今日のロシアニュース(2023年1月18日分)(副題:シンガポール陥落に歓喜した当時の日本人多数派、ほか)

ウクライナでヘリ墜落 内相ら15人死亡: 日本経済新聞
 「機体の故障や運転ミスによる事故」か「テロやロシア軍の攻撃か」で話は違ってくるので続報を期待したい(追記:報道を見る限りでは真相解明に時間がかかりそうです。ということは「事故の可能性が高い」のではないか)。


【産経抄】1月18日 - 産経ニュース

 ロシアが厳しい情報統制下にあるとはいえ、民間人に対する蛮行の事実はなんらかの経路で伝わっているのではないか。 

 拙記事新刊紹介:「歴史評論」2023年2月号(副題:真珠湾攻撃勝利に歓喜した当時の日本人多数派、ほか) - bogus-simotukareのブログで紹介したNHK記事

新・ドキュメント太平洋戦争 「1941 第1回 開戦(後編)」 - NHKスペシャル - NHK
 太平洋戦争開戦。
(中略)
 アメリカを真珠湾で撃破し、今度は、イギリスの軍事拠点に迫った日本軍。熱狂が続いていた。
シンガポール敵前上陸!すばらしいことをやったものだ。なんという私たちは幸せな国に生まれたのだろう』(主婦・金原まさ子*1 日記より)
 アメリカ、そしてイギリスに対し、緒戦の勝利を収めた日本。シンガポール陥落の3日後、全国で一斉に戦勝の祝賀式が開かれた。
今日の感激を一生忘れないだろう。一斉に日本バンザイを叫ぶ。陥落後の将兵、ただ眠るばかりの由。涙なしにはいられず』(主婦・金原まさ子 日記より)
 日本で祝賀式が行われたその日、憲兵分隊長として(ボーガス注:シンガポールの)治安維持にあたった大西覚は、「日本軍の作戦を妨害する者、治安と秩序を乱す者、また乱す可能性のある者」などを選別し、処刑するよう命令を受けたという。
 戦後、イギリス軍による裁判でこの虐殺*2に関わった大西ら5人は終身刑、2人*3の死刑が確定した。処刑された司令官は、5千人を粛正したと日記に記しており、裁判の証拠とされた。しかし、シンガポールでは、虐殺は数万人規模にのぼるとみる専門家もおり、研究が続いている。

でわかるように「シンガポール陥落」を脳天気に喜んでいた「本土の日本人」の多くは戦後になるまで「シンガポールでの華僑虐殺」を知りませんでした。
 従ってロシア人が「仮にロシア軍の蛮行を知らない」としても何ら不思議ではないでしょう。
 それにしても南京事件バターン死の行進などの日本軍の戦争犯罪を未だに詭弁で否定しようとする産経が良くもロシア批判できたもんです。恥を知れと言いたい。

 ロシア国民は自らの頭上にミサイルが降ってこない限り、沈黙を続けるのだろうか。

 日本人だって、東京大空襲*4、大阪大空襲*5などで「自分の頭の上」に爆弾が降ってこない限り「脳天気」だったので、人のことは言えません。それにしても、「戦争当時」どころか、未だにあの戦争を美化する産経が良くも言ったもんです(呆)。

*1:1911~2017年。俳人。著書に俳句集『カルナヴァル』(2013年、草思社)、エッセイ集『あら、もう102歳:俳人金原まさ子の、ふしぎでゆかいな生き方』(2013年、草思社)(金原まさ子 - Wikipedia参照)

*2:この事件については中島正人『謀殺の航跡:シンガポール華僑虐殺事件』(1985年、講談社)、林博史シンガポール華僑粛清』(2007年、高文研)等の著書がある。

*3:昭南警備司令官だった河村参郎(1896~1947年)と第2野戦憲兵隊長だった大石正幸のこと(河村参郎 - Wikipedia大石正幸 - Wikipedia参照)

*4:東京は、1944年(昭和19年)11月24日から1945年(昭和20年)8月15日まで、106回の空襲を受けたが、特に1945年(昭和20年)3月10日、4月13日、4月15日、5月24日、25日~26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲(下町空襲)を指す(東京大空襲 - Wikipedia参照)。

*5:1945年3月13日に最初の大阪空襲が行なわれ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行われた。これらの空襲で1万人以上の一般市民が死亡したと言われている(大阪大空襲 - Wikipedia参照)。