時代:歌集未収録作品から何を読みとるのか』(2018年、一葉社)

*23:個人ブログ澤藤統一郎の憲法日記。著書『「日の丸・君が代」を強制してはならない:都教委通達違憲判決の意義』(2006年、岩波ブックレット

*24:これは明らかにウソでしょうね。南京事件についての責任追及をおそれて昭和天皇が虚言を吐いてるだけでしょう。あれだけの事件ですから、正式な報告は当然あったでしょう(それを裏付ける具体的資料があるかどうかは小生は無知で知りませんが)。南京事件後、現地司令官(中支那方面軍司令官)だった松井石根が司令官を更迭されたあげく、予備役編入されてるのも「南京事件の引責だ」というのが通説です。ただし責任追及をおそれて「正式な報告はなかった」と虚言を吐く昭和天皇ですら「非公式な報告ならあった」と事件の存在を当時から知っていたと認めてること(つまり事件当時は全く知らなかった、戦後はじめて知ったというとあまりにも説得力がないと思っていること)が興味深い。

*25:「軍部の専横」などと軍に全て責任転嫁している時点で昭和天皇の反省は「本当の反省では全くない」。昭和天皇本人も「軍に全て責任転嫁できる話ではないこと」は本当は良く理解してるでしょう。

*26:1885~1968年。愛知銀行常務、昭和銀行頭取、日本産金振興会社社長、日本銀行参与、大日本育英会(現在の日本学生支援機構)会長などを経て宮内庁長官(1948~1953年)。宮内庁長官退任後も、東京通信工業(後のソニー監査役、会長、相談役を歴任(ウィキペディア田島道治」参照)。

*27:1920~2003年。警視庁交通部長、警察庁長官官房長、警察庁警備局長、警視庁副総監、内閣調査室長、宮内庁次長を経て、宮内庁長官(1978~1988年)(ウィキペディア富田朝彦」参照)