黒井文太郎に悪口する(2022年11月24日分)(副題:それなら黒井は北朝鮮「奇跡のイレブン」も好きなのか?)

黒井文太郎
 どこの国でもいいんだけど、格下と思われてたチームが格上を倒すお話*1が好き

 ですよね!。俺も「フィクションです」し「国家代表の戦いではない」ですが谷口率いる墨谷二中が「青葉学院」を倒すマンガ「キャプテン」(アニメ化もされてる)は大好きです。
 また「チームではなく個人」ですが、格上と思われてた田村亮子*2を「格下と思われてた」ケー・スンヒ(桂順姫)*3が破って金メダルを獲得したときは「日本人でありながら」不覚にも感動しました。
 また「未視聴ですが」

奇蹟のイレブン [1966年W杯 北朝鮮VSイタリア戦の真実] - Wikipedia
 2002年イギリス製作のスポーツドキュメンタリー映画
 サッカーW杯1966年イングランド大会で、それまでサッカー後進国と見なされていた北朝鮮チームが、強豪イタリアを破ってベスト8に進出した。
 本国で英雄となった選手達や、対戦相手の選手、そして当時のイギリスのサポーター達から取材を行い、当時のニュース映像や北朝鮮保有の記録映像を取り混ぜて、検証を行った。

なんて話も「あらすじを聞く」だけで感動しますね。
 ちなみにすっかり忘れてましたが「奇跡のイレブン」は以前北朝鮮関係映画「奇跡のイレブン」「ヒョンスンの放課後」「クロッシング・ザ・ライン」 - bogus-simotukareのブログ(2018.1.12)で取り上げました。
 以上の文章のうち「ケースンヒ」「奇跡のイレブン」云々は半分は「アンチ北朝鮮であろう黒井」への嫌み、皮肉ですが半分はマジです。
【参考:奇跡のイレブン】

1966 FIFAワールドカップ - Wikipedia  
 初出場の北朝鮮が朴斗翼のシュートによりイタリアを1ー0で下し、北朝鮮は1勝1敗1分のグループ2位となり、アジア勢としてのワールドカップ初勝利とグループリーグ初突破を果たしてソ連と共に決勝トーナメントに進出した。北朝鮮がイタリアを下した試合を各国の記者は、「1950年ブラジルW杯でアメリカがイングランドに1ー0で勝った試合(ベロオリゾンテの奇跡)に匹敵する大番狂わせだ」と大々的に報道した。
 決勝トーナメント(準々決勝)で北朝鮮ポルトガルを前半25分までに3対0とリードしたが、大会の得点王となるエウゼビオが4得点を決め、さらにアウグストが後半33分に5点目を決め、5ー3の逆転勝利でポルトガルが準決勝に進出した。
 なお、北朝鮮に勝利したポルトガルは準決勝でイングランドに敗北(イングランド2ーポルトガル1)。
 決勝ではイングランドが西ドイツを破って優勝した(イングランド4ー西ドイツ2)。

サッカーイタリア代表 - Wikipedia
 1966年W杯イングランド大会では、決勝トーナメント進出を懸けたグループリーグ最終戦で初出場の北朝鮮に0ー1でまさかの敗北(この試合はW杯史上最大の番狂わせといわれている)を喫して3戦1勝2敗の成績で敗退。一行が帰国した際には空港で待ち構えていた怒りのサポーターから腐ったトマトや生卵を投げつけられるという出来事が起きた。
 しかし4年後の1970年W杯メキシコ大会では、グループリーグを突破。準々決勝では開催国メキシコを下し、準決勝は西ドイツと対戦。アステカ・スタジアムで行われた試合は延長戦で両者合わせて5ゴールも生まれる激しい点の取り合いとなり、最終的にジャンニ・リベラの決勝ゴールで4ー3の死闘を制した。この試合は、「アステカの死闘」と呼ばれ、W杯史上数ある名勝負のひとつとして語り継がれている。決勝の相手はイタリア(1934年、1938年)と同じく2度の優勝を誇るブラジル(1958年、1962年)。この試合は、勝てば3度目の優勝を懸けた一戦となった。しかし準決勝の激闘による疲労と、ペレを擁するブラジルの圧倒的な攻撃力の前になす術も無く1ー4の完敗。準優勝となった。

【参考:ケースンヒ】

【話の肖像画】女子柔道金メダリスト・谷亮子(44)(2)勝敗分ける「わずかの差」 - 産経ニュース2019.11.12
アトランタの決勝は北朝鮮のケー・スンヒに敗れた。国際大会での実績がほとんどなく、謎の刺客だった。しかも五輪での着衣は、作法に反して右襟を前にして着る「逆襟」だった〉
 ケー・スンヒ選手とは初対戦でした。身長が高くて、体幹がしっかりした相手です。
 組んでみて稽古量のすごさを感じ取ることができました。

*1:勿論「サッカー日本代表のドイツへの金星」をネタにした黒井ツイートであることは俺も分かりますが「どこの国でもいい」と黒井が言うので「例えば黒井さんが大嫌いな北朝鮮(1966年イングランド大会でのイタリアへの勝利)でもいいんですか?」と聞きたくなります。

*2:1992年、バルセロナ五輪女子柔道48kg級銀メダル、1996年、アトランタ五輪女子柔道48kg級銀メダル、2000年、シドニー五輪女子柔道48kg級金メダル、2004年、アテネ五輪女子柔道48kg級金メダル、2008年、北京五輪女子柔道48kg級銅メダル

*3:1996年、アトランタ五輪女子柔道48kg級金メダル、2000年、シドニー五輪女性柔道52kg級銅メダル、2004年、アテネ五輪女子柔道57kg級銀メダル。2018年、IJF(国際柔道連盟)殿堂入り(ケー・スンヒ - Wikipedia参照)