珍右翼・高世仁に悪口する(2022年10/28日分)

消えゆく鷹匠という生き方 - 高世仁のジャーナルな日々
 鷹匠自体が消滅するかのような高世の書き方ですが「政府支援などもほとんどなく苦しい状況」とはいえ、「高世が高く評価」する「松原氏*1のような鷹匠のあり方(どんなあり方か、よく分かりませんが)」が消えるだけで鷹匠自体は他にもいるようですね。

 日本唯一の鷹匠松原英俊さん

と書く高世にとって松原氏以外は「偽物扱い」なのかもしれませんが(偽物評価の根拠が分かりませんが)
 下記の記事を紹介しておきます。

【諏訪流鷹匠
 記事が一番ヒットしたのが諏訪流なのでおそらく「日本の鷹匠における主流」なのでしょう。

諏訪流について | 諏訪流古技保存司会
 信州諏訪大社において贄鷹の神事を奉仕する諏訪大祝(おおほうり)一族に継承されていたのが諏訪流であり(中略)初代諏訪流鷹師・小林家鷹は織田氏より「家鷹」の名を賜り、その後、豊臣秀吉徳川家康と仕え、小林家は徳川将軍家直参鷹匠となり幕末まで仕えました。
 明治維新により、鷹匠は失職し、諏訪流は、維新後に伊達家に預かりとなります。
 明治維新後、明治天皇の命により宮内省に皇室鷹匠として召し抱えられ、古技保存として鷹狩りを伝承する役目を担い、十三代目小林鳩三、十四代目小林宇太郎は、浜御苑(現浜離宮恩賜庭園)や新宿御苑の整備を任されます。
 そして、各種の伝統的な鷹狩りを復活させ、第二次世界大戦前まで日本の鷹狩り最後の黄金期を迎えるに至ります。
 戦後、社会情勢の混乱の影響により第十六代諏訪流鷹師・花見薫*2の時代を最後に公式の鷹狩りは行われなくなりました。
 戦後にいたり、鷹による公式猟が次々と外され、鷹の出番はなくなり、花見氏は何とか存続しようと尽力されたようですが、なかなか困難であったようです。1983年、日本放鷹協会が設立され、1985年、花見薫氏が初代会長として招かれました。

諏訪流放鷹術保存会【諏訪流放鷹術とは】
 信州諏訪大社には、御射山祭において、鷹で捕えた獲物を神に供える贄鷹の神事があり、特に上社は鷹との繋がりが強かったと考えられています。同地を治める諏訪氏に仕える鷹匠の技は「諏訪流」と称されるようになりました。
 戦国時代、織田信長に仕えたとされる小林家次は、優れた功績により鷹の字を頂き、家鷹と名乗るようになったと言われています。家鷹は信長亡き後に徳川家康に召し抱えられ、子孫は幕末まで徳川幕府に仕えました。小林家は十三代鷹師・小林鳩三までは徳川将軍家に、十四代鷹師・小林宇太郎からは宮内省(現・宮内庁)に仕えました。小林宇太郎には実子がいなかった為、その技と心は同庁に仕えていた弟子である十五代鷹師・福田亮助氏、十六代鷹師・花見薫氏に受け継がれました。
 十六代鷹師・花見薫氏は大正13年(1924年)当時の宮内省に入省し50年間鷹匠を勤め、埼玉の越谷鴨場場長を歴任。昭和51年(1976年)退職しました。その間、宮内庁が公式の鴨猟に鷹狩を使用しなくなったため、花見氏は弟子を育てることができなくなってしまいました。
 そのような折、花見先生が埼玉の越谷鴨場で場長をされていた昭和45年(1970年)に、同鴨場を訪問したのが第十七代鷹師の田籠(たごもり)善次郎先生でした。花見先生は宮内庁に配慮され、定年退職した後に伝統的な放鷹術の火種を残しておこうと田籠氏に指導を行い、田籠氏は昭和58年(1983年)、当時の仲間であった篠崎隆男氏、室伏三喜男氏と日本放鷹協会を設立、花見先生を昭和60年(1985年)に同協会会長として招聘しました。
 花見先生には85歳まで現場で放鷹術の指導を頂き、やがて1996年、田籠氏を十七代鷹師として允許してからは田籠鷹師がその任を担いました。
 平成18年(2006年)、(ボーガス注:田籠氏が)60歳を迎えられるのを機に、諏訪流の技と心を次世代の人々に伝え、後継者の育成に繋げたいと、当時の弟子らとともに諏訪流放鷹術保存会を設立しました。
 平成27年(2015年)、田籠先生の弟子の中から大塚紀子・師範鷹匠が、諏訪流第十八代鷹師(宗家)を允許され、現在は同氏(現在:当保存会会長)が門下生の指導を行っています。

訃報:田籠善次郎さん 73歳=鷹匠 /東京 | 毎日新聞2021.2.5
 鷹匠の流派である諏訪流第十七代宗家の田籠(たごもり)善次郎さん(青梅市在住)が1月27日、脳出血のため死去した。73歳。

クールな「相棒」と狩りに夢中 訓練重ねる20歳の鷹匠:朝日新聞デジタル(河合博司)2021.2.8
 オオタカハヤブサを放ち、キジやカモを捕らえる「鷹匠」に憧れ、訓練を重ねる女性が山梨県富士河口湖町勝山にいる。旅館従業員の篠田朔弥(さくや)さん(20)だ。篠田さんは中学2年の時、海外から雄のオオタカ「颯雅(そうが)」を購入。2年前、諏訪流の認定試験に合格し、鷹匠になった。

美しい駅、タカとともに 今年も金沢駅で鷹匠パトロール、ハトふん害ににらみ利かせ|社会|石川のニュース|北國新聞2022.5.10
 金沢駅でタカの「パトロール」が今年も毎月2回、続けられている。鷹匠が鷹を放ってにらみを利かせ、ハトのふん害を防ぐ取り組みは8年目で、被害はほとんど見られなくなった。
 放鷹を行ってるのは諏訪流鷹匠吉田剛之さん(49)

継ぐ鷹匠の心意気 浜松出身20歳、沢下さん:中日新聞しずおかWeb2022.5.17
 徳川家康はじめ徳川将軍家に仕えた鷹匠の技を受け継ぐ諏訪流放鷹術保存会(東京都青梅市)で、浜松市中区出身の専門学校生、沢下由梨江さん(20)=埼玉県富士見市=が、鷹匠を目指して練習に励んでいる。
 タカ狩りに興味を持ったきっかけは中学三年の頃、スマートフォンで読んだ漫画だった。モンゴルを舞台に、軍に一人で戦いを挑む女戦士と少年の旅を描いた歴史漫画「シュトヘル*3」。オオワシの活躍に心を奪われた。
 高校三年の夏、「タカ狩りをもっと知りたい」と両親に伝えた。鷹匠として活躍する女性で、保存会長の大塚紀子さんについても語った。大塚さんの著書*4を何度も読み返し、鷹匠への憧れは募るばかり。あふれる思いを手紙にしたため、大塚さんに送った。
 しばらくして、手紙に書いたメールアドレスに返信が届いた。講習会に招かれ、保存会に入った。クラーク記念国際高校浜松キャンパスを卒業後、自動車整備を学ぶため埼玉県内の専門学校に進学。青梅市まで往復三時間ほどバイクを走らせ、講習会に通っている。
 タカ狩りは、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録され、アラブ首長国連邦や韓国など二十カ国以上が対象になっている。法的な保護制度の対象になっていないことなどから、日本は含まれていない。
 宮内庁などによると、タカ狩りは四世紀ごろに日本で行われたとの記述が日本書紀にある。明治時代になると、当時の宮内省徳川将軍家に仕えた諏訪流の鷹匠らを抱え、伝統を継承。外国からの来賓接待で披露するなどした。
 戦後、動物愛護の世論が高まり、宮内庁でタカ狩りをしなくなった。今も同庁職員として鷹師長と鷹師、鷹匠が十人いて、叉手(さで)網を使った鴨猟を続けるほか、保護されたオオタカなどを鴨場二カ所で各一、二羽ほど飼育しているという。
 宮内庁にいた鷹匠から教えを受けた鷹匠が、諏訪流放鷹術保存会や諏訪流古技保存司会(千葉県成田市)で活躍している。その一人、保存会の大塚紀子会長は「核となる行政がない。公的支援をする自治体が増えてほしい」と嘆く。
 タカ狩りに詳しい長野県立大の二本松泰子*5教授は「ユネスコ無形文化遺産に登録されている歌舞伎や能楽よりかなり古い文化。世界に誇れる水準」と指摘し、日本も対象国を目指し公的な保護に乗り出すべきだと訴える。民間団体に対しても「後継者を育てつつ、一丸となって意義をアピールしてほしい」と求めた。

だいあろ~ぐ:東京彩人記 鷹狩り文化、次世代に 諏訪流放鷹術・第18代宗家 大塚紀子さん(50) /東京 | 毎日新聞2022.7.20
 江戸幕府を開いた徳川家康にも仕えた鷹匠の流れをくむ鷹狩りの流派「諏訪流放鷹術」。その保存に青梅市の御岳山近くで取り組むのが第18代宗家の大塚紀子さん(50)だ。今年3月、諏訪流放鷹術保存会が所有していたオオタカなど5羽中4羽が野生のテンに襲われて死ぬ悲劇に見舞われた。だが、クラウドファンディング(CF)を使って寄付金を集めるなど、再生に向けて動き始めている。鷹狩りへの思いなどを聞いた。【黒川将光】

【いきもの語り】西多摩で活動「諏訪流」家元 「事件」乗り越え鷹狩り守る - 産経ニュース2022.9.3
 飼いならしたオオタカハヤブサを山野に放ち、獲物を捕らえさせる「鷹狩り」。古くから天皇や将軍家が保護し、貴族や武家の間で親しまれてきたが、今ではその技術を継承する人は限られている。日本で最も古い流派とされる「諏訪流」の伝統を守る家元は西多摩の山中で、技を後世に伝える取り組みを続ける。

【その他】

両丹日日新聞:「夢は鷹匠」 小学4年生の女の子、京都から夜久野へ通って修行 | ニュース2021.2.26
 京都府福知山市夜久野町末の鷹匠、衣川正幸さん(68)のもとで、京都市下京区の小学4年生、村上心夏さん(10)が、鷹を操る技の訓練に励んでいる。村上さんは「少しずつ技を身に着け、将来は鷹匠になりたい」と夢を膨らませている。

タカ狩り文化を後世へ 「岐阜吉田流鷹匠継承会」 鷹匠の伏屋さん支援へ有志が結成:中日新聞Web2021.12.4
 徳川将軍家にも仕えた伝統的なタカ狩りの流派「吉田流」を受け継ぐ鷹匠がいる。岐阜市領下の伏屋典昭さん(65)だ。今年六月には伏屋さんの活動を支援し、鷹匠を広く知ってもらおうと、有志が「岐阜吉田流鷹匠継承会」を発足させた。(浜崎陽介)
 吉田流徳川将軍家に仕えた流派。十五代慶喜に仕えた村越才助の子、仙太郎は明治時代、宮内省式部職鷹師に任命されている。
 伏屋さんは小学生のときに科学雑誌でタカと鷹匠を目にし、「たくましさ、美しさ」にほれ込んだ。二十五歳でタカを飼い始め、村越仙太郎から技術を学んだ愛知県春日井市鷹匠、故・丹羽有得さんに師事した。

害鳥対策に鷹匠の技 浜松の田中さん、各地で活躍:中日新聞しずおかWeb2022.3.17
 鷹匠の田中実さん(46)=浜松市北区=は、(ボーガス注:タカを使って)カラスやハトなどの鳥を追い払う専門会社を設立し、国内各地で活躍している。
 二十年ほど前、知人が飼うオオタカを見せてもらい、興味を抱いたのが鷹匠になるきっかけだった。家康や織田信長にも仕えたとされる鷹匠の流れを組む放鷹団体の研修に参加するようになった。関東や岐阜県に出掛け伝統の技や作法、鳥の習性を学んだ。
 鷹匠の認定を二〇一二年に受け、一五年に害鳥対策を請け負う「株式会社鷹匠」を設立。オオタカハヤブサ、ハリスホークなど十五羽を飼育し、従業員三人と月六十件ほどの注文に対応する。ハトのふん害に悩む精密機械工場など民間企業からが大半で、行政の依頼にも応じている。
◆公的認定なく、腕にばらつき
 鷹匠は公的な認定制度がない。技術が乏しくても、鷹匠を名乗って鳥を追い払う仕事ができるといい、田中さんは「鳥の習性をよく知らないと、完全に追い払えず再び戻ってきてしまう。不慣れな人が見よう見まねで始めると人間を襲う鳥に育ちかねず、鷹匠全体の信頼低下につながりかねない」と指摘する。
 鷹狩りに詳しい長野県立大の二本松泰子教授は「信頼できる鷹匠かどうか確認してから(害鳥対策を)依頼するのが望ましい」と話す。諏訪流放鷹術保存会(東京)や放鷹術諏訪流古技保存司会(千葉県成田市)など、徳川将軍家に仕えた鷹匠の技を継承し、独自の認定制度を持つ民間団体もあり、そうした団体に問い合わせるのも一つの手だ。
 諏訪流放鷹術保存会の大塚紀子会長によると、ドイツでは鷹匠のマイスター制度があり、米国ではどの鷹匠の指導を受けたかを示す証明書が狩猟免許の取得に必要。日本では愛好家を含めても数百人規模で、免許制度創設のハードルは高いという。大塚さんは「誰の指導をどれだけ受けたか、米国のように分かる公的な仕組みがあれば」と語る。
 諏訪流古技保存司会の遠藤圭一郎代表は「鳥の追い払いやバードショーなどで鷹を飛ばす技術を持つ人は『放鷹技術士』と呼ぶなど、伝統的な技を継承する鷹匠とは区別した方がいい」と提案する。
徳川家康と鷹狩り>
 静岡市によると、家康は鷹狩りに頻繁に出掛け、特に駿府に居住した晩年は11月ごろから翌年2月ごろまで、連日のように足を運んだ。「大名との接待にもなり、現代の企業経営者らがゴルフをするようなものだった」(長野県立大の二本松泰子教授)という。同市では葵区に「鷹匠」の地名があり、家康に仕えた鷹匠が住んでいたことが由来とされる。この伝統が廃れたのか、市公園整備課は「頼める鷹匠が市内にいない」と青葉緑地のムクドリ対策を田中実さんの経営する会社に発注している。

小城・星巌寺で鷹の舞披露 鷹匠の石橋さん、清掃活動に感謝伝える | まちの話題 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞2022.5.27
 佐賀藩の鷹狩りにゆかりのある史跡を掘り起こす活動を始めた武雄市の荒井流*6鷹匠、石橋美里さん*7(27)と父の秀敏さん(56)が26日、小城鍋島藩*8歴代藩主の菩提寺「星巌(せいがん)寺」(小城市小城町)を訪れ、鷹を操るパフォーマンスを披露した。

 鷹匠関係記事の紹介はこれで終わりにして高世記事への突っ込みに戻ります。

 ロシアはまた気持ちの悪いプロパガンダを流し始めた。

 特定失踪者(国内で既に40人以上発見され全て北朝鮮とは無関係、そのほとんどが自発的失踪)などという、救う会気持ちの悪いプロパガンダに加担したクズの分際で高世も良くも言ったもんです。

 ニュースで連日、核兵器使用の可能性が報じられるなか、私はと言えば、この事態にあまり危機感を感じなくなっていた。「核」に対する感覚がマヒしてしまったのかもしれない。

 小生も「あまり危機感を感じません」ね。
 それは「核に対する感覚が麻痺」というより「プーチンのハッタリ、フカシ」と思うからでしょう。かつ「核が使用される」としてもそれは「ウクライナであって日本ではない」。
 むしろ日本人にとって「新型コロナ」「物価高」等の方が現実的危機でしょう。 

*1:ググったところ、谷山宏典『鷹と生きる:鷹使い・松原英俊の半生』(2018年、山と渓谷社)という評伝がありますね。

*2:1910~2002年。1924年大正13年)、15歳で宮内省鷹匠補となり、諏訪流14代鷹匠・小林宇太郎に師事。1932年(昭和7年)、諏訪流16代鷹匠をつぐ。日本放鷹協会初代会長。著書『天皇鷹匠』(2002年、草思社)(花見薫とは - コトバンク参照)

*3:伊藤悠のマンガ。小学館の『ビッグコミックスピリッツ』2009年4・5合併号から2010年26号まで不定期に連載された後、同社の『月刊!スピリッツ』へ移籍し、2010年9月号から2017年5月号まで連載された。第16回手塚治虫文化賞新生賞受賞(シュトヘル - Wikipedia参照)

*4:大塚『鷹匠の技とこころ:鷹狩文化と諏訪流放鷹術』(2011年、白水社)のことか?

*5:著書『中世鷹書の文化伝承』(2011年、三弥井書店)、『鷹書と鷹術流派の系譜』(2018年、三弥井書店

*6:荒井豊前守を始祖とする放鷹の流派。江戸幕府に仕え、御鷹方を世襲した(荒井流とは - コトバンク参照)

*7:ツイッター荒井流鷹匠 石橋美里@絶対成果 (@MisatoFalconry) / Twitter

*8:佐賀鍋島藩支藩。初代藩主は鍋島元茂(佐賀鍋島藩主・鍋島勝茂の次男)(小城藩 - Wikipedia参照)