「反党分子」松竹伸幸&紙屋研究所に今日も悪口する(2023年6/16日分)

◆紙屋ツイート

紙屋高雪
 水野信元って殺されたのか。冤罪に近いことを詰問され上意討ちっていう展開、昨今身に沁みる。

 「冤罪」「上意討ち」が「身にしみる」とはどう見ても「松竹信者の紙屋」による「党への当てこすり」でしょう。はっきり具体的に書いて懲戒処分されたくないが、それでも当てこすりはしたいというのだから呆れたクズです。そんなに愛党心がないならとっとと離党すればいいのに。党に在籍することは義務ではない。
 しかし「党は間違ってる、俺は正しい」とここまで思い上がれるのもすさまじい。

紙屋高雪 - Wikipedia
オタクコミュニスト超絶マンガ評論』(2007年、築地書館
『「町内会」は義務ですか?』(2014年、小学館新書)
『どこまでやるか、町内会』(2017年、ポプラ新書)
『マンガの「超」リアリズム』(2018年、花伝社)
『不快な表現をやめさせたい!? :こわれゆく「思想の自由市場」』(2020年、かもがわ出版

と本を何冊か出した程度で、あるいは「落選した」とはいえ福岡市長選に出馬(但し、紙屋が今や悪口する党の支援で、ですが。恩知らずと言うべきか)した程度で人間、ここまで思い上がれるもんなんでしょうか?。絶対に真似したくない醜悪な「紙屋の振る舞い」ですね。なお、上記はこのツイートと同レベルの「党への当てこすり」幹部たちの“知的水準の衰弱” - 紙屋研究所にコメントしました。

参考

水野信元 - Wikipedia
 『松平記』によれば、天正3年12月(1576年1月)、信長の武将・佐久間信盛の讒言により武田勝頼の武将・秋山信友との内通の疑いで、信長の命を受けた甥・徳川家康によって養子・信政とともに斬られた。
 しかし、天正8年(1580年)信長は佐久間信盛を追放。 さらに信長は、信元が冤罪だったとして、家康の下にいた信元の末弟・忠重を呼び寄せて、旧領を与え水野家を再興させた。
 但し、信元殺害は、長篠の戦い(1575年)での武田敗北により、三河からの武田氏の脅威が除かれた時点で起こったことから考えて、尾張三河において信元が持つ権力の排除(彼の存在が織田・徳川両家にとって目障りかつ不用なものとなっていた)が真の目的で佐久間の讒言など関係なかった(そもそも讒言があったかも疑問)という見方もある。


及川琢英『関東軍——満洲支配への独走と崩壊』 - 紙屋研究所

 戦略的な判断を、現場が勝手にやっていたらとんでもないことになる。
 だけど、関東軍の歴史はこの独断専行の歴史なんだよね。

 として「満州事変の石原莞爾*1」を批判する紙屋が、党執行部を無視して、勝手に下剋上(独断専行)をやらかそうとした「日本共産党石原莞爾=松竹」を美化するのは何の冗談なのかと頭痛がしてきます。
 今後は鈴木元(どう見ても松竹の上司的存在)のことは「日本共産党板垣征四郎*2」とでも呼んでもいいかもしれない。

 現場の声に「負けない」司令官としての梅津*3を及川*4が語る中で、

参謀に言い負かされない(及川p.284)

と書いているのは注目を引いた。
 ボトムアップは大事なことだが、司令官は、専門家官僚や現場のたたきあげをコントロールする力がなければ、ただの「下の言いなり」になってしまう。抑圧や恐怖によるトップダウンがいいわけでもないし、戦略や定見のないボトムアップ一辺倒でもダメ。そこに民主的*5なイニシアチブが発揮される必要がある。

 いやだから「参謀気取りの松竹」が間違ったこと(日米安保容認など)を言ってたから、「参謀に言い負かされない」梅津のように「志位」が批判した(それでも松竹が反省しないので除籍という強硬措置)んじゃねえの?、何で志位を「梅津のように好意的に評価」しないで松竹を評価するの?、別に「抑圧や恐怖によるトップダウン」なんか志位はしてねえだろ?と紙屋には頭痛がしてきます。なお、上記は紙屋記事に投稿しました。コメント掲載拒否常習「松竹」と違い、掲載はするようですが「自分の気に食わないコメントには応答しない」のだから「反党分子」紙屋もろくな人間ではない。とっとと離党すればいいのに。


除名に関する個人情報開示請求その後・上 | 松竹伸幸オフィシャルブログ「超左翼おじさんの挑戦」Powered by Ameba

 報告するのが遅れたが、党中央書記局からも、京都府・南地区からも、ちゃんと返事が来ている。

 今後の動向(松竹が袴田里見のように民事提訴するか、その場合、党が袴田相手のように訴訟を受けて立つか等)を見定めたいので、松竹の紹介する「党の回答」をどう評価するかは現時点では特にコメントしません。いずれにせよ「報告が遅れた(松竹的には右翼的な安保主張の宣伝の方が大事だった)」と言う辺り、松竹が本気で「除名撤回」を求めてるわけではないことを露呈してるように思いますね。
 それにしても「入管法」「LGBT法」「軍拡財源法」といった「ホットな政治話題」に全く触れない松竹の「アホさ」には心底呆れます。

*1:1889~1949年。関東軍作戦主任参謀、関東軍作戦課長、参謀本部作戦課長、戦争指導課長、参謀本部第一部長、関東軍参謀副長、舞鶴要塞司令官等を歴任

*2:1885~1948年。関東軍高級参謀(石原の上司)として満州事変に加担。その後も関東軍参謀長、第一次近衛、平沼内閣陸軍大臣支那派遣軍総参謀長、朝鮮軍司令官、第7方面軍司令官(シンガポール)等を歴任。戦後、死刑判決。後に靖国に合祀

*3:1882~1949年。支那駐屯軍司令官、陸軍次官、関東軍司令官、参謀総長等を歴任。戦後、終身刑判決で服役中病死。後に靖国に合祀

*4:著書『帝国日本の大陸政策と満洲国軍』(2019年、吉川弘文館)、『関東軍』(2023年、中公新書

*5:少なくとも梅津の場合、軍隊なので別に民主的ではないでしょう。「専門的、合理的なイニシアチブ」でしょう。