「珍右翼が巣くう会」に突っ込む(2022年6/25日:島田洋一の巻)

◆島田ツイート

島田洋一
 核不拡散条約(NPT)に囚われず独自核抑止力をと言うと、大抵の政治家、官僚は「許されない!」と思考停止に陥るが、少しは外の世界を見るべき。
 北朝鮮は30年前(ボーガス注:の1992年)にNPT脱退。

 「つまり北朝鮮を見習って、脱退して核保有しろとでも?」と言う話です。それやったら確実に日本が非難されるし、日本が今後北朝鮮を非難することもできなくなる。まさか「米国は北朝鮮の脱退は認めないが、日本の脱退は認めるはずだ。なぜなら北朝鮮は反米だが日本は親米だから」とでも思ってるのか。
 はたまた「米国が北朝鮮へ制裁したように『核保有』の日本に何か制裁や報復をする気なら受けて立とうじゃねえか、米国に舐められてたまるか」とでも言い出すのか。

島田洋一
 民主党政権時代、拉致問題に関する岡田克也*1外相のお座なりな挨拶を(ボーガス注:救う会集会で?)聴かされる中で、飯塚繁雄家族会代表が昏倒した。すぐに周りが介抱して事なきを得たが、無意味な演説は疲れた身体にこたえる。
首相演説、聴衆倒れ中断 猛暑の渋谷、約3分 - 産経ニュース

 吹き出しました。「岡田が飯塚の体調を悪化させるような無茶苦茶なことをやった(やってないでしょうが)」というならともかく岡田演説がどうこうではなく、飯塚の体調不良にすぎないでしょう。むしろそんな体調の飯塚を出席させた「家族会や救う会」の責任が問われます。岸田演説にしても、「岸田が聴衆の体調を悪化させるような無茶苦茶なことをやった(やってないでしょうが)」というならともかく「昏倒は岸田のせいではない」。勿論安倍演説で「昏倒する人間」がでたとしても「猛暑だから仕方がない、安倍さんのせいではない(確かにその通りではありますが)」が島田でしょう。

島田洋一 
 核ミサイル開発でソ連の先行を印象付けたスプートニク・ショックを受けNATO首脳会議が核共有を決めたのが1957年。英仏は同時に独自核開発も。
 日本はそれから65年を経て、岸田文雄広島副市長を中心に、独自核はおろか核共有すら検討しないと宣言。中朝露*2になめられるのも無理はない

 赤字部分に絶句です。もちろん誤記ではなく「岸田なんて広島市副市長がお似合いだ」という悪口のつもりでしょうが。しかもその悪口理由が「非核三原則堅持を主張(岸田)」。

島田洋一
 1945年8月の広島市民は、「まもなく原爆で皆さん亡くなるが、世界に核廃絶を訴えていきます」と言う政治家と、「実は日本も秘密開発した核爆弾を持っており、相手が使えば報復する旨、しっかり発信します」と言う政治家のどちらを有難い*3と思うだろうか。

 「張作霖暗殺について厳罰で臨んでいれば、その後の関東軍の暴走(満州事変など)はなかったのでは?」「トラウトマン和平工作が成立していたら日中戦争は終了したのでは?」「ハルノートを受諾していたら日米開戦は回避できたのでは?」などある程度「現実性のある想定」ならともかく、馬鹿馬鹿しくて話になりません。
 そもそも当時の日本は核兵器開発ができる技術力は皆無だったことは以前、拙記事新刊紹介:「歴史評論」8月号(追記あり) - bogus-simotukareのブログ(2019.7.12)でも触れたところです。

日本陸軍の原爆開発計画「ニ号研究」(仁科芳雄理化学研究所教授が中心人物)
日本海軍の原爆開発計画「F研究」(荒勝文策*4京都帝国大学教授が中心人物)

のいずれも挫折しました。 
 そして「戦前、核開発計画に関与した」ものの、戦後は「核廃絶の立場」で活動した湯川秀樹(京大所属。F研究に関与したとされる)や朝永振一郎理研所属。仁科の弟子で、二号研究に関与したとされる)(いずれも世界平和アピール七人委員会 - Wikipediaの委員)は島田にとってどう評価されるのか?

*1:鳩山、菅内閣外相、民主党幹事長(菅代表時代)、野田内閣副総理・行革相、民主党代表代行(海江田代表時代)、民主党代表などを経て立憲民主党常任顧問

*2:ロシアに舐められてた典型は「首相在任中プーチンとの友好関係を自慢した」のにプーチンからは何の政治的成果も得られなかった安倍でしょうに「安倍信者」が良くも言ったもんです。

*3:むしろ現実性を考えれば「日本には原爆を開発する能力がない。もはや米国に勝つ見込みもない。だから降伏します」という政治家をありがたく思うでしょう。実際には昭和天皇は保身のため「降伏を徹底的に遅らせました」が。

*4:荒勝については荒勝文策教授の暴言を思い出した - ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)参照