高世仁に悪口する(2022年8/28日分)

ウクライナ軍を支える子どもたちの愛国心 - 高世仁のジャーナルな日々*1

 24日は(中略)ウクライナ独立記念日

 8月24日は他にも「浮島丸事件、松江騒擾事件(1945年)」「NATO発足(1949年)」「ソ連崩壊(ゴルバチョフソ連共産党書記長辞任と党の解散を宣言)(1991年)」「中韓国交樹立(1992年)」があったことを今日の朝鮮・韓国ニュース(2022年8月24日分) - bogus-simotukareのブログで簡単に触れたので改めて紹介しておきます。

 ウクライナ人の戦争への向き合い方*2は、日本人にはにわかに理解しがたいが、それだけに私にとって「国」とは、平和とは、と突き付けられるものがある。
 先日ニュースで観た11歳のウクライナの少女の活動にも考えさせられた。
ウクライナ軍事侵攻半年 クリミアめぐる国際会議でロシアへ圧力訴え | NHK | ウクライナ情勢
 ワレリヤ・エジョワさん(11歳)は、ボードゲーム「チェッカー」が特技で、去年、世界チャンピオンになった。
 虐殺で知られたキーウ近郊のブチャに暮らしていたワレリヤさんの祖父母が、ウクライナ軍に助けられたことを知り、軍を支援したいと思ったという。
 そこで大きなスーパーマーケットの前でチェッカーの対戦をして寄付をつのることにした。
 ワレリヤさんは、これまで日本円で35万円を集め、軍の関係者に届けた。
 「大人も子どももみんな今はウクライナを支えるべきです。だから私は私なりのやり方で支えようと決めました」と言うワレリヤさん。 
 子どももできることをして、国を、軍を支えようというワレリヤさんたちの行動に、私は、日本にはない「健全な」愛国心を感じる。
 読者はどう思うだろうか。

 青字部分についての感想を言えば、赤字部分が「アホの高世らしいトンチキぶり」で脱力しますね。
 「軍隊万歳」が高世にとっての「健全な愛国心」なのか。
 「日本の政治(あるいは社会)を良くしたい」として政治活動したり、社会活動(ボランティア、福祉活動など)したりするのも立派な愛国心でしょう。
 あるいは「仕事」での「犯罪を撲滅したい(警察官や検察官)」「病に苦しむ人を減らしたい(医師)」「素晴らしい商品、サービスで消費者の生活を豊かにしたい(メーカーなど)」などだって立派な愛国心でしょう。
 あるいは高世のジャーナリズム(?)活動だって少なくとも建前は「日本の社会をよくしたい」という愛国心ではなかったのか。
 高世は「自分と家族が飯を食うカネのためだけに仕事をやっていた」のか?
 そもそも「ロシアの侵略を受けてるウクライナ」と「対外侵略の危険性のない日本」と国民世論が違うのは当たり前でしょう。
 ウクライナにおいて「軍の存在感が強い」のはやむを得ない。一方で日本でウクライナほどには軍(自衛隊)の存在感がないのは当たり前の話です。
 そして「ウクライナを馬鹿にしてる」との誤解を恐れずに、あえて言えば「ウクライナは日本と比べてずっと不幸」です。
 侵略を受ける国が幸せなわけはない。11歳のこどもが「ロシアの侵略の恐怖」を切に感じてるなんて、「ウクライナを馬鹿にしてる」との誤解を恐れずに、あえて言えば「まともな状況ではない」。11歳はもっと「身近な自分の問題だけ考えていい年齢」でしょう。
 勿論「ロシアの側に大いに非があること」を認めた上での話ですが、こうした事態を回避できなかったことは「結果責任」の観点からは「ウクライナ政府の失政」と言っていいでしょう。
 「様々な要因があるから単純比較できない」とはいえウクライナ以外の「ほとんどの国」は今回のような「ロシア等、隣国の大規模侵攻」なんかされてないわけです。
 俺がウクライナ国民なら「こどもにこんな思いをさせてること」に大人として深い屈辱や挫折感、敗北感を感じざるを得ませんがそういう認識は高世には何故かないようです。というか俺が最初に感じた感情は「こんなことをやる子どもがかわいそうだ」「『君がそんなことをしなくても軍隊はきちんと戦争している』として大人が辞めさせるべきではないか」であって高世のような「健全な愛国心万歳」ではないですね。
 またこうした「愛国心」が「ゼレンスキー政権のやることは全て正しい」という間違った「愛国心」に行かないかという危惧を感じますがそういう懸念も高世にはないようです。

*1:高世の記事には「ワレリヤ・エジョワさん」しか登場しないのに「子どもたち」と複数形になってるのが「はあ?」ですね。

*2:高世の紹介する話は全て「打倒ロシア」なのでむしろ「理解しやすい」と思います。勿論「対外侵略を受ける可能性のない日本人」にとって「ウクライナ人の感想」はある意味「他人事」であり、実感はありませんが。